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男装騎譚  作者: ヤナギ
第1幕 遠征編
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第17話

 レークト城滞在の目的は、もちろん休息だけではない。

 最大の目的は補給の整備である。ここで物資を新たに調達したり、徴兵され待機していた地方の民を合流させたりするのだ。

 だから従騎士はもとよりエルゼリンデのような平の騎士たちも、必然的にその作業に追われることになる。

 一夜明けて、エルゼリンデは朝からてんてこ舞いだった。家畜の数を数え、補充分の調達に市内まで走り、それらを羊皮紙に慎重に記入していく。筆記を要する作業は、騎士の中にも読み書きのままならない者が多いため、字の書ける騎士の担当となる。それが済んだら穀物や武器の搬入。休みなしに重い袋や樽を幾度となく運ぶこととなり、太陽が真上に来る頃にはかなりくたくたになっていた。

「おい、ミルファーク」

 よく知った鋭い声がかかったのは、ようやく穀物の搬入を終え、もとの持ち場に戻ろうとしたときだった。

「エ、エレンカーク隊長……」

 エルゼリンデは足を止め、体ごと振り返った。少しばかり狼狽してしまったのは、昨夜の不可解な出来事をまだ引きずっているからかもしれない。

 エレンカークは彼女の不審な態度に眉根を寄せたが、それ以上言及することなく手にしていた羊皮紙の束を軽く掲げた。

「これを城内の第三騎士団司令部に提出してこい」

 愛想のない声で指示され、エルゼリンデは狼狽の気配を残したまま了解を表した。

「あ、わ、わかりました!」

 そう応じて隊長の手から羊皮紙の束を受け取る。どうやら追加人員の名簿のようだ。

「で、それを届けたら休憩にしろ。しばらく戻ってくるなよ」

 命令口調で告げると、さっさと踵を返してしまった。エルゼリンデはきょとんとしたまましばし、せわしなく働く騎士や兵士の群れに混ざりゆく背中を凝視する。

 もしかして、気を遣ってくれたのだろうか。

 それに思い当たると、エルゼリンデの胸郭をこそばゆいような、形容しがたい気分が浸していく。そして、随分と軽くなった足取りで将軍らのいる城内へと歩き始めた。



 うわあ、と胸中で感嘆の声をあげながら、エルゼリンデは城内をうろついていた。

 城と称される建物の中に入るのはこれが初めてだった。王宮やこれから向かうゼーランディア城に比べれば小さいのだろうが、重厚な城門といい石造りの回廊といい、彼女の持っていた「城」のイメージを一歩も踏み外していない。

 それにしても、第三騎士団の司令部はどこにあるんだろう。

 回廊をあてどなく歩きながら、首を傾げる。実はそれすらも確認していなかったことにようやく気がついて、エルゼリンデは慌てて周囲を見回した。タイミングの良いことに、向かい側から官吏らしき人影が早足で歩いてくる。

「すみません」

 呼び止めると、まだ若い官吏は露骨なまでに怪訝そうな視線を向ける。

「あの、第三騎士団の司令部はどちらですか?」

「ああ、何だ、騎士団の人ね。多分3階のどこかにはあると思いますよ。階段はこの廊下を道なりに進んでいけばすぐ見えるので」

 きわめて大雑把な説明をして、彼はあっという間に早足で歩き去ってしまった。

 3階のどこかって言われても。エルゼリンデは若干困惑したが、とりあえず上に行ってみれば何とかなるだろう。エレンカーク隊長から預かった羊皮紙の束を胸に抱え込んで、再び回廊を進む。

 ――おや?

