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男装騎譚  作者: ヤナギ
第1幕 遠征編
75/97

第75話

 すっかり枯れてしまった落ち葉が回廊の上で緩やかな渦を描く。

「ううっ、寒い」

 吹きつけてくる風の冷たさに、エルゼリンデは身を縮こまらせた。ゼーランディアに到着した時は涼しくて快適なくらいだったが、いつの間にか空気は冷涼さを増している。草原の冬は早く長く、そして恐ろしいほど寒い。そう聞いてはいたが、こんなに急に冷え込んでくるとは。

 エルゼリンデは気を紛らわせるように、手にした羊皮紙の切れ端に視線を落とした。ザイオンに教えてもらった、アルフレッドがよく行くというサロンの道筋が大雑把に書かれている。

「えーと、この回廊を抜けて右に曲がって、二つ目の曲がり角をまた右、で、そこから更に裏門のある方向へ進んでいって……」

 本当に辿り着けるんだろうか。僚友の話だと、医務室から結構近いということだったが。

 まあ、迷ったらまた誰かに道を訊ねるしかないか。エルゼリンデはひとつため息を吐き出すと、再び前を向く。

 ちょうど彼女の進行方向に人影が現れたのはその時だった。大柄で勇ましい足取りの女性に、彼女は充分見覚えがあった。その場で立ち止まり、居住まいを正す。

「おやまあ、意外なところで会ったね」

「お久しぶりです、ヴァンゲルマイヤー夫人」

 相変わらず気さくな口調で話しかける城主夫人を前にしてエルゼリンデはいつもより注意深く礼を施した。最近どうも身分の高い方々に対し、自分が無礼な態度をとっているような気がしてならないのだ。

「元気そうだね」

「はい、おかげさまで」

 これも偏に夫人のお心遣いによるものです。そう続けると、城主夫人は女性にしては逞しい肩を揺すった。

「私の、というよりは王弟殿下とローゼンヴェルト閣下の、というべきだね」

 それは確かにそうだ。いまだに釈然としないけど。というかヴァンゲルマイヤー夫人の様子にも、彼女の置かれた状況を不審がるそぶりが見られないのはどういうことだろうか。

「ところで、どこか行くつもりだったのかい?」

 疑問が頭をもたげ始めるよりも、夫人が話題を変えるほうが一歩早かった。

「あ、この城内にサロンがあると伺って」

 アルフレッドに会いに行くつもりだ。エルゼリンデの言葉にヴァンゲルマイヤー夫人が軽く頷いた。

「そこなら私が案内してあげるよ」

「えっ、ええっ!? よ、よろしいんでしょうか」

「タイミングよく、暇を持て余して巡回していたところだからね、ついでだよ。この城は入り組んでるから、下手打たなくても迷うだろうしさ」

 まったくその通りである。エルゼリンデはありがたく夫人の好意に甘えさせていただくことにした。

「そういえば、ローゼもあんたのこと随分心配してたよ」

「ローゼが?」

 藍色の双眸を二、三度瞬かせる。あれ以来ローゼにも会っていないな。快活な使用人の少女を思い出すと、胸郭を懐かしさが満たした。ここ数日怒涛のごとき日々を送っていたからだろうか、だいぶ昔のことのように感じる。あの時の自分は相当酷い状態だったから、案の定心配をかけてしまっていたようだ。

「もうすぐ出立なんだし、よかったら顔見せてってやっておくれよ」

「はい、ぜひ」

 エルゼリンデは夫人に微笑を返し、それからふと目を細めた。ローゼマリーだけでない。レオホルト隊長や生き残っている同じ隊の人たち、それにセルリアン。これから会いたい人、会っておきたい人がいる。彼女の会いたい人物は、思い出の中だけではなかった。



 夫人に案内された部屋は、確かにザイオンのいる医務室からさほど離れていなかった。彼女は気さくな城主夫人に別れを告げ、扉の開け放たれた室内をそっと覗いてみる。そこそこ人が集まっているようで、彼らはソファで話に花を咲かせていたり、あるいはカードゲームに興じていたりと思い思いに寛いでいる。ここが戦場の前線基地とは到底思えない。

