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男装騎譚  作者: ヤナギ
第2幕 王宮奮闘編
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第1話

「おはよう、エルー」

 聞き慣れた声に促されるようにエルゼリンデは重たい瞼を上げた。

 ーーあれ、今どこにいるんだっけ?

 夢見があまり良くなかったのか起き抜けに混乱しかけたが、自分の部屋の天井が目に入ったので安堵の溜息を吐き出した。そうして視線を足元に下げると、ベッドの縁に腰かけた、自分とよく似た顔の少年と目が合う。

「……おはよう、兄さん」

 挨拶を返しながらのそりと起き上がる。

「今日は兄さんのほうが早起きだったね」

 珍しいこともあるものだという気持ちを言外に込めると、ミルファークは苦笑混じりに口を開いた。

「僕が早起きというより、エルーが寝坊した感じかな。それこそ珍しく」

「えっ?」

 慌てて窓に目を向けると、確かにいつもよりも外が明るい気がする。朝ごはんの用意をしなければ。慌ててベッドから離れるエルゼリンデに兄の声がかかる。

「父さんはもう仕事に行ったよ。今日の朝ごはんは僕が用意したから心配しないで」

「に、兄さんが?……ありがとう、ごめんなさい」

 そこまで寝坊してしまうとは。いささか落胆した様子の妹に、ミルファークは気にするなとばかりにかぶりを振ると少しだけ眉を顰めた。

「それよりエルー、何だか魘されてたみたいだけど大丈夫?」

「魘されてた?」

 エルゼリンデは藍色の双眸をぱちくりさせる。

「うん。寝言で解釈違いがどうとか」

「うーん……?」

 確かに変な夢は見た気がする。何となく気まずいような、それでいて懐かしいような。しかし解釈違いとは?

 首をひねるエルゼリンデに対し兄は気遣わしげな視線を向けてくる。

「顔色は悪くなさそうだけど、今日は僕も家にいようか?」

「ううん、大丈夫。体も何ともないし! 兄さんも学校でしょ?」

 もしもの時はイングリッドかコージマのところに行くから。そう言って安心させるように力強く肯くエルゼリンデにミルファークの愁眉も開く。

「わかった。ただ、何かあったら家のことは気にしないで、すぐに二人のところか教会に行くんだよ。しばらくウーテおばさんもいないんだから」

 ウーテおばさんとは、イゼリア家がお世話になっている家政婦である。

「はーい」

「じゃあ支度しておいで。朝ご飯にしよう」



 窓の外で初夏の陽光がきらめく。身支度しながら窓に目を向けたエルゼリンデは少し目を眇めた。これから少しの雨季を挟んで、王都ユーズも夏を迎える。そろそろ雨水を貯めておく瓶にひびが入っていないか見ておかないとな、とそぞろに考えながら顔を洗い、台所へと向かう。

「わあ、オムレツ!」

 食卓にはいつものパンと屑野菜のスープのほか、黄金色に輝くオムレツが鎮座していた。イゼリア家にしては珍しく豪華な朝食に、エルゼリンデの気分も上向く。今日はいいことがありそうだ。

「今朝コージマからもらったんだ」

 目を輝かせるエルゼリンデに座るよう促しながら、ミルファークが卵の出どころを明かしてくれた。

「コージマが? あとでお礼言いに行かなきゃ」

「うん、外の保管庫に杏があるから持っていってあげて」

「わかった」

 兄と会話をしながらオムレツに舌鼓を打つ。今日はエルゼリンデの寝坊により父親不在だが、いつもと変わらない朝がそこにあった。

 こんなふうに、家族と穏やかに過ごせる日々が戻ってくるとは。しみじみと、オムレツと一緒にそんな思いを噛みしめる。まるで半年前まで従軍していたなんて夢のようだ。それこそ変な夢を見たせいなのか、少し前の出来事が甦ってくる。

 王都に帰還後、給金を受け取って家に帰ってきたエルゼリンデはひと月ほど寝込む羽目になった。遠征の疲れが出たか、張り詰めていた気持ちがぷつっと切れたのだろう、というのが兄の見解だ。

 王宮の騎士団から通知が届いたのは、ようやく回復して徐々に普段通りの生活を送れるようになってきたところだった。通知を受け取ったときは「とうとう露見してしまったか」と悪い知らせの予感に心臓が止まりかけたが、封を開けてみれば良い知らせの方であった。「此度の遠征において一定の功績が認められたので、特別恩賞金を支給する。王宮に受け取りに来られよ」という非常にありがたい通知だ。しかし、ありがたいが一定の功績とはいったい?心当たりのないエルゼリンデは首を傾げつつ、まあ行ってみれば分かるか、という行き当たりばったり的な思考で指定された日に王宮へ向かうことへした。

