第二話 武田信玄『武田二十四将』
巷では我が家臣を『武田二十四将』と呼称しているらしい。
儂の家臣たちは優秀な者ばかりだ。
しかしながら、優秀さをひけらかすのはあまりよろしくない。
優秀な者は殺されるか、引き抜かれてしまう。
儂ならばそうするだろう。
であるならば優秀さを他国に漏らさないほうが良い。
だが逆に、優秀であることを敵国に知らせれば無用な戦いを避けられる。
儂が支配する甲斐国と信濃国は山国だ。その中で平地を取った者が覇権を握る。
数少ない土地を守るため、噂を広めるのも得策であると言えよう。
そこまで考えた後、儂は武田二十四将と呼ばれる家臣が、果たして本当に優秀なのかと考えてしまった。
噂に偽りがあっても別に構わないが、実際は無能であったら目も当てられない。
先ほども言ったが、儂にしてみれば十分優秀ではある。
だが儂の目の届かぬところではどうなのかと気になってしまった。
それに、我が後継者の勝頼の後見役を決めなければならぬ。
四名臣の誰かに適性があれば良いのだが。
思い立った儂は、水洗式便所から出た後、武藤喜兵衛を呼んだ。
かの若者は我が目に等しい。
正当な評価を下せるだろう。
「御屋形様、武藤喜兵衛、推参いたしました」
知恵者そのものと言える若者。
油断など微塵も感じられない目。
言葉遣いや所作からも知性を感じられる。
この者に兵を与えたら、大いに活躍してくれるだろう。
「おぬしを呼んだのは他でもない。武田二十四将について聞きたいのだ」
「市井で噂となっている、武田家の家臣のことですね」
「やはり知っていたか。儂は詳しい面子を知らぬ。教えてくれぬか」
喜兵衛はやや困った顔で「それがしもよく存じておりません」と言う。
「なにしろ、語る者によって面子が異なるのです」
「なに? 固定されていないということか」
「左様にて。場合によっては、御屋形様も含まれるのです」
まあ武田二十四『将』なのだから、大将の儂も入るのはおかしくないが……
家臣と同列なのは、些か不満ではある。
「ちなみに、そなたは入っているのか?」
「いえ。それがしは若輩の身。とても……」
「そうか。しかし真田一族は入っているであろう?」
「我が父、幸隆と兄の信綱は名を連ねておりまする」
あの二人ならば当然と言えよう。
「板垣様や甘利様など、上の世代も多数入っております」
「あの者たちか。懐かしい。上田原の敗戦が無ければ、活躍してくれただろう」
「ですので、それがしが把握しているのはごく僅かです。お役に立てるかどうか……」
恐縮している喜兵衛に対し、儂は「ならば四名臣はどうだ」と訊ねた。
「おぬしは四名臣をどう見る?」
四名臣とは、馬場信春、高坂昌信、山県昌景、内藤昌豊の四人を指す。
かの者たちは、儂の目から見ても優秀であるが、喜兵衛はどのような評価を下すのだろうか。
「恐れながら、それがしは若輩の身。とても評するなどと……」
「良い。儂が許しておる。無礼だと思うな」
喜兵衛は逡巡していたが、儂の申し出を断るほうが無礼だと思ったらしく「それでは言わせていただきます」と背筋を正した。
「まずは馬場様ですが、あの方は器量も将器もあります。しかし出世を望まない方です」
「ほう。出世を……」
「他の四名臣の方と比べると、武功多しですが禄が低すぎます。けれどご本人がそう望んでいるようなのです」
武士は土地や禄、あるいは地位のために戦うのだが、考えてみるとあやつのそれは低かった。今まで気づかなかったことだ。
「何故当人は不満を述べぬ?」
「欲がないとそれがしは考えましたが、実際は異なります。馬場様が戦場で傷を負ったことがないと知っておられますか?」
父の代から仕えているが、確かに奴が傷を負った話は聞いておらん。
喜兵衛は「恐れながら申し上げます」と言う。
