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男装騎譚  作者: ヤナギ
第2幕 王宮奮闘編
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第9話

「じゃあ、さっそく始めようか」

 イングリッドと別れて自宅に戻ってくるなり、待ち構えていた兄はにこりと微笑んだ。

「え、もう始めるの?ちょっと心の準備が」

 エルゼリンデはいつになくやる気に満ちた兄の姿に少したじろいでしまった。

「いきなり難しい話題から始めるつもりはないから安心して。エルーの身近なところの話から手を付けたほうが覚えやすいと思うし」

 ミルファークに半ば引っ張られる形で応接間に誘導される。

「身近なところの話?」

 エルゼリンデは小首を傾げ、向かい合って座る兄を見やる。ミルファークは頷いた。

「そう。まずは王弟殿下とローゼンヴェルト侯爵家まわりの話から」

「み、身近な話かなあ……」

 いきなり雲上人の方々の名前を出されてまたもや怯みそうになってしまう。そんな妹に兄は生暖かい眼差しで応える。

「これから身近な人になってくんじゃないかな」

「そうかなあ」

 騎士団に入ることになればまた関わりは出てくるかもしれないが、正直ほどほどの距離感でお願いしたいところだ。

「まあ、王弟殿下、というか王国とローゼンヴェルト侯爵家の話でだいたい貴族社会についての話は網羅できるから。じゃあまずは王国の話からおさらいしようか。エルーも流石に建国史は読んだことあるよね?」

 エルゼリンデは首肯した。

 ライツェンヴァルト王国は、今から330年余り前にグスタフ大王ことグスタフ・ドミニクス・ヴァン・ドストニエルによって建国された。彼はヴァルト人としてフラヴィア王国に帰属していたが、フラム人が多数を占める王国内でヴァルト人は長年迫害されており、ついに反旗を翻したのが若きグスタフであった。彼はヴァルト人と王国内の不満分子をまとめ上げ、王国各地で8年に渡る戦いを経てフラヴィア王国を滅ぼし、ライツェンヴァルト王国を打ち立てたのだ。

 建国史の内容を思い出しながら答えると、ミルファークは満足そうに頷く。

「そうだね。初代グスタフ大王の頃はフラヴィアや今の西方諸国と同じ、王と諸侯との力関係はほぼ対等だった。つまり今のように王権はそこまで強くなかったと言われてる。諸侯は自分の領地と軍隊を持っていて、戦争が起きたりすると王の呼びかけに応じて諸侯が軍隊を派兵していたから、今のように王国の騎士団が出兵するのとはだいぶ様相が違ってたんだ」

「その頃は騎士団はなかったの?」

「騎士団ができるのはもっと後の時代だね。というか建国初期は騎兵も少なくて、戦いの主役は歩兵だったし」

 それも初耳だった。藍色の目を円くして兄の言葉に耳を傾けるエルゼリンデに、彼は建国後の歴史を語る。

 初代グスタフ大王の治世はそこまで長くない。ライツェンヴァルト王国建国後もしばらくは旧勢力派との戦いが続き、なかなか国内も安定しなかった。度重なる戦乱で受けた傷が元でグスタフ大王は病に倒れ、建国から10年も経たないうちに没している。後を継いだ若き賢王アレクサンデルの代で国内が平定されると、その長い治世の中で国内経済や内政を発展させ、ようやく争いが遠ざかり平和な時代が訪れたのだ。

 当時のライツェンヴァルト王国は、現在のような広い版図を得ていたわけではない。ほとんど前身のフラヴィア王国の領土を引き継いだ程度であったが、国内が安定したことで王や諸侯はより広い領土を求めるようになっていった。そこで3代国王の時代から6代国王に至るまで、およそ100年にわたり断続的に東方進出が行われることになる。

