25. 暗躍する者たちの動き
豪華な装飾で彩られた執務室は異様な緊張感に包まれている。
いや、自分がこの部屋に訪れるのが初めての経験だからこそ、そう感じるのかもしれない。
王領王都王宮第7小隊隊長である女性騎士、フランカの視界には部屋全体に敷かれた赤い絨毯のみが入る。
この部屋に入室を許されて以降、面を上げることは未だ許されてはいない。
前方に鎮座する巨大なローズウッドの机は鏡のように周りの風景を反射しており、その鋭さと冷たさは部屋の主の性格を映し出しているかのようだった。
フランカは今、第四勲兼エルデ・クエーレの国王、アマデウス・アドラーの執務室で跪いていた。
「―――して、ゲムゼワルドにおける怪異襲撃事件の経緯は以上になります。何点か不可解な点はありますが、被害がこの程度に抑えられたことは僥倖でしょう」
執務机の斜め前で、フランカの直接の上司に当たる近衛騎士大隊長が淀みない声で報告をする。
第四勲アマデウス陛下の懐刀とも称される彼は、優男風の狼属の外見とは異なり冷徹なことで有名だ。
天才と周囲に称され最年少で小隊長の地位に就いたフランカでも、彼の放つ気配には気圧される。
そして、
「ふん。余には嵐の前の静けさにしか思えんがな」
その声を聞いた瞬間にフランカの体全身が竦んだ。計り知れない圧力が伸し掛かる。
初めて言葉を発した部屋の主、アマデウスは高級そうな黒金色の椅子に深く腰掛けながら、心すら凍結させる程の冷たい言い方で評言をした。
齢60過ぎの熟年であるアマデウスは豊かな白い口髭を携えた狼属だ。
見た目は恰幅の良い老人だが、賢帝と称されるアマデウスは第四勲という地位が証明するように、フランカが想像さえできない程の強さを有しているのだ。
「はい。陛下の慧眼通りでございます。領主や現場の兵士は“あるヒト”の関与を隠しているとのことです。調査隊が傭兵たちまで調べを伸ばしたところ、そのヒトは怪異を差し棒の一突きで殺し、瀕死の兵士を奇跡とも見まごう銀色の力で再生したとの話が―――」
フランカは大隊長が話したことに関して俄かには信じられなかった。
そんな力を有したヒトが存在するならば、とっくの昔に話が広まっていてもおかしくない。
また、早急に保護すべき存在でもある。
「ふん。おそらくは召喚した“ニンゲン”だな」
だが、アマデウスは驚いた素振りなどおくびにもださず、隠しようもない憎悪を込めた声でその単語を言う。
フランカはそのアマデウスの物言いに、全身が震えそして体全身が凍えたかのように錯覚した。息苦しさも感じる。
“ニンゲン”
フランカもその言葉を耳にしたことは幾度かあった。
国の上層部や熟年の宮仕えが使っているのを小耳にはさんだことがある。
フランカはその詳細な意味を把握してはいないが、ヒトを表す言葉であること。
そして、少なくとも“好意的に使われる言葉ではない”という認識だ。
「えぇ。おそらくは。そのニンゲンは前第七勲ヴィルヘルム卿の近衛騎士、ダリウス・デュフナー卿の弟子とのことですが、真偽は定かではないと。」
「ヴァルデマール・ヴィルヘルムとダリウス・デュフナー。そうか―――アルテカンフか」
陛下が哀愁を滲ませた声で呟く。
「はい。おそらくニンゲンもアルテカンフに移動する可能性が高いのでしょう。アルテカンフは都市からかなり近いところまで死地となっています。さらに、最近では怪異の目撃頻度や種類の増加が報告されているところです。そこで怪異の出現とニンゲンに関しての情報取集を、個性派ぞろいの第7小隊に遂行させようかと考えていますが如何でしょうか、陛下」
数拍の間を置き、アマデウスはゆっくりと口を開く。
「――命ずる。“傭兵都市アルテカンフ”へと赴き怪異出現の情報を得よ。そしてニンゲンがいた場合、そやつを余の元に連れてまいれニンゲンは――――生きてさえいれば、それでよい。」
生きてさえいれば
言い換えれば“死んでいなければ状態は問わない”ということだ。
実質の武力行使の容認だ。
「神獣と陛下の名の下に。必ずや任務を果たしてまいります」
この部屋に入り、フランカが発した最初で最後の自分の存在を主張する言葉だったが、声は極寒の地で訓練をしたかのように震え、そして多大な力を消費した。
――――――――――
太陽が西の空へと沈み、神獣綬日のお祭りの賑やかさが無かったかのように、暗闇と静寂に大気は包まれている。
午前2時を過ぎ、ゲムゼワルドの住民は皆が床に就いている。
