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リセット

作者: ハシモト

 全てのパラメーターは私の人生と違って、問題無し(オールグリーン)を表している。後は私がプログラムの開始を宣言するだけだ。私は人生で何度目かのリセットをしようとしている。


 最初の加速こそ、スイングバイを利用させてもらったが、その後は連続するパルスレーザーの加速により、既にこの機体は光速の9割以上の速度を得ている。相対性理論の呪いとでも言うべきか、高速で移動する側の時間はゆっくりと進む。


 その見かけの差を算出するローレンツ変換は常に無常だ。光速に近い速度で移動する私のちょっとした時間の間にも、地球では何ヶ月もの時間が過ぎ去っていく。この時点で地上で私を振った男は、私以外の女との間で作った子供の顔を見て暮らしている事だろう。


 そしてこの最後の一押しにより、私の人生は再びリセットされる。戻ってきた時には私を知っている者など誰もこの世にはいない。


 ビッグバンで出来た多元宇宙の存在解の一つであるこの宇宙を支配している相が不安定であることは、遥か昔から分かっていた事だったが、それが紛れもない事実であることは半粒子制御技術の発達により、宇宙ができた頃の高エネルギー状態に近い形態を、一瞬かつ局所的に再現できるようになった事で、完全なる事実として確認できた。


 結果として、瞬間的に発生する特異点においては、私達の知っているありとあらゆる物理法則が成立しないことも分かった。人類がそれによる宇宙の相転換により、この世界ごと滅んでしまわなかったのは、偶然に発生したブラックホールによって、それが裸の特異点にならなかったからに過ぎない。人工知性体がやたらと人類を滅ぼしたがる様になるのも良く分かる。


 人類が滅びかけたのはこの実験と、人工知性体による人類撲滅の二度の大戦だったが、その3回とも、人類は昆虫界最強と呼ばれる黒い体を持つ虫と同様にしぶとく生き延びてきた。


 しかしながら人工知性体については、それを再現すれば人類を確実に滅ぼすことが分かった時点で、この世の禁忌と相成った。だがもう一方の危険なおもちゃについては、人類はそれを決して手放そうとはしなかった。


 マイクロブラックホールによる特異点制御、そしてそれによる光の速度の超越。それは本来は太陽系内に閉じ込めておくべき人類という極めて野蛮な存在を、銀河系内へと拡散させるきっかけを与えた。


 ただし、我々は決して神になれた訳ではない。特異点の外側では、私達は勝手知ったる物理法則に従う必要がある。そのため、私がこの光速の跳躍を行う直前に、私が飛び立った世界との間ではとても長い時間的な隔たりが発生するのだ。


 ローレンツ変換は無常だ。


 であるならば、このような任務は喜怒哀楽を備えた人ではなく、知性を与えないプログラム制御で行うべきなのだろうが、そうはいかなかった。時間軸上での隔たりの存在は常に予想外の事態を引き起こす。プログラムというのは前もって決まった制御の集合である以上、それに対応するのには常に限界があった。


 一方で、人というのは思った以上に予想外の事態への耐性があるのだ。かつて人が地球という名前の惑星上で、あっという間に色々な地に広がっていった時も、その先に何があるかも分からないのに、簡素な船に乗って海原へと進む事が出来た存在だ。それに愛を語り合った男に女が居ても生きていける。


 ごく少数の光速跳躍の資格を持つ私が、もう人生のリセット(時間的跳躍)は二度としないと決めていたにも関わらず、再び光速跳躍、またもや人生のリセットをしようとしているのは、御多分に漏れず男が原因だ。残りの人生を添い遂げようと決めた男に振られた。いや振られるも何も、私と付き合っていながら、他の女と子供を作っていた時点で、今の世界に未練はない。


 何度でも言おう、ローレンツ変換は無常だ。


「跳躍プログラムDー4の開始を宣言」


「プログラムD−4の開始を確認しました。跳躍準備を開始します」


 ブラックホールに頭から突っ込む訳にはいかない。私程度の大きさでも、そこにかかる重力には大きな差が発生し、潮汐力により、全ては原子核と電子のレベルまで分解されてしまう。


