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086話『帰還』

 俺たちはその日のうちにジョロモの街まで帰ってきていた。


 カリンが心配そうに見守るなか、モナンヘーゼル家お抱え医師が処置をしてくれている。


 こめかみの傷はそうでもなかったが、肋骨は2本程折れていた。切り傷だって浅くはない。

 止血するために、きつく布で巻いたところまでは覚えているのだが、折れた肋骨を圧迫したのが想像以上の激痛で、しばらく気絶していたらしい。


 気がついたときには、ジョロモが放った密偵の探索部隊と合流し、街の近くまで帰ってきていた。


「すまないおたべえ、ちゃんとした処置をしないと回復薬が使ってあげられなかったんでござる」

 申し訳なさそうにナムルが謝ってくる。


「大丈夫、我慢できるさ。あと、もうヤツハシでいいよ」

 もう偽名の必要はない。ナムルと呼んでビンタを食らうことも無いだろう。


 ファンタジーではないこの世界の回復薬は、体の修復機能を一時的に高めるだけのもので、骨折した腕などは、きちんとした位置に戻してから使わないと、骨が変形したままくっついたり、後々障害が残る危険がある。


 しかし、ちゃんとした処置をすれば、切れた腕もくっついたりするので、かなりの効果を期待できるのは確かだ。


 体に取り込まれ、隅々まで行き渡った魔素は、活性化させると引き合う性質があるため、血管などを縫合(ほうごう)しなくとも、近くに接していればそれ同士が引き合う。後は治癒能力で繋がるということらしい。


「処置は終わったよ」

 医者が俺の傷を綺麗にしてくれたようだ。

 小さな骨の欠片を取り除き、折れた骨を元の場所に固定してくれた。

 切り傷をいじるために、麻酔替わりに痛覚を鈍らせる魔法をかけて貰ったが、それでも痛いもんは痛い。何度か意識が飛びかけた。


「じゃあポーションを入れていくね」

 医者はポーションの大瓶を、点滴のように吊り下げて、管を繋いだ。


「普通のポーションだとすぐに効果が切れるからね、まずは最高級ポーションをゆっくり継続的に流し込むよ」

 そう言って俺の口にチューブをねじ込んだ。

 チョロチョロと緑の液体が流れ込んでくる


 点滴代わりなのだろうか……確かに1分に1回ポーションの瓶を開けて飲むってのも面倒なものだが。


「とりあえず10分動かないで飲んでね。その後は起きていいから、普通のポーションを飲んで、体力を回復しておくといいよ」


「ありがとうございます、話している間にも、痛みが和らいでいきます」


 その返事を聞いて、彼も安心したのか笑顔で部屋を出ていく。


 考えてみると、この世界に来て、怪我という怪我をしていなかったのを思い出す。痛みが生きていることを実感させる……そうか、斬られるとこんなに痛いんだ。



 しばらくすると立ち上がれた。

 医療技術だけをいうなら、昔の方が高かった筈だが、魔法の時代ならではの医療だ。嘘のように体が軽くなった。


「傷はもう塞がったようだな」

 ナムルが俺の傷があった脇腹をさわって確かめる。

 その手からほんわり温もりが伝わってきた、体格の筋肉質な感じとは裏腹に、柔らかい手だ。


 素肌の上半身に、女の子の手を感じて恥ずかしくなった俺は。

「服を着させてくれるかい?」と言って、綿(めん)で出来たシャツに腕を通す。


 さっきまで着ていた、スリーヴァ階級が着る赤いローブは、血でベットリと汚れ赤黒さを増していた。脱がすときに切ったのであろう、前の所で裂かれていた。

 いつか買った革鎧でもしていればここまでのダメージはなかっただろうが、潜入捜査というのが仇になってしまった。あんな布切れ一枚じゃ屁の突っぱりにもならない。


「何にしても大した傷じゃなくて良かったですわ」


俺は「ハハハ」と乾いた笑いを発してから。

「心配かけたな、カリン」と、謝罪した。


「無茶をしやがるからですわ、ナムルから顛末(てんまつ)は聞いていましてよ」


 確かに無茶、無策だった。

 もちろん、想定外だったと言えば、言い訳としては成立するかもしれないが、死んでいたらそんな言い訳も口に出来はしない。


「すまんな」

 返す言葉もない。


「謝罪の言葉は一度で結構、もっと命を大切にしやがれですわ」


「八橋殿、領主さまにご報告にいくでござる」

 割ってナムルが催促する。


「まだ話していなかったのか?」

「報告は逐一しておりましたが、雇われの八橋殿にも報告の義務があるでござる」


「確かに……行くか」

 病み上がりで、あのおっさんの顔を見る気にはなれなかったが、これも仕事だと思えば体も動いた。

 少し心配そうに見送るカリンを尻目に廊下に出ていく。



 ドアをノックする。

 この部屋は初めてだが、きっとジョロモの書斎なのだろう、執事が脇に構えて、こちらへ頭を下げている。


「入れ」

 形式的な返事を聞いてから、分厚い木の板で出来た扉を押す。敵が攻めてきても簡単には破れないようになっているのか。その強度を損なわない程度に表面には細かなレリーフが彫り込んである。


