77. 業界人と雑談内容
レイが個人的に必要なものを雑貨屋に買いに行っている間に、レンとディルクは場所を取るため先に食堂に入った。
レンたちが宿泊する宿の前にある食堂兼酒場は夕食時ということもあり、それなりに客が入っていた。
店内の狭さと活気のある様子が日本の下町にある食堂を彷彿とさせる。
「おひとりさん?」
赤色のエプロンを身に着けた猫属の女性がレンにすかさず聞いてくる。
手にはお盆を持っており、その上には麦酒の入ったジョッキと赤紫色の果実酒の入ったグラスが乗っていた。
「後でもう一人来ます」
「二人ね、そこの席でいいかい?」
女性は近くのカウンターを指さし尋ねてくる。
レンはそれに頷くと、頭の上にディルクを乗せたままそこへと向かう。
レンが店内の壁に貼られたメニューを見回しながら歩いていた時だった。
「ねえご主人――――アルテカンフで起きた勲者殺人事件のこと何か知らない?」
(!?それって………)
近くにいた女性の言葉が耳に入り、レンの意識はそちらに強制的に向かう。
頭の上のディルクもピクリと反応したのを感じる。
赤ら顔の猿属の中年主人にカウンター越しにアルテカンフの事件のことを話しかけているのは、若い女性だった。
赤色の太い縁のメガネをかけ、オレンジ色のロングスカートに白いシャツを身に着けた女性がカウンターの上に身を乗り出している。手には万年筆とメモ帳を持っていた。
豊満な肉体を有した彼女は店の中にいる男性の視線を集めている。
「―――んあ?あれは勲者の弟子の少年が犯人って話だろう?」
女性に目線を向けることもなく、洗った皿を拭きながら主人はそう答えていた。
「そんなことは知っているわよぉ。その少年について何か知らないかってことよ」
「そう言われてもなー、あの事件の直後はうちの店でも軽く話題になったが、神獣日報に書かれていたこと以上の情報はなかったぜ」
「そう、残念だわぁ。もし知っているなら―――いいことしてあげたのに……」
女性が主人の耳元で囁くように言ったのが、レンの耳にはギリギリ聞こえる。
「ほ、ほんとか?!」
主人が顔を赤らめてどもりながら、勢いよく顔を女性に向けた。
「冗談よ。じょう、だん」
女性が微笑みながら身を離すと、立ち止まっていたレンの方を見てきた。
「―――あら…………あら、どうも。あたしはフレイア。あなた――アルテカンフから来たの?あなたも何か知らないかしら?」
「どうも―――どうしてアルテカンフって思ったんですか?」
「あなたが首から下げてるその高価そうな指輪、それアルテカンフ産じゃない」
(老師からもらったこれってそうだったんだ)
レンが首元の指輪を掌に乗せて軽く観察する。
(この女性―――鋭くて目ざといな)
そして目の前の女性、フレイアに対して警戒心を抱いた。
「―――そうだったんですね。でも、自分も何も知らないですよ。確かにアルテカンフにいましたが事件の前だったので」
レンはさらりと嘘をつくと、女性の視線を振り切り椅子へと腰掛けた。
フレイアがさらに何かを聞いてくる素振りを見せた時、店の入り口からフレイアを呼ぶ男の声が聞こえた。
「―――フレイア、そろそろ行くであ」
紺色の薄手のロングコートを着た小太りの鼠属の男性がそこには立っている。
「あら―――それじゃぁ失礼するわね。もし事件のことで何か思い出したり、気が付いたりしたら、ここに連絡ちょうだい」
フレイアをそう言うと胸ポケットからカードを取り出し、レンに渡してきた。
中枢出版 社会部 第酉班
フレイア
王領中央王都北酉区第10番10地
カードにはフレイアの所属と会社の住所らしきものが記されていた。
(―――マスコミのヒトか)
「ここのカクテル美味しいからおススメよ―――それじゃぁ」
フレイアそう言ってウインクをすると手を振りながら店を出て行った。