 ……は、入りにくいな。

 ぱっと見た感じ、アルフレッドらしき姿は見当たらない。入り口、すなわち彼女のほうに徐々に視線が集まり始め、居心地の悪さに両肩を窄める。

 出直そうかなと思った時、視界の端に自分を見やり手招きしている青年を捉えた。淡い金髪を見てエルゼリンデは安堵しつつ、彼――カルステンスの元に向かった。

「ミルファークがこんなところに来るとは、珍しいな」

 彼が陣取っているテーブルに到着するなり、カルステンスは軽く眉を上げた。顔色が優れないのが、エルゼリンデの心にちょっと引っかかった。疲れているのだろうか。

「ええ、ちょっと人を探していて……あ」

 そこで彼の隣にもう一人見知った顔があるのを確認する。

「よお、あんたか」

 赤毛の親衛隊員は、相変わらずのぶっきらぼうな表情だ。ただ、いつもと決定的に違うのは、右頬が赤く腫れあがっている点であった。

「ど、どうなさったんですか、それは」

 エルゼリンデはたじろいだ。頬の腫れに驚いたのではない。単純に、雰囲気が怖かったから。

「ああ?」

 彼はただ単に言葉を聞き返しただけなのかもしれない。けれどもエルゼリンデの目には因縁をつけられているようにしか見えなかった。やっぱりどうにも怖い人だ。

「とりあえず、ミルファークも座ったらどうだ?」

 カルステンスの静かな声が妙な緊迫を遮る。

「……あ、は、はい」

 内心ほっとしつつ、彼女はカルステンスの隣の椅子に腰掛けた。

「人を探しに来たのか?」

 あえてファルクの怪我の話題には触れず、カルステンスは薄い水色の瞳を彼女に向けた。もしかしてあまり話したくないことだったのかな。そう思いながらエルゼリンデは肯く。

「はい。同じ隊のアルフレッド様がこちらによくいらっしゃると伺いましたので」

「アルフレッド?」

 反応を示したのはカルステンスではなく、向かいに座るファルクのほうだった。

「つーことは、あんたか。ハンスの言ってたお友達は」

 何だか普通に話しかけられてるから、とりあえず自分に対して怒っているわけではないようだ。

「そ、そういうことになるんでしょうか」

 アルフレッド自身にも「友人」と言われたこともあるが、どうにもむず痒い。

「あれ、そうすると、ファルクさんはアルフレッド様のお知り合いなのですか?」

「あー、まあな。ガキの頃からよく知ってるな」

 意外な事実だ。この国に貴族はやたら多いが、なかなかに狭い世界なのかもしれない。

 そうなんですか、といいかけたところで、別の声が割り込んできた。

「――ミルファーク!」

 今日は色々とタイミングがよすぎるな。そう思いながら声の方向へ振り返ると、案の定そこには探していた人物がいた。

「今ザイオンのところに見舞いに行ったら、君がサロンに向かったって聞いて。まったく、この前からずっと探していたんだから、ミルファークももっと早くここに来てくれないと」

「す、すみません」

 彼女たちのほうに来るなり早口で捲くし立てられ、気圧されたエルゼリンデがとりあえず謝罪を口にする。

「それで、大丈夫だったのか? 昨日聞いたけど、君の従騎士が……その、騒ぎを起こして獄死したって」

 大貴族の跡取りだからなのか、耳が早い。それともあの事件がもう騎士の間で知れ渡っているのだろうか。

 その疑問は、カルステンスが驚いた表情を浮かべたことで解消した。

「そんなことがあったのか」

「何がどうなってそういう結果になったんだ? ハンスは、君が大変な目に遭ってるかもしれないって言ってたけど、その件に巻き込まれたのか?」

「えーと、その」

 アルフレッドとカルステンス、二人の視線に射抜かれてエルゼリンデは戸惑いを顕にした。アルフレッドの質問はほぼ正解に近いのだけれども、いったい何と答えたらよいものか。正直に伝えてしまえば、かなりの確率で今の自分の境遇まで行き当たってしまう気がする。