 中庭の先、反対側の回廊の一点に目が留まったのは、それから間もなくのこと。

 見慣れた浅黒い肌の青年が、平生と変わらぬ無表情で歩いていたのだ。彼女の従騎士であるナスカは、こちらに気づいていない。

 ナスカも城内に用事があったのかな。何となく声をかけるのも憚られ、エルゼリンデはその長身を黙って見送った。そしてすぐにナスカとは反対の方向へと、再び足を動かした。

 上の階に上ると、また手近な官吏をつかまえて同じことを訊ねる。運のいいことに、今度の官吏は丁寧に道を教えてくれたので、迷うことなく第三騎士団司令部の戸を叩くことができた。

「何か用か?」

 応対した中年の騎士が、ぞんざいな口調で言い放つ。エルゼリンデは少し怯んだが、すぐに気を建て直し、大事に抱えていた羊皮紙を騎士の前に差し出した。

「第三騎士団所属のミルファーク・ヴァン・イゼリアと申します。エレンカーク隊長から預かってきた書類を提出しに参りました」

 何とか平静を保った声で告げると、騎士はやや落ち窪んだ目でエルゼリンデを一瞥した。

「……分かった。しばしそこで待っておれ」

 言い終わらぬうちに扉が閉ざされる。なかば呆気に取られながらも、エルゼリンデはその命令に従うほかなかった。



 どれくらい時間が経っただろうか。

 エルゼリンデは扉向かいの壁に寄りかかるように座り込んだまま、深いため息を吐き出した。待っていろと言われてから、すでに二刻半は空しく過ぎているに違いない。

 ただ書類を受け取るだけなのに、どうしてこんなに待たされなければならないのだろうか。まったく釈然としないが、目の前の扉が開く気配は一向に感じられない。痺れを切らして何度かノックしてみたが、まるで音沙汰はない。

 ある意味休憩にはなってるのかもしれないけど。そんなことをつらつらと考えていると。

「――ミルファークじゃないか」

 不意に流麗な声が耳に飛び込んできたので、エルゼリンデは首をそちらにめぐらせ、藍色の双眸を見開いていた。

「……レオホルト隊長?」

 長い金髪をうしろで束ねた、貴公子然とした騎士が視界に映る。こちらへ向かってくるのを認めて、エルゼリンデはあたふたと立ち上がり、騎士の礼をとった。

「こんなところで何をしているんだ?」

 レオホルトが眉を顰める。

「ええと、書類を出しに来たんですが……」

 穏やかな碧眼が、部下の抱えている羊皮紙の束を捉える。それで聡明な隊長は全てを把握したようだった。

「なるほど、門前払いされたか」

 困ったものだな、と笑うレオホルトの表情は、苦笑と呼ぶには苦味が強いように感じられた。

「私が代わろう」

 次いで思いがけない一言が飛び出したので、エルゼリンデは畏まってしまった。レオホルト隊長は、そんな彼女を見て目を細めると、するりと細い腕から書類を抜き去った。あ、とエルゼリンデが声に出すよりも早く、おもむろに扉を開け放つ。

「おい、何の用……」

 先程の中年騎士が胡乱な目つきで現れ――眼前の隊長の姿を認め、顔を蒼くした。

「やや、これはレオホルト男爵。何か御用でしょうか?」

 エルゼリンデのときとはうって変わって、慇懃に一礼する。名門伯爵家の出自というだけで、こうも態度が逆転するとは。貧乏子爵家の令嬢は、憤りを通り越して感心すらしてしまう。