「東方進出をしていく中で直面したのが、当時北方から東方にかけて君臨していた遊牧騎馬民族のネフカル人だった。今のネフカリア地方の語源にもなってるね。彼ら騎馬民族に対抗するために、王国も歩兵から騎兵重視に変わっていったんだ。ライツェンヴァルト王国に騎士の身分と騎士団ができたのは、5代国王ヨハン・グスタフ2世の時代だね」

 そして6代国王マクシミリアンの代になってついにネフカル人を退け、現在のフロヴィンシアを含む広大なオアシス地域を征服することになる。文字通り征服王と呼ばれたマクシミリアン王の時代に、現在まで続くライツェンヴァルト王国の版図がほぼ掌中に収まったのだ。

「この東方進出にものすごく貢献したのがローゼンヴェルト侯爵家なんだけど、その話は後にしようか。ゼーランディア城まで版図を広げるのはもう少し先だけど、フロヴィンシア地域を掌握したことで王権が強化される契機になった。ちょっと話は前に戻るけど、建国当初の爵位は公、侯、辺境伯、伯の4つだったけど、征服王マクシミリアンの時代に辺境伯が廃止されて、新たに子爵、男爵の爵位が追加されてるんだ」

「辺境伯?」

 エルゼリンデが聞き慣れぬ単語に首を傾げる。

「国境を守る責務を担う役職のこと。今の時代はもう存在しない爵位だけど。マクシミリアン王は国境の領土を王室直轄領として召し上げることで王権の強化を図ったと言われてる」

 東方進出により版図が東に拡大されることで、必然的に王権が行き届かなくなる問題に直面することになった。そこで征服王マクシミリアンは強権を振るい、すべての国境地域とフロヴィンシア地域、西の貿易港ウーヴァラといった主要地域を王室直轄領に転換し、諸侯の影響力を削いで権力を王室に集中させることに注力した。その結果として王室で処理する業務が膨大になり行政機構が拡大、整備されることにつながった。併せて王室の行政に携わる臣下も増えていき、重要な責務を担う臣下にも爵位が授けられることになっていく。子爵、男爵という新たな爵位が追加されたのもこのためだ。領地を持たず王室からの俸祿で生計を立てる貴族のことは「宮廷貴族」と呼ばれ、王権が強化されるに伴って彼らの地位も上がっていくことになる。

「うちも一応は宮廷貴族に属するし、エルーが想像している貴族も宮廷貴族のことだろうね。王都に住んでいると領地を持つ貴族よりは馴染みが深いし。例えば、有名なローデン伯爵家は建国当初からの貴族だから厳密には違うんだけど、王室内の重要な職務を担ったり、王室との姻戚関係によって今の地位を固めてるから、一番宮廷貴族らしい貴族と言えるかもね」

「貴族にも色々あるんだ」

 情報を詰め込まれ、そろそろ頭の中が色んな用語でぐるぐるしてきた。妹の両目がぐるぐる目になりつつあることを察したのか、ミルファークはわずかに苦笑した。

「ちょっと休憩しながら話そうか」



 ローゼンヴェルト侯爵から贈られた果物の山は、コージマやイングリッド、近所の方々へのお裾分けでだいぶ目減りしていたが、それでもイゼリア家の三人で消費するにはまだ十分すぎる量がある。

「王弟殿下の話だけど」

 マルベリーを摘みながらミルファークが続ける。

「新しい国王が即位すると、その兄弟には大公の爵位が贈られるのが慣例なんだ。だからアスタール殿下はオルトレンブルグ大公とも呼ばれてる。今の時代はあんまりそう呼ぶ人も多くないんだけど、知っておいて損はないからね」

「へえー」

「あと、公爵は王族だけに贈られる爵位で、今は国王陛下の叔父で王国宰相のローランド公爵と、国王陛下の従兄弟のシャルダイク公爵の二人しかいなかったかな。少し前まで財務卿だったシャルダイク公は失脚しちゃったけど。ちなみにローランド公爵は先王陛下の時代のオルトレンブルグ大公だね」

