9. 夜空に星が、大地に異端の人々が
「でも本当に今日はいろいろなことがありすぎだよ。源技っていう物理法則無視の魔法みたいな力が使えるようになるわ、差し棒持って剣術指南を受けるわ、狼怪異に襲われて死にそうになるし、喋る獣や獣の人の世界に来ちゃうし」
ベッドに腰掛けたレンは、苦笑いを浮かべながら今日あった出来事を思い出す。
【波乱万丈と言えまスネ】
机の上のヴぃーが震えながら相槌をうってきた。
「ってか、そもそも向こうではいきなり空間が割れて、そこから出てきたスマホを――――」
その瞬間、レンの頭の中に一閃の光が走った。
そうだ、スマホだ。なぜ忘れていたのだろう。
レンがこちらの世界に来た直接の原因は、スマホに惹きつけられ、引っ張られたからだ。
あの時、不用意に空間から出てきた光るスマホに触らなければ、こちらの世界に来ていなかった可能性が高い。
(そうだ、そもそもこのスマホは―――自分の物じゃない)
レンは机の上に置いたスマホを凝視する。
黒色の一面が液晶ディスプレイのそれは、向こうの世界で見たような光は発していない。
さらにレンがあの時感じた、妙に惹きつけられる感覚も無くなっていた。
(割れた空間もそうだったけど、あの時のスマホも源粒子を纏っていた―――スマホが源具になっていた?)
レンは日本で見た最後の光景を必死に思い出す。
「これを調べれば、何かが解るかも」
そのレンの独り言に、ディルクが驚いた声を上げた。
レンは早鐘のように胸躍るのを感じながら、机のスマホを手に取った。
【どうかしましたか?レン】
ヴぃーの無機質な音声を無視して、レンはスマホを調べる。
ヴぃーが喋るたびに画面に映った線が振動するが、どうやら電源は入っていないようだった。
「ヴぃーの音声はスマホの機能には依存しない?独立している?充電はどうなっている?」
レンは考えをつぶやきながら、電源を入れるため側面のボタンを長押しした。
数秒後には果物のロゴが中央に表示された。日本でレンが使用していた機種と同様のものだ。
と同時に、レンは僅かな倦怠感を感じた。
ディスプレイに光が灯り、ホーム画面が映る。
当然のことながら電波の受信状況は圏外であった。
「ネットで調べものができたら良かったけど、さすがに無理か。基地局があるわけないし」
スマホに入っているアプリを確認してみたが、初期設定のままなのか、パッと見て、特に目立つ者は見当たらない。
電話、メーラー、カメラといった標準搭載されているものは確認できた。
だが、レンが日本で使っていたような、ゲームや英単語、SNSなどのアプリは入っていない。
ディルクはレンの右肩へと移動し、スマホを観察しようと試みている。だが、いい位置取りができないようだった。
(ディルクから見たら、自分が何してるか解らないんだろうな)
「ヴぃー、今スマホを触ってるんだけど、なにか問題ある?」
【いいえ、特には】
(やっぱり独立しているのか?)
そう考えつつホーム画面を眺めていると、見慣れないアプリが存在することにレンは気が付いた。
アイコンには、麒麟に似た黒い獣が雄々しく咆哮している姿が描かれている。
今にもその獣の慟哭に満ちた鳴き声が聞こえそうだ。それぐらいリアリティがあり惹きつけられる絵だった。
アイコンのラベルには”エルデ・クエーレ”と記されてはいたが、レンにはその単語の示す意味が解らない。
レンはそのアイコンに指を滑らす。
その瞬間、先ほどよりも強い倦怠感がレンを襲った。
先ほどの倦怠感は疲れからきたのだろうと考えていたが、今回のそれは明らかにおかしい。
何かが起きている。
レンはそう確信し、集中を画面から外した。
その瞬間異常に気付く。
(源粒子が流れてる!?)
