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40. 記憶

アルテカンフの街へと戻ったレンは、現在、山彦庵へと繋がっているダリウス邸の廊下を歩いていた。


三人でこの廊下を歩くことは初めてだが、歩く度に木造の通路はギシギシと音を立てる。特に未だに獣化したディルクは巨体であるため、床の悲鳴は大きかった。



「今日の夜は、ダリウス邸で今回の遠征の打ち上げをやるみたいだな」

レンの隣を歩いているディルクは、レンに話をふる。


「打ち上げ。この緊急事態の直後に?―――それって、ゲラルトさん達への口止めの意味があるのかな?」

レンは疑問に思いつつ、返答する。


「だろうな。街からさほど離れていないところに属性持ち怪異が出現したんだ。一般人に知られたら大混乱は免れないだろう―――少なくともほとんどのヒトがアルテカンフから居なくなるだろうな。もっとも騎士団はともかく、あの’’狼の牙’がどこまで今回のことを黙っていてくれるかはわからないがな」


ディルクが、口止めにさほど意味は無いだろうという素振りを見せながら、意図を説明してくれる。


「カルメン、今日は家に帰れないと言ってたわ」


レン達の後ろをついているレイが少し寂しげに言う。


「仕方ないだろ。王領への説明に今後の対策、早急に対応しなければならない事案が山ほどある」


「確かに。また、属性持ち怪異がアルテカンフに現れるかもしれないし、いや、こうなってくると他の街に出ても可笑しくは無いんじゃ?だけど―――怪異とか大地の穢れとかって、いつまでも隠し通せることなのかな?」


「―――さあな」


ディルクのその声はどこか悲観的な印象をレンに与えた。




――――――――――――――――





木造のこぢんまりとした平屋である山彦庵の入り口まで着くと、レンは濃い黒色に赤褐色の縞が入ったエボニーの扉を開いた。



「来おったか。ベーベ」



黒のローブを羽織った老師が出迎えてくれた。

その瞳はいつもと変わらず閉じられている。


遠征先の荒野で見た時の刺々しい雰囲気とは打って変わり、今は淡然たる姿を見せていた。


「ふむ、なるほど。レンに近しい気配、そやつがもう一人のニンゲンか―――そして、これは、“女帝”に組みする竜属か」


(女帝?)


老師が研究室へと歩き始めたので、レン達も慌てて後を追った。


研究室は応接室の奥にあるため、必然的に山彦庵の敷地の半分以上を歩くことになる。

応接室に初めて入るディルクやレイは、もの珍しそうにあたりを見回していた。


「ダリウスは如何な様子であった?」


老師が髭を扱きながらレンに尋ねる。


「えっと―――怒ってました」


我ながら馬鹿っぽい返答だ、とレンは思った。


「そうかそうか。あやつは不器用な男だ。過去の業を、未だ上手く消化できずにおる。だが、今回のことであやつの時も大きく動き始めるだろう」


老師は僅かに愉悦の表情を浮かべる。


「はぁ、そうですか」


「ダリウスには基本的な人運が圧倒的に欠落しておる。今まであやつの周りにはろくでもないやつが多かった。だがそれゆえ極稀にあやつにとって稀有な存在が現れる。それが、我であり、ディ-ゴであり、そして―――そなたなのだ、ベーベ」


(稀有な存在?)


老師の喋る内容の意味をレンは捉えきれない。


だが一つだけ理解したことがあった。


「えっと、やっぱり老師にとってダリウスさんは大事なヒトなんですね」


これまでの老師との会話の中でも、ダリウスの話題は非常に多く老師が常に気にかけているのを感じた。



「―――無論」



老師はそう言うと口を閉ざした。







―――――――




応接室は、今日の朝レンが見た光景と全く変わってはいなかった。


本が山のように積み上がり渓谷を作っている。もはや見慣れた闇源技能を纏った本や、半透明の辞書などが老師の机に置いてある。


(あれ?今日は反応しないなあの本?)


