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男装騎譚  作者: ヤナギ
第1幕 遠征編
27/97

第27話

 ちょうど昼になったことだし、腹が減ったから昼食にしよう。

 気を取り直したザイオンに提案されて、二人は市場の中でも食料品を多く取り扱っている区域へと移動した。

 所狭しとひしめく店先には、オアシスで採れた瑞々しい果物や穀物、羊肉、馬乳酒、バターやチーズといった乳製品がずらりと並ぶ。タレに漬け込んだ羊肉の焼ける匂いに食欲を刺激され、焼き肉や胡桃入りのパン、真っ赤なリンゴにトゥハーン伝来の品というお茶など、結構な量を買い込んだ。

「食いもんは安いんだな」

 広場らしき場所の片隅に腰を下ろしたザイオンは、そんな感想を漏らしてから、早速羊肉にかぶりつく。エルゼリンデも彼の隣に座り込み、パンをかじりながら行き交う人の流れを目で追った。

 昨晩のことがあるからなのだろうか、自然とその視線は女性のほうへと向けられる。彼女たちの肌の色や格好は様々であるが、皆それぞれ美しく輝いているように、エルゼリンデの目には映った。

 この遠征がなかったら。自分も今頃は平凡な少女として、いつもと変わらない平穏な日常を送っていたことだろう。それまでは家事と勉強、剣の稽古だらけの生活だったが、もしかしたら友人たちと異性や恋の話に花を咲かせるようになっていたかもしれない。

 遠征が終わればまた元通りの生活に戻れる――そんな風に思ってみても、それは所詮気休めの域を出ない。未来は、戦争という影に薄く覆われてしまっていて、確たる保証など存在しないのだ。

「まーた考えごとか、ミルファーク?」

 不意に横合いからザイオンの声がして、それから市場の喧騒が戻ってくる。エルゼリンデは2度3度と藍色の目を瞬かせ、ザイオンのほうに顔だけ向ける。ここ最近、やけに騎士らしくなってきた同僚は、彼女に肩を竦めてみせた。

「ここんとこ、考えごとしてるっぽいじゃん。初めて会ったときはあんまり能天気そうで、悩みなんかなさそうに見えたもんだけどさ」

「の、能天気って」

 少しばかり不名誉な物言いにむっとしたものの、エルゼリンデは反論できなかった。彼の言うとおり、騎士団に入ったばかりの頃は、何も考えていなかったも同然だったのだ。色々あるだろうけど、何とかなるに違いない。今までもそうだったから、きっとこれからもそうなるだろうと、あの頃は疑いもしなかった。もっとも今でも、自分だけのことならば何とかなると思っている。だが、そこに他人が加わってくるだけで、思い通りにいかなくなるのだ。

「……人間関係って難しい……」

 我知らずそんな呟きが唇から零れ落ちる。それを拾ったザイオンは、食事の手を止めて眉を顰めた。

「……おい、ミルファーク。お前まさか、また嫌がらせとかされてないだろうな?」

「嫌がらせ?」

 あんまりザイオンが深刻な表情をするものだから、言った当人が面食らってしまった。

「べ、別にないけど……?」

 どうしてそんなことを訊くのだろう。首をひねりながら答えると、ザイオンは安堵の息を漏らした。

「そっか。ならいいんだけどさ……昨日も言ったけど、もし何かあったら隠さないでちゃんと言えよ。ナスカとかセルリアンのこととか、お前も色々と大変なんだからさ」

 念を押すような強い口調に、エルゼリンデはただ首を縦に振るばかり。それを見届けると、ザイオンは鼻の頭をかいて話題を変えた。

「悩みごとと言えばさ、ミルファークはどうするつもりなんだよ? 遠征が終わったら」

「え?」

 エルゼリンデは藍色の双眸を瞠った。

「遠征が終わったらって言われても」

 つい先刻まで、まさにその問題で気落ちしかけていたところだったエルゼリンデは目に見えて口ごもった。

「あー、まあ、そりゃそうだろうなあ」

 無事に生還できるかなんて分からないし。ザイオンは腕を組んでもっともらしく肯く。しかしそのあとすぐ、からりとした口調でこう言った。

「ま、もし生きて帰ってこれたとして、だけどさ。ミルファークは騎士団にそのまま残る気はあんのか?」

 騎士団に残る? 思いもかけない質問に、またもや瞠目する。

 そんなこと、考えたこともなかった。そもそも騎士に憧れていたとは言え、本当になるつもりなどなかった。ミルファークとして、イゼリア子爵家の嫡男として王国貴族の務めを果たすだけだ。そうして、役目を終えたら晴れてエルゼリンデの名前を取り戻し、どこか家柄のつりあった貴族とでも結婚して平穏に暮らすのだろう。

