ビー玉と地球儀
彼女はブランコを漕いでいる。
片手にビー玉を持って、太陽の光に翳して遊んでいる。ブランコの揺れに合わせて、反射した光が時々、僕の目に刺さる。
僕は集中できなくてぱたんと本を閉じた。
「それ、楽しいの?」
「別に?地球の果てはどこにあるのかなって考えてた」
「はあ?果てなんてあるはずないだろ。地球は丸いんだから」
彼女はときおり、こんな馬鹿げた事を言う。今の風は岩田さんとこの旦那さんがくしゃみをしたせいだとか、アイスが溶けてしまうのは冬将軍が怠けてるからだとか。
意味の分からない言葉が大半で、幼稚園児でも知っているような事を、知らなかったりするから、親切な僕はその度に教えてあげている。
「なんで地球が丸いって分かるの?」
彼女はブランコを止めて、体ごと僕の方を向いた。僕はやれやれと首を振ると、かの有名な言葉を口にした。
「『地球は青かった』初めて宇宙に行ったガガーリンの言葉だ。彼は当然、地球の色だけじゃなくて、地球が丸い所も見てる。それに、昔の人はいろんな根拠から地球は丸いんだって推測できたんだ。僕らはそれを常識で知ってる。当然だろ」
「おかしいよ。みんな知ってるなら地図も丸いはずでしょ。どうして地図は四角いの?」
「地球儀があるだろ。地図が丸かったら見にくいだけじゃないか」
彼女は納得できないというように、頰を膨らませた。しばらく僕を睨んで、再びブランコを漕ぎ始める。公園にはぎこ、ぎことブランコを漕ぐ音だけが聞こえる。
彼女はビー玉を手のひらで転がしてるようでさっきみたいに光は反射しない。ここぞとばかりに僕は本を開いて続きを読み進めた。
本に集中してどれくらい経ったのだろう。手元が少し暗い。日が暮れてきたようだ。風と一緒にどこからか風鈴の音が聞こえてくる。そこで、ブランコの立てていた音が聞こえなくなったのに気づいた。
彼女はもう帰ったのかな。
そう思ってブランコの方を見ると、帰っていなかったらしい彼女と目があった。
「なに?」
「もし、地球が丸いんだとしたら、このビー玉みたいに透明なのかなって」
「どうしてそうなったんだ?さっき言っただろ。地球は青いんだって」
何かを考えている様子だったと思えば彼女はいつもの通りとんちんかんな答えを出したらしい。彼女に常識を教えるには気が遠くなるような言葉の数と忍耐が必要だ。
「だって私に見えてる世界とあなたの見えてる世界はこんなにも違うんだもの」
ほら見てと言うと、ビー玉を指でつまんで僕に見えるように手を突き出した。
「これ、あなたにはどう見える?」
「……透明なビー玉だ」
そう答えると彼女はにんまり笑った。
「私にはあなたが映って見えるよ。ほら、違うでしょう?だから私の地球にはやっぱりどこかに果てがあるんだよ」
彼女の得意げな笑顔が好きじゃない。僕は正しいのに、彼女の言うことはでたらめなのに、僕の方が間違っているような心地にさせられる。
だから僕は彼女のいるこの公園に通ってしまう。
いつか彼女が常識を常識だと認めるその日まで、僕は彼女に会いにきてしまうだろう。