「報道関係者か。流石に一般市民にとってもそれなりに衝撃的な事件だったみたいだな」
「――――そうだね。一瞬、勲者やヤナ達の関係者かもって警戒したよ」
頭の上のディルクの言葉に、レンはそう返しながら手元のカードを汚さないようにそっとポケットにしまう。
そしてスマホを取り出した。
「レン、すまほがどうかしたか?」
「ん、ちょっとね―――っと、レイさんからだ」
スマホが軽く震えると、上部にレイからのメッセージ通知が来た。
「レイから?」
「うん。もうすぐ着くって」
レンがエルデ・クエーレのアプリを起動し、伝板の項目をタップしレイとのトーク画面を開く。
そしてレイから再度「注文もしといて。あるなら焼き魚系で」、とメッセージが届く。
「―――ふん。通信用の源具もあればいいんだが、あれは個人で持つには高いからな。すまほでとりあえずの代用がきくのはまだましだが、いかんせん俺が使えないのが駄目だ」
ディルクが鼻を鳴らしながら呟く。己だけ通信手段を持たないのが不満らしい。
「まぁ、大したことには使ってないから。時々夜に雑談してるくらい」
「わざわざすまほ使って、文字のやり取りでか?」
「そうそう。源技能や料理についての意見交換とか、くだらない遊びしたりとか」
レンはそう言いながらスマホをスワイプさせ過去のトークを眺める。
レン【っで、大麻があったわけ】
麗【そう――――ふと思ったんだけど、老師はネカマだったってことよね】
レン【確かに、そう言えなくもない】
麗【晴信とかも実は女性だったりするのかしら】
レン【否定はできない。けど晴信のこと殆ど何も知らないからなー】
麗【じゃあ今ある情報で晴信の人物像を推理してみて】
レン【え、何その無茶ぶり。別にいいけどほぼ推測になるよ】
麗【それでいいわ】
レン【晴信は―――男性で年齢は成人以上。優秀な兄がいて兄弟仲は良いが、兄に少し劣等感を抱いている。人柄は穏やかで基本的に人に好かれる。趣味は文学的なもの】
麗【武田信玄?の弟の信繁?】
レン【よくわかったね。登録名が初めは晴信だったのに後でシゲにしたのが、兄への劣等感によるものだった、ていう妄想】
麗【妄想】
レン【妄想】
麗【おやすみ】
レン【おやすみ】
レンはその画面をディルクの方へと向けた。
「おい、俺はお前らの文字が読めないんだが―――ん?でも相手はレイなのか?ここ名前が書いてあるんだろ?2文字の奴がお前で、この1文字のは――」
ディルクがスマホの画面の【】の前を訝し気に指さしてくる。
「あー。こっちの文字には1音1文字じゃないのもあって、ここのレイさんの表示はそれを使ってるんだ。レンとレイじゃ似てて紛らわしい、ってレイさんが言ってね」
レンは麗という漢字の説明をする。
そして書かれている内容を読み上げ、ネカマやら武田信玄といった日本特有の言葉に関しても補足しながら、ディルクに聞かせた。
「――――――お前らってやっぱりニンゲンの中でも変わってんだろうな」
呆れながらそう一言感想を漏らすと、ディルクはレンの頭から降りて渡された手ぬぐいで手を拭き始めた。
レンも注文を取りに来た店員に向かって、川魚の塩焼きと骨付き肉の林檎ソースあえを注文した。
そして店員が持ってきた水を飲もうと手を伸ばした時、再度スマホが震えた。
レンは表示された通知に目を滑らす。
アガタ【さっきは言い忘れちゃったけど、二人ともこれからよろしくね!】
(―――感じの良いヒトだな)
今日初めてface-to-faceでアガタと話をしたが、アガタは常ににこやかに微笑んでいる穏やかな女性だ。
日本に夫と子供を残している筈だが、不安や悲観といった様子をおくびにも出さなかった。
(これなら上手くやっていけそうかな)
レンはそう思いながら、水の入ったグラスをぐいっと煽った。




