079話『悪の教団』
その日はどんよりとした雲り空に覆われた、気分も上がらない一日だった。
スルジとパイルの二人も、森へ遊びにいく約束をしていたが、天気も良くなかったし、親に雨が降る前に薪を割ってくれと仕事を押し付けられた為に、それぞれ家で過ごしていた。
先程遊びに行くと言ったが、彼らは森で秘密の特訓をして居たのだ。
パイルは肉体改造、戦士としての戦い方を自然のなかで独自に身に付けていた。
スルジは魔法の研究、精霊とのコミュニケーションの濃度によって、魔法がどう変化するのかを探っていた。
そんなスルジの父親は出稼ぎで外に出ていた、母は専業主婦だったが、男手がスルジしか居ないため、成人である15歳になった今でも、家を出ていくことは選択肢に無かった。
ただ、魔法と外の世界に興味が無かった訳じゃない。
そんな至って普通の青年だった。
ふと、空が明るくなった気がして見上げると。
分厚い曇り空に、ぽっかりと穴が開き、そこからまばゆいばかりの光が差し込んでいた。
スルジにはそれが神々しく見えたという。
しかし、その胸のトキメキは一瞬にして打ち砕かれる。
光が落ちている方向から、悲鳴が聞こえたのだ。スルジは非常事態を察し、急いで母の手を引くと、森の中へと引っ張っていった。
草葉の陰から集落が見える。
二人は震えながら自分達の家が薙ぎ払われるのを見ていた。そこには慈悲もなく、作業のような感覚で破壊を繰り返して行く。
となりの住民が出てきて何か叫んだが、蹂躙の限りを尽くす白い影に無言で殺された。
「天使っ!」
母親が歯軋りしながら捻り出した言葉に唖然とする。
何故、天使が自分達のような善良な人間を殺戮するのかと。
彼らの集落はけして大きくはない。
40世帯、150人程度の村人の集まりだ。
天使はその力の限り、破壊を尽くし。10分程で帰っていった。
空はまたどんよりとした曇り空に戻り、冷たい雨がポツポツと降りだした。
雨を避ける屋根と壁を失った我が家を後に、母はスルジの手を引き、森の奥へと歩いて行く。仲間の死体が転がる集落へ、子供の手を引いて行くことができなかったのだろう。
なんとか雨を避ける洞窟を見つけて、スルジと母は一言も話さないまま一夜を明かした。
朝方になると、状況は一変していた。
なにやら村の方が騒がしい。
「怪我をしているものを運べ」
「無くなっているものは家族へ引き渡したのち、埋葬するんだ」
と、知らない声が集落を仕切っていた。
「あなた達は誰ですか?」
母が、その一人に声をかける。
「この集落の生き残りの方ですか? 私たちは堕天使教です」
天使に襲われた街を、堕天使教が手助けに来たと言うのだ。
「私たちは天使に仇なすもの、天使に蹂躙された者を見捨てる訳には行きません」
母は感激し「ありがとう」と言いながら涙を流す。
「生存確認のため、お名前を……」
「はい、リョーコ=エストアリオと、息子のスルジです」
一瞬、教団員の表情が曇ったのを、スルジは見逃さなかった。
「今後の事をお話しますので、こちらへどうぞ」
母に付いていこうとすると。
「君は、こっちで待っててくれるかな?」
教団員の一人が、スルジの肩を掴み無理矢理引き離す。
「じゃぁスルジ待っててね」
母は疲れたかおに、笑顔を無理矢理作って、歩いていった。
スルジが連れてこられたのは街の広場だった。
「スルジ!」
そう呼ばれて振り向いた方に、パイルの姿が見えホッとした。
「パイル、良かった、生きてて」
二人は抱き合い、目に涙を貯めて生を喜んだ。
「パイル、親父さん達は……」
喜びもつかの間、パイルが首を横に振ったことで、悲しみに叩き返される。
「俺、堕天使教に入ることにしたんだ」
パイルは一生懸命笑顔で答える。
「天使がやってきたって知らせを受けて、急いで駆けつけてくれた。俺も同じ思いをする人を救いたいんだ!」
スルジはその決心に、是非を付けることができなかった。
今までのように二人で生きる生活を、捨てても良いほどの出来事が彼には振り掛かっていたからだ。
スルジは辺りを見回した。
パイルと同じような顔をした者がたくさん集まっている。
しかし、ふと、スルジは違和感を感じた。
何故若い人間しかいないのか?
