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男装騎譚  作者: ヤナギ
第1幕 遠征編
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第9話

 次の日になっても、衝撃は消えなかった。

「はああああ……」

 もはや何度目かも分からない、憂いと戸惑いをたっぷり込めたため息を吐き出す。

 レオホルト隊長と恋人同士? それに、男好き?

 エルゼリンデとしては非常に複雑な心模様である。女ということを前提としているのならば、まあ、腹は立つけれど納得はいく。だけど、今の自分はミルファーク、男なのだ。

 そもそも、男同士で恋人って? 男が男好きって?

 それすらもよく分からない。「男同士だってそういうことはする」と、セルリアンは言っていたが「そういうこと」がどんなことなのか、エルゼリンデには皆目見当もつかない。

 ともかくも、事実としてはっきり認識できるのは、自分に関して不名誉な噂が流れているという一点だけ。

 周囲の高揚した雰囲気とは正反対に、エルゼリンデの気分はどんよりと沈んでいた。

 今日は、分隊ごとの訓練ではなく、王宮内の演習場で第三騎士団全体の訓練が行なわれる。

 黒翼騎士団長、つまりアスタール王弟殿下が視察に訪れるからだ。

 王国軍全体の最高司令官であり、国内外にその勇名をとどろかす王弟殿下直々の指導とあれば、否が応でも士気は高まる。

 ――ザイオンも、きっと張り切っているんだろうな。

 人の波を眺めながら、赤茶色の髪をした少年のことを考える。

 避けられても、しょうがないのかもしれない。あんな噂が立っていれば、自分だってそうするかもしれないのだから。

 それでも、やっぱりショックだ。

 ちくりと胸が痛む。そのまましばらく自分の影をじっと凝視していると、にわかに周りが騒がしくなった。

 王弟殿下が来たのかな。そっと顔を上げると、数人の部下を伴って演習場に入ってくる黒い騎士。それはまぎれもなく、入隊の時に道案内をしてくれた男だった。迷子になってたらばったり遭遇するなんて現実離れした出来事に、エルゼリンデの中では夢か幻かそっくりさんかで処理されつつあったのだが、やはり本物の王弟殿下だったようだ。

 そう言えば、あの時色々忠告されたっけ。

 エルゼリンデの脳裏には、王弟殿下に告げられた言葉が甦っていた。不当な扱いとか、そうそう、「お前のような容貌を好む男もいる」とかなんとか。

 ……なんだか、言われたことがことごとく当たってるような。

 もしかしてアスタール殿下は予言者の資質も持っているのでは? 思わず遠くからちょっとだけ恨みがましい眼差しを送ってしまう。

 その時、予想していなかった人物まで登場したので、エルゼリンデは藍色の目を瞠った。

 白銀の鎧にすらりとした肢体を包んだ、金髪の女性。それはライツェンヴァルト王国で唯一、女性にして剣を取ることを許された、緑翼騎士団長のヴィーラス将軍であった。

「ルスティアーナ様もいらしてるぞ」

「近くで見るといっそうお美しいなあ」

 感嘆の呟きがいたるところで湧き上がる。むろん、エルゼリンデの周囲にいる男たちも、訓練前のしばしの雑談に花を咲かせている。

「はあ……俺もさ、あんな山賊の親分みたいな団長じゃなくてルスティアーナ様のところがよかったよ」

 山賊の親分。第三騎士団長のゼルヘルデン将軍を指してるに違いない。手持ち無沙汰のまま立ち聞きしていたエルゼリンデは噴き出してしまいそうになった。

「何言ってんだ、この馬鹿。そっちに移ったところでお前なんか相手にされるわけないだろ」

「そうだよなあ。なんせアスタール殿下のお妃候補の最有力って評判だもんな」

 なるほど、そうなのか。エルゼリンデは改めて二人の騎士団長を見た。なにごとか会話を交わしている男女は、まるで絵画から抜け出してきたような凛々しさと美しさがある。

「ヴィーラス侯爵家といったら、確かドストニエル王家の遠戚だろ? 家柄的にも釣り合ってるしな」

 女の身で騎士を務める侯爵家の令嬢と、名誉と武勇を一身に集める王弟殿下のラブ・ロマンスかあ。きっと結婚したらそんな話が広まって、お伽噺として広まったり本になったりするんだろうな。

 男たちの他愛もない話を耳にしながら、エルゼリンデは久々に少女の顔に戻って、うっとりと空想に浸った。





 全体での訓練はつつがなく終了した。エルゼリンデは目立たないよう、体の大きな者たちの中に紛れ込んでやり過ごした。今日は騎士だけではなく従騎士も参加しているため、人数は普段の倍以上。おかげで視線をあまり感じず、多少は気楽にできた。

