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男装騎譚  作者: ヤナギ
第1幕 遠征編
66/97

第66話

 ギルベルト・シュトフが死んだ。

 エルゼリンデが告げた事実に、ザイオンは黄土色の双眸を目いっぱい見開いた。

「ウソだろ……」

 そう呟いたきり、絶句する。ザイオンが驚愕するのも無理はない。自分だっていまだに信じがたい気持ちが上回っているくらいだ。

 沈黙が二人の上に静かに降り注ぐ。

 そういえば、あの夜のこと、結局聞けずじまいだったな。ぼんやりと考えるのは、彼と最後に会った夜の出来事。

 殿下をよろしく頼む。シュトフが残した言葉を胸中で反芻してみると、まるで遺言のようにも響く。こんな風になってしまったからなのかもしれないが、ひょっとしたらこうなることを予測していたのだろうか。そんな穿った見方までしてしまう。

 シュトフはどうして、あんな言葉を自分に残したのだろう。真意を問いたくても、肝心の本人はもういない。

 悲しみに心を囚われてしまいそうになり、膝の上に置いた手を握る。

「……なんかさ、信じられないよな」

 寝台に横たわったザイオンがこちらに顔を向けてきて、エルゼリンデの意識は現実に引き戻された。

「こう言っちゃ失礼かもしれないけどさ、シュトフさんって殺しても死なないタイプだと思ってたから、余計に」

「……うん。私も同じこと思った」

 微かに笑いながらザイオンの言葉に肯く。そうして、悲しいはずなのに笑顔を作れる自分にびっくりしてしまった。

「なーんかさ、オレより強い人たちが戦死して、自分が生き残るなんてな……分かんないもんだよなあ」

 体を軽く伸ばしたザイオンが努めて明るい口調で呟く。エルゼリンデは、黙ったまま再び肯いた。人の運命って、本当に不条理だ。

「あ、それはそうとさ」

 不意に彼の瞳がこちらを向く。

「お前のほうは大丈夫なのか?」

「え?」

 何を言い指しているのか把握しかねて首を傾げるエルゼリンデに、ザイオンはちょっと眉根を寄せて、いかにも深刻そうな表情を浮かべた。

「まだアルフレッドとは会えてないんだろ? 今日もさっき来ててさ、何でもお前が大変なことになってるかもしれないって、すげえ心配してたぞ」

「た、大変なこと!?」

 思わず目を瞠ってザイオンの顔を見返す。

 何か大変なことなんてあっただろうか。動きの鈍った頭を懸命に回転させる。確かに、今置かれている環境は「大変なこと」には違いあるまい。なんせ、どう考えても高位の人間が居住するような場所に部屋を用意され、しかも従者まで付けられているのだから。しかしアルフレッドはかなり心配してくれてるということだから、そういう意味ではないのだろう。

「うーん……別に、大変なことなんて何もないと思うけど」

 結局はその結論に落ち着く。

「そうなのか?」

 ザイオンも拍子抜けしたようだ。

「いやあ、あんまりにも深刻な顔で言うもんだからさ、てっきり何か変な事件にでも巻き込まれてんじゃないかと」

 ま、何もないに越したことはないけどな。彼は寝台に横たわったまま器用に肩を竦めてみせる。

「でも、早いとこ顔見せといたほうがいいと思うぞ。あのお坊ちゃん、変な誤解をしたまま突っ走りそうな気がするし」

「そ、そうだね。そうする」

 アルフレッドのこれまでの言動を顧みると、あながち冗談とも言いきれない。エルゼリンデは神妙に首肯して、ザイオンから彼がよく顔を出すという城内のサロンの場所を教えてもらった。



 ザイオンの見舞いを終えたエルゼリンデは、詰め所への道を戻っていた。ザイオンと話して気持ちも落ち着いたことだし、早くカルステンスに先刻の非礼を詫びようと思ったからだ――ちゃんと言える時に言っておかないと、次がどうなるかなんて誰にも分からない以上は。

 幸いにも、尋ね人はまだ詰め所にいた。いくつかある部屋の一角で、何やら書物を膝の上に広げている。

 躊躇いと、後ろめたさと。止まりそうになる足を戒めながらカルステンスの許へと向かう。椅子に腰掛けた彼は、頭上が翳ったことに気がついたのだろう、ゆっくりと顔を上げた。

「ミルファーク」

 軽く目を見開き、視線を落としていた書物を閉じて立ち上がる。

「何かまだ用事があったのか?」

 訊ねる端整な白皙に怒りや不快感は見られない。エルゼリンデはそのことに安堵しつつ、おずおずと口を開いた。

「あの、カルステンスさんに謝ろうと……先程は失礼なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした」

