098話『しばしの別れ』
タブラが回復魔法を覚えたことで、錆釘の傷は一気に回復へと向かった。
だがそれは同時に彼らの別れを意味していた。
「俺はまだやることがあるんだ」
ここに執着があるわけではなかったので、付いていくと言ったが、錆釘はそれを拒んだ。
「俺自身の問題だ、出来れば自分だけでカタを付けたい」
その意思は固かったが、錆釘は子供をあやすように静かに言った。
「大丈夫だ、必ず帰ってくる。なんなら住んでも良い、ここは良い森だ。人も少なくてひっそり生きるには最高の場所じゃないか」
我慢さえすれば、もっと彼と一緒にいられると、タブラは仕方なく引き下がった。
錆釘は後ろ髪を引かれる様子も、一度も振り返ることもなく出ていった。
あっという間に2年の月日が過ぎた。
500年の間、灰色の時間を過ごしてきたタブラにとっては短い時間だったが、感じたことの無い寂しさに苛まれていた。
魔法の研究や、人間についても興味を持った。
こっそり近くの村に行って、人間たちを観察してはその生活を勉強した。
感情を知ったことで、タブラにとっては整合性を感じなかった、人間の行動を少しは理解できた。
しかし、運悪く彼等と接触があっても、タブラと話そうという人間は、後にも先にも錆釘ただ一人だった。
その次の春、錆釘は戻ってきた。
「よう、元気にしていたか?」
それはもうひょっこりと、昨日出掛けたかのように。
タブラは彼が今まで何をしていたのかという事を聞きたがった。まるでこの二年間の空白を埋めたがっているかのように。
錆釘もそれに答えた。
錆釘は「青血の一族」の末裔だ。
身体に多くのマナを取り込み、筋力ではなくマナの流れだけで身体を動かすことができる。
また、多くの魔法を媒介無しに、体内のマナだけで発動できたりするため、天使に近い存在だと言われることがある。
しかしそれゆえに、その血を狙うものに命を奪われることも多い。
奴隷剣士や見世物として捕まることもある。
人間は自分と違う生き物を排他してしまう醜い生き物なのだ。
錆釘は里を守る剣士だった。
里には沢山の『青血の一族』が隠れ住んでいた。
しかし2年前、青血狩りと呼ばれる集団に村が襲われる。
撃退し、里を移したのだが、その時深追いしすぎた錆釘は、敵の罠にかかり大ケガを負ってしまう。
そしてタブラと出会ったのだ。
回復後、錆釘は里を守るために戻り、青血狩りのメンバーを壊滅させたのだった。
「思ったよりも長くかかってしまった、すまない」
経緯はどうあれ、2年の間間自分の事を気に掛けてくれていたという事実だけで、タブラの2年間は埋まった。
「背景に天使が絡んでいて、一筋縄ではいかなかったんだ。しかし、大丈夫だ。裏にいた天使は始末したし、これで当分は里が襲われることはないだろう」
天使、タブラにとっては人間よりももっとどうでも良い存在だったが、錆釘の敵であるなら自分の敵だと言わんばかりに怒りが込み上げていた。
「ははは、大丈夫だ、彼らは自分の地位さえ保っていられれば、仲間が死んでも滅多なことでは地上に降りては来ないからね」
錆釘はカラカラと笑っていたが、その予想は大きく外れていた。
「ニアトリスを屠ったのはお主か」
その声は初めて出会ったときに、タブラがそうしたように、頭のなかに直接話しかけるようで、聞かないという選択肢すら奪うような高圧的な響きを持っていた。
ニアトリスというのはきっと、錆釘が殺した天使の名前だろう。
「天使を殺しておいてのうのうと生きておられると思うなよ、人間風情が!」
身長は2mを超える、光る人形の生き物が、天から降りてきた。人間でいうところの40代の雰囲気だが、白く長い髭を蓄えている。
手には三ツ又になっている槍を携えており、そこからひしひしと殺気を放っている。
「天使が仲間の死に怒るとはね」
強がってはいるが、錆釘の体表温度は一気に下がっている、緊張しているのだということがタブラには手に取るようにわかった。
「ニアトリスは我が妹だ」
その怒りが頂点に達したのだろう。
開戦の合図などは無かったが、一瞬でその槍が錆釘の喉元を襲った。
錆釘は腰から二振りの剣を抜き、顔の前で交差すると槍を上部に反らして回避したようだ。
一瞬の攻防に、タブラはただ驚いていた。
考えていなかったが、人間や天使は、食べるためとは関係なく命を奪い合う生き物なのだと、その時初めて理解したからだ。
親愛なる者の仇、大切なものを守るため……人間であれば理解できる簡単な感情だが。
タブラにとって今の一瞬、錆釘が奪われるかもしれないと思った瞬間までは理解できない感情だったのだ。
「俺だって親はお前らの手先に殺されてるんだ、ここはお互い痛み分けって事にならないか?」
そんなことが天使に対して通用するとは思っていないが、茶化すようにそう言いながら錆釘は構えをとった。
「ただ、打ち倒すのみ」
天使に話しは通じない。
人間など、虫や雑草のようにしか見ていないのだ。そんなものが何を言おうとも聞く耳を持つはずがない。
無慈悲に槍が降り注ぐのだった。