レンの体の中の源粒子が、手のひらを通してスマホに流れ込んでいる。
軽く眩暈がして思わず倒れこみそうになるのを咄嗟に左手をベッドに突き出すことで防いだ。
「おい、大丈夫か?!」
ディルクの気遣わしげな声を聞くころには、源粒子の流入は終わっていた。
スマホに触ったときに感じた倦怠感は、これだ。
おそらく電源を入れた時も微量の源子が流れ込んでいたのだろう。
スマホに目を向けると、アプリは起動しているようだった。
「ねぇ、ディルク。エルデ・クエーレって知ってる?」
「――知ってるも何も俺たちの世界、それがエルデ・クエーレだ。」
エルデ・クエーレ。レンは口の中でその単語を転ばす。
やはり。このスマホは、こちらの世界と関係がある。
レンの心臓が波のように動悸をうつ。それは真理に近づくときの興奮と非常に似ていた。
レンはさらに操作を進めた。
先ほどのアプリを起動した後の画面には、上部にレンと大きく書かれ、下半分が4つに区切られており、通話、伝板、組員、位置というアイコンがあった。
先の2つは指で押しても反応は無い。
そして3つ目の“組員”というアイコンを押すと、そこには、レンを驚愕させる情報が映しだされた。
User1圏外
User2圏外
User3圏外
User4圏外
レンログイン中
(――どういうことだ?)
レンは背筋に冷たい氷を当てられたように身震いした。
言葉にならない焦燥がレンの頭の中にギリギリと軋み廻る。
今見た画面を自分の中で消化しきれないまま、レンはさらなる情報を得るためにスワイプして前の画面に戻り、“位置”というアイコンに指をつける。
ディスプレイにはコンパスが映し出された。
日本のコンパスアプリとほぼ同じ仕様であり、北の矢印はレンの右手の方を示していた。
スマホを回転させても画面上の矢印の位置は変動しなかった。
だが、一つだけ、普通のコンパスアプリとは異なるところがあった。
↑
User1
画面には北を示す矢印に加えてもう一つ矢印が存在する。その矢印は西から15°程北にずれた方角に向いていた。
そして、そこには”User1”とラベルが付随していた。
(まさかこれは)
レンの心の中に拭いきれない不安が染み込むようにジワリと心を侵した。
「何かわかったのか?」
途中から画面を覗きこむことを諦め、デスクのタオルの上で横になっていたディルクが、黙り込んだレンに話しかけた。
レンはその声を聞き意識を急速に現実へと戻した。
「自分が向こうの世界に戻るのに役に立つ情報はなかった」
そうか、とディルクは相槌をうった。そこからは僅かな安著が感じとれた。
「でも、わかったこともある」
レンは整理し終わった情報を解りやすく伝えるために、頭を働かせる。
「まず一つ目、自分と同じようにこっちの世界に飛ばされたニンゲンが、後四人いるかもしれないこと、そのうちの一人は、向こうの方角に居る可能性が高い」
レンは先ほどの“位置”アプリが示したUser1の矢印の方角を指さす。
そのレンの発言に、ディルクの宝石のように澄んだエメラルド色の瞳が皿のように丸くなり、灰色の顔に驚愕の色が浮かび上がる。
「二つ目。自分がこの世界に飛ばされた原因は自然現象とかじゃなく、人為的なものである可能性が高いこと。――――これに関しては、薄々そうかも、って思ってはいたけど」
そこまで言うと、レンは止めていた呼吸を再開するため大きく息を吸った。
「この源粒子を纏ったスマホと、その中のアプリは明らかに誰かに準備されたものだ」
「あぷり?」
ディルクが馴染みのない単語に対して質問してくる。
「あぁ、源具の中の源技能の設定みたいなもんだと思って。多分源鉱石も放置してるだけじゃ源具にはならないでしょ?」
レンが例えを出して軽く説明した。
「まぁ――――まだ確定情報ではないけどね」
そうディルクにしっかりと言って、レンは体を倒し、ベッドにその身を委ねる。
