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フェリシニアの花嫁  作者: 古都里
第一章
3/17

二 絡み合う

「抱かせて下さい!!」


 ケセルトンは喉よ裂けよと言わんばかりに叫び、泣き、乞うた。


 私の子供。男なのか? 女なのか?


 男であれば良いと思う。女である事に何も良い事などはない。

 女は強い男の子供を産むための道具。


 ケセルトンの子供の父も、部族一強い男だった。しかし彼女は知っている。彼女の方がその男より強い事を。


 それでも、女は強い子を産む為に強い男と交わらねばならぬ。


 だが、泣き叫ぶ子供はすぐに連れて行かれた。私の子供。父親が誰であれ私の子であるという事実だけは変わらないのに!!


 部族の長の娘は、部族一強き者とまぐわい、子を成し、その赤子は部族の子供として育てられる。


 ケセルトンは覚えている。

 張った乳房を絞る痛みを。

 そのふんだんに出る乳さえ赤子にやれない辛さを。


 そして三ヵ月後、ケセルトンは既に軍を率いていた。小部族同士の小競り合いを平定する為に二百人の小隊が与えられたのだ。


 お父上。

 平定が済みましたら、私が勝利を収めましたなら、私に子を抱かせて下さいますか?


 父は──長は抱かせるといった

 しかし約定は破られた。ケセルトンは平定後、帰ってくるなり座敷牢へと籠められたのである。


 その間に取引があったらしい。

 五十年、食糧を援助する代わりにレント一強き娘、ケセルトンを差し出せと。


 取引が済んだ後、自分は初めて馬ではなく輿に乗った。

 だが王都シニアリードへの旅の最中、ケセルトンは逃げ出したのである。


 もう男の勝手になるのは嫌だった。

 自由になるのだ!!


 そう思ったのに、シニアリードの王城などに来てしまったのには訳がある。

 ケセルトンは誰にも見つからないと思って逃げ出した。

 それでも風を読む盲目の老婆、ネストには見つかってしまった。


 ──望むなら何処へなりと行く手助けを致しましょう、姫様。ただその前にアーケイディス国王陛下にはお会い下され。さもなくば儂は姫様を閉じ込めましょう、命に代えても──


 ──何故私がアーケイディス国王と会わねばならんのだ?──


 ──姫様の『幸せ』の為です、おお、ネストをお疑いになりますか? 姫様がお生まれの時より姫様の為だけの風読みとして生きて参りましたものを──


 ──は、幸せ。男というものが存在する限り私が幸せになれようか──


 ──ネストには見えまする。風が運ぶ貴女様の笑顔。和子様を抱いた姫様が──


 和子、その言葉にケセルトンはひきつけられた。


 ──あの男は種無しだとの専らの噂ではないか──


 言いながらも、ケセルトンはどきどきする胸をなだめられない。


 ──ネストはただの風読みにございますれば、原因は解り申しても対処は出来ません。この国に和子様を運ぶのは姫様です──


 ──どういう事だ? 詳しく話せ、ネスト──


 そしてケセルトンは、逃げるでなく王の元にネストだけを連れて行く事にした。


 ケセルトンにとってアーケイディスもまた勝手な男達の一人。

 妻が五人いるという時点で、性欲の押さえのきかぬ、愚昧なる男を想像していたのだ。


 だから思った。

 いざとなれば何とでも出来る……と。


 彼に子が出来ぬ訳もネストが読み解いた。

 その訳を喉元に突きつけたならどんな顔をするであろうというのが楽しみでもあった。


 そして出会ったアーケイディスは、自分と似た者同士のようであった。

 強くしなやかな筋肉を持ち、剣技に優れ馬鹿にされることを嫌う。

 興奮すると一つの事で頭が占められてしまい周りが見えなくなる。


 そこで、ふとケセルトンは気づいた。

 此処は何処だ? 私は勝ったのか? 負けたのか? 何も見えないという事は、私は目を瞑っているのか? 死んだのか?