レンが以前に水浸しにした、音に反応し源粒子を集積する本は、今日は只の本のように静かであった。



床や壁には所々簡易版源技陣が浮かび上がっている。



レンは唯一ある大きな木の椅子をレイに勧めると、自分は近くの本の塔へと腰かけた。

床に僅かに存在するスペースにディルクはその巨体を寝かせる。巨体であるため、目線はそれほど下にはならない。


「じゃあ、始めますか。―――ってやば。自分スマホ置いてきちゃったみたいだ。まぁ、ヴぃーには申し訳ないけど、後で情報共有しよう」


レンはがポケットに手を入れてスマホを忘れたことに気が付いたが、今から戻るのは手間だと考え、そのまま話し合いを進めることにした。


「さて、なにから話し合うか―――」

レンが司会進行役を担い、議論の口火を切るための取っ掛かりを探し始める。


「私、あなたに聞きたいことがある」

レイが即座に言ってきた。


「何ですか?」

レンは意外に思いつつレイを促した。



「あなた―――源者ではないの?」


「へ?“源者”?」


レンは耳慣れない言葉に思わず聞き返す。


「源技能を扱える人間のことを日本では“源者”というわ。でもその反応―――本当に知らないのね」

レイが驚き目を丸く開いた。


「えぇぇ!嘘!?日本にも源技能者がいるんですか!?」

青天の霹靂だった。レンの体に雷が通ったかのように衝撃が走る。


「えぇ。正確には地球にも、だけど」

(外国にもいるのか!?)


「でも、自分はそんなの聞いた事ないです!」

レンは大声で反論した。


「“源者”は一般の人には、その存在は知られていないわ。仮に知られても一般人の記憶は消されるの。でも、日本には少なくとも数万人はいて、普通の人間に混ざって生活している」


レイがゆっくりと、教師が生徒に言い聞かせるかのようにレンに話す。


「―――もしかして、自分がいた日本とレイさんがいた日本は違う世界という可能性も―――いや、でも」

レンの頭の中で、グルグルと可能性が巡る。


「レイさん。七夕の日の前日にある右翼の人が起こした事件って知ってますか?テレビでニュースにもなった筈ですけど」


レンは確認のために、レンが知っている日本で起きたことをレイに質問した。


「7月6日午前9時。霞が関合同庁舎で起きた殴り込み事件の事?科学技術の在り方に対して不満を持った50代男性が文部科学省へと侵入し、職員に殴り掛かったらしいわね」

レイが淀みなく答える。


「―――同じだ」


レンとレイの世界は同じ日本だ。仮に違ったとしても限りなく似た世界だ。

レンはそう判断せざるを得なかった。




「結局どういうことなんだ?」

これまで、黙って話を聞いていたディルクが尋ねてくる。


「以前、自分はディルクに源技能なんて知らないって言ったけど、自分たちの世界でも源技能は存在していたみたい」


「そうか」


ディルクは驚くことも無く平然と答える。

どうやら、ディルクにとっては大した問題ではないらしい。


その様子を見て、レンは冷静さを取り戻した。


(そうだ。日本に“源者”が居ようが居まいが今は関係ない)


レンはすぐさま、頭を切り替えた。


「そっちの源技能の中には、別の世界と空間を繋ぐ源技とか、そもそもエルデ・クエーレは認知されているんですか?」


それがあれば日本へと帰る手段の手がかりになるかもしれない。といっても手段が確立して即座に戻るかどうかというのは、また別問題ではあるのだが。



だが、レンは一縷の期待を込めて聞いた。



「いえ。私は両方とも聞いた事ない」

レイが首を横に振る。


「そっか」

(まぁ。そう調子良くはいかないか)


「でも、私がこちらの世界に吸い込まれるとき、幼馴染と祖父が見ていたから、この異常な事態は認知されているはず」


「良かった!自分が吸い込まれたとき周りに誰もいなかったんですよ!ってことは、日本の源技能者が何かしらアプローチしてくれる可能性があるんですね?」

「えぇ」


細く淡い期待だが、何もないよりはレンの心に微小の平穏を与えた。



「――――もうひとつ聞かせて、レン。」

レイが改まって、再度質問してくる。


「ディルクから聞いていると思うけど私の名前は―――藤堂麗。レンあなたは?あなたの苗字は何?」


唐突にレイが自己紹介をしてくる。


「俺も同じ疑問を持っていた。お前始めて会った時自分はレンです、って言ってただろ?レイがお前の国のヒトは普通家名を持っていると聞いてな―――いや、言いたくないなら無理に聞こうとはしないが………」