そしてポツリと呟いた。
「自分はディルクやダリウス達と出会えたから、こうして無事に安全な場所へと来ることが出来た。ヴぃーがいたからこっちの世界の知識も得ることができる」
「でも、もし何もわからないままこちらの世界に来て怪異に襲われでもしたら、悪人に出会って犯罪にでも巻き込まれたら、どうなっていたか」
言葉にすると、重い重圧がレンに伸し掛かってきた。
早く日本に帰りたい気持ちは、もちろんある。
でも、こちらに呼ばれたニンゲンの中で、このアプリに気付いているのは自分だけかもしれない。
もしかしたら、急がないと他のUserが手遅れになるかもしれない。
「…………できるだけ早くコンタクトをとる必要があるかも」
――――――――――――
スマホについての情報をディルクとヴぃーに共有したのちに、今後についていろいろと話し合った。
今後もディルクはレンと一緒に行動してくれること。
ダリウス達にどこまで事情を話すかの擦り合わせ。
レンの剣技、源技、体力増強の訓練方法に関して、等が主な議題だった。
【ダリウス達に付いていくことをワタシは勧めマス】
「なんで?」
【あのように情が深く寛容かつ社会的地位があるヒトはいないでしょう。レン、今後この世界で過ごしていくうえで彼と縁を繋いでおくことは有益デス】
「確かに悪くはないがっと――――お、そろそろ始まるぞ!外を見てみろ」
レン達が具体的に今後どう行動するかについて意見を出し合っているときだった。
急にディルクが会話を打ち切って、弾む声でレンに窓を見るように促す。
レンはそれに従い窓際に移動すると、夜空へと視線を上げる。
日本の田舎のように澄んだ夜空は、数多の星を際立たせる。
様々な色や大きさの星は今にもこちらに流れ落ちてきそうだ。
舞台の主役のように光を放っている青白い月も、日本のものと変わらず、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
(そういえば今日は七夕か――――)
といっても日本での話だが。
「昔俺たちの祖先は、ただの獣だったらしい」
夜空に魅入られていたレンに向かって、ディルクが唐突に語り始めた。
いや、もしかした独り言だったのかもしれない。
(あ、流れ星)
不動であった夜空に、一閃の短い閃光が生じた。
「食うか食われるかだけの単純な世界。ある時この世界、エルデ・クエーレに神獣が下り立った。神獣は、生きる獣たちに哀憫と、そして冀望を抱き、天から、彼らに源素を与えた」
ディルクの語りはまだ続いている。
子供にお伽噺を聞かせるように、はっきりと穏やかな声だ。
(あ、まただ)
流れ星は瞬く間に増えていく。
赤色の閃光が、水色、緑色、茶色、青色、紫色、白色、黒色が。
多様な色彩の輝点が輝く糸を引きながら、虚空を泳ぐ。
銀色と金色の閃光も見える。
それは、音の無い花火のように、無秩序に散っていく。
「源素は獣にヒトへの変異と、源技の発現という可能性を授けた。そうして今の俺たちが、ここエルデ・クエーレに在る―――――子供でも知ってるこの世界のお伽噺だ」
【中枢出版社。“神獣による天地再生とヒトの始まり”デス】
夜空で散り消える閃光は、勢いを止めることを知らない。
視界に、種々の閃光と天の川のごとく煌めく星、すべてを統べているかのように鎮座している月たちが漆黒のキャンパスを動的に彩っていた。
「一年に一度あるこの夜空の煌めきは、神獣がこの地に源素を与えたことを示すとして、“神獣綬日”として、国の祝い日になっている。神獣への感謝と先祖へ敬意を払う祭りが世界各地で開催されているんだ」
「そういえばまだ言っていなかったな、レン」
レンはディルクの言葉に耳を再度傾ける。
「ようこそ、俺たちの世界、エルデ・クエーレへ」
窓際に浮かぶディルクは、煌びやかに輝く夜空を背景に、レンにそう歓迎の意を伝えた。