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男装騎譚  作者: ヤナギ
第1幕 遠征編
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第7話

 「うわ。そんなこと言われたの、お前?」

 甲冑を脱ぎながら、ザイオンは黄土色の目を円くした。

「はあー、すげえ奴もいたもんだなあ」

 彼もやはりあっけにとられているようだ。

「うん、ほんとに。あんなに堂々とあんなこと言われるなんて思わなかった」

 エルゼリンデは寝台に腰かけたまま、深いため息をついた。ちなみに手当ては、ザイオンが帰ってくる前に済ませてある。幸い、悲しいかなほとんど平面とはいえ胸にはサラシをぐるぐると巻きつけておいたこともあり、そんなに酷いことにはなっていなかった。肩にはくっきり青あざができてしまっていたけれど。

 それにしても、とエルゼリンデの思考は、セルリアンのことから離れた。

 怪我をしても、うかつに人前で手当てもできない。なぜなら鎧はおろか、服も脱がなければならない場合だって考えられるのだ。そこまでは考えていなかった。つまり、この先酷い怪我をしたら女であることがバレてしまう。バレないようにするためには怪我は極力回避しなければならない。

 でも、今日の様子じゃ、それも難しいだろうなあ。

 ガージャールを含む一部の騎士たちの視線を思い出し、エルゼリンデはもう一度深々と嘆息する。

「まあ、あまり気にすんなって。貴族なんてそんなもんさ…ってオレもお前も貴族なんだけど」

 彼女のため息を、ザイオンはセルリアンのことと勘違いしたようだった。

「それにさ」

 甲冑をしまい終わったザイオンが、自分の寝台に腰かける。

「発言権のある金持ち貴族は、オレらと違ってマトモに訓練なんてする必要ないんだからな」

「どういうこと?」

 エルゼリンデは首を傾げた。

「普通、貴族が騎士団に入るのは、家柄と個人に箔をつけるためだからな。もちろん、レオホルト隊長とかルスティアーナ様とか王弟殿下とか、戦って武功を挙げてる貴族だっているけど、建国時に比べるとかなり減ってるって言うからな」

 大体の貴族はロクに戦わずに、騎士団に入って騎士として戦争に行ったという事実だけを持って帰ってくるのさ――そう言って、ザイオンは口の端に苦い笑みを閃かせた。

「そ、そうなんだ……」

 思いもよらなかった騎士団の裏側に、エルゼリンデはがっくりと肩を落とす。

 失意の同僚の姿を、ザイオンは呆れたように見やった。

「にしてもお前、一応貴族の端くれのくせに、そういう事情とか全然知らないのな」

 それはそうだ。そもそもエルゼリンデは女だし、父の職業だって文官。しかも父の気性もあるけれど、社交界にも縁がないほどの零落ぶり。

「つーかさ、ミルファークってどこ出身なんだ?」

 何となく、田舎だと思われてそうだな。そんなザイオンの口ぶりである。

「昔はリートラントのほうに住んでたけど、8歳からはずっと王都暮らし」

「そうなのか?」

 王都に住んでてこれかよ。ザイオンの呟きに、エルゼリンデはじろりと睨むことで応える。

「リートラントって結構西のほうだよな。ちなみにオレはシュヴァルツ出身。つーか、今も家族はそこの領地にいるけど」

 シュヴァルツはこの国の南の国境付近に位置しているはずだ。

「でもリートラントから王都に来たってことは、領地はどうしたんだ? 人に任せてあんのか?」

「うん……まあ、そんなとこ」

 まさか売ってしまったとは言えない。母や兄の病気のためやむなく手放したとはいえ、家の恥である。

「じゃあ、今親父さん何してんだ?」

「王立古文書館の司書。もともとそっちが本職なんだけど、お祖父さんが健在だったから、ひいひいお祖父さんの代に恩賞でいただいたリートラントの領地を任されてたんだって」

「へえ、文官の家系なのか。にしてはお前、ここでよくやってるほうじゃん」

「そうかなあ」

 昨日に比べて、褒められても喜びが薄い。自信喪失気味のエルゼリンデであった。

「ま、そう落ち込むなよ。メシでも食えば元気出るって」

 ザイオンは励ましの言葉をかけて、彼女の背中を軽く叩いた。



 部屋から食堂への道すがら。エルゼリンデは前方から見知った顔が歩いてくるのに気づき、歩みを止めた。

「レオホルト隊長」

 長い金髪をうしろで纏めた、典雅な青年に騎士の礼をとる。

「ああ、ミルファークか」

 レオホルトは小柄な部下を見下ろし、愁眉を寄せた。

「怪我は大丈夫だったか?」

「はい、おかげさまで」

 エルゼリンデは肯いたが、隊長はなおも心配そうな表情を崩さない。

「また今日みたいなことがあったら、すぐに私に報告しなさい。昔はともかく、あのような行為は軍規にも団規にも明文化されている。騎士たるもの、法には忠実であらねばならない。それに背いているのは明らかなのだから、いくら先輩とはいえ遠慮は無用だ」