「ええと、多分父さんの跡を継ぐと思うんだけど」

 まさか自分の将来設計を語るわけにもいかないので、兄がそうするであろうことを告げる。

「そっか。お前んとこ、文官の家系だもんな」

「そういうザイオンはどうなの?」

 今度は逆にエルゼリンデが訊ねる。するとザイオンは僅かに曖昧な笑顔を閃かせた。

「オレもさ、最初はあわよくばこの遠征で手柄を立てるかもう2、3年騎士団にいて出世して、それから郷里に戻って親父の跡を継ぐんだって思ってたんだけどな」

「今は違うってこと?」

「……今はさ、このままずっと騎士団にいてもいいかなって思ってるんだ」

 そこでいったん口を噤み、麻袋から取り出したリンゴをひとつエルゼリンデに放り、もうひとつを自分でかじる。

「このリンゴ、ちょっと甘すぎだな」

 日焼けした顔を軽く顰めてから、ザイオンは話を続けた。

「訓練は厳しいし貴族だの門閥だの、面白くない話も多いけどさ、オレは地方の一領主よりも、こっちのほうが性に合ってるかもしれないなって」

 確かにそうかもしれない。エレンカーク隊長の過酷な訓練も楽しそうにやっているし、めきめきと頭角を現してきている。おかげでエルゼリンデとは差がつく一方。

 ザイオンの言葉でその事実を自覚させられ、何となく悔しくなって、リンゴに八つ当たりするかのようにかじりつく。ちなみにリンゴの甘さはエルゼリンデにはちょうど良い。

「それに、ほら、エレンカーク隊長」

「……!?」

 何気なく放たれたその名にどういうわけだか過剰な反応を示してしまい、リンゴの欠片を詰まらせそうになる。幸いなことにザイオンはこちらに顔を向けていなかったので、彼女の動揺には気がつかなかったようだ。

「そう遠くないうちに将軍になるって言われてる人だしさ、いつかそうなったら、そのときはオレも直属の部下として、隊長の下で働けたらいいなあって思うわけだ」

 少し照れくさそうに、しかし少年っぽい笑みを浮かべて将来に思いを馳せるザイオンの横顔を、エルゼリンデはじっと見つめた。

「そっか、エレンカーク隊長…じゃなくって、将軍の部下かあ」

 それもいいかも、とエルゼリンデが心の底から同意すると、

「な? お前もそう思うだろ?」

 ザイオンの黄土色の目がさらに活気づく。エルゼリンデはかじりかけのリンゴを手にしたまま肯いた。

「じゃあ、そうなったときの階級は?」

「そりゃもちろん副将軍! ……って具合に上手くいくとは思わないけど、でも幕僚の末席くらいにいられたらいいほうなんじゃねえの」

 ザイオンは控えめな展望を語ると、エルゼリンデに向き直った。

「で、オレはお前もそうすればいいんじゃねえかな、なんて思ってるんだけど」

「……ええっ!?」

 いきなり自分に話を振られたのと意外な言葉に、エルゼリンデはびっくりしてリンゴを取り落としかけた。

 いったいどうしてそういうことに? そう問いかけると、ザイオンはさも当たり前、という風に平然と答えた。

「だってお前だって、エレンカーク隊長のこと慕ってるだろ? それにライバルがいたほうが張り合いがあって刺激になるし」

「ラ、ライバル!?」

 エレンカーク隊長を慕っている、という指摘にもどきりとしたが、それ以上にあとに続いた言葉のほうが引っ掛かった。出会った当初にも同じことを言われたが、あのときとは事情が違う。騎士としての実力も、体格でも差が開く一方なのに、いまだそう思われていたとは。

「そりゃあな、ミルファークはひょろっこいし腕力もあんまないけどさ」

 エルゼリンデが素直にそんな胸中を披瀝すると、ザイオンは芯だけになりかけたリンゴをかじりながら肩を竦めた。

「でも剣も弓もそこそこ使えるし、何だかんだで根性もあるし。正直言って実力はオレのほうが上だけど、でもうかうかしてるとするっと追い越されそうな、何か分からねえけどそんな感じがあるんだよな、お前って」

 だから気を抜かないためにも、ミルファークがいてくれたほうがいいんだよ。ザイオンはそう締めくくった。

「そ、そうかな?」

 エルゼリンデといえば半信半疑、誉められているのか何なのか把握できぬまま、微妙な表情で首を傾げる。

「そういうことだって。ま、オレは弟がいるから跡継ぎの面ではそんなに心配する必要ないんだけど、お前は別だろうし。無理にとは言わないけど、ちょっとは考えとけよ……ってまあ、そのためにはまず、遠征で生還することが第一だけどな」

 ザイオンは立ち上がりつつ陽気な表情で笑った。





 騎士団に残る、か……。

 従者の元へ顔を出してくる、と言うザイオンと城塞の前で別れて、エルゼリンデは宿舎への道を辿っていた。歩きながら頭に浮かぶのは、先ほどザイオンに言われた言葉。

 エルゼリンデはようやく気がついていた。このまま無事に遠征を終えて家に帰るということはすなわち、エレンカーク隊長と別れなければならないということに。むろんエレンカークだけではない。ザイオンにシュトフにカルステンス、王弟殿下やレオホルト隊長など、騎士団で出会ったすべての人間と。

 いったんそれを考えてしまうと、戻りたくなくなってくるから不思議だ。

 ――いっそのこと本当に男になれたらいいのに。

 そうすれば、騎士団に残ることができる。そこまで空想して、あまりの馬鹿馬鹿しさにひっそりと自嘲の笑みを口元に刻む。そうしてひとつ息を吐き出して、とりあえずこの問題は胸中の片隅にしまっておくことにした。色々と悩みが発生してから悟ったことだが、どうやら自分は一度に多くのことを悩めない性質であるらしい。だからこうして悩みごとを荷物みたいに収納する術を身につけていた。もっとも時折、何の前触れもなくひょっこり出てくることはあるのだけど。

 よし。心の中で気合を入れて気持ちを立て直す。

 そのとき俄かに視界を見知った人影が横切ったので、エルゼリンデは僅かに目を細めた。


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