 勢いをつけて頭を下げると、顔を上げるよう苦笑混じりの声が落ちてくる。

「そんなこと、気にする必要はない。私も君くらいの――騎士団に入ったばかりの頃は、そういう反応をしていたから」

 カルステンスに言われるがまま顔を上げたエルゼリンデと、薄い水色の双眸がかち合った。

「慣れというのは、時に恐ろしいものだな。昨日まで普通に隣にいた友がいなくなったとしても、こうやって実感が湧かなくなってしまう」

 嘆息を零して窓外に目を移すカルステンスに、エルゼリンデはかける言葉など持ち合わせているはずもなかった。

「……あの」

 居た堪れなくなって、エルゼリンデは言葉を発する。

「そ、そういえば、カルステンスさんにお聞きしたいことがあったんですけど」

 平静を装う声にカルステンスの視線が彼女に戻される。

「戦いの前に広場でカルステンスさんにお会いした時、一緒にいた赤毛の騎士のかたなんですが」

「――赤毛? ああ、ファルクのことか?」

 どこかで耳にしたことのある名前だ。彼の返答にエルゼリンデは内心で小首を傾げる。

「ファルクさん、ですか」

「ウォルフガング・ヴァン・ファルク。本来は親衛隊に所属しているが、今回は本人たっての希望で第一騎士団員として戦列に加わっている。いちおう、私のもと同僚だ」

「し、親衛隊!?」

 エルゼリンデが仰天するのも無理はない。親衛隊といえば王室直属の警護部隊で、軍の直轄ではないにしろエリート中のエリート部隊だ。だが、彼女が驚いたのはそれだけではなかった。親衛隊は性質上、武勇のみならず容姿や立ち振る舞いに優れた人物が選ばれる。ところが昨日遭遇したそのファルクなる騎士は、見た目はともかくとして、少なくとも品行方正とは言いがたかった。

 カルステンスは、彼女の様子に軽く眉を顰めた。

「ひょっとして、ミルファークは奴に会ったのか?」

「え、はい、昨日……ちょっと道案内をしてもらいました」

 そのことを思い出して肩を竦めるエルゼリンデに、金髪の騎士は苦笑を滲ませた。

「まあ、にわかに信じられないのも無理はないが。態度と口の悪さはシュトフ以上に問題はあるが、根は好い奴だ」

「そ、そうですか」

 カルステンスに言われても、まだ半信半疑ではある。

「昔から父親と折り合いが悪くて捻くれたと本人は言っていたが……あの性格だ、友人も少ないし、折角だから仲良くしてやってくれると私もありがたい」

 な、仲良くというのは果てしなく無理っぽいのですが。エルゼリンデはすんでのところで言葉に出すのを堪え、とりあえず曖昧に肯いておく。カルステンスの態度を見るに、確かに悪い人間ではないのだろう。が、怖いことには変わりない。

 カルステンスが他の騎士に呼ばれたので、彼との会話はそこで途切れた。

 さて、次はアルフレッドに会いに行ってみようかな。まだ陽は充分高いし、あの広すぎる部屋に戻ったところで何もすることもない。エルゼリンデはザイオンに教えてもらった場所を胸中で復唱しながら、詰め所を抜けようと角を曲がりかけ。

 ふと足がぴたりと止まる。ちょうど進行方向に、鮮やかな赤い髪が目に飛び込んできたためだ。こちらに背を向けているが、明らかに誰とは知れた。ついさっきまで話題に出していた、ファルクという男だ。

 背中に冷や汗が伝う。どうしたものかと戸惑ったまま立ち竦んでいると、視線に気がついたのだろうか、ファルクが首を後ろに巡らせる――つまり、こっちを見る。

 気がついたときには踵を返して駆け出していた。別に逃げる必要などないのだが、昨日の出来事があるから何となく顔を会わせたくなかった。また怒鳴られたりしたらたまったものではない。

 追いかけて来ているのかは不明だが、とにかく反対方向へ、反対方向へと走ってゆく。やや狭まった回廊に差し掛かったところで彼女はようやく足を緩めた。

 横手を見やると、どうやら中庭のようだ。

 ……えーと。

 視線を四方八方に飛ばしながら、冷や汗が一筋頬を伝う。またしても闇雲に走ったりしたものだから、現在地がおかしなことになってしまった。

 ここが中庭ということは、アルフレッドのいるサロンは……当然、分かるはずがない。

 どうしたものか。とりあえずいったん立ち止まって、腕を組む。こうなったら無闇に歩き回るより、この場で誰か通るのを待つのが最善だろう。ただひとつ問題なのは、それがファルクだったらどうしよう、ということだけ。

 きっと「また迷子か」とか言われて、怒られるんだろうなあ。考えるだけでうそ寒い。思わず身震いをした、その時だった。

 がさりと木の葉が揺れる音が聴こえてくる。誰か来たのかなとエルゼリンデは音のした方向に視線を向け――

「あっ」

 小さな驚きの声が唇から漏れる。と同時に、彼女は音の方向に走り出していた。

 茂みをかき分けて中庭を横切った長身の男の影。あれはまぎれもなく彼女の従騎士、ナスカの姿だった。


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