「や、ややこしい……つまり、大公の爵位は次の国王が即位するとその兄弟に移るってことなの?」

「そうなるね。大公も公爵位も一代限りで世襲はできないようになってるから。過去に権力争いとか相続争いとか宮廷貴族との癒着とか色々あった経験からそういう制度が生まれたらしいね」

「王族も大変なんだね」

 エルゼリンデはため息まじりに呟くと、少しぬるくなったお茶を口に含む。

「そうだね。シグノーク陛下はアスタール殿下の同母兄だけど、異母姉妹はたくさんいるから」

「たくさんいるんだ」

 そういえば、フロヴィンシアのどら息子ことシェザイアもアスタール殿下の異母弟だ。

「姉が1人と、妹が7人だったかな。みんな他国や他家に嫁いでるけど、お姉さんだけ離婚して戻ってきてるんじゃなかったかな」

 全員母親の違う兄弟姉妹がいるって、どんな気分なんだろう。やはり王族は大変で、そして特殊な立場なんだなあと改めて思う。一部の大貴族も似たようなものかもしれないけど。いずれにしてもイゼリア家のような零細貴族には縁遠い話には違いない。

 そこでふと、いつかフロヴィンシアで聞いた話を思い出した。

「兄さん、国王陛下と王弟殿下の仲が良くないって知ってた?」

 ミルファークは驚いたように藍色の双眸を瞬かせる。

「エルーでもそれは知ってるんだ」

「前にマウリッツさんたちが話してるのを聞いただけだけど」

「そっか。まあ、あくまで噂という位置づけで話されることが多いけど、不仲なのは本当みたいだね」

 これは最近学校の友人たちから聞いた話なんだけど、と前置きしてミルファークは続ける。

「国王陛下がマリアベル王妃と結婚して数年になるけど未だに男児がお生まれにならないうえに、王妃の兄が陛下に接近して王政に関わり始めたのを良く思わない勢力が、王弟殿下を次の国王に即位させようって動きが水面下であるみたいなんだ」

 なかなか波乱を予感させる展開になってるのか。兄と同じように藍色の目を瞬かせ、エルゼリンデは話の続きを待った。

「そもそも今の国王陛下は一度も戦地に赴いたことがないって理由で、即位した当時から一部の廷臣からは良く思われてなかった。更に身分の低い男爵令嬢を周囲の反対を押し切って王妃に迎えたこともあって、宮廷内でもあまり人気がないから」

 ライツェンヴァルト王国では、王自らが兵を率いて勝利を重ねることが重要視される。もともと王権をここまで強化できたのも王自らの軍事力があってこそだからだ。戦えない王など王たり得ない――それが征服王マクシミリアンからの伝統ともなっていた。

「その点、王弟殿下は少年期から幾度も戦乱で勝利を重ねて周辺諸国からも畏怖されるほどだし、王国民からも人気があるし、先王陛下亡き後に何故アスタール殿下ではなくシグノーク陛下が即位したのか不思議に思う人も多いみたい」

「シグノーク陛下のほうがお兄さんだからじゃないの?」

 順番から言えば兄が即位するのはおかしくないのでは?と首を傾げるも、ミルファークはかぶりを振って答えた。

「戦えない王は王たり得ない、が王国の伝統的な価値観としてあるから。これまでも弟が即位した例はあるよ」

 9代国王ウィルヘルム2世は4人兄弟の末っ子だった、とミルファークは教えてくれた。このウィルヘルム2世の時代にライツェンヴァルト王国は草原を踏破してゼーランディア城まで版図を広げている。

「……王弟殿下って本当に大変な立場なんだね」

 ため息とともにそんな呟きが零れてしまう。

 ――自分より出来が良くて人気もある弟がいたら、兄としてはあんまりいい気はしないだろ。

 いつか聞いたシュトフの言葉が脳裏に浮かんでくる。自分のような零細貴族が同情するのもおこがましいが、この前の遠征ではお世話になっているし、殿下になるべく厄介なことが降りかからないでほしいなと、そんなことを思った。

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