「わかりました」

 もう一度肯くと、レオホルトは愁眉を開き、二人に優美な一礼を残して去っていった。

「……あれがレオホルト隊長か」

 姿が見えなくなってから、ザイオンが呟く。

「噂に違わず紳士的だよな。名門貴族にしては全然嫌味じゃないしさ。なんつーか、あの穏やかな雰囲気、あれはうちの隊長とは正反対だよなあ」

 思わずエレンカーク隊長の鋭い眼光を思い出す。確かに、まったく見事なまでに真逆だ。

「ま、レオホルト隊長なら安心じゃねえの?」

「うん、そうかも」

 昼間も毅然と対応してくれたし、今の言葉にしてもいい人そうだし、あの人が隊長でよかった。エルゼリンデはまだそう思っていた。





 3日目の訓練も、先日と同じ内容をこなしていった。

 昨日のことがあったからか、同じ分隊の人々の目は厳しかったり冷淡だったり無関心であったりと、決して居心地のよい環境ではない。だがレオホルト隊長が気を遣ってくれていたこともあり、模擬戦が終わっても何事もなく、エルゼリンデは僅かに緊張の糸を緩めていた。あとは来た時と同様、武器や荷物を背負って戻るだけだ。

 荷物は、水や食料、武器などが詰め込まれているという想定で、それと同じくらいの重さの石が詰まっているリュックサックであった。持ってみた時点ではさほど重くはないのだが、甲冑を着こんで背負い続けたまま長時間歩いていると、どんどん重さが増していくような感じがして、ある意味初めから重いよりも嫌な気分を味わえる。

 エルゼリンデが置かれていたリュックサックのひとつを無造作に取り上げようとすると、

「おい、そこのチビ」

 騎士の一人に声をかけられた。そちらをふり仰ぐと、騎士は手にしていたリュックサックを彼女に押しつける。

「お前はこっちだ」

 反射的に受け取って、その重さに顔を歪めてしまった。これでは背負うだけでもひと苦労だ。エルゼリンデはきっと顔を上げ、つき返そうとしたが。

リュックサックを渡した騎士は即座にその場を離れてしまった。ならば、とその荷物を置いて別のを取ってしまおうと思ったが、他の荷物も次々に、あっという間に持っていかれてしまう。

「………」

 自分への嫌がらせであることは、さすがのエルゼリンデも気がついていた。そして昨日言われたことを思い出し、頼りになる隊長の姿を目で捜す。そこへ、小柄な少年が近づいてきた。セルリアンだ。

「もしかして、告げ口する気?」

「告げ口? 違うよ。何かあったら報告するよう言われてるから」

 エルゼリンデはむっとした。告げ口と言われたら、こちらが悪いことをしているようじゃないか。

 睨まれたセルリアンは、しかしその一見にこやかな笑顔を崩さない。

「やめておいたほうがいいと思うな」

「何で?」

「君のためを思っての発言だよ? こういうのって慣例だし、君だけじゃなくて他の分隊でも普通にあることだよ。それなのに隊長に知らせたら、逆恨みされて余計に嫌がらせが酷くなるに決まってるじゃない」

「………」

 エルゼリンデは釈然としなかった。だが嫌がらせが厳しくなるのは……正直ごめんこうむりたい。

「だからさ、あまりこういうのは表に出さないほうがいいよ。どっちにしろちょっとの間だし、戦争が近づいたら余裕なくなってそれどころじゃなくなるからさ」

 ちょっとの間。その言葉にぐらぐらと心が動く。そうだ、出征までおよそひと月。たったひと月我慢すればそれでいいのではないか。

エルゼリンデは黙って通常よりひときわ重い荷物を背負うことにした。

 しかしそれまでの訓練で身体は疲労に悲鳴をあげている。そこへこの重い荷物である。集団のしんがりになりながらも半ば意地で半分歩いたが、足取りは縺れ、目の前が暗くなっていく。

「――ミルファーク、どうした?」

 ぼんやりしてきた視界に、誰かの顔が浮かび上がる。声で隊長だと分かった。

「顔が青い。疲れたか?」

 今のエルゼリンデには、その問いかけに答える気力も残っていない。それでも何とか足を一歩前に出そうとして。

 そのまま前のめりに倒れこむ。

「ミルファーク!?」

 レオホルト隊長がその体を受け止める。そして異様な重さに気がつき、柳眉を顰めた。

「……この荷物は何だ?」

 隊長の声が低くなる。

「いやあ、それはそいつが言い出したことですよ。普通の重さじゃ物足りないからもっと重くしてくれって」

 既に汗と眩暈で視界が閉ざされかかっていたエルゼリンデだったが、その声には覚えがある。ありすぎる。ガージャールだ。

「俺らは止めたんですけどね。でも彼のやる気に負けて許したんですよ。まあ、結局は無理だったようですが、自業自得ですよ」

ガージャールは抜け抜けと説明する。

「……そうなのか、ミルファーク?」

 レオホルト隊長が訊ねる。

 ――逆恨みで嫌がらせが酷くなるよ。

 セルリアンの忠告が耳に甦る。エルゼリンデは気がついたら首を縦に振っていた。

「……分かった。しかしその様子じゃこれ以上歩くのは無理だろう。馬で一足先に戻り、ゆっくり休むように」

 エルゼリンデは救護班の引く馬に乗せられ、先に兵舎に戻される。

 馬に揺られながら、エルゼリンデは悔しさと情けなさとやりきれなさに唇を噛んだ。でも、泣くわけにはいかなかった。


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