 困り果てたエルゼリンデは我知らず、あのときに半分当事者だったファルクのほうを見やる。赤毛の騎士はしょうがないといった態で肩を竦めた。

「あー、そのな。まずはこいつの従騎士の起こした事件とこいつは無関係だ」

 アルフレッドの緑の双眸が発言の主に向けられる。そこで彼はようやく知己がいることに気づいたようだった。

「ファルク殿、いらしたんですか」

「ああ、さっきからずっといらしたとも。アル坊、お前はもうちょっと周りに気を配ったほうがいいぞ」

「その呼び方は止めていただけませんか。僕はもう子どもじゃない」

 アルフレッドの眉が不快に顰められるも、ファルクはお構いなしに嘯いた。

「わかったわかった。気が向いたら止めてやるよ」

「そう言っていっつも止めてくれないじゃないですか!」

 珍しく怒りの感情をむき出しにする伯爵家のご子息を目の当たりにして、エルゼリンデは藍色の目を瞠る。会話から推測するにかなり古くからの知り合いみたいだが、仲は良いと断言できない雰囲気だ。

「だから、気が向いたらな。で、話を戻すと」

 ファルクはめんどくさそうに頭を掻き、強引に話題の軌道修正を図る。

「こいつの従騎士が起こした事件については、こいつの与り知らぬところで起きたからまったくの無関係、もちろん巻き込まれたこともねえし。だいたい、見てのとおりぴんぴんしてるだろうが。頭の中身はともかく」

 最後の一言が余計だ。

「要するに、こいつには何も心配することは起きていなかったと」

 ファルクのその説明にエルゼリンデも力いっぱい肯く。しかし、アルフレッドの愁眉が開く気配はない。

「……まあ、ミルファークには大事がなかったようだけど、何でファルク殿がそんなに詳しく事情を知っているんですか? そもそもミルファークははいつの間にファルク殿と知り合いになっていたんだ?」

 まったくもって、ごもっともな質問である。しかしファルクは動じることなく口を開いた。

「そりゃあ、今こいつは俺の部下だから」

「……!?」

 びっくりしすぎて声を上げそうになるも、さすがに場の空気を読んで思いとどまる。心の中では力の限り驚愕の叫び声を上げていたけれど。

 ぶ、部下って、単なるその場しのぎの嘘なのだろうか。だって、彼女の直属の上官はレオホルト隊長であるはずなのだから。

 アルフレッドもさすがに驚いたそぶりでエルゼリンデを凝視した。

「そうなのか、ミルファーク」

「ええっ!? えーと……そのー、あのー、実はそうなんです」

「第三団はほとんど機能してねえだろ。レオホルト男爵もしばらくは絶対安静で動けねえし。だから、お前はハンスのとこ預かり、こっちは俺預かりと」

 もしかして本当のことだったりして。妙に現実味のあるファルクの発言に、エルゼリンデも半ば信じかけたのだが、アルフレッドは違った。釈然としない態でファルクに詰め寄る。

「もともと同じ隊にいたのに何で違う上官の下に振り分けられるんでしょうか? おかしいじゃないか。だいたいファルク殿のところに僕の友人を預けるなんて、こんな非道は認められない」

「そんなの俺が知るかよ。もっと上の偉い連中に訊いてくれ」

 最初からめんどくさそうだったファルクの声が、いっそう投げやり感を帯びる。すると、アルフレッドは勢いよく頷いた。

「わかった、訊いてくる」

「ええっ!?」

 ファルクの言葉を真正面から受け止めたアルフレッドは、勢いを殺さずに踵を返した。

「ミルファーク、君の待遇は僕が何とかしてみせるからな」

 一度だけ振り返って意気揚々と告げる僚友の姿を、エルゼリンデは唖然と見送るしかなかった。ようやく再会できたと思ったら風のように去っていってしまったが、とにかく元気そうで何よりだ。

「ま、こうなることを狙って言ってみたんだが、にしてもあいつは頭がいいのか悪いのか、たまに分からなくなるな」

 ファルクの吐き出したため息は、開放感が7割、呆れ3割といったところか。

「……というか、ファルクさんはアルフレッド様にどう思われてるんですか」

 彼の言い分を聞いていると、自分が悪逆非道な上官の下で苦労している気分になってくる。

 当の上官はけろりとしたものだった。

「そうだな、何でも話せるお兄ちゃんってとこか」

 この口の悪い騎士は相当な楽天家か、途方もない鈍感かのどちらかに違いない。


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