「馬場様は、臆病なのです。危険な目に遭いたくないのです」
「ほう。臆病……」
「戦場で傷を負わないのは、負うような目に遭わないところで安全に指揮しているから。そして出世を望まないのは、大役を仰せ遣わないようにするためです」
そのような目線で見たことが無かった。
あの者は儂が望んだことを十全にやってくれる。
だからこそ、四名臣に名が連なっているのだ。
「ふむ。では高坂はどう評する?」
喜兵衛は顎に手を置いて考えた後「あの方はしんがりが得意とされております」と答えた。
「むしろ、負け戦で活躍したいと望んでいる節がございます」
「負け戦でか? それは何故だ?」
「それがしの見たところ、高坂様は……退屈しておられます」
退屈。武田家の中枢にいる者ならばそれなりの仕事があるものだが。
「わざと負け戦にして、しんがりを務めることによって、退屈を無くし、その現状を楽しむのです」
「言い換えるならば、勝ち戦は退屈だから望まないと?」
「ご自身で難易度を上げて、戦ったほうが楽しいのです。あの方は」
それが真実ならば、恐ろしいほど厄介な部下である。
勝ちを望まずに負けを愛しく思う。
無価値で負け越してしまう……
「で、では。山県はどう評する? あの者は武田最強の赤備えの軍団を擁する男だ」
喜兵衛は緊張が解けたのか「あの方は前の二人と比べて単純です」と語り出す。
「己より強い者が許せないのです。自らが最強でなければ気が済まない。だから武田家で最強の赤備えを擁しておるだけです」
「意味が分からぬが……」
「はっきり言いましょう。あの方は自分に近しい実力を持つ者を排除する傾向にあります」
自分の最強を守るために、他の者を排除する。
なんと恐ろしい考えだ。
「失礼ながら、そう考えさせたのは、飯富家の……」
「そうか。亡き兄のためか」
「最強を名乗ることで不退転の覚悟を示しておりますが……」
一度、あの者とは膝を交えて話す必要があるな。
「最後の内藤だが、こやつはどう評する?」
喜兵衛は座を正して「あの方は馬場殿と違って、死に場所を探しております」と言う。
「死に場所だと? 死にたがりということか?」
「そうではありません。むしろ、生きたがりに近いと言えましょう」
「分からぬ。もっと分かりやすく申せ」
「あの方の印象は地味で目立たないものでした。四名臣や他の二十四将と比べても。しかしそれが死に場所を探していると考えると、納得がいきます」
喜兵衛の言葉の意味がぼんやりと分かったので、先回りして答える。
「大戦で死んで目立とうとするために、普段は地味な男を演じていると?」
「もしくは、内藤様は己の限界を悟っているのでしょう。だから最後に華々しく散って印象深い死を望んでいるのです」
ふむ。つまり、四名臣は臆病者、負けたがり、嫉妬の塊、目立ちたがり屋で構成されているのか……
「おぬしの話を聞いていると、よく我が武田家は滅ばなかったと思うぞ」
「性格や性根に難あれど、四名臣は優秀ですから」
「そうか。分かった、下がってよい」
喜兵衛を下がらせて、天井を見上げる。
四名臣の誰かに、儂の後継者である勝頼の補佐をしてもらおうと考えたのだが、目論見が外れてしまった。
しかもどうやら、儂の目は節穴だったようだ。
若い武藤喜兵衛のほうが視野が広く行き届いている。
儂の目を超えているのではないかと思ってしまう。
いっそのこと、喜兵衛を補佐にしようと考えたが、あの目を持つ者が側にいたら、勝頼は休めないだろう。重圧となるのが必至だ。
ふむ。ではこうしよう。
儂の目から見て賢臣かつ股肱の臣となれる者を、勝頼の御付きとして取り立てよう。
ならばあの男しかおらん。
儂の出家と共に、自らも出家した、忠誠心の高いあの男にしよう。
「誰ぞ、こちらに来い」
小姓を呼ぶと、儂はその者に命じた。
「長坂釣閑斎を呼べ。大事な話がある」