 ぴたっと冷たいものが額に乗せられた。


 ゆっくりと、ケセルトンは銀色の睫毛を震わせ目を開ける。


 そして、紅玉の瞳が紫水晶の瞳と出会った。


「貴女は一体……私、は……?」


「気がつかれましたか? まだ動かれてはなりません。瞼も真っ赤に腫れていらっしゃる。こちらにもガーゼを当てましょうね」


 優しい声で、歌うように紫水晶の瞳を持つ娘が言った。ガーゼを何かに浸して、そして娘はケセルトンに目を瞑るように言う。優しい声はどこか逆らいがたく、ケセルトンは素直に目を閉じた。


 ぴたり。瞼がすっとする。

 甘い香りのそれが薔薇水に浸されたガーゼだという事にケセルトンは気づいた。

 砂漠での生活には高級品、されど、白子であるがゆえに『仕方のない出費』と父は言い、二回ほどケセルトンはそれの世話になったことがある。

 ただ、此処までの芳香ではなかった。やはり……レントはまずしいのだ。


「わたくしの名はソニアと申します。貴女様のお世話をするようにアーケイディス様より命を受けております」


「ソニア……」


 ケセルトンはどこかで聞いた名だと思い記憶をひっくり返した。

 そして思い出す。


 ソニア・ファーカラン。アーケイディスが選んだ正妃。


「王后陛下?」


「そう呼ばれてはおりまするが、どうかソニアと及び下さいな、ケセルトン様」


「身分が違いすぎまする」


 畏まったケセルトンにソニアは笑んだ。


「エンギーゼ将軍を地に伏せさせたと仰るから、どんな怖い御方かと思えば、可愛らしい御方なのですね、レント砂漠の姫君は」


 ケセルトンは一瞬黙り込んでしまった。

 だがすぐ次の質問に移る。


「此処は何処ですか? アーケイディス国王は?」


「此処はアーケイディス様の寝室です。貴女のお部屋の準備がまだ整っていませんでしたので、此方に運ばせていただきました。王は、今は休息を取られておいでです」


「国王陛下の!?」


 驚いたケセルトンが反射的に起き上がろうとするのを、そっとソニアの細い腕が止めた。


「まだ起き上がってはなりません」


 甘やかすように言うソニアの言葉に、結局ケセルトンは逆らえず、寝台に身を埋めた。


 今の今まで気付かなかったが、その寝台はケセルトンがレントで使っていた寝台とは全く違う。

 シーツは絹のよう。そのシーツが包むものは綿より軽いもの。恐らく本で読んだ羽毛の布団というやつであろう。上掛けをそっと指でなぞると精緻な刺繍に気付く。

 

「すみませぬ。ですが、何故陛下がお部屋をお貸し与え下さるのでしょう? あれ程までに無礼を働いた小娘を……何故勝者の陛下が? お情けにしては過ぎまする……」


「ケセルトン様、アーケイディス様は勝者ではありませんわ」


 くすくすとソニアが笑う。


「最後の打ち合いでアーケイディス様は剣を落とされたのです。貴女様の踏み込みが後一歩鋭ければ、アーケイディス様は今頃右肩を砕かれていたでしょうね。貴女様は気を失い、アーケイディス様は剣を落とした。おあいこだと、陛下は仰ってらっしゃいましたわ」


「あいこだなど、……戦場だったら……」


「きっとお二人とも死んでしまっていた事でしょう。だから、おあいこなのです」


 きっぱりとソニアは言い切る。そこには微塵の迷いも無い。


「そう……かもしれませぬが」


 考え考え言葉を紡ごうとするケセルトンに、ソニアは笑った。

 尤も、その眩いばかりの笑顔は、ガーゼの所為でケセルトンには見えなかったのだが。


「アーケイディス様にはいいお灸になったことでしょう。最近自信過剰が目に付きましたから。実際、剣でアーケイディス様に勝てる者はこの王宮にはおりませぬ。ですから、楽しかったと仰っておいででしたわ。そして次は夜か建物の内側で剣を交わしたいと仰っておいででした。完全に対等な立場で」


「我が恥をそそぐ機会を、アーケイディス国王は自ら与えて下さるというのですか?」


「そのようですわ。ですが次は貴女が負けるかもしれませぬ」


 私が負ける? ケセルトンは笑い出したくなった。

 そんなこと、ありえない。


 だが、ケセルトンはアーケイディスと剣を競うためにこの王都へやってきた訳ではない。


 レント砂漠の為に、アーケイディスを虜にして男子を産めと父に言われたがそれに従うつもりも無い。


 ネストが自分の運命に見たものを確かめにやってきただけで、それさえ済めばさっさと逃げ出すつもりだった。


 そういえばネストはどうしたのだろう?


