第81話
どうしてこう、困ったことや嫌なことが立て続けに襲ってくるのだろう。厄日なのだろうか。
「へっへっへっ、金目のモン置いてきゃ命だけは見逃してやるぜ」
「げっへっへっ、随分可愛い坊やじゃねえか」
シェザイアの魔手から何とか逃げおおせたと思ったら、今度はゴロツキに絡まれるなんて。
二人組のゴロツキにジリジリとにじり寄られ、少しずつ路地の壁に近づきながらエルゼリンデは自分の不運さを嘆いた。
ゴロツキは中肉中背、そこまで鍛えている感じはない。いかにもなゴロツキだ。何とか隙を突いて逃げ出すくらいはできるかもしれない。武器を隠し持っている可能性はあるから、決して油断はできないが。
「あ、あなたたちに渡すものは何もありません!」
エルゼリンデは男たちを睨みつけつつ、気づかれないよう慎重にタイミングを伺う。彼女も一応は戦地帰りの騎士なのだが、買い物に出ただけなので騎士服はおろか帯剣もしていない。そして相手は二人組。真っ向から立ち向かっても勝算はないし、三十六計逃げるに如かず、なのだ。
「んんー? あるんじゃねえのか、渡すモンは。その大事そうに抱えてる荷物とかなあ」
男の目がエルゼリンデの抱えている荷物に向けられる。エルゼリンデは殊更荷物を抱く腕に力を込めた。
とはいえ、中身は先ほど市場で調達した日用品の類だ。それでも自分の収入からすると決して安くはない物なのだが、この際多少の犠牲はやむを得ないーーそう、首元にずっしりとぶら下がっている正真正銘の「金目のモン」を失うくらいならば。
ローゼンヴェルト将軍に貸してもらったお守りことペンダントは、金額面でも相当高価なものだろう。多分イゼリア家に存在するなけなしの装飾品やら何やらをかき集めても到底及ばないくらいには。だが、それ以上に、これはローゼンヴェルト将軍がお母上から譲り受けたものなのだ。金額云々の前に、将軍閣下にとって非常に大切なものをこんなゴロツキたちに渡すわけにはいかない。と言うか、そもそも何故そんな大切なものを自分に預けてしまったのかまったく理由が分からないのだが……何かの試練なのだろうか。
ともあれ、男たちの注意を荷物の方に引けたようだ。あとはここから逃げるだけ、とエルゼリンデはわざとらしく腕に力を込めたまま、ちらりと退路を塞がれていない横手を見やる。
「おっと、逃げようったってそうはいかねえぞ」
ゴロツキの一人が彼女の動きを見咎め、腕を伸ばしつつこちらに詰め寄ろうとする。
今だ! 一歩踏み出した瞬間を見計らい、エルゼリンデはありったけの勢いをつけてゴロツキに体当たりした。不意打ちを食らって男が尻餅をつく。エルゼリンデは勢いを殺さずそのまま前方へ駆け出した。
「ーーてめえっ!」
もう一人の男が追ってこようとするのも読み通りだった。
さようなら私の日用品……!
エルゼリンデは抱えていた荷物を思いっきりゴロツキの顔面に投げつけ、それ以上は振り返ることなく逃亡ーーもとい、戦略的撤退に成功したのだった。
ゴロツキたちは何とか撒けたようだが、すぐに問題は何も解決していないことに気がついてしまった。
そう、彼女は相変わらず道に迷ったままなのだ。
「せめて、誰か人がいればいいんだけど」
独りごちていったん足を止める。ぐるっと周囲を見渡せば、先ほどとあまり変わり映えのしない景色。
もういっそのこと、どこかのお宅に突撃してしまおうか。道を訊ねるだけにしては怪しまれて通報される危険が大きいが、この手詰まり感のなか背に腹は代えられない。ウロウロしていて、もしまたさっきのゴロツキやフロヴィンシアのどら息子とばったり出くわしてしまうのは笑えない冗談もいいところだ。
そうと決まれば、と再び歩き出したところで、ふと笑い声がどこからら聴こえてきた。声からして女性、それも複数人いるようだ。この辺りで井戸端会議に興じているのかもしれない。
天の助けと言わんばかりにエルゼリンデの顔が輝く。さっそく声の聴こえてくる方向へ駆け出しーー
「ーー!!??」
後ろから誰かに首根っこを掴まれてエルゼリンデは声にならない悲鳴を上げてしまった。
まさかゴロツキかシェザイアに見つかってしまったのだろうか。それとも新手の人攫いか。ああ、どうしよう。父さん兄さんエレンカーク隊長、私はこれまでのようです……
もはやこれまで、という思いは、しかし真上から降ってきた声に打ち消された。
「まーた絶賛迷子中か、てめえは」
このガラの悪そうな声、そしてこの首根っこの掴まれ方は。
「ファ、ファルクさん!?」
そのままの態勢で視線を上に向けると、見慣れた赤毛が視界に飛び込んできた。ついでに呆れてますと言わんばかりの顔も。
「こ、こんなところで何を?」
「それはこっちの台詞だ」
思わず口をついて出た疑問に、赤毛の親衛隊員は襟首から手を離しながら言葉を返す。
「まさかこんなところでまたてめえを保護することになるとは」
「お、お手数おかけします……」
これ見よがしに嘆息するファルクにエルゼリンデは縮こまった。