 俺たちが部屋にはいると、領主ジョロモ=モナンヘーゼルはいつになく怪訝(けげん)な顔をしながら、待ち構えていた。


「傷はもういいのかな?」

「はい、お抱えのお医者様に治していただきました」


「そうか、では報告を聞こう」


 俺は潜入捜査から後の経過を順を追って説明する。


 施設の設備についての詳しい話は、ナムルに言っても正確に伝わるとは思っていなかったので、ここで話すのが彼らには初耳になっただろう。


 さらに、スルジという人物についてと、情報をくれる手はずになっているということ。


 そして、妹の事――



「お前の妹が教団のトップだったのか」

「はい、俺には細かな記憶はないですが、妹は私を認識していて、間違いないと思います」


 ジョロモは(うな)った。

「お前の記憶に何があったのか、それがはっきりしない以上、不確定要素の強い情報だな」


 確かに。

 俺の記憶喪失も、自作自演かもしれない。

 都合のいいところばかりを隠す隠れ蓑に使おうと思えば、こんな格好の状況はないからだ。


「私が見る限りでは、状況に偽りはないように思えました」

 ナムルが標準語で助け船にはいる。


「お前もその場に居たと言ってたな」

 後押しが効いたようで、目からは小さな疑いの火が消えたのを感じる。


「とにかくご苦労だった。肝心の古代兵器の実験場ではなかったが、幹部を処断し、内部に味方を作った時点で、手柄は上がったと言える」


「労いの言葉、有り難く頂戴致します」

 うやうやしく頭を下げながら、俺は疑問を投げ掛ける。


「領主の考えを聞きたい事案があるんですが」

「なんだ、申してみろ」


「俺が潜入した施設は、大人数で長期間、生活が出来る施設で、古代文明でもそういった使われ方をしたようです」


 2050年頃に流行った、国が地方自治体に作らせた、都市型シェルターに間違いないだろう。


「あの施設では、本当にここで長期間生活が出来るか、という実験を行っていたように感じます」


「興味深い話だな」


「しかし、何故そんなことをしているのでしょうか? 天使からの監視を逃れるためかと考えましたが、それならダンジョンを生成した方がいい」


 同じ地下なら自由に形を変えられるダンジョンの方が都合がいい筈だ。何せ彼らには古代文明の利用の仕方がわからない。エレベーターも動かせずに徒歩で上り下りしていた連中だ。


「だが、ダンジョンでは隠れることはできても、中に籠ったまま生活は出来まい」


「そこなんです。

 何故彼らは、中に籠ったまま生活をしようとしたのかという事です。

 地上がもっと魔物に溢れて住みにくいとか、天使と悪魔の戦いが再開されるとか……逃げて隠れ続ける要素がない限り、必要のない実験だと思いませんか?」


「確かに、軍隊を秘密裏に置くでも、外から食品を運べばいい話になるな」


「しかも、あの遺跡の動力は雷です。その雷を発生させるために、4ヶ月でユニコーンの角を一本使っていました」


 価値は俺にはわからないが、話の流れでかなり魔力の高いアイテムだと言うことはわかる。

 もちろん、その名前を聞いて、ジョロモの顔もひきついっている。


「オールエン化も真っ青な対価だな」


 あれだけの施設を動かしていた時点で、予想はできた。

 まさに、オール電化の施設だ。


「あいわかった。その線でも何か情報がないか探ってみよう」


 ジョロモはそう言って指をパチンと鳴らすと、部屋のドアを開けて、執事が入ってきた。


「良き働きだった。報酬は渡しておく」

 そう言ってずっしり重い袋を渡された。


「ありがとうございます」


 俺たちは頭を下げると、部屋を後にした。

 ナムルに促され、応接室へ戻ると、心配そうにカリンが待っていた。


「また父上が、喧嘩吹っ掛けて来やがったのではありませんこと?」


「そう言えば、全く絡んでこなかったな」


 カリンはホッとため息を吐き。

「トキヒコが信用されてきた証拠かもしれませんわね」

 と、嬉しそうに言った。



 しかし、俺は悩んでいた。


 これから俺は堕天使教に付け狙われるだろう……カリンや、他のみんなの迷惑になるのは間違いない。

 それどころか危険な目に会わせてしまうこともあるだろう。

 その上で俺は堕天使教に関わり続けるつもりだ、あの女性が俺の妹だというなら、この記憶の事もなにか関わりが有るかもしれない。


 俺は密かに、タブラさんと合流することを考えていた。彼らも堕天使教には面が割れていると言っていたし、追われているとも言っていた。

 同じ境遇であれば、お互いに力を合わせることが出来るかもしれないと踏んでいる。


 目の前で、俺の成長を喜んでくれている笑顔を裏切ることになるかもしれないが。

 その笑顔を曇らすよりはマシだと。


 弱い俺は本気で考えていたんだ。

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