第11話
その日、イゼリア家はかつてない緊張状態のさなかにあった。
「突然の面会の申し出をお受けいただき、子爵殿の寛恕の心に感謝申し上げる」
女性にしては少し低めの凛とした声が玄関に響き渡る。美人は声まで美しいんだなあと父の横で聞いていたエルゼリンデは素朴な感想を懐いた。
ルスティアーナ・ヴァン・ヴィーラス将軍がイゼリア家を訪問したのは、ローゼンヴェルト侯爵の急な来訪からわずか5日後のことだった。通常、貴族同士の訪問は約束から実現までだいたい2週間はかかることからしても、異例の早さである。
「ヴィーラス将軍閣下がこのような小宅にご足労頂けたこと、幸甚の至りにございます」
父は落ち着いた口調で挨拶を返し、若き女将軍に対してそつのない一礼を施す。ついさっきまで緊張した様子で玄関をうろつき回っていた父と同一人物と思えない。
ルスティアーナは鷹揚に頷くと、父親の横にぴしっと直立しているエルゼリンデに若草色の双眸を向ける。
「堅苦しい挨拶はここまでにしておこう。君がエルゼリンデ殿か」
華やかな美貌に微笑を浮かべてエルゼリンデに片手を差し出す。
「エルゼリンデ・ヴァン・イゼリアと申します。お目にかかれて光栄です、ヴィーラス将軍閣下」
差し出された手を握りながら挨拶を返す。声に緊張が多分に含まれているのは大目に見てほしい。中背の父マヌエスより背が高く、輝く黄金色の髪と若草色の瞳を持ち騎士服を見事に着こなす美貌の女将軍と相対しているのだから。
ルスティアーナは彼女の手をしっかりと握り返すとまた頷いた。
「よろしく――うん、剣を握る者の手だな」
握手しただけで分かるのか、とエルゼリンデは目を瞠った。驚き顔のまま、父によって応接間に通される将軍の背中を追う。
応接間のソファに座ったタイミングで家政婦のウーテおばさんがしずしずとお茶を運んでくる。流石にヴィーラス侯爵令嬢という客人を迎えるのに使用人が一人もいないというのも困るので、予定より早く戻ってきてもらったのだ。
「さっそくだが本題に入ってもよろしいだろうか」
向かい合わせに坐す将軍がイゼリア父娘に断りを入れる。二人が肯くのを見て、ルスティアーナは続ける。
「イゼリア子爵殿への手紙にも書かせていただいたが、ぜひエルゼリンデ殿を我が騎士団に迎えたい」
心の準備をしていたとはいえ、改めて当人に切り出されると緊張に身を竦ませてしまう。
「高名なヴィーラス将軍直々のご指名、誠にありがたく存じます」
マヌエスは平静さを崩さずに軽く頭を下げる。
「娘にお声がけいただけた理由も察してはおりますが、しかし軍役に疎い身ゆえ、この娘に騎士の責務が務まるか見当も及ばず。差し支えないようでしたら、女性騎士のことについてお聞かせ願えますでしょうか」
「子爵殿の心配ももっともだ」
ルスティアーナは父の求めに応じ、一呼吸置いて説明を始めた。
「女性騎士を増やすことに至った目的だが、端的に言うなら需要が増えた、ということだ。女性王族はもとより近年は一定の条件を満たせば女性も爵位を継げるようになっている。彼女らには訓練された侍女がつくことが多いが、あくまでも私的空間での警護しかできない。公的な場に出るにあたっても女性による警護を求める声が多くなってきていてな。とはいえ親衛隊に女性を加入させる、というのは条件面で非常に間口が狭い。ならば条件の緩い騎士で試してみようということになったのだ」
おそらく言い慣れているのだろう、流暢な説明だった。
「もし騎士団に入団してくれるなら、私が団長を務める第7騎士団に所属してもらうことになる。ご存知かもしれないが第7騎士団は主に要人警護の任務が多い。女性騎士を育成するには適した環境になるだろう。もちろん私も全力でサポートする所存だ」
「ご丁寧に説明いただき、感謝いたします」
マヌエスはヴィーラス将軍に礼を言うと、隣に座る娘に向かって何か聞きたいことがあるなら聞いておきなさい、と告げる。
エルゼリンデはその細身に緊張を残したまま目の前のルスティアーナを見つめ、口を開いた。
「では、恐れながら一つ質問をよろしいでしょうか」
「もちろんだ」
ルスティアーナは微笑を返し続きを促してくる。
「私が騎士になるにあたり、求められることは何でしょうか」
確かに騎士として従軍経験は一度だけあるが、男だと偽っていたこともあり女性として騎士団に所属するというのは、自分の中でどうも現実味に欠けているのだ。
「なるほど」
長い脚を組みながらルスティアーナが少し目を伏せる。
「そうだな……そんなに気負う必要はないと言えばよいのか」
再びエルゼリンデに戻された視線には、真摯な色がある。
「女性が騎士になる、というのは私以前にはなかったことだ。私にしても特例扱いではあったしな。前例がないと言っても良い状況だから、正直なところ騎士になってくれるだけでもよいのだ」
身も蓋もない言い方になってしまってすまないが。そう苦笑しつつ将軍は言葉を続ける。
「もちろん女性騎士としての責務を果たすため頑張ってほしいが、すぐに結果を出すことを求めているわけではない、ということだ。なにせ前例のない手探りの状態で進むことになる。いらぬ苦労をかけることになるが、君たちには後続への道を切り拓く役目を担ってもらいたいと思っているのだ」
先達たる女将軍の熱意に気圧されたようにエルゼリンデは目を瞠った。
「……お答えいただきありがとうございます。その、将軍閣下の熱意が伝わってきました」