 一方のレオホルトは、表情も口調も険しかった。

「これを私の部下が出しに来たんだが、いつまで経っても受け取らないとはどういう了見があってのことなのか?」

 騎士は顔を強ばらせたものの、

「いや、こちらも色々と忙しいものでしてね、ええ。悪気があったわけではないんですよ」

 悪びれもせずに弁明する。レオホルトはなおも中年騎士を睨みつけていたが、時間の無駄と悟ったのか浅い嘆息を吐き出した。

「……まあいい。次は気をつけるように」

「分かりました」

 騎士は恭しい仕草で書類を拝受すると、そそくさと扉の内側に引っ込んでいく。

「あ、ありがとうございました、隊長」

 扉が音を立てて閉まったところで、エルゼリンデは礼を口にした。

「別に礼を言われるほどのことでもない。当然のことをしたまでだ」

 レオホルトが穏やかな笑顔を覗かせながらかぶりを振る。

 書類も出し終わったことだし、城に用事もないので、エルゼリンデもレオホルトと同じ方向へ歩き出した。

「最近、調子はどうだ?」

 彼女に並んだ隊長が訊ねる。その声に微量の懸念が込められているのを看取して、エルゼリンデはなるべく明るい表情で答えた。

「はい、何とかやっています」

「……それならいいが」

 それから城門を出るまでの道すがら、他愛もない会話を交わす。思えば直属の上司なのに、これだけ話すのは今回が初めてかもしれない。まあ、変な噂を流されたことも疎遠だった一因だけども。



 ふと気がつくと、ひとけのない場所に出ていた。城門は通り抜けていないはずだから、ここはまだ城の中ということだ。どこかの建物の裏だろうか。

「あの、レオホルト隊長」

 ここはどこですか、と問いかけようとして、彼の強い眼差しに阻まれる。

「……ミルファーク、話があるんだが」

 話? エルゼリンデは眉根を寄せて隊長の秀麗な顔を見返した。

「何でしょうか?」

 真剣で、ただならぬ様子を前に、自然と背筋が伸びる。何か重大な機密事項でも打ち明けられるのだろうか。

 息を呑んで次の言葉を待っているエルゼリンデから、レオホルトは逡巡するように顔を伏せた。心なしか、その白い頬が赤みを帯びている。

「こんなときにこんなことを言うのは卑怯かもしれないし、困らせるかもしれないが……このような機会が今後あるとも限らないから」

 決然と顔を上げ、ひたと彼女を見つめる。その碧い瞳には、どこか思いつめた光が宿っていて、エルゼリンデは何となく変な気分に駆られた。

「……落ち着いて聞いてほしい。私は、君が好きだ」


 奇妙な沈黙。

 何を言われたのかさっぱり理解できず、エルゼリンデは目を見開いて固まっていた。

 数瞬の沈黙を破ったのは、やはりレオホルトの熱っぽく、そして多量の自嘲を含んだ声。

「驚くのも当然だ。私は男で、君も男なのだから。世の常識にそぐわないことは分かっているし、自分で自分を嫌悪したこともある――だが、どうしようもないんだ」

 そう語るレオホルトの表情は、あまりにも真摯で、深刻だった。

「君がスヴァルトや他の騎士と話しているのを見かけるたびに、胸が潰れる思いだった。もし、君が女だったらどんなに良かったか……そう考えることもしばしばだ」

 由無いことを、と温和な隊長はまたひっそりと嘲笑する。

 女だったら。その一言に、エルゼリンデのほうは複雑な気持ちに陥っていた。自分はもともと女であるのに、それを隠し通さなくてはならない矛盾。どうしたらいいか分からない。

 それでも何かを言わなければ、という不明瞭な焦りに駆られて、エルゼリンデは口を開く努力を試みた。

「あ、あの……ええと、わ、私は……」

「何も言わないでくれ。これは私の我儘でしかないのだから」

 しかしその努力は無情にも遮られてしまった。レオホルトは痛ましげに顔を歪めて懇願すると、彼女の言葉を拒絶するかのごとく、素早く踵を返してその場を離れていってしまった。

 ひとり取り残された形となったエルゼリンデは、茫然自失の状態から回復できずに、ただ立ち尽くすばかり。

 しかし、それも長くは続かなかった。

「この前言ったとおりになったな」

 唐突に、横からよく通る低い声が割って入ったのだ。聞き覚えのある声に、エルゼリンデは反射的に顔を向けて。

 またもや愕然と硬直した。

 視線の先には、黒い騎士服を着た長身の男が佇んでいる。黒髪に蒼い双眸、鋭利に整った顔立ち。王宮で遭遇したときと違わぬ容姿があった。それはまぎれもなくこの国の――

「……お、王弟殿下……!?」

 愕然と、エルゼリンデは呟いていた。


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