「で、何したらこんな大胆な迷い方するんだ? だいぶ大通りから外れてるぞ。迷子の天才か何かか?」
「ええと、平和に買い物をしてたはずなんですが……ちょっと色々なトラブルが」
「迷子も充分なトラブルじゃねえか」
ファルクは半眼でエルゼリンデを見下ろす。エルゼリンデは気まずそうに視線をついと逸らし、
「そ、それでファルクさんはどうしてここに?」
さりげなくーー本人比で、だがーー話題を変えてみる。
「馴染みの店に行くところだったんだよ。そしたら何だか見覚えのあるガキがフラフラしてんじゃねえか」
ファルクはジト目のままだったが質問に答えてくれた。
「シカトしようかとも思ったけどな、なんつーか……条件反射というか習慣は怖いと言うか」
あと閣下にバレたらぶん殴られそうだったからな。ファルクはちょっと顔を顰めると、彼女の亜麻色の髪を掻き回した。
「声をかけちまったもんは仕方ねえ。送ってってやるから、その前に俺の用事に付き合え」
「あ、ありがとうございます。いいんですか?」
エルゼリンデは目をぱちくりさせた。
「まあ、お前にも関係あるっちゃある用事だからな」
珍しく曖昧な返答をするファルクに内心首を傾げながらも、送ってくれるというありがたい申し出に彼女はふたつ返事で頷いたのだった。
「で、トラブルって何があったんだ?」
「ええと、立て続けに絡まれたと言いますか……」
並んで歩きながらそう訊ねられ、ぽつぽつと先ほどの出来事を話していく。シェザイアの名前を出すと、さすがのファルクも驚いたようだった。
「はあ? お前、あのどら息子とも面識あったのか?」
「不本意ながら……」
ファーストコンタクトがフロヴィンシア城内であったことは伝えられずに言葉を濁す。ファルクはそれには気を留めなかったようで、ちょっと考えるそぶりを見せたあと、
「なるほど、殿下のせいか」
一人納得したように頷いている。エルゼリンデはそんな長身の騎士を見上げた。
「私がシェザイア様に絡まれたのって、アスタール様が原因なんですか?」
確かに彼には二度ほど王弟殿下についてよく分からないことを訊ねられたが、殿下のせいとまで断じられるほどとは。
意外そうに藍色の目を瞠るエルゼリンデに、親衛隊員はまた呆れたような視線を投げてよこした。
「そりゃあ、あれだけアスタール殿下に目をかけられてりゃ、いやに鼻の利くどら息子としては気になるところだろ。腹違いとはいえ兄弟なんだし」
「た、確かにそうですよね……」
自分でもあの厚遇は結局謎のままなので、アスタール殿下の兄弟ならそれはそれは気になる……
「…………って、きょ、きょうだい!? 兄弟!!? だ、だ、誰の?」
衝撃的な発言に思わず立ち止まり、発言の主を見上げる。
「シェザイアはアスタール殿下の弟じゃねえかーーって、そうか、お前この手の話題は疎いんだったな」
ファルクはさも当然といった態で答えてから、少しばかり目を眇めて隣の彼女を見下ろした。
彼が説明してくれたところによると、フロヴィンシアのどら息子ことシェザイアは先代国王、つまり現国王陛下とアスタール殿下の父親のご落胤、というのは貴族社会では公然の秘密なのだという。
その事実を知ってエルゼリンデは驚愕のあまり自分の足に躓きそうになってしまった。
「と、ということはシェザイア様も王弟殿下なんですか?」
「いや、あいつには王位継承権はねえよ。そもそも王都は出禁だっていうしな」
ファルクは首を振って再び歩き始める。エルゼリンデも慌てて後に続いた。
シェザイアは先王がフロヴィンシア視察に訪れた際、現地有力者の娘との間にできた子どもで、生まれてすぐにフロヴィンシア総督クヌッセン侯爵に養子として引き取られたらしい。
「王太后様は怒り心頭だったらしいけどな、さすがに母親がフロヴィンシアの有力者だったもんだから『なかったこと』にもできなかったっつー話だ」
「なかったこと……」
何だか恐ろしい単語を聞いてしまった気がする。少しだけ顔を青くした彼女をよそに、ファルクは肩を竦めた。
「先王陛下は、英雄色を好むじゃねえけど女性関係が頗る派手だったからな。あちこちにご落胤がいたってさ。そう考えるとあのナンパ野郎は父親そっくりなんだなあ」
王家の親衛隊員にあるまじき不敬な発言ではないかと思ったが、聞き流しておいたほうが良さそうだ。
「アスタール様とご兄弟だから、あんなに気安そうだったんですね」
王弟殿下を呼び捨てにしていたし。何となく引っかかっていたことが解消され、エルゼリンデは得心がいったように呟いた。
「真面目で王妃一筋のシグノーク陛下とは壊滅的に相性が悪いらしいし、まあ女遊びにもそこそこ理解があるアスタール殿下のほうがウマが合うんだろ」
女の相手なんてただでさえ面倒くせえのによくあそこまで女のケツを追っかけてられるよなあ。そうぼやきながらファルクはまたもやエルゼリンデの髪を雑に掻き回し、
「ま、もし次に遭遇したら張り倒してでもトンズラしといたほうが身のためだな」
いつぞやのシュトフと同じようなことを忠告したのだった。