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男装騎譚  作者: ヤナギ
第1幕 遠征編
80/97

第80話

 喧騒に全身を丸ごと包まれてしまったようだ。

 買い物した荷物を両腕に抱えこんで、エルゼリンデは身を竦めた。さすがは「東の王都」フロヴィンシア、人の数がゼーランディアより桁外れに多い。王都住まいで人混みには慣れていたはずの彼女も、ゼーランディアの自然の中ですっかり毒気を抜かれてしまったようだ。

 ゼーランディアを出て草原を越え、フロヴィンシア城に戻ってきた時にはこのオアシス地帯も冬の準備を始めていた。だが、暑かろうが寒かろうがライツェンヴァルト王国随一の商業都市。行き交う人々や活気は来た時と変わらない。

 今回は戻るだけだから、滞在期間は3日と短い。その間に日用品を買い足したり、馬を休めたりしないといけない。エルゼリンデも到着するなりさっそく西の市場へ出かけ、効率よく必要品を買い集めていた。

 ――この前は、ザイオンと来たんだっけ。

 木陰に座り込み、果物屋で値切った柘榴をかじりながら懐かしむように藍色の目を眇める。つい数か月前なのに、何だかひどく昔のことのように感じる。ザイオンとリンゴをかじりながら将来について語ったのも、シュトフと馬具を買いに行ったことも、エレンカーク隊長に酒場に連れて行ってもらったことも。そして……あの脱走騒ぎも。

 最後の一片を口に放り込んで、エルゼリンデは勢いをつけて立ち上がった。こんな賑やかな場所で暗い顔をしていても仕方がない。荷物を抱えなおして歩き出す。

「えーと、あと買うものは」

 頭の中の買い物リストを反芻しながら、とりあえず人混みを避けるように歩を進める。

 ……これでも、気を付けていたのだ。一人だから迷わないようにぼんやり歩かないようにすると。

 だが。



「……あれ?」

 必要品に不足がないか考えこみながら歩いてしまったからだろうか。エルゼリンデは見知らぬ路地の途中にいた。人の気配がほとんどないから、市場からは遠ざかってしまったようだ。住宅街の一角だろうか。

 ど、どうしよう。さあっと顔が蒼くなる。確か、フロヴィンシアでは迂闊に路地に入り込むと人攫いに攫われるとか何とか……!

 エルゼリンデはあたふたと歩き出した。方向はわからないが、立ち止っていると人攫いに攫われてしまうかもしれない。そう考えると、途端に誰かにあとをつけられているような気がしてきた。

 とりあえず、人の気配のするほうへと細い路地を右往左往する。が、誰一人すれ違うこともない。市場にはあんなに人がいるのに。少しばかり理不尽な思いを懐いたが、それこそお昼時の住宅街、昼食に出ているのかもしれなかった。この辺りでは自宅で食事を作る習慣がないと、確かカルステンスに聞いたことがある。

 何度目かの十字路でエルゼリンデは立ち止った。冷静になってみれば、こんな真昼間から人攫いも活動していないのではないだろうか。ここは誰もいなくても、大通りに出れば溢れかえるほど人がいるのだから。

 ただ、冷静になったところで道が拓けるわけもなく。右か左かまっすぐか、どちらへ進もうか逡巡していたその時。

「だーれだ」

「……!?」

 背後から両目を何者かに覆われて、声なき悲鳴を上げる。代わりに抱えていた荷物がどさりと音を上げて地面に落ちる。

「追いかけっこはもう終わり?」

 耳に飛び込んでくる、どこか人を食った声には覚えがあった。そしてこの状況にも。エルゼリンデは両手を振りほどき、相手のほうに向き直る。

「……シェザイア様」

「あれ、覚えててくれたんだ」

 フロヴィンシア総督のどら息子として名高いらしい青年は、青緑色の双眸を面白そうに細めた。獲物を見つけた猛禽類の目だ。エルゼリンデは体を最大限に緊張させた。

 まさかこの人に再会してしまうとは。フロヴィンシアに到着した時にふと彼のことが過ったが、あれは一時的な興味でしかなく、きっとこんなしがない騎士のことなんてとっくに忘れてしまっているだろう。そう予測していたのに、まさかしっかり覚えられてたうえ、あとまでつけられているとは。

「君みたいに可愛い子が覚えててくれるなんて嬉しいなあ……せっかくだからゆっくりお話ししようよ」

 するりとしなやかな腕が伸びてきて、片腕をしっかり掴まれてしまう。エルゼリンデは全身を粟立たせ、後ずさろうと試みるもあえなく彼のほうに引き寄せられてしまう。猛禽類に捕捉された小動物そのものだ。