「ソニア様……私の風読みは、何処へ参りましたか?」


「まぁ。御免なさい、わたくしったら大事な事を申し忘れておりましたわ。風読み様は何か『読みたい』事があると仰って城の天守へ上られました。アーケイディス様の許可を得て」

 ソニアの答えにケセルトンは微かに唇を噛んだ。


 ネストがいなければ此処から離れられない。一人置いていく事など、出来はしない。


 花嫁に逃げられたなどと、いい醜聞だ。

 あの誇り高い、そして直情径行な王がその場にいるネストに何をするか解らない。


 風読みとしては一流のネストだが、何を読みたいのか、それにどれくらい時間がかかるのかは全く解らなかった。

 風は気まぐれなもの。数秒で答えをくれるかと思えば数日、数週間、数ヶ月かかる時もある。


 さっさと戻ってきて欲しい。

 逃げるに逃げられなくなるではないか。


「ねぇ、ケセルトン様、お尋ねしてもよろしくて?」


「ものにもよりまするが、私が答えられるものならば」


 用心深く言うケセルトンに、しかし、ソニアは明るい声で問う。


「レント砂漠ってどのような場所ですの?」


「は?」


 ケセルトンは思わず問い返していた。


「いえ、レント砂漠です。貴女様の故郷はどのようなところでしたの?」


「──何もないところです。シニアリードのような華やかさも何も。ただ砂が延々と広がるところです。日が昇れば肌が痛いくらいに熱くなります。白子でなくとも、太陽光から身を守る為に長袖にヴェールという装束です。夜は反対に凍えるほど冷えて、心が寂しくなります。徹底した男尊女卑の風習を持っていて、長の娘であっても苦役は免れません。そして──強いことが全て、それだけです」


「それだけ?」


 ソニアは優しく問うた。


「愛した人はいらっしゃらなかったの?」


 その質問の意味が解らず一瞬固まったケセルトンだったが、一拍の後、けたたましく笑い出した。


「愛!? 私にまたがって喘ぐ男達は、皆、私より弱かったのですよ? どうやって自分より弱い男を愛せます!?」


 そうやって笑うケセルトンの声が、ソニアには泣き声に聞こえた。


「では、レント砂漠には何の未練もありませんのね?」


 びくっと、ケセルトンは身を震わせた。


 未練? 未練ならある。私の子、男かも女かもわからぬ、何と言う名を授けられたのかも解らぬ私の子供。


「子供が、いるのです」


「ええ、知っていますわ。その御子の事は、愛してらっしゃるのですね?」


 ソニアの言葉に、ケセルトンは必死で頷く。


「やはり、それが母親の性なのでしょうね。なんとか出来ないか、やってみましょう。楽園の小鳥達が、心を痛めず日々を送れるようにするのがわたくしの役目ですから」


「本当ですか!?」


 今度こそ、ケセルトンは身体を起こした。

 瞼に張り付いていたガーゼが落ちる。

 目の前にいたのは十五、六にしか見えない黒髪に紫水晶の瞳の少女。

 その少女じみた外見とは裏腹に、彼女は『正妃』の気品を持っていた。


 ケセルトンは思う。

 こんな美しい人、見たこと無い。


 長い睫毛は黒々と長く、紫水晶の瞳は澄んでいる。白子のケセルトンほどではないが、肌は白い。豊かな黒髪がケセルトンにはうらやましかった。銀髪だなんて呼ばれているがケセルトンにとって自分の髪は白髪でしかなかった。


 だが、それよりも何よりも。

 

 私の赤ちゃん!!


 まだ五ヶ月にもなっていない、乳児。


「確約は出来ませぬが、力は尽くします。貴女は楽園の小鳥になるお方。憂いがあってはいけませんもの」


 にっこりと笑うソニアを見て、ケセルトンはソニアに任せておけば間違いは無いと何故か確信をもって安堵した。しかし楽園とは? 小鳥とは?


 問うてみると、ソニアは微かに睫毛を震わせた。


「後宮のことです。小鳥とは、妃のこと。貴女は……艶やかな小鳥になるでしょうね」


 きゅっと、ケセルトンは唇を結んだ。

 初めて自分に勝った相手……例えおあいこだといわれても納得できるものではなかった……に、このまま逃げ出せなかった場合は嫁ぐのかとぼんやり考えていたが、結局はアーケイディスも同じ『男』なのだ。違いは強いか弱いかだけ。


 沢山の女を侍らせて、己が権勢を誇る。

 レントの男と同じなのだ……つまらない。


 ソニアは横になるようにと言おうとした。まだ日に焼けた場所はじんじんと痛むに違いないからガーゼを張り替えなくては、と。


 しかしその時、扉が勢いよく開かれる音がした。この乱暴な開け方。蹴り開けるような。

 ソニアが眉間にしわを寄せたのにも気がつかず、ケセルトンは咄嗟に袂の懐剣を探し、見つからず、恐怖に駆られそうになった。


 一人ならなんとでもなる。しかしソニアを守っては……!!


