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男装騎譚  作者: ヤナギ
第1幕 遠征編
6/97

第6話

 訓練2日目。

 この日は今の時期にしては珍しく、分厚い雲の絨毯が空一面に敷き詰められていた。

 今日も朝から弓矢や荷物を肩に背負いながらの行軍から始まる。

 エルゼリンデの足取りは、昨日より軽い。それには昨夜のエレンカーク隊長とのやりとりもあるのだが、何より早朝にお風呂に入ってさっぱりしたことが反映されている。

 お風呂も何とかなりそうだな。エルゼリンデは安堵していた。当初は着替えよりも入浴に心配があったのだが、目論んだとおり、さすがに貴族が多いとはいえ早朝に浴場を使う人間はいなかった。おかげでゆっくり――とはいかないまでも一通り汗を流すことはできた。

 そんなわけで、今日は気分も頗る良い。

 今日の訓練は行軍だけでなく、木剣を使っての模擬戦も行なうようだ。

 剣は、王都に越してきた頃から最近まで近所の騎士上がりの老人に習っていた。結構厳しいおじいさんで練習内容も子供の習い事としてはハードだったのだが、果たして本物の騎士団の中で、どこまで通用するのだろうか。

 エルゼリンデはちょっと不安に思っていたが、しかしこの分隊にはおそらく剣もマトモに持ったことのない貴族の子息もいる。驕るつもりはなかったが、それでも彼らよりはまだ使えるのでは、という希望も懐いているのだった。



 森を抜けた先に、騎士団の演習場がある。そこで早めの昼食を食べ、いよいよ実戦訓練に移っていく。

 まずは新兵同士で組まされる。エルゼリンデの最初の相手は、ひょろりと背の高い、あまりやる気のなさそうな青年だった。

 一礼し、互いに向き合って木剣を構える。

 青年はエルゼリンデを見下ろした。その表情は相変わらずやる気の片鱗も見えないが、どこか余裕を感じさせる。

 やる気なさそうに見せかけておいて、実はかなりの剣豪だったりして。エルゼリンデはいつか読んだ英雄譚を思い出しながら、彼を警戒していたが。

「……こいつになら勝てそうだな」

 何だって? エルゼリンデは兜に隠れた眉を上げた。要するに、体格的に有利だと思っての言葉であるらしい。

 ひょろいとかこまいとか、馬鹿にして! そりゃあ女だから仕方ないけど、だけど好きでこんな体してるんじゃないのに!

 白い頬を怒りに紅潮させ、握った木剣に力を込める。

 開始の合図と同時に、エルゼリンデは果敢に打ち込んでいった。思ったより勢いのある攻撃に相手の青年はたじろいだが、木剣を振り下ろして反撃に出る。長身を生かした攻撃に、エルゼリンデは小さいことを武器にした素早い動きで対抗する。

 木剣を振り上げてがら空きになった横腹に、思いっきり力を入れて木剣を叩き込む。相手が怯んだ隙を突いて二発、三発と続けざまに打ち込む。青年はとうとう尻餅をついて、勝敗は決した。

 次の相手も、最初の青年と同じ運命を辿る。

 よかった、甲冑は重いけど何とか体は動く。エルゼリンデはほっと息をついた。そこへ、新たな騎士が現れた。

「よう、坊ちゃん。なかなかのもんじゃねえか」

 聞き覚えのある声に、僅かに体を強ばらせる。目の前に立っていたのは、昨日の行軍途中、彼女に変なことを言ってきた騎士の一人だった。

 騎士は嫌な笑みを浅黒い顔に刻んで、エルゼリンデをニヤニヤと見下ろしている。

「新米相手じゃ物足りねえだろ。俺が相手してやるぜ」

 相手が木剣を構えた。エルゼリンデは出来ればお断りしたかったのだが、自分は新入り、相手は古参。目上の立場の者から稽古の相手に指名されて、断れるはずがない。

「……お願いします」

 渋々頭を下げて、木剣を構える。

「そっちから打ってきていいぜ」

 片手で木剣を持った男が余裕綽々に告げる。エルゼリンデはその言葉に従い、次々と木剣を打ち込んでいった。しかしやはり経験の差、体格の差は大きい。相手の騎士は彼女の攻撃を難なくいなす。

 そして、エルゼリンデの顔に段々と焦りが滲んだ、その時である。

 横腹に、鈍い衝撃が走った。

「……!!」

 息が詰まり、足もよろめく。そこへさらに頭上目がけて木剣が振り下ろされる。それは咄嗟に木剣で払うことができたが、男は素早く得物を引き、がら空きになった胸部に叩き込む。

 さっきよりも強い痛みに、目の前が一瞬白くなり、呼吸が止まる。打たれた部分から痺れが拡がっていく。とうとう立っていられなくなり、エルゼリンデは膝を地面についてしまった。この時点で負けである。