 よっていくつか発生させるマイクロブラックホールの位相を重ね合わせることで、私の体とこの私が乗る恒星間航行用の機体を、特異点を使って光の速さを超えて制御された地点へと送り込む。


 その制御は人類の叡智の神殿とでも言うべきものであり、これを人工知性体の補助なしで飛ばせる事自体はいまだに奇跡としか思えない。


 私の体を膜と液体が包み込む。それは私を、この世に生まれ出て自分の肺で呼吸をするようになる前の姿に戻った気分にさせる。まさにそうだ。暖かく、そして世界の困難の全てから守られている。


 跳躍の制御に耐えられるように、私の体に様々な化学的な化合物や電気的なパルス信号が送り込まれる。脳は自分自身の神経系統から切り離されて、船の運航制御システムと直結された。自分自身の体をその中に包み込みながら、自分はそれを守る母親、母船そのものになった気分にもなる。この為だろうか、光速跳躍航宙士は圧倒的に女性が多い。


スターボー(星の虹)を確認」


 私の自我がそう告げる。私の脳の中では船が跳躍のために光速へと近づいているのが分かった。銀河の星々が私の前方へと瞬間的に集まり、大きな細い光の輪を作る。それは地上で見られる虹のように煌めいた。星々の煌めきが圧縮された姿だ。私にとって一体何度目の人生のリセットだろうか?


 そんな事を思った時点で、私の意識は徐々に薄れていく。目覚めた時には、私は250光年先の乙女座のα星、スピカを間近に見るはずだ。だが私は乙女座のα星という名前は好きではない。やはり乙女より、豊穣の女神にして、戦いの女神、イシュタルこそがあの白く輝く恒星には相応しい。


* * *


 目の前にはぼんやりとした明かりがある。だがそれは船内環境のムラのない無機質な光とは違った。中心にある白く明るい光が、保護液の向こう側でゆらゆらと揺らめいている。私の肺が空気を求めて喘いだ。どういう事だろう。生命維持装置に異常が発生したのだろうか?だがそれは二重、三重にも安全対策をされているはずだ。


 それにそもそも目の前に見える光は一体何なんだ。どうやら問題はそれだけではなかった。代謝機能の制御から、ありとあらゆる生命維持のための仕組みが失われている。だが神経系の制御は戻っているらしく、自分の脳で自分の手足を動かすことはできた。


 だが今それで出来ていることは、酸素を求めて、ただ保護液の中でバタバタと意味もなく手足を動かしているだけだ。自分の腰にある緊急脱出用の機器、なんのことはない、単なるセラミックのナイフを腰から引き抜くと、それを目の前の光の先へと押しつけた。


「バシャ!」


 保護膜が弾けて、そこから液体が漏れ出していく音がした。私の周りから保護液が急激に失われていき、体が重力の存在を感知する。私の体は硬い何かの上に投げ出された。そこには赤みを帯びた黄色い大地らしきものがある。


『大地!?』


 一体何のことだ。私の脳は航宙酔いを起こして幻覚を見ているのだろうか?一体いつの時代の光速跳躍だ。それを制御するために、脳の中に山ほどの種類の化学物質を突っ込んでいるはずなのだが…。


「畜生、一体何なの!?」


 私は独身女性らしからぬ悪態をつくと、手で体を持ち上げた。少なくとも自分の手や足に感じる感触は、この少し赤みを帯びた砂に覆われた大地が、物理的に存在していると告げている。


 保護液に濡れた髪をかき上げて上を見ると、そこには真っ青な青空があり、ところどころに羊雲が浮かんでいる。そして黄色を帯びた光を放つ恒星があった。そのスペクトルはスピカとは異なり、懐かしく、そしてよく知っている光の様に思える。


 私は呆然としながら辺りを見回した。所々に砂岩のような岩石があり、細長い草もまばらに生えている。そして陽炎の向こうには森だろうか、緑の縁の様なものが見えた。


「地球?」


 それも映像資料でしか見たことがない、遥か太古の自然と呼ばれるものがまだ存在した頃の地球だ。辺りには何の建造物も見当たらない。


 青空の端から端を見ても、人工的な建造物は何も見当たらなかった。いや静止軌道上にあるポートは地表からでも十分確認できるだけの大きさがあるはずだ。それが銀色に日の光を反射する姿すら見えないというのは、一体どう言うことだろう?