 ケセルトンの頭の中には『賊が押し入ってきた』という認識しかなかった。

 しかし、ソニアが呆れたように、悪戯小僧を窘めるように、声を上げる。


「アーケイディス様、どうか御自室であっても女性がいる時はノックをお願い致しますわ。おみ足で扉を蹴り上げないでください、と、あれ程申しましたでしょう?」


「すまぬ。ケセルトン姫は……お目覚めだな」


 大またで近づいてくる人影には覚えがあった。

 国王アーケイディス。

 国王もまた、レントの長直系の子のように姓を持たない。


 ガーゼはあらかたはがれてしまっている。鏡は見ていないがさぞかし滑稽な姿を曝しているに違いない。額にはまだガーゼが。ガーゼから露出している肌は真っ赤であろう。


 ケセルトンは咄嗟に寝台に身を埋め、掛け布団を顔の上まで引き上げた。


「おやおや、狸寝入りを決め込むおつもりか? レントの戦乙女は」


 すたすたと大またで寝台に近づくと、その端に手をかけ、これ以上どうやったら嫌みったらしく話せるのだろうといった声音でケセルトンに話しかけた。


「アーケイディス様、自分と並ぶ剣士を見つけたからと興奮のしすぎです。女性が真っ赤に腫れた顔を曝したがる訳がないではありませんか」


 ソニアがケセルトンの為に弁護してくれている。

 そうされるたびにケセルトンは胸が痛い。

 そんな風に優しく扱われたことが、ケセルトンには今までの人生で一度もなくて。


 それにしても、正妃は娼婦上がりだと聞いたがところがどうだ、堂々とした物腰、はっきりした物言い、素晴らしく好ましい。


「解った、相解った。顔を見なければいいのだろう?」


 愛しいソニアが柳眉を逆立てると、アーケイディスは従わざるを得ない。


「それだけではありませんが、特別にそれだけで許して差し上げますわ」


「ソニア……」


 アーケイディスは妃の名を呼ぶと口づけた。


 ケセルトンはいい加減アーケイディスに出て行ってもらいたかった。少なくとも自分が布団を頭から被っている最中にラブシーンを展開するのはやめて欲しいと思う。非常識だ。

 見えているわけではないが一瞬空気が密度を増したのをケセルトンは確かに感じていた。


「アーシュ様! お戯れが過ぎまする」


 きっぱりとソニアが言い切ったのでケセルトンは少しだけ溜飲を下げることが出来た。


「夫婦が口づけを交わして何の問題があらんや?」


「アーシュ様とケセルトン様とはまだ華燭の典が済んでおりませぬ。ここを楽園と、ケセルトン様を小鳥と、勘違いなさらないで下さいませ。混同してしまったら、あっという間に混乱が生じます」


