085話『運命の邂逅』
ここには教主が居ない!?
それはこの後の計画に大きく暗雲をもたらす事実だ。
その狼狽ぶりをガビルは見抜いたのだろう。
「この騒ぎを先導したのは貴様だな?」
俺をまっすぐに見ながら、一挙手一投足から真実を暴こうとしている。
「はい、俺です」
隠すつもりはない、むしろ下手に隠せばバートや他の人間に、罪が及ぶ可能性もある。
「堕天使教への背反者を処罰できたのは貴様のお陰だ。しかし、教主様がおられるこの場所に、貴様のようなものが許可もなく上がり込む事は感化できない」
とにかく威圧的に人を見下してくる。自尊心の塊のような人間のやることだ。
「チャップマンの力は強く、このタイミングしかないと思いましたので」
「言い訳は聞かぬ。そして俺に対面してなお、顔も見せん、名前も明かさんとは不届き千万!」
チャップマンの頬を切り裂いた鞭を垂らすと。そのまま俺の方へ振った。
鞭の最短速度は軽く音速を越える。特に、武器としての鞭を使い慣れたものであれば簡単に皮膚を切り裂くことはできるだろう。
しかし、鞭には弱点がある。
打点が狭いのだ。少し懐へ入れば、勢いは殆ど無い。それに……
俺はスッと20cm程後ろに下がった。
鞭は空振り、空気を切り裂く「パァン」という音だけが鳴り響く。
鞭でダメージを与えるなら、最先端をクリーンヒットさせる以外には無い。そのゾーンを避ければ当たらない。
この武器は基本的に動かないものへの武器だ、それを使うというだけで、ガビルの性格が現れている。
「すみません、不躾なもので」
そう言って俺はフードをはぐり、口許まで押し上げていたスカーフを下ろした。
「俺の名前はギオン=オタベエだ」
今更ながらダサい名前だ……こういうときに締らない名前は今後よしておこう。そんなことを考え苦笑する俺に聞こえてきた言葉……
「嘘!」
突然の女性の声。
ガビルも振り向いて見ている。
声の主はストレンジャーの魔法使いだった。
「嘘、嘘、嘘! おたべえなんて名前じゃない!」
ヒステリックに指をさして喚く。
相手もストレンジャーだ、どこかで名前と顔を知られていたのか? 俺はその、魔法使いをまじまじと見た。
背は低いが黒髪が綺麗な30代くらいの魔法使い。顔立ちは整っていてストレンジャーにしておくのは勿体ないくらいだ。
確かにこの顔には見覚えがある。どこかで絶対に会ったことがあるのは間違いない。
くそっ。ここで本名が知られたら、彼らに付け狙われるだろう。今後パーティに戻ってもみんなに迷惑を掛けてしまうことは目に見えている。
何としてでも、それは避けたい!
「計画変更だ! アサギ!」
その瞬間、魔法使いの首元に刃物が光る。
ナムルが状況を理解して、暗殺スキルで背後に回ったのだ。
「おのれ、仲間がいたか!」
ガビルは狼狽し過ぎて、鞭をとり落としているほどだ。
膠着状態となり、一瞬皆が出方を伺う場面で、刃物を突きつけられている魔法使いが叫んだ。
「何がオタベよ! 私が分からないの、時彦兄ちゃん!」
その場の誰もが凍りつく。
意味を理解できる者が一人もいない。
明らかに俺よりも年上の女性から、兄と呼ばれる状況も、500年前に別れてきたであろう、妹からしか呼ばれ得ない呼称も。
固まっている俺を差し置き、ガビルが叫ぶ。
「教主様をお救いしろ!」
その言葉に、頭より先に体が動いたストレンジャーの戦士が、刃物を持ったナムルの手を掴んで捻りあげた。
ナムルも一瞬遅れたが、捻られた回転に合わせて飛び、腕を剥がして後ずさった。
「おたべえ殿、どうなっているでござる!」
今後の出方を迷っているのか、指示を請うてくるが。
俺のほうが聞きたい。
理解とは別に「感情」が激しくざわめくのが分かる。
「時雨、なのか?」
咄嗟にでた言葉、それは妹の名前。
「そう、そう! そうだよ、時彦兄ちゃん」
涙が溢れんばかりに潤ませながら、駆け寄って来る。
しかし、それをガビルが体を張って止める。
「落ち着いてください教主様、他人の空似……いえ、狡猾な罠かもしれませんよ!」
「そんなこと!」
「貴女の兄上は死んだのでしょう?」
「それは……」
勢いが止まるった。
俺はまだ混乱している、その理由は……
「時雨こそ500年前に、死んだんじゃないのか!」
「ううん、私だけ生き残ったの、冷凍睡眠から目覚めたら誰も居なくて、兄ちゃんの機械は壊れてた。だから死んだと思ってたのに……」
しぐれは同じ遺跡で眠っていたというのか?
