79. 侵された大地に、澄んだ町フェルティグ
「―――うわぁ」
この世界に来てから何度になるかも覚えていない程に零した単語をレンはもらす。
レンには視界いっぱいに広がる森や山全体から、まるで火事でも起きているかのように、灰色の粒子が立ち昇っているのが視えた。
現在、スマホにより獣化したディルクの背にレンたちは乗っている。
レンたちの眼下には巨大な森が広がっており、その遥か上空をディルクは飛行していた。
通常であれば、標高が高くなるにつれて気圧が下がり地面の熱も届きにくいため気温は下がる。
だがディルクが炎源技を発現しているため、レン達は適温で過ごせていた。
「ある程度大きな街から離れたところには怪異が多いのかな。全体の約2割の大地が侵されてるってのは嘘じゃないみたいだ」
「確かにこうして上空から見ると、それを実感するわね」
隣に座っているレイが同意するように顔を顰める。
「レン君たちには怪異が汚染した土地かどうかわかるの?」アガタが不思議そうに尋ねる。
レンたちの後方にはアガタとテヲが座っている。
テヲは相も変わらず無口であり、アガタにぴったりと寄り添っていた。
「はい。なんとなく、こう感覚的にですけど。でもここら辺はかなり強く感じます。アガタさんは?」
「ん―――ごめんなさい、よくわからない。ただ少し気味の悪い森が広がっているなぁってぐらい」
アガタが目を閉じ眉間に指を当てて集中した様子を見せたが、曖昧な答えが返ってきた。
「これまで汚染された場所にも、怪異っていうのにも会ったことないから」
「テヲさんは?」レンがテヲにも尋ねた。
「―――――」
だが、テヲは数泊置いたのちに小さく首を横に振る。
「―――そうですか。あと少し行ったらフェルティグの町が見えると思うんだけど―――ディルク!高度を下げて、町やそこに続く道を探そう!」
《わかった》
レンの言葉を受け、ディルクがその巨体を僅かに前方へと傾けた。
《お、あれが町へと続く道じゃないか?》
ディルクがそう言ったと同時に、濃い緑と灰色の粒子で殆どが埋め尽くされていたレンの視界にも、茶色い一筋の線が映る。
「―――うん。あの道で間違いない。もう少し飛んだら降りようか」
――――――――――――――
(今のところ不審な様子は無いわね)
道を見つけてから5分程経ったのち、レイ達は大地へと降り立った。
レイはディルクから降りるためにアガタに手を差し伸べているテヲを注意深く見る。
やはりテヲからは闇源技を強く感じる。
レイがこれまで会ったことのある闇源技能の使い手は、レン、老師、ヤナの3人だけだ。
日本ではそもそも闇源技者は数えるほどしかいないとレイは聞いたことがあり、実際に会ったこともなかった。
テヲはその誰と比べても闇源技の気配が濃い。
(でも源技能者として、テヲが老師より上ってことはないだろうから―――)
最後にレンがディルクの背から降りると、レンがスマホを構えた。
そしてスマホとディルクが光を発すると、ディルクは小竜の姿へと戻る。
「わー!本当にお伽話みたい!」
その様子を見たアガタが手を叩きながらはしゃいでいる。
(アガタさん天然なのかしら?)
実際にファンタジーな状況に巻き込まれて一月以上経ったヒトの発言としては少しずれている気がする。
(アガタさんと、レンもディルクも天然が入っていて、不審な男が一人――私がしっかりしないと)
「よし、行くか」
ディルクが浮かびながら先導していく。その後にアガタとテヲが続き、最後尾をレイ達が歩き始めた。
レイが今歩いている道は馬車が一台ギリギリ通れるぐらいの幅であるが、地面には車輪の後は無く、所々ボコボコした土の道だ。
周りの森にはシダレヤナギやハシバミの木が生えている。森と同様にこの小道も既に怪異に侵されているようで、レイは独特の感覚を感じていた。
「―――こんな汚染された土地に囲まれたところに、ほんとに町なんてあるのかしら?」
レイは怪訝な表情を浮かべながらそう呟いた。
だが、そんなレイの懸念は数分後には払拭された。
周りの不快感と不安感を誘起するような感覚とは明らかに違う、
清廉で温かく安心感のある存在がレイの前方にいる。
歩くたびにその感覚は近づく。かなり巨大で、強力な感覚だ。
レイは歩く速度を落とし、レンへと近づいた。
「レン」「うん――これって」
「お、あれがフェルティグじゃないか?」
その言葉が耳に入り、レイは会話を打ち切ってディルクの方へと視線を向けた。
レイの身長よりも僅かに高い木の塀が連なっている。