「最初は誘い込まれてるのかと思ったけど、そうでもないみたいだし……ただの迷子かな」

 そうですただの迷子なんです貴方とは何の関係もありませんから……!心で叫ぶも言葉にならず、口をむなしくぱくぱくさせるだけだ。

 シェザイアはすっかり怯えきった彼女を見下ろし、空いているほうの手で蜂蜜色の髪を掻き上げる。

「そんなに怖がらなくても、変なことはしないよ。アスタールに怒られそうだしね」

 ただお話ししたいだけなんだって。整った顔に覗き込まれ、エルゼリンデは勇気を総動員して彼の顔を見据えた。

「お、おおお話……ですか?」

 声が震えてしまったのは見逃してもらいたい。

「そう」

 シェザイアはにっこりと微笑んだ。

「ゼーランディアでのこととか、聞かせてほしいな」

 ぎくり。思わず体と顔が強張るのを感じた。にこやかな表情とは裏腹に、シェザイアの青緑色の目は彼女の一挙手一投足も見逃さないよう光っている。

「アスタールはどうだった?」

 囁くような声音によからぬ響きが孕まれているようで、ぞっとしてしまう。

「ど、どう、ですか?」

「隣の部屋だったんでしょ?」

「……!な、なぜそれを……!!」

 しまった。声に出してしまってから過ちに気づくも一歩遅かった。フロヴィンシア総督の息子はしてやったりと言わんばかりに笑みを深める。

「俺ってオトモダチ、多いんだよねえ」

 ずいっと迫られてきたものだから、エルゼリンデは反射的に背中を反らす。

「で、アスタールはどうだった?優しくしてくれた?」

 や、優しく?予想だにしない一言に、彼女の眉間に皺が寄った。

「や、優しくですか……確かに殿下には大変お世話になってしまい、非常に恐縮していますが……」

「はあ?」

 シェザイアの余裕綽々な表情がわずかに崩れた。

「とぼけてんの?」

「と、とぼけると言われましても。確かに負傷した私を看病していただいたり、従者までつけていただいて面倒を見てくださったり、もう天変地異が起こるんじゃないかというくらいお世話になったのは事実です」

 ゼーランディア城で隣の部屋だったことまで露見しているのだ。ここまで言ったところで変わらないだろうと、エルゼリンデは事実をそのまま述べる。

 だがシェザイアは一層ぽかんとした表情に変わっていく。

「いやさ、そういうことじゃなくて……アスタールと寝たりしなかったのかって聞いてんの」

「ね、ねる……?」

 これまた予想外のことを質問され、エルゼリンデも負けじとぽかんとする。いったい何が聞きたいのだろう、この人。

「あの……私、いくらなんでもそこまで子どもではありませんし、そんな、添い寝なんてしてもらうような年齢じゃ」

「そういうことじゃなくて」

 間髪入れず突っ込みを入れたシェザイアは呆れかえったように額に手を当てた。

「……アスタールもマウリッツも、なんでこんな子どもにご執心なんだか……まあ、マウリッツはアスタールに言われただけなんだろうけど」

 ぶつぶつと小声でつぶやき、再び彼女に顔を向ける。いい加減解放してほしいのだが。

「うーん、でもこれはこれで興味深いな」

「きょ、興味を持っていただかなくて結構です」

「つれないなあ。本当は君のことも調べたかったんだけど、俺、西のほうにはオトモダチいないからさあ」

 心臓が一拍跳ね上がり、すぐに胸を撫で下ろす。王都にシェザイアのオトモダチとやらがいなくてよかった。

「やっぱり君とはゆっくりお話ししたいな。ねえ、これから城に遊びに来ない?」

「え……?」

 城とは当然フロヴィンシア城のことだろう。

「いやー、君を連れてったらあいつどんな顔するかなあ。楽しみだなあ」

 シェザイアはすっかり自分のペースを取り戻してしまったようだ。何やらにやにやと独り言ちている。

「あの、盛り上がっているところ申し訳ないのですが、お城はわたくしめのような身分の者が上がれる場所ではなく……」

「前に上がったことがあるし、ゼーランディア城でもあいつの隣だったくせに、何をいまさら」

 うぐっ、と言葉に詰まる。

「それにあそこは俺の城なんだから、俺がいいっていえば誰が上がってもいいんだよ」

 不遜とも取れかねない言葉だが、シェザイアはフロヴィンシア総督の息子だから間違いではないのだろう。

 ど、どどどどうしよう。エルゼリンデは必死に断りの文句を探し続けた。このまま城に引きずられて――王弟殿下やローゼンヴェルト将軍に会ってしまったらまた迷惑をかけるかもしれない。

「そういうことだから、行こっか。荷物はこれだけ?」

「あ、あの、私まだ行くと言った訳では……!」

 抗議の声を上げるも、シェザイアはどこ吹く風だ。彼女の細い腕を掴んだまま、地面に落ちた荷物を拾い上げようと腰をかがめ――


 かしゃり。

 彼女の背後――シェザイアの視線の先で何かが落ちる音がした。

 同時に、シェザイアの動きが止まる。エルゼリンデも何事かと振り返ると、巡礼者が着る白い外套に身を包んだ男がいた。頭までフードをすっぽりと被っているから、エルゼリンデからは顔が見えない。

 足元には錫杖が落ちていて、どうやらこれが立てた物音らしい。通りすがりの巡礼者だろうか。

「……」

 だが、意外なことにシェザイアはその男を注視している。エルゼリンデにはすっかり関心を失ってしまうほどに。

 ――逃げるなら、今しかない。

 エルゼリンデは非礼を承知しつつ、力の緩んだ腕を振りほどき、荷物を拾い上げて素早くその場を走り去った。

「……また、君に邪魔されるとはね」

 一度も立ち止ったり、様子を見るために振り返ることもなかったから、不敵な笑みを浮かべたシェザイアが発した言葉を聞くことはなかった。



「久しぶり、元気そうで何よりだよ――ギル」



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