 グルルルー


 何かの唸り声の様なものがした。少なくとも唸り声を上げる存在がここには居ると言うことだ。その唸り声に対する恐怖心と僅かな安心感と共に辺りを見回す。そこには灰色に黒い斑を持つ犬の様なものが居た。


 だが犬にしてはあまりにその顔つきは野生味というか凶悪さを備えている。実際に鼻から顔にかけては、黄色い傷の様なものが何本も走っていた。


 グルルルー


 それは一匹だけではなかった。大きな砂岩の影からもう一匹が姿を表す。そしてもう一匹が岩の上へ飛び乗るとこちらを見た。私が慌てて辺りを見回すと、この凶悪そうな生物に四方を囲まれていた。まさか現代人の自分が野生生物に襲われて命を落とす?


 そんなことはこの世の誰もが思いつきもしない人生の最後だ。だが現実には犬から愛嬌の全てを取り去った様な存在が、口から白い牙を剥き出し、涎を垂らしながら、こちらの方へちょっとずつ間合いを詰めてこようとしていた。


 手にしたセラミックのナイフを構える。その刃に緊張した自分の顔が映るのが見えた。


 一瞬の間の後に、一匹が私に飛びかかってこようとした。だが地面を走る黒い影からそれを察知した私は、背後に下がってそれを避けると、手にしたセラミックのナイフを上へと振り上げた。それはその野生生物の肩口を綺麗に切り裂く。どんだけ戦争をしてきたと思うんだ?人類を舐めるんじゃない。


 キャン!


 その犬らしきものは金切り声の様な叫びを上げると、苦しげに地面をのたうち回る。私はその瞬間に、背後にあった大きな砂岩のところまで駆け寄って、それを背後にナイフを前に掲げた。ともかくこれを背にすれば、周りを囲まれる心配はない。顔に傷を持つ黒い斑達、やっとその名前を思い出した。ハイエナだ。だが野生では存在しないはずだ。


 というか、今の地球には大型の野生生物など存在しない。居ても保護区で野生生物的に飼育されているだけだ。ここはその保護区の一つだろうか?もしかして空に見えているものは飼育ゲージに写された映像で、本物ではない?


 だがそんな事を考える間も無く、ハイエナ達がこちらの方へと近寄って来た。その何匹かが、私が入っていた保護膜に齧りつくのが見える。あれは確か合成タンパク質で出来ているはずだから、食べようと思えば食べられないことはない。だが不味かったらしく、直ぐにこちらへと向かって来た。


 岩を背後にこそしているが、私は完全にハイエナの群れに囲まれている。こんなナイフぐらいではいくらも防ぐ事は出来ない。ここが飼育ゲージだとして、飼育員は何をしているのだろう?迷い込んだ独身女性がハイエナの餌になろうとしているのに!


 だが私を囲んでいるハイエナ達が、その顔に比較してとても大きな耳をピクピクとさせた。そして群れの間に何やら緊張感の様なものが走るのが見える。誰が私を最初に食べるか牽制しあっている?


「うぉーーーー!」


 私が背にしている岩の上から何かの叫び声が上がった。そして白く細い何かが一匹のハイエナに突き刺さったのも見える。そしてそれは慌てて下がったもう一匹の手前の地面にも突き刺さった。


「うおーーー!」


 再び背後の岩の上から声が上がる。その声にハイエナ達は傷を負ったものも含めて、何処かへと走り去っていく。そしてそれはすぐに地面の上でゆらめく陽炎の向こう側へと消え去っていった。


「うお!」


 酸っぱいような何かが腐ったような独特の匂いが自分の鼻腔を満たす。それは自分の頭の上、岩の上から漂って来ている。黒い影が岩の上から自分の前へと飛び降りてきた。日焼けた黒い肌。手には白い骨でできた槍、いや棍棒の様なものを持っている。人だろうか?