塀は所々ボロボロに剥がされており、爪痕や破損も目立つ。明らかに獣との戦闘を経た傷つき具合であり、次に襲撃でもされたらすぐに倒壊しそうな程だった。
だが木の塀は、そんなボロボロさではあるものの怪異に侵された様子は無く、なおかつ強い光源技を纏っている気配を感じた。
「―――守護源技」
そんな木の塀の中心には開いた扉があり、傍には一人の梟獣人の青年が使い込まれた槍を持って立っていた。青年は獣人化しており、鋭い婉曲した黄色いくちばしをカタカタ鳴らしている。
「おい、ここはフェルティグの町か?」
ディルクが青年へと尋ねる。
「そうだが――あんた達は?」
突如現れたレイ達を警戒するように、梟属の青年は怪訝そうに返してきた。
「新進気鋭、怪異専門傭兵団‘異邦の銀翼’だ。怪異調査及び撃退の依頼を受けてこの町に来た」
ディルクは依頼書を青年の前に掲げ大きな声で言う。
(すごい――澄んでる、町も、ヒトも)
青年からも塀と同様の気配を感じた。テヲとは真逆の清廉とした力強い感覚だ。
このことに関してレンの意見を聞こうとしたが、レンの傍にはアガタとテヲが居たため控えた。
「レン君、なんだかこの町ボロボロだね」傍にいたアガタが小さな声で喋っていた。
「…………えぇ。そうですね」レンが顔を背け口元を抑えながら返答した。
「そうか!ようやく来てくれたか!前の傭兵団は怪異の群れが襲撃してきたときに逃げ出しやがって、代わりのが来るのを、本当に待ってたんだよ!」
先ほどまでの警戒した様子とは打って変わって、青年は喜びと歓迎の声を上げた。
「怪異に襲われたの!?」
レイが近づきながら確認する。
「あぁ1週間ほど前にな、町が壊滅しかけたが、何とか追い払ったんだ。だが、町はこの有様だがな」
梟獣人の青年が親指で扉の向こう側を指す。
そこには、木の塀以上にボロボロになった町並みが広がっていた。
民家の窓ガラスはほぼ全て割れており、良くてもヒビが入っている。応急処置として布で塞いでいるのが痛々しい。
木造の家の柱には怪異の爪痕や噛み跡が至る所に残っている。さらには血痕と思わしき黒ずんだシミが所々に飛び散っている。
家の中へと通じる扉は辛うじてくっついてはいるものの、今にも外れそうだ。
10軒ほどの建物が視えるが、ほぼ全て同様にボロボロだった。
戦闘の後の凄惨な光景がそこには広がっている。
しかしながら、町の住人たちが活発に修繕作業に励んでおり、ヒトビトの希望のある様子がレイには感じ取れた。
「あ、おいフリーダ、このヒトたちをおっちゃん、町長の所へ連れてってくれないか?」
梟属の青年が近くを歩いていた少女へと声をかける。
「だれ?」
フリーダと呼ばれた犬耳の生えた幼女がこちらに駆け寄ってくる。
年齢は8から10歳だろうか、レイの腰ほどしかない少女の背丈と、舌足らずな喋り方を見てレイはそう判断した。薄水色の素朴なワンピースを着ている。
フリーダの足元には真っ白な猫がいた。
「町を守りに来た傭兵団の方々だよ」
「ふーん―――弱そう」フリーダがポツリと呟く。
「んだと!この餓鬼!」ディルクがすかさず反応し、大人げなく凄みをきかせた。
「ちょ、こっち来ないでよ」
フリーダは手に持った編み籠を盾にする。
「まぁまぁディルクさん。落ち着いて」アガタがディルクに駆け寄り諌める。
「ありがとう―――おばさん!!」
「―――フリーダちゃんだっけ?私はまだ、若いの。だからお姉さんなの、わかる」
フリーダの両肩を掴んだアガタが先ほどのディルクと同様に凄みながら、言い聞かせている。一方でディルクは冷や汗を出しながら後退してきた。
「ふーん。でも、気にしてる時点で認めてるようなも「フリーダ!いいからさっさと連れていけ!」青年が会話を遮り、フリーダに怒鳴った。
「はーい。こっちだよ!行こ!ニャー!―――おばさんたち!着いてきて」
フリーダがアガタを振り切りこちらを見ながら走り出した。ニャーと呼ばれた白い猫がフリーダに着いていく。
周りで作業しているヒトビトがそんなフリーダ達の様子を見て笑っている。
「えぇありがとう!でも後でゆっくり話しましょうか、フリーダちゃん!」
アガタが明らかな早歩きでそれに続く。その後を無表情のテヲが黒いローブをはためかせながら着いて行った。
「怪異に襲われたにしてはこの町澄んでるし活気があって、ヒト達も感じが良いわね」「そうだな――っと俺たちも行くぞ。町長に現状と依頼の詳細を確認する必要がある――レンどうかしたのか?」
「――――なんでもない」
ディルクの問いに、レンが顔を顰めながら絞り出すように答えていた。