ディルクも困惑した表情を浮かべながら聞いてくる。


「苗字?なんだそんなことか。そういえば言ってなかったっけ?自分の苗字は――――?」




そう。あれだ。普段書いているやつ。


あの漢字だ。


右手にペンでも持っていれば今すぐにでも書ける。


20年間以上書き続けてきた文字。



?おかしい。なぜだ。



どうしてだろう。思い出せない。



いや、文字は頭の中に浮かんでいる。


だけど、それに霧が、かかっているかのように、具体化しない。


いつも使っているはずなのに。


郵便物を出すときは書いているし、実験装置の予約も、いや普段使っているメールアドレスにも入っている。


そのことは思い出せる。




でも、でも、肝心の苗字自体が思い出せない。


記憶に霧がかかったように、その部位だけぼやけている。


何故だ。どうして。


これまで長年使ってきた。自分を表す家の記号のはずなのに。




家族。



そうだ自分には家族もいる。



「レン?」



レイが唐突に沈黙したレンに向かって声を掛けてくる。


家族?兄弟?



駄目だ。


駄目だ!


家族の名前も声も、顔も思い出せない。


絶対に存在するはずなのに。



そのことを認識すると、無意識にレンは唇を噛み締め、体が震え始めた。



「おい、レン!」


ディルクが焦ったような声を出す。




レン。


レン?


自分はレン?


なぜレンだと思うのだろう。


本当にレンというニンゲンだったのだろうか?


漢字すら思い出せない。


自分はカタカナのレン?


連?蓮?簾?



「駄目だ」



「駄目だ!――――思い出せない。自分の苗字も、家族も、友達も、学校の人も。これまでのエピソードは記憶にあるのに。個人を示す情報だけが、思い出せない――――なんで、なんで!今まで気が付かなかったんだ!?」



そのレンの言葉に、レイとディルクが茫然とした表情を浮かべた。



「嘘!?――――そうだわ!スマホは!?スマホなら名前とか連絡先とか載ってるはず!」



レイのその言葉に、レンは慌ててスマホを取り出そうとするが、部屋に置いてきたのを思い出す。


だが、以前ゲムゼワルドの宿で調べた時、そこには誰の電話番号もアドレスも記録されていなかったことも思い出した。


そして、それに疑問すら抱かなかったことも。



「駄目だっ―――何も思い出せないっ!!何なんだよ!っこれ!!誰なんだよっ!?自分は―――」



迷宮に迷い込んだかのように、の中でグルグルと思考が巡り今にも弾けそうだ。



「どうして!?私は覚えてる!!自分の名前も周りの人達も!私のスマホには電話番号もアドレスもある!!あなたと同じように!スマホによって、この世界に呼ばれたのに!」


「―――違う。自分は、自分は、目の前にスマホが突然、落ちてきたんだ。だから、これは―――――自分のスマホじゃない」



「でも、そもそもなんで、あの時自分はスマホを持っていなかったんだ!?。いや、学生証も!免許証も!個人を示すものを何一つ持ってない!財布すら持ってなかったんだ!」


おかしい。ありえない。


怖い。


これは本能的な恐怖だ。


明らかに異常な事態だったのに。


違和感の一つも覚えなかった。



「―――っそんな」


レイが焦燥感を含んだ声を出す。



「落ち着けっ!!知らないから、わからないから、恐怖を感じるんだ。こういう時こそ冷静になって考えろ!!今の自分の状態には必ず、理由が、意味が、ある」



レンは心の中で、自分自身を叱咤する。

そして、集中すべく指で本の背を叩いた。



少しずつ、頭の中の重く暗いものが減っていく。冷静さを取り戻していくのを感じる。



「もしかしたら―――スマホの機能なのかもしれない」

まだ、体の震えは治まらない。だが、思考力は戻ってきたように感じた。


「どういうこと?」

レイが聞き返してくる。


「こっちの世界に来て3つ気になったことがあった」

そう、この違和感は強く記憶に残っている。


「言語と免疫と源技。喋る聞くに関しては、日本語と違うのかすらわからないけど、文字に関しては、こちらの世界の文字は明らかに違ってる。けど、自分はこっちの文字を普通に書くことが出来る、勿論読むことも。むしろ意識しないと日本語の方が書けない」


「もう一つは免疫だ。こちらの世界に来て、一度も普通には体調を崩していない。普通に考えて、自分達はこちらの世界の病原菌やウイルス等の免疫を持っていないから、感染して発症する可能性は非常に高いはずだけど、それが全くない」


「そしてもう一つは源技に関して。想像だけどレイさんはこれまで幼少の頃から源技能に触れて学んできたんでしょ?だけど自分は、自分の記憶を信じるのであれば、こちらの世界に来て初めて源技能を知ったんだ。だけど、そんなニンゲンが―――こんなに源技能を制御、発現できるものなのかな?」