 賑わう騎士たちの間をすり抜けて、演習場の片隅に移動する。

 これから、王弟殿下やヴィーラス将軍らが直接剣の稽古をつけてくれるという。そのため若く意欲のある騎士は我先にと彼らのもとへ殺到している。王宮の出入りすら滅多にできない貴族や平民にとっては絶好の機会。エルゼリンデだって王弟殿下やルスティアーナ様に見てもらって、父と兄への土産話としたいところだ。

 だけど、目立つのは怖い。

 この半月の間で、彼女は今までになく他人の視線を意識するようになってしまっていた。

「あ」

 隅っこでぽつねんと稽古の様子を眺めていたエルゼリンデが、軽く声をあげる。

 ちょうどザイオンが、王弟殿下に稽古をつけてもらうところだった。その横顔は喜びと覇気に満ち満ちている。

「いいなあ……」

 図らずも声を滑らせる。何となくじっと観戦する気にもなれず、エルゼリンデは周囲をぐるりと見回した。すると、よそよそしい態度で遠巻きにしている騎士の姿もぽつぽつとあることに気を引かれる。決して数は多くないが、わりとあからさまなので目が行ってしまう。その中にガージャールらを見つけて、エルゼリンデは反射的にぎくりとした。同時に新たな事実に気がつく。彼らもそうだが、ほとんどはもう若いとは言えない年齢の者だ。

 何だろう? エルゼリンデは首を傾げたが、よもや軍隊はおろか世間に疎い彼女に答えが分かるはずもなく。

「おい」

 しばらくぼんやりしていると、唐突に背中に声がぶつかった。

 小さい悲鳴がでかかったのを飲み込んで、おっかなびっくり振り向くと、鋭い眼差しとかち合った。

「エ、エレンカーク隊長……」

 視線の先には、鎧を着て腕組みをした、痩身の隊長の姿。

 エレンカークは褐色の双眸をエルゼリンデから外さぬまま、口をゆっくりと開く。

「お前はあっちに参加しないのか?」

 そこでいったん彼の目が演習場の中央へ向く。

「は、はい…ええと、あの、その……」

 無愛想な口調に、咎めだてられている気分が嫌でも増す。何と答えてよいものか、エルゼリンデは言葉の選択に迷った。

「あ、あの…ちょ、ちょっと人が多すぎて、気後れしてしまって……そ、それにっ、こんなに人が多いと、見てもらえるかも分からないので」

「なるほど。気後れ、か」

 エレンカーク隊長の鋭利な声に、形容しがたい成分が混じったような気がした。だが今のエルゼリンデにとっては、それよりも何よりも周りの人々の視線のほうを意識してしまって仕方がない。

 こんなところを見られたら、また色々と変なことを言われてしまう。

 エレンカークは黙って彼女を見据えている。

「え、ええと、あの、ちょっとその辺で素振りでもしてきますので…こ、これで失礼しますっ!」

 居た堪れなくなったエルゼリンデは、勢いよくお辞儀をして断りを入れると、そそくさと彼の傍から離れていく。

「――ったく、あの馬鹿が」

 そんな新米騎士の背中を見送りつつ、舌打ちしながらエレンカークが放った呟きは、慌てふためいていたエルゼリンデの耳までは届かなかった。



 エレンカーク隊長と別れてから、またもや片隅に移動して、隊長に言ったとおりに素振りを始める。

 いくら嫌がらせをされているからって、あまり訓練にも手がつかないようだと戦場で困る。それに、体力が以前よりついてきた実感もあるし、筋肉も少しばかり増えた――女の子として、あまりがっしりしすぎるのもどうかと思うのだが。

 それにしても、こんな調子で、本当に生きて帰れるんだろうか?

 普段は蓋をしておいたことを考えてしまい、背筋に冷たい汗が流れる。エルゼリンデは木剣を思いっきり振り下ろして、嫌な想像を打ち払った。

と、そこへにわかに人の気配。

「精が出るじゃねえか、坊ちゃん」

「……!?」

 野太い声が、彼女の心臓を鷲掴みにする。恐る恐る振り向くと、ガージャールと取り巻き二人が下品な笑みを浮かべてそこにいた。

「エレンカーク隊長にも取り入ってんのか?」

 ほら、やっぱり変なことを言われた。エルゼリンデは憮然としたが、あえて無言で通す。反論したって無駄なことも、ここ数日で悟っていた。

「まあ、よ。その辺のことも含めて、お前とは一度話をしておきたいと思ってな」

 何だって? エルゼリンデは不意打ちを食らってぽかんとした。ガージャールらは相変わらず野卑な笑顔を見せている。

「話……?」

 さすがに怪訝に眉を顰めて問い返すと、ガージャールは肯いた。

「そうだ。今日の夜、就寝時間後に兵舎裏の物置小屋の前に来い――もちろん、一人でな」

 言うだけ言って、彼らは若干人目を気にするかのように足早に立ち去っていく。エルゼリンデは嫌な予感を胸に、その背を睨みつけていた。


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