しかも俺よりも先に目覚めて、この世界で生き抜いていたと……
「俺は生きてるよ」
「やっぱり兄ちゃんなんだね!」
俺よりも年上の妹が、泣きながら喜んでいる状況に混乱する。
それにまだ妹の顔を思い出せずにいる自分にも混乱している。
俺の「記憶」はどうしちまったんだ……
だが「感情」だけが、この邂逅が本物だと告げている。
ガビルにより感動の再会は水をさされる。
「教主様! 貴女には今成すべき事があるでしょう!」
そう言ってガビルは、時雨の頬を叩く。
「貴女の両親を殺し、人間を虐げる天使を、この世界から追い出すのが貴女の使命でしょう」
そう言うと、ガビルは顎で「押さえておけ」と指示する。
セダンチェアを運んでいた男が二人、時雨の腕を左右で持ち拘束する。
ガビルは向き直りこちらに投げ掛ける。
「教主様はまだやることがございます、今日のところはお引き取り願いましょうか」
ガビルが鞭を拾うと、残りのストレンジャーもこちらに武器を向ける。
「やることって何だよ、呪竜を呼び出して街を破壊したり、スタンピートを手引きして、皆殺しにするのがやることなのかよ!」
俺は叫んだ。
「時雨はそんな事する子じゃない!
お前らが無理矢理やらせてるんだろうが!」
――そんな事をする子じゃない?
記憶には無いがそう思った瞬間頭にピリッと電気が走ったように感じた。
ガビルはニヤリと笑って。
「いいえ、全ては教主、ヤツハシ=シグレ様のご希望通りです」
とうの時雨は俯いたまま返事をしない。
「嘘だ! 時雨が、優しい時雨が人殺しなんて!」
――優しい?
また頭に電気が走った、さっきよりも強く。
俺は頭に手を当てて顔をしかめた。
「嘘じゃないわ」
静寂を切り裂くその言葉は、信じたくないが、時雨から発せられたものだ。
腫れた目をあげた時、その目はさっきの子供のような喜びに溢れた目ではなくなっていた。
「あなたは知っているでしょう、私たちの両親は天使に殺された……ううん、両親だけじゃない、友達も先生も隣の家のおばさんも……全部虫けらのように殺したのよ!」
怒りと絶望に満ちたその目を見ると、俺はただただ悲しくなった。
「わかんないんだ……記憶が、全く……」
「記憶が無いの? そうか、私の……」
時雨がなにか言い掛けたが、ガビルが鞭を俺に向けて振るう。
パン
こめかみの辺りの肉がそげ落ちる。
「……!!」
「これ以上教主様を誑かすな、この偽物が! 殺せ、こいつを殺せ!」
剣士が飛び出し、一気に間合いを詰めてくる。
「悪く思うなよ……『閃光一線』!!」
横薙ぎに光の筋が走ったと思った瞬間、俺の脇腹から血が吹き出す。
体を捻って回避しても回避しきれなかった。
刀は俺の脇腹に当たり、下から一番目の肋骨を粉砕した。
「命拾いしたな、骨に当たらなければ内蔵まで切り裂いてやったというのに」
刀を構え直しながらそう言った剣士の後ろから、短剣使いが飛び出す。
「多人数に向かないよねグラップラーはさ」
低い姿勢で懐にはいると、一太刀目で足を切りつけてくる。飛び上がることで躱すが、反対の手に持つ短剣が襲ってくる。
二撃目も辛うじてセスタスで止めたのだが、空中で攻撃を食らったため、体制を崩して尻餅をつく形になった。
「カカッ、惨めだねぇ」
短剣使いはそう言うと、次の攻撃のために構えをとった。
こいつらはかなりの場数を踏んでいる。
それが身に染みて分かった。
ガビルがえぐったこめかみをからは、血が流れ出て左目に入ってきている。
足を狙ってきたのだって、走れなくなれば逃げることもかなわないからだ。完全にここで息の根を止めにかかっていると理解し、身震いする。
俺は立ち上がり。
「もうこんなことはよそう、他に道はある筈だ」
そう、時雨に投げ掛ける。
「ごめんね、兄ちゃん、私もう戻れないの」
時雨はそう言うと、後ろを向いてしまった。
「カカッ、振られたな、お兄ちゃん」
楽しそうに短剣使いが言う。
「ならば、潔く死ね」
剣士が構えて《集中》している。
次の攻撃は当たる。俺の感覚がそう告げていた。
《闇走り》!!
俺の目の前に、黒い塊が現れた。
「ここは一旦退くでござる」
と叫ぶと『アシッドクラウド』と呪文をリリースした。
俺と敵の間に黒い煙が現れた瞬間、力強く抱えられ、扉をくぐって走り出した。
「待てやオイ!」
短剣使いがその煙に飛び込んだが、扉の前に抜けたときには、目をかきむしっていた。
「くっそただの煙じゃねぇな!」
転げ回る短剣使いを尻目に、ナムルは俺を抱えたまま全力疾走で、エレベーターに乗った。
「ハァハァ……」
言葉が出ない。
ただ、脇腹が熱く、それ以上に体が熱い。
どうしてこうなるんだ!
妹と再会したという事実は「心」が教えてくれているのに「頭」はそれを認識していない。
しかもこちらの呼び掛けに答えないばかりか、明確に突き放された。
時雨の心をちゃんと知りたい。
もっと話がしたい。
そう思うが、今はできそうにない。
不甲斐ない、不甲斐ない!
その気持ちを汲んでか、ナムルが俺の頭を撫でながら言う。
「今は無理をしてはけないでござる。時彦殿が妹さんを止めてあげれば、いつかは話す機会もあるでござるよ」
慰めに、涙が出る。
俺は無力だ、肝心なとき必要な力さえない。
今までは「仲間を守る」というふんわりとした理由で、何とかやってきたが。
今は明確に「力が欲しい」と強く思う。
俺は歯を食い縛りながら、撤退した。
この世界ではじめての敗退だった。