そのレンの言葉に、ディルクが口を開く。


「ここまできたら俺も正直に言おう。レン。おまえの源技能の成長速度は―――異常だ。才能を有しているという言葉でも説明がつかない程に」


「あなたの言いたいことがわかった。つまり、このスマホが私たちに何らかの力を与えている可能性があるということね」

レイが納得したように頷く。


「そう。それは“危機を根本的に打開できるヒト”として召喚されたニンゲン達を補助する意味があるんだと思う」


「でも、それとあなたの記憶が消されたこととの関係は?」


「確証は無いけど―――そのスマホの機能の一つに、“記憶の制限”があるんじゃないかって、もしかしたら“性格改変”もあるのかもしれない。じゃなきゃ、精神的な意味で一般人がこんな簡単に怪異と命がけで戦えないと思う」


そうだ。

今思うとなぜ戦うことを受け入れられたのだろうか。

何故この世界で前向きに生きていけるのだろうか。


自分の意志で選んだ。そう思っている。


でも、今となっては自分の意志にすら疑念を拭いきれない。



「ここからはさらに想像になるけど、自分たちが怪異と戦闘することは必須と考えた誰かが、より自分たちが戦いに集中できるように弊害になるかもしれない要因、つまり記憶や性格からくる常識や恐れを消すために、調整した」

レンはこの説明に当たって気を遣い言葉を選んだ。


(率直に言ってしまえば、スマホのせいで都合よく命を懸けられるように自分達は作り変えられたといっても過言ではないけど、レイさんと、勲者に近いところにいるディルクには面と向かっては言えないな)


レンの言葉を最後に、沈黙が場を支配する。


「あくまで可能性の話だけどね。それでもちょっぴり衝撃的だったかな」


レンが場の空気を換えるべく、おどけたようにそういった。


言葉にし他者に共有することでレン自身はそれなりに落ち着くことが出来た。


体の震えはもう止まっている。



「レンの言うことには一理ある、と思う」

ディルクが沈黙を破った。



「だが俺は、レンの“性格改変”に関しては、起きてない無いと思うがな!」


ディルクが楽しそうな声を上げた。

だが所々音やテンポがずれていることから無理やりそうしている様子が窺えた。


「本当にそういった調整をするなら、もっと豪胆でそれこそ物語の英雄みたいな性格に変えるだろう?――だが、こっちに来た当初のレンなんか子供みたいにびくびくしててな。知ってるか、レイ。こいつゲムゼワルドでダリウスと別れるかもって時に、目の前で泣いたんだぞ」


「っちょ!それを今言う!?――――そっちだって!ゲムゼワルドの戦いの後、宿で、“俺は自分が情けなくなった……”なんて、めちゃめちゃ情けない顔で謝ってきたくせに!!」


若干話が繋がっていないことを理解しつつも、レンはディルクに反撃を仕掛ける。


「両方とも、女々しいわね」

レイが一刀両断した。


「っ!レイ、お前もカルメンの家で数日泣き叫んでたらしいじゃねぇか!」

ディルクがさらに火を撒き散らした。



「――――煩い。黙って」

レイがディルクを睨み付けた。その眼光は鋭い刀を想起させるように尖っている。



「ディルク。あなたカルメンの家で大量に肉を食べたわよね。ハインが、あの馬鹿食いの太蜥蜴が、って言ってたわ。お腹の肉に気をつけなさい」


レイがすかさず、ディルクに言う。


場が一気に混沌とし始めた。




「―――っぶわっはっはっはっ!!」


突如、三人の誰でもない、笑い声が聞こえた。

笑い声は朗らかであり、明らかにレン達の様子を面白がっている。


「そなたらは面白いな!」

気が付けば、老師ヴァルデマールが、部屋の隅に腰かけていた。


「我の目の前で、そのような子供のなじり合いをするとは―――いや、貴重な機会であった」

老師は、本心で言っているようではあったものの、レンにとっては盛大に嫌味だった。




「うん、話を戻そう。とりあえず自分の記憶が調整されていることに関しては、今は置いておこう。すぐどうにかなる問題でもなさそうだし、一応弊害は生じてないし」

レンは、若干頬が熱くなったのを感じる。



「――――今後どうするかに関して二人の意志を聞きたい」



レンは、レイとディルクを見ながら強くそう言った。






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