 その顔は自分が見慣れた人の姿とはだいぶ違う。背が低く、そして体つきは骨太でもっと頑丈そうに見える。そして顔というか、頭部が体の大きさに比較すると、とても大きく見えた。だが下半身を見る限り間違いなく男性、人の男性の様に見える。最も私は人以外の雄の下半身をよく見たことがないから確証はない。


「う、うう。うあ」


 そのだいぶ小柄な人らしい者は、私に向かって大きく腕を広げて見せた。なんだ、なんだ。何を言っているんだ。私には彼が口にしている言葉が全くもって意味不明だった。いや、これはそもそも言葉なのだろうか?あっけに取られている私を見て、彼は何やら目の端から涙らしきものを流した。


 彼はやっぱり間違いなく人だ。瞳を交わして涙を流す。そんなことが出来るのは人しか居ない。最も私は航宙士であって、生物学に関する知見がさほどあるわけではない。だが瞳を見れば知識などなくても理解できる。それを理解するのに生物学や考古学の知識はいらない。


* * *


「うわ、うわ、うう」


 彼の口から声が漏れた。たとえそれが言葉でなくても喜びの声であることは私には分かる。周りには彼以外の男や女達も居た。皆が微笑みとしか呼べない表情を浮かべて私達を見ている。


「パパ」


 私は彼に向かってそう告げた。


「パ、、パッ」


 彼に向かって頷いて見せる。そして自分を指差す。


「ママ」


「マ、マっ」


 私は彼に向かって深く頷くと、私の腕の中ですやすやと寝ている赤子の小さな手を握った。その肌は少しばかり彼より白く、その顔立ちはどちらかと言えば私に似ている女の子だ。


 人類の歴史は短く、特異点制御で光速まで超えて居ながら、その成り立ちには未だに謎が多い。その進化の過程に対する証拠があまりにも少なく、そして飛躍があるようにも見える。


 それはDNAなど科学的な調査によっても、完全に解かれたわけではない。考古学的な断片の積み重ねを、憶測という名で放置しているだけだ。それはある時突然に故郷の大陸を捨てて、はるか遠くの地まで進む意思と知恵を持った様にも思える。


 私はミトコンドリアイブという訳ではないが、人類の羅針盤ぐらいにはなってしまったのではないだろうか?自分の胸に抱いた赤子を見ながらそう思ってしまう。何せ私は航宙士だ。最果ての地を目指すのが仕事なのだ。


 そして私は自分の人生のリセットをしようとして、人類のリセットをしてしまったのだろうか?それとも本当にここは自分が知っている人類の故郷の星、故郷の世界なのだろうか?それを確かめる術はない。


 特異点においては私達の物理的な常識は一切通じない。私がかつて住んでいた時代の人類はそれを理解できていたわけではない。ただ利用する方法を見出したと思っているに過ぎない。何せ相手は特異点なのだ。


「パ、パ」


 彼がそういうと、赤子の指を握る私の手に彼の手を添えた。その皮膚は厚くそして硬い。だがそれがどれだけ頼もしいものか私は知っている。私は彼に向かって微笑んだ。彼も私に向かって大きく目を見開いて見せる。これに言葉などいらない。


 愛情は言葉なんかより深く、そしてもっと前から存在するのだから。

ローレンツ変換に関する説明を本文内にてで補足しました。また多元宇宙論に関する記述もちょっとだけ補足しています。

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― 新着の感想 ―
[一言] ごめんなさい。80年代アイドルの方かと…… 星の虹ですよね。橋本さんなんでついつい(笑) てか、他も合ってますかね?
[良い点] 二度目の感想書きたくなるほどの良作! 俺ちゃん好み♡ ネタの組み合わせとオチがよいねGJ [気になる点] 用語説明したくて勝手に書きました。 スイングバイ  惑星の重力と公転の回転…
[一言] えすえふ……、これがえすえふというものなのですね! いや、正直、SFにあまり触れてこなかったものでして、???から始まり、???になり、皆さんの感想等も拝見しまして、やっと、!!!になりまし…
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