その違和感が、不安へと変わるのに数秒も要らなかった。
「母さん……」
そう呟くと、スルジは走り出していた。
急な行動に教団員は反応できずに取り逃してしまう。
母が連れていかれた方向には、まだいくらか形を残した建物が建っていた。
「母さん!」
その扉を弾き飛ばすように体で開けると。
そこには一番の地獄が待っていた。
母の服を着た、首の無い死体が、床に転がっている。
「小僧、何故来た」
老齢の教団員が顔面蒼白のスルジを睨み付ける。
「チャップマン様、危険です!」
側に居た教団員が2人、黄色のローブを来た老人を守るように前に出てきた。
「よい、見られてしまっては、説明せざるお得んだろう」
そう言うと、血で濡れたブレードソードの血糊を布で拭き取り、鞘へ戻した。
「お前はこの者の子供か?」
スルジはただ頷いた。
この状況でこの老人をどう裁くかを迷っていたのだ。
「この辺鄙な集落が、何故天使に襲われなければならなかったのか……それは、お前の両親が天使に仇なす大罪者だったからだよ」
意味が分からない。
毎日を家事だけで終える母に、天使をどうこうしようという考えがあったとは思えない。
「その挙げ句、集落ひとつが血に染まった……許しがたい蛮行だ」
「だったら何故……天使ではなくあなた方に殺されなくてはならないのか!」
スルジの血管は今にも切れそうな程浮き上がり、自分でもそれが、脈打つのを感じるほどだった。
「彼女は堕天使教への入信を断った、だから殺した」
プチンと切れた音が、血管か堪忍袋か知らないが、とにかくスルジは殴り掛かった。
もちろん、教団員二人に阻まれて、届きはしなかったが。
「もし、このまま野放しにして、お前の母が同じことをしてみろ! また何百人という人の命が奪われるのだぞ!」
「母さんは……天使とは関係無い!」
スルジは暴れながら、絞り出すが。
「では何故、こんな辺鄙な村に天使がくる?」
「それは……」
「君が知らなかっただけで母親は罪を犯していたのだよ」
「……」
反論できる材料がない。
くそっ! くそっ!
母を殺したのは間違いなくこいつなのに、怒りの矛先を持っていく所がない。
「ところで、君はどうするかな?」
チャップマンと呼ばれた男は、冷たい目でスルジを見る。その手は先程母の血を拭った刀の柄に添えられている。
「入るよ、入れば良いんだろ!」
スルジは叫び、暴れる力を失い、膝をついた。
今は死ねない、真実を知るまでは!――
スルジは話し終えると、温度の下がったお茶を口に含み「ちょうど良い温度だ」と言いながら喉を潤す。
俺も口の中がカラカラなのに気付き、お茶を頂いた。かなりぬるくなってる……
「おばさん、チャップマンの野郎に殺されたのかよ!」
パイルは今にも立ち上がり、部屋に突撃しそうな勢いで怒っている。
「話しはまだ続きがあるんだ」
スルジはお茶を飲み干すと、新しいものを注いで、飲もうとする。
「あちっ!」
かなりの猫舌なのか、飲まずに放置した。
「ここに配属される前に、チャップマンとグスタフが話しているのを聞いてね……
「人手がいるそうじゃないか」
「天使に襲われた村なんて無いものですかね」
「親を殺された子供なんかは従順な教団員になること間違いないからのう」
「まぁ、いざとなったら……」
「あのときみたいに」
って会話だったんだが」
「完全に黒じゃねえかよ!」
パイルは立ち上がり、出口へ飛び出そうとした。
「待ってくれないか」
落ち着いて、スルジは声をかける。
「これが、落ち着いてられっかよ!」
パイルは今にも泣いてしまいそうな程顔を歪めている。
「ありがとう、パイル。君はいつまでも親友だよ」