「……そうだな。そなたの言うことに一理あるようだ」


 ふむふむと、真面目な顔をしてアーケイディスは頷いた。ケセルトンからは顔が見えないが声音からして第一王妃の言葉を尊重しているのが良く解る。


「では、わたくしは席を外させて頂きます。楽園でアーケイディス様の小鳥達がきっと新しい小鳥がどんな小鳥か、楽しみにしていると思いますので」


「ちょっ、ソニア様!?」


 思わず掛け布団を蹴り飛ばす勢いでケセルトンは起き上がった。


 ああ、とソニアは頭を抱える。折角布団の中に入っていたのに、何故わざわざ出てくるのだろう。


 アーケイディスはといえば。

 必死で笑いをこらえていた。

 もうその端正な顔が真っ赤になって限界が近いことがありありと解る。


 その顔で頑張っても無理だ。


 ケセルトンはむすっとした表情でアーケイディスを睨み付けた。

 手を伸ばして、残っていたガーゼも取り払う。


「笑いたければ笑うが良い。どうせ私は貴方には逆らえぬのだから」


 そういわれると普通、少しは恥じ入るだろう。

 しかし許可をもらったと思い込んだアーケイディスは盛大に笑い出したのである。


「アーシュ様!!」


 ソニアが声を上げるがアーケイディスは聞いていない。


「恐ろしく真っ赤だな、あの白かった肌がこうまで赤く染まるとは!!」


「白子は日光で死ぬこともあります故に」


 冷たく、なるべく威厳を持ってケセルトンは答えようとする。心の中で平常心平常心と唱えながら。しかし、彼女が発した、その言葉は重みがあった。

 冗談ではなく生死にかかわる事。

 実はアーケイディスはそのことをよく知っていた。今の今まで忘れていたのが驚くほどだ。


「ああ、そうか。命に関わるわけだな。失礼した」


 笑い声を、剣を鞘に収めるようにあっさりと収めたアーケイディスはしげしげとケセルトンの顔を眺めた。そして言う。


「伝書鳩を飛ばした。そなたが城にいると。そうかからぬうちに、知らせは長の下にも、そなたを運んできた行列にも伝わるであろう。行列がこちらに参るには一週間か十日はある筈ぞ。その間、この部屋で日焼けの手当てをせよ。行列が参ったと同時にお披露目とする。身体をいとえよ」


「ありがたきお言葉。しかし、一週間から十日も私は籠の中の鳥なのか?」


 ケセルトンが不機嫌を隠そうとせずに言うと、アーケイディスは笑った。


「その後は楽園に入ってもらう。レントの砂漠ほど自由ではないかも知れぬが、我慢してもらうしかないな」


 ケセルトンは紅色の瞳でアーケイディスを睨んでいた。


 ソニアはケセルトンとアーケイディスの二人を見つつ、本当に大丈夫なのかと心配になった。

 ケセルトンはソニアの前では従順な小鳥であったものを、アーケイディスにはまるで鷹のように鋭い瞳で対応する。


 溜息が出そうであった。本当に二人きりにしていいのだろうか。だが、さっき言った言葉は引っ込められぬ。


「では、アーケイディス様、失礼いたします」


 ソニアは限りなく優美に礼をとった。それを見たケセルトンは胸の疼きを感じる。


 何て綺麗なソニア様。あんな風に優美になど、私には絶対出来ない。


「ああ、ソニア、今夜は楽園には渡れぬと伝えてくれ」


「はい」


 にっこりと花がほころびるように笑うとソニアは退出した。

 その動きの一つ一つが限りなく美しく、ケセルトンはは溜息をつく。仕草の美しい女性は良いものだ。美しさは顔だけではない。例えばその姿勢。ぴんと張詰めた神経。


 扉が閉まるまでソニアの姿を追いかけていたケセルトンは、アーケイディスを見つめる。


「貴方も退出なさればいかがか」


「余の部屋から追い出すつもりか? それより身体を横たえよ。仰向けにな」


「この助平!! まだ私達は婚姻の誓いとやらを交わしたわけではな……」


「自意識過剰な女だな」


 自分の言葉を遮ってアーケイディスが言った言葉に、ケセルトンは堪忍袋の尾が切れそうだった。

 男というのはいつもそうだ。一日の仕事を終えて疲れ果てた女にそこに横たわれ、服を脱げ、と、いうのだ。この男だって同じ男だ。


 自分より強いかもしれないからと少しばかり尊敬のようなものを感じていたのに。


 しかしケセルトンは黙って横たわった。服は脱がない。いつの間に着替えさせられたのか淡いクリーム色の絹の夜着はケセルトンのものではないが、破るなり切るなり好きにするがいいと思ったのだ。


「目を瞑れ」


「一つ聞いても良いか?」


 同時に、二人は口を開いた。


 一瞬黙り込んだ二人だったが、すぐにアーケイディスは言葉を発した。


「なんだ?」


「今日、後宮……楽園には渡れぬとソニア様に仰ったであろう。陛下にはこの部屋でお楽しみになるおつもりか?」


「──つくづく自意識過剰な女だな。それとは関係ない。そなたとの打ち合いで久々に腕が熱をもってな。必要ないといったのに御典医どもが腕を休ませろと大騒ぎしただけだ。このような事、戦場では良くあることぞ、なぁ、レントの戦乙女」


