酒場の喧騒
「王様は何をお考えなのかしら?」
「さぁ。案外王様ってもんは俺ら庶民以上に何も考えておいででないのかもしれないぜ?」
「しっ、滅多な事をお言いでないよ。今のアーケイディス様の御世だからこそ私らが気楽に雲の上の方を語れるようになったとはいえ、先代の御治世だったらあんた、首が飛んでるよ」
「ああそうだな、いけねぇや。しかし、皆が何故王様に不満なのか俺にはさっぱりだね、先代に比べ税は格段に安くなったし、使役も減った。こうやって一日の終わりに一杯引っ掛ける余裕も出来た。それをみんなしてさぁ」
「だってさ」
「あんなに良い王様なんだもの。きっと良い父親にもなれると思うのよ」
聖歴九百四十五年、花見月の事であった。
豊かな黒髪故に黒竜王と謳わるるアーケイディスの御世は七年目に突入し、王の御歳二十五、王妃の数は正妃ソニア・ファーカランに妾妃が五人。ただし五人目の妾妃はこの国、フェリシニアの王都シニアリードへの旅の最中、レント砂漠で死亡。砂漠の民レントの族長から清められた死体が届けられ、王は莫大な
謝礼をレントの族長に払ったばかり。
そしてこの王、即位七年、ソニアと結ばれて同じく七年、毎年のように新たな妃を求めるというのに未だに子宝に恵まれていないのである。
アーケイディスのその美貌は詩となり近隣の国々に鳴り響いている。
黒く長く艶やかな髪と金色の瞳、しなやかな浅黒い肌は鍛えられた筋肉に包まれ、フェリシニアの民の熱狂的な信望を集めるにも、また、黒竜王の二つ名にも相応しい。
隣国、サーディシエントとの王女の婚姻を蹴っ飛ばし、自分の愛した女を第一王妃、つまり妾妃ではなく正妃に据えたその心意気に、常にサーディシエントの出方にびくついていた先代の王を知る民衆から拍手喝采が鳴り響いたのは言うまでもない。
しかし、アーケイディスも王である以上、血を残さねばならぬ。その為に迎えられた妾妃たちは、しかし、何一つ不自由しない生活を約束されながらも子を抱くという悲願だけは達成出来なかった。
別に致すべき事を致さなかったわけではない。そこまでアーケイディスに常識が無い訳ではない。アーケイディスは妾妃達も正妃の次位には愛した。だが、不幸な事に子は授からなかったのである。
「だからといって子持ちの女を妃に迎える必要があったのかしらねぇ? おっかさん」
「そりゃ畑がしっかりしたもんだって証明したかったんだろう? 王様の改革? ああそうだ、改革の所為で何人もの貴族が席を追われているんだからな、あのお方を廃したい方も大勢いるって訳さね」
「子種が無い、は、立派な廃嫡理由になるものねぇ」
「俺に言わせりゃ女房は一人でいいって思うのよ。一人の女に濃い愛を注いでいたらよぉ、やがてお天道さんがお月さんと相談して子を授けて下さるってもんだ」
「あんたは子沢山だもんね」
「そりゃ女房様を愛していますからね、へへ、見てくれよ、この櫛。綺麗だろ? 女房にやるんだ。明日結婚十年目の記念日だからよ。俺は、アーケイディス様に子種のあるなしは関係ないの。俺らみたいな身分の女房がさ、髪に綺麗な石の付いた櫛を飾れるってだけで、俺は有り難く思ってんだ」
「そうだねぇ、アーケイディス様の御世になって何もかも安定したものねぇ。今じゃフェリシニアは大国の仲間入り。サーディシエントとも肩を並べていける。あたしらみたいに酒場をやっていても、麦酒を薄めずに客に出せて、それでもまだ儲けがうんとあるんだからね、いい世の中だよ」
「なのに何故……七番目のお妃様なの? それもあの……」
「レントの娘が何故って言いたいんだろう? そりゃ簡単だよ。多分もうすぐ戦争が始まるのさ。フェリシニアの国内だって言うのにレントの民は独立しているかのように砂漠を闊歩する。アーケイディス様は砂漠の民を自分の戦陣に組み込みたかったのさ。たとえ子持ちの娘とはいえ、レントの長の娘となれば、立派な後ろ盾が保障されているってもんだ」
「政治ってややこしいわねぇ」
「またそのレントの女が面白い名前をしてるんだよねぇ」
「ケセルトン、だろ。男でもこんな不恰好な名前の人間いねーよな。しかも鬼の様らしい」
「王様が可哀想」
「ああ、全くだ。女将、麦酒をもう一杯!」