そう言うと、先程置いたお茶を口に運び「あちっ」といって置いた。
「今、殺しても仕方ない、と?」
俺は口を挟んだ。
「うん、彼を殺したら僕たちはお咎めを受けるだけじゃすまないし、そうなったら彼が目をかけていたグスタフがサスナーへと格上げされて、今まで通りのやり方を継ぐだろう」
「くそっ、どうすりゃいいんだよ」
「彼には失脚してもらう」
スルジは涼しい顔で言い放つ。
そりゃそうか、10年ずっと怒りの矛先を納めて来たのだ。今さら激昂する事はないだろう。
「で、俺にこの話をしたという事は?」
聞くまでもないのだろうが……
「先程の話を、秘密裏にばら蒔き、蜂起を誘って欲しいんだ」
「確かに、同じ手法でここに連れてこられた者も少なくはなさそうですしね」
俺は同室の10歳のバートの顔が浮かんできた。入団試験の時にグスタフに泣きついていたのを思い出す。
「心当たりありすぎでしょ」
「だったら、この計画は成功だろうね」
スルジはニヤリと笑って、お茶をすする。
ようやく飲める温度になったようだ。
「おいおい、物騒な話してんじゃねぇか、スルジの話を疑ってる訳じゃねぇが……俺たちの村を助けてくれた堕天使教をぶっ潰すっていうのはまだ気持ちが切り替わらねえぜ」
「ぶっ潰すのは、チャップマンとグスタフだけで良いんじゃないかな?」
にこやかにスルジが説明する。
「二人の地位が失脚した所を、僕たちが納めれば良いだろう?」
「ああ、確かに」
「その功績で、空いた空白に滑り込む事も出来そうですしね」
「だが、その騒ぎを先導した事がバレちまったら、俺たちまで処罰の対象になるんじゃねぇのか?」
その懸念はあるが……
「そこで俺の出番というわけですね」
「損な役回りかもしれないが、成功した暁には、サスナーとバムブーグ筆頭の二人が恩赦を出すことになる、君は追放程度で済むかもしれない」
スルジがいつから考えていたか知らないが、計画は完全に出来上がっていて、思い通り動いてくれる人材を待っていたのだろう。
「損な役回りだと分かっていて、首を縦に振れないでしょう」
「ハハハ、そう言うと思っていたよ」
スルジはなんの動揺もなく笑って見せる。
この余裕に安心感さえ感じさせるのは、カリスマ性というやつだろうか。
「君はたぶん、教団を追放される。その代わりと言ってはなんだが、教団の動きを逐一君に知らせることを約束しよう」
俺がどんな目的でここに潜り込んでいるのかなんてお見通しだった訳だ。
確かに潜入捜査で身分を偽って動くのは限界がある。そこに、高い地位で情報を得ることが出来る仲間が居れば、この上なくありがたいのだが……
「信用しろと言うことですか?」
最後はここに行き着く。
「いや、信用してるってことさ」
スルジは俺の肩に手を置いて。
「君ならやってのけるだろう。そして、本来君がやりたかった事もやってのける。そんな男だと僕は思ったよ。だからその手伝いをしようと考えたんだ」
「フフ、口が上手いんですね」
人間関係で信用を得ようと思ったら、まず自分が相手をいくらか信用しなくてはならない。その鉄則を彼は守っている。だからこちらも信用してしまうのだ。
「自分の気持ちに正直なだけさ」
笑うスルジに、俺は手を差し出した。
「やって見せますよ」
その手をスルジは握り返しながら。
「期待しているからね」
と、強い握手を交わした。
「なんだかわかんねぇが、忙しくなりそうだな」
腕捲りをするパイル、やる気だ。
「あ、君は今まで通りで居てくれたらいいから」
「何でだよ!」
下手に気合いが入っていると、違和感を感じるだろう。
ここは水面下で俺が動くターンだ。