 が、

「おらっ、まだ終わっちゃいねえよ!」

 右肩を鋭く打たれる。全身を覆う痺れに耐え切れずに手をついて、そのまま崩れ落ちた。

「どうした、この程度でくたばるのか?」

 男の下卑た、愉快そうな声。彼は今度は足で反対側の肩を蹴ってくる。

 周りの人間は、その光景を見ても誰も止めようとしない。男と同じくあからさまにニヤニヤ笑っている者、気の毒そうにしながらも目を背けて見ないふりをしている者、まったく無関心な者……その表情もまたさまざまである。

 なおも下品な言葉を浴びせながら、男は蹴り続ける。


 ――武門に縁のない貴族の子息は不当な扱いを受けやすいからな。

 ――ミルファークみたいな、ひょろくて女のような顔してる奴は目立ちそうだからな。用心するに越したことないぜ。


 これまでに言われた台詞が甦る。これが、そういうことなのか。

 もはや意識も飛びかけたエルゼリンデだったが。

「――そこ、何をしている!」

 鋭い声が鼓膜を打つ。

「訓練でそこまでしていいと、誰が言った!」

 それはここの分隊長、レオホルトの声だった。彼の声にははっきりと怒りが含まれている。

 隊長の叱責に、男はようやく動きを止める。ところが、その口から出てきたのはちっとも悪びれた様子もない言葉だった。

「お言葉ですが、隊長。これは伝統的な洗礼なんですよ。彼みたいな生意気なのをつけあがらせず、騎士としての礼儀を教え込むための」

「だが、お前も騎士ならば今はそうした行為が禁止されるのを知っているだろう、ガージャール」

 レオホルトは、ガージャールという騎士の発言に毅然と応対する。

「伝統という名目で隊の秩序を乱す奴は騎士団には不要だ。次はない、分かっているな」

「……分かりました」

 ガージャールは不服げに、だが隊長には逆らえず頭を下げた。

「大丈夫か?」

 レオホルトはうって変わって優しい声をエルゼリンデにかけ、小柄な体を助け起こす。

「…だい、……だいじょうぶ、です」

 切れ切れながらも、何とか声は出せるようだ。エルゼリンデはそのことに少し安堵した。

「しばらく休んでいろ。――救護班、手当てしてやれ」

 レオホルトの声に応じて、白い腕章を付けた兵士が二人、エルゼリンデを両脇から支えて演習場の隅っこに引っ張っていく。

 そのまま手当てをするのかと思いきや。兵士は包帯と塗り薬をエルゼリンデの前に置いただけだった。思わず彼らの顔を見上げると、冷ややかな視線とかち合う。

 自分で手当てしろ、彼らの眼差しはそう告げていた。

 どうやら自分はよく思われていないらしい――その考えに行き当たって、エルゼリンデはぞっとした。

 今まで、こんな悪意や敵意を向けられたことなどなかった。それが今は、すぐ間近に感じるのだ。

 ……怖い。

 我知らず体が震える。そしておそらく、助けてくれる者、庇ってくれる者は、この隊にはほとんどいない。その事実が、エルゼリンデの肩に圧し掛かった。



「大丈夫?」

 突然明るい声が降ってきて、彼女は反射的に顔を上げる。目の前には、見知らぬ少年が立っていた。年の頃も体格もほぼ同じ、大きな鳶色の瞳がエルゼリンデを映している。

「あ、僕はセルリアン・ヴァン・イーゼリング。よろしく」

 怪訝な表情をしたエルゼリンデに、セルリアンという少年が名乗る。エルゼリンデも慌てて名乗り返した。

「ふーん、ミルファークね、よろしく」

 にこりと笑いかけられる。今の今まで悪意に中てられていたエルゼリンデには、少年がまるで天使のように見えた。

 セルリアンは笑顔のまま続ける。

「僕ね、君には感謝してるんだ」

「……感謝?」

「そう。だってさ、僕より女みたいだから、僕の代わりに目立ってくれてるじゃない」

「は?」

 エルゼリンデは眉根を寄せた。それはどういう意味なんだろう。

「もしさあ、僕が目をつけられたらどうしようと思ってたんだよね。そんなにいいところの家柄ってわけでもないし。だけど君のほうが家柄も悪くて可愛い顔してるからさ、身代わりになってくれて助かったよ。どうもありがとう」

「…………」

 あまりにあっけらかんとした物言いに、エルゼリンデは腹を立てるよりも唖然としてしまった。

「で、怪我は大丈夫? 手当てしようか?」

 セルリアンが訊いてくる。手当て。そこであることに思い当たったエルゼリンデはかぶりを振った。

「いや、大丈夫」

「ふーん、ならいいけど」

 さして心配もしていない口調ながら、興が削がれたようにセルリアンは言う。

「まあ、多分誰も話しかけてくれなくなると思うから、僕がたまに話し相手になってあげるよ。誰も見てない時限定だけどね」

 さらにそんな発言をされる。いまだ開いた口が塞がらないままのエルゼリンデは、きょとんとしながら、悪びれた様子もないセルリアンを見つめるだけだった。


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