「大騒ぎだったとは過去形だな。腕はもうよろしいのか?」


「ああ、だから今夜は忙しい。たまりにたまった書類が余を待っている」


「そうか」


 言うなり、ケセルトンは目を閉じた。


 すると、ぴちゃっという音がした。


 ケセルトンはアーケイディスのせんとする事に気付き、慌てた。


「国王陛下!?」


「それは余の称号であって余の名前ではない。余の妻の一人となるのならアーケイディスと名前を呼べ」


 言うなり、顔に馥郁たる香りのする薔薇水に浸したガーゼが当てられた。

 ソニアに比べて遥かに乱暴な手つきだが、彼は彼なりに自分の事を気遣ってくれているらしい。


 ケセルトンは思わず胸が熱くなるのに気付いた。

 気付いて慌てた。


 馬鹿な、気の所為に決まっている。この胸の動悸は。


「有難う、ございます」


 途切れ途切れにケセルトンは礼を言った。その言葉の乱れが直接、ケセルトンの動揺を表しているようだった。

 男に心ときめかせるような未通女おぼこではない、筈だった。


「気にするな。そなたの日焼けは余も悪い。一週間で治まるか、心配だ。此処など酷いな、水ぶくれまで出来ている。ソニアに言って侍女を手配させよう。手当てはしばらく必要なようだが、ソニアを延々此方に寄越すわけには行かぬ」


「何故、私のような無作法者に、お……アーケイディス様はそんなにお優しいのだ?」


「そなたも我が小鳥となるのなら当然の事」


「小鳥小鳥。この助平」


「男は皆助平と決まっている、だがどうした? 助平であることは父親に切々と説かれたであろう?」


「ソニア様が可哀想だとは思われぬのか?」


「ソニアは分を弁えておる」


 ケセルトンはむっとした。


 今の今まで、ケセルトンはアーケイディスの人柄とは全く別に七年前の事件に憧れていた。

 隣国サーディシエントの花嫁を拒否し、一人の妃に愛を誓った物語。


 そう。物語だ。物語のように美しい話だと思っていたのだ。

 それもあり此処に来たのだ。物語のようなその話がもたらした恐るべき事実を、アーケイディスに伝える為に。突きつけたら面白かろうと悪意だけでなく、善意もあったのに。


 だが何だか馬鹿らしくなってしまった。善意も悪意も関係なくもう絶対に教えてやるものか。後悔するが良い。


 当初の予定通り、ネストさえ戻ればさっさと逃げ出そう。


 よく父に言われたものである。

『女であれば、分を弁えろ』

 貸し与えられた兵達を引き連れて、小競り合いなどを平定しても、それはケセルトンの手柄にはならなかった。父の手柄だった。さもなくば兄弟の。


 女だから。女であるがゆえに。


 別に悔しいとは思わなかった。

 レントの女の人生とはこんなものだと諦めていたからだ。


「私は」


 ケセルトンは言葉を選びつつ言う。


「分を弁えた妻になどなれそうに無い。このような女は要らぬと、長に仰せあれ。異母妹達の方が余程良い妻になれるだろう。男には絶対服従で剣も振り回した事がない女達だ」


 吐き捨てるようにケセルトンが言うと、くくとアーケイディスが笑った。


「じゃじゃ馬を乗りこなすのもまた一興かと思うてな。そなたは強く美しく、思ったことしか口にしない。そなた、嘘をつくのは苦手であろう? 違うか?」


「嘘を一つ吐けばその嘘を真実たらしめるためにまた嘘を吐かねばならぬ。永遠の連鎖だ。私はそんな無駄な真似はしない。侮辱する気であられるか」


「侮辱など……余はそなたを気に入った。それだけ言おうと思って言っただけだ。嘘は毒のように身体を侵食する。いつまでも無駄な真似をせぬ女でいてくれ。妻にまで寝首をかかれるかと怯えるのは真っ平だ。それにそなたの話を聞く限り、異母妹とやらは真面目でつまらなさそうな女だからな。長が飲ませよと一言言うたなら毒を盛る事も平気でやるだろう。余は自分で考えられぬ女に興味はない」


 その言葉で、ケセルトンは知った。玉座に座するこの王は、剣先に座っているのも同じなのだと。

 迎えた妻までが信じられないのだから当然か。


 ケセルトンは言った。


「有体に言う、私は分を弁えているという言葉が嫌いだ」


「では率直に言う。ソニアは良き妻でよく余を支えてくれる戦友のような女だ」


 アーケイディスの言葉に、ケセルトンはぽかんとした。衣擦れの音と共にアーケイディスは踵を返す。またな、と言って。

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