 ミルファークは病み上がりの妹を慮って自分が行こうか、と持ちかけてくれたが彼女は頭を振った。兄には遠征で出会った人々のことは――むろん、王弟殿下を筆頭とする偉い人たちのことも――できる限り仔細に話していたが、それでも実際に顔見知りに遭遇したらボロが出る可能性のほうが高い。

 結果として、王宮へはエルゼリンデが赴いて正解だった。

 特別恩賞金の受取場所は王宮の敷地内の端のほうの一角で、かつ一般の騎士や兵士が対象だったこともありお偉方が出てくるような儀式ではなかったが、第3騎士団の代表としてベッセル隊長が参列していたのだ。簡素な式で、わざわざ参列者の名前を読み上げられることもなかったので、本物のミルファークが来ていたら隊長に気づかず不審に思われたかもしれない。

 帰還の際は大変お世話になったこともあり丁重にベッセル隊長に挨拶する中で、この特別恩賞金はアルフレッドが熱心に推薦してくれたから、ということを教えてもらった。そしてアルフレッド自身もこの場に来たがったことも。

「ま、伯爵家の人間に止められたようだがな」

 ベッセルは肩をすくめ、ついでにアルフレッドが緑翼騎士団に配属されたことも教えてくれた。緑翼騎士団は第7騎士団の通称で、かの有名なヴィーラス将軍率いる団だ。

「ルスティアーナ様のところですか」

 エルゼリンデは目を瞠る。

「さすがはローデン伯爵家の嫡男ってとこか」

 ベッセルが言うには、緑翼騎士団は主に王宮と要人の警護を担う騎士団であるがゆえ、身分の高い騎士が多く所属しているという。ちなみに王族の警護は王室直属の親衛隊の役目だ。

 エルゼリンデはベッセル隊長との別れ際にアルフレッドに感謝の意を伝えてもらうようお願いしたが、自分でもアルフレッドにお礼を言うため手紙を出すことにした。何かの弾みで筆跡がバレるとも限らないので念のため兄に代筆してもらって。アルフレッドからの返事は未だないが、返事がない方が何かと都合が良いので気にしていない。騎士団で元気に頑張ってほしいな、と心中でエールを送ったところで。

「エルー、あまり食が進んでないけど、本当に大丈夫?」

 心配を過分に含んだ兄の声に現実へ引き戻される。

「大丈夫!ちょっと考えごとしてただけ」

 エルゼリンデは努めて笑顔を向けると、残りの朝食をぺろりと平らげてみせた。



 そういえば。 

 学校へ向かうミルファークを見送り、朝食の後片付けをしながら再びちょっと前の出来事に記憶を戻す。

 そう、エルゼリンデは兄には遠征中の出来事について、父に話していないことまで打ち明けたのだ。自分が兄になりすましていた過去がある以上、この先ミルファークがエルゼリンデの知己に遭遇してしまったときに困らないように。ミルファークには、順調に行けば父と同じ役人になる未来がある。つまり、貴族とのエンカウント率も上がるのだ。現にアルフレッドのお目付け役だったハンスはエルゼリンデの父親のことを知っていた。

 そうした話の流れで、王弟殿下やローゼンヴェルト侯爵といった雲の上にいるような面々と知り合っただけでなく、やたらと気にかけてもらったことなども伝えた。

 兄は、ミルファークは、驚いていた。驚いてはいたのだが……エルゼリンデの予想を裏切って、彼は微妙な――そうとしか表現のしようのない表情で黙り込んでしまったのだ。

「に、兄さん?」

 やはり兄のほうに心当たりがあったのか?そう思って問いかけるも

「いや、僕には心当たりがないよ」

 あっさりと頭を振られてしまう。

「僕にはないんだけど」

「けど?」

「うーん……」

 ミルファークは微妙な顔を崩さず、妹を見つめて何かを考え込んでいるようだ。こうなった兄は話しかけても返事がないし、次の言葉が出てくるまで時間がかかる。そのことを熟知している妹は、大人しく兄が口を開くのを待った。

「……ええと、僕も考える時間がほしいかな」

「考える……?うん、わかった」

 謎の好待遇の心当たりについて考える時間だろうか。そう受け取ったエルゼリンデは素直に頷いた。

「あと、この話は父さんにはしないこと」

「うん、それは元々しないつもり。今度は父さんが寝込むことになっちゃう」

 エルゼリンデも真面目な顔で首肯する。出世欲がなく、慎ましさを是とする父のことだ。一時的とはいえ娘が王族やら侯爵やら伯爵やら、錚々たる方々と接していたことを知れば口から泡を吹いて倒れかねない。

 父親に余計な心配はかけないことを兄に誓い、この日はお開きとなったのだった。

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