「そうか、それなら良かった」
エルゼリンデの素直な感想を受けてルスティアーナはほっとしたように頷いた。それから後ろに控える従者に目配せする。
「それから、こちらは騎士団の雇用条件だ。給金や休みなどはここに記載がある」
将軍の従者がマヌエスに羊皮紙の束を手渡す。父はそれを受け取ると頭を下げた。
「ありがとうございます。娘とよく確認させていただきます」
「うん、そうしてほしい。ところで、イゼリア子爵殿」
「何でしょうか?」
ルスティアーナは若草色の瞳でエルゼリンデを一瞥すると、こう切り出した。
「少しの間エルゼリンデ殿と二人にしてもらってもよいだろうか」
「もちろんです」
将軍の申し出を父は快諾した。一方の娘は思ってもみなかったことに目を何度か瞬かせる。
「すまない、恩に着る」
その感謝の言葉を合図に父はソファから立ち上がり、わずかに動揺した様子のエルゼリンデの肩を軽く叩くと応接間から退出した。
「……ええと」
二人――正確にはルスティアーナの従者を入れて三人だが――になった途端、美貌の将軍にしげしげと見つめられてエルゼリンデは戸惑いがちに話しかけた。
「ヴィーラス将軍閣下、ご用件は何でしょうか?」
「ああ、そうだった」
ルスティアーナは先程よりくだけた笑顔を覗かせる。
「私のことはルティと呼んでほしい。私も君のことをエルーと呼びたいからな」
親しみのこもった声音で告げられ、エルゼリンデはまたもや目を見開いてしまう。愛称を知られていたことにびっくりしたのだが、すぐに王弟殿下から聞いた可能性に思い至る。
「わ、わかりました、ルティ様」
初対面かつ身分が上の人を愛称で呼ぶのは気後れしてしまうが、思えばローゼンヴェルト侯爵もマウリッツさん呼びしているので今更なのかもしれない。
肯定の返事にルスティアーナは満足そうに頷くと、またエルゼリンデの姿を上から下まで眺める。なんだか観察されているようで居心地が悪い。何か言ったほうが良いのかなと迷っているうちに、ルスティアーナのほうが先に口を開く。
「不躾に見てしまってすまない。その、アスタール殿から聞いていた印象と違っていたから少し驚いてしまってな」
「は、はあ」
いったい殿下は何と言っていたのだろうか。心に浮かんだ疑問にルスティアーナはすぐ答えてくれた。
「アスタール殿から聞いた感じでは、なんというか、小さくて、一生懸命生きてる可愛らしい生き物という印象だったのだが」
殿下からは人間だと認識されていないのではないか。そんな疑念が胸を過ぎる。
「可愛らしさは想像以上だったが、小さくはないな」
「あ、背が伸びたんです。この半年で」
「なるほど。エルーは今いくつだったか?」
「16です」
それなら育ち盛りだから当然だな、とルスティアーナはにこりと笑った。
「アスタール殿にちゃんと生きてるか確認をお願いされていたが、背が伸びたことは内緒にしておこう。そのほうが面白そうだ」
「ちゃんと生きてるか……」
釈然としない面持ちでエルゼリンデが呟く。王弟殿下の中で自分の印象はいったいどうなっているのか。
「ところで」
ルスティアーナは少し声を潜めて咳払いをした。
「騎士団への入団の件、こちらとしてはぜひ前向きに検討してもらいたいので、もう一度個別に話す機会を設けたいのだが、どうだろうか」
本当に熱心なのだなとエルゼリンデは驚いていた。ローゼンヴェルト侯爵も女性騎士の採用は芳しくないと言っていたので、何としても入団してもらいたいのだろうか。
「は、はい。もちろんです」
断る理由も特にないので将軍からの申し出を首肯する。
「良かった。そうだ、どうせなら騎士団の見学も兼ねて王宮に来てもらえないだろうか。実際に見てもらったほうが身近に感じてもらえるだろうし」
「お、王宮にですか?」
「私が案内するから大丈夫だ、何も心配はいらない」
もう行く機会などないと思っていた場所の名前を出されて怖気づくエルゼリンデに、ルスティアーナは力強く頷いた。
「……ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせていただきたいと思います」
「うむ。日取りはこちらで決めても問題ないだろうか?……こほん、ちょっと調整が必要でな」
「はい、問題ありません」
エルゼリンデは、言ってしまえば無職の身だ。悲しいかな時間はいくらでも作れてしまうのだ。
「ありがとう。今日の訪問で君の家も分かったことだし、次は直接使いを送るようにしよう」
その言葉にエルゼリンデは恐縮して頭を下げた。庶民が暮らす雑多な街に家があるので、親しい間柄でもない限り所在不明になりがちなのだ。事実、最初の面会の申し出は父マヌエスの職場に届いていた。
「近日中に連絡する。なるべく早く来てもらいたいしな」
ルスティアーナはそう告げてソファから立ち上がる。エルゼリンデも慌ててそれにならい、応接間の扉を開けた。
「今日はエルーに会うことができて良かった。次は王宮で再会できるのを楽しみにしている」
まばゆい美貌にどうしても緊張してしまうが、エルゼリンデは何とか笑顔を作って一礼を施す。
「こちらこそ、ルティ様にお会いできて光栄でした。どうぞお気をつけてお帰りください」
ルスティアーナは玄関で待機していた父にも礼を告げると、来たとき同様に颯爽とした所作でイゼリア家を去っていった。