そんな中、怪異が出現したゲムゼワルド南通行門には2人の人影があった。
「やはり浸食されてはいないか」
人生の深みを感じさせるような渋みのある声が暗闇に僅かに響く。
顔の上部に漆黒の仮面を付けた男は、その黒一色の服装とも相まって夜の闇に寄り添っている。腰には太く長い両手剣が携えられている。
「作戦は―――失敗だ」
男は少し離れたところにいる少女に声を掛けた。
「はぁ?頭に虫でも湧いているんですかぁ!大、大、大成功ですよぉ!!」
過分にレースが装飾されている真紅のスカートと、大きなフリルの付いた袖を振りながら、硝子を引っ掻いたような甲高い声で少女は答える。
「まぁぁ確かにぃ、 “怪異で食材都市にちょっかいをかけて恐怖心を与えるぅ”という、 あの能無しのぉ、知性の欠片も感じられない目的は達成できませんでしたけどねぇ。ホントにぃ!!あの無能は死んでほしいですぅ」
少女はヒトを馬鹿にしたように喋りながら機嫌良く歩く。
「でもぅ!でもぅ!!!こんなに早くニンゲンの存在とその力を計れるなんてぇ!さいっっっこうですよぉ!!ニンゲンいやぁ。もうあの力じゃぁ――――化け物、でいいですねぇ!呼び方わぁっ!!」
仮面の男は興奮した少女の姿を見つつ、己の役目を遂行する。
「今後お前はアルテカンフに行き、実験を視察しろとのことだ」
「はあ、ババァの命令ですかぁ。面倒臭いですねぇ」
少女は先ほどまでの様子とは打って変わって、害虫でも見たかのような表情を浮かべ吐き捨てた。
しかし少女は次の瞬間には表情を再度変えた。
「そういえば、アルテカンフには可愛くて可愛くて愚かしい―――おバカちゃん達がいましたねぇぇ。様子を見にいくのも楽しそうですぅ。またわたしを笑い死させるくらい踊り狂ってほしいですねぇ」
「アルテカンフにも、世界に操られた憐れなニンゲンがいるという情報も入っている」
それを聞いた少女はさらに甲高い声を発しながら喜びを見せた。
「いいですぅ!いいですぅ!怪異で侵した大地とヒト!馬鹿カワイイ狂人に神獣の犬共!それに加えてぇ、“化け物”ですか!さいっこうですぅ!どんな絶望的な状況になるんでしょうかぁ!興奮して興奮して“傭兵都市アルテカンフ”を今すぐにでも壊したいですぅ!」
少女の甲高い笑い声が、暗闇と静寂に支配されたゲムゼワルド南通行門に鳴り響いた。
――――――――――
「やっぱりこの森は気持ち悪い」
森の中で目を覚ましたレイは、今の自身の状況に混乱しながら彷徨っていた。
多少のすり傷や軽い打ち身はあったが、己の治癒源技で治療を済ませた。
ジャケットや白いパーカーが所々土で汚れてしまっているが、そんなこと今は気にしていられなかった。
(ここはどこなのっ?)
心の中で叫びつつも頭の奥底では、ここがあの“割れた空間に映し出された世界の中”なのではという想像がチラつく。
(悠斗は!?お爺ちゃんは!?)
意識を失う直前に見ていた2人の人物を探しては見るものの、あたりは青々と茂った木々だけが視界に入るのみである。
風に揺られた葉が擦れ合う柔らかなリズム以外の物音すらも聞こえない。
当然人の気配も全く感じられなかった。
心細さが胸の奥から際限なく湧き出し、全身をじわりと侵食していく。
これほどの孤独を感じたのは、生まれて初めてかもしれない。
(夢なら早く覚めて!!!)
目を閉じ、耳を塞ぎ目の前の現実から逃げてしまいたい。
それでも、不明瞭な救いを求めて足だけは動いている。
目の前に開けた小道が見えた。
そこだけは日の光が強く差し込み、キラキラと光り輝いているように見えた。
レイは草を掻き分けそこを目指す。
ガサガサと音が大きく鳴った。
「だれだっ!!」
男の怒声がレイの耳に入った。その勢いにレイは、全身が雷で撃たれたかのような衝撃が走り、体を大きく震わせた。
だが次の瞬間、レイの心の中に期待の感情が生まれる。
(人だっっ!!)
レイは声が聞こえた方に顔を向けた。
そこには、赤銅色の鎧に身を包んだ兵士思わしき2人がこちらに槍を向けている。
奥にはさらに同様の格好をした3人の兵士と、彼らに囲まれた小奇麗な革鎧を着た熟年の女性が立っている。
そして、彼らの頭には三角の獣の耳が付いている。
(槍?!鎧!?獣耳?)
映画や、テレビなどの創作でしか見たことのない格好だ。
レイはさらなる非日常的な状況の直面に対し、混乱が増大する。
(だめだわ。意味がわからない。私はいったいどうなっているの!?)
「槍を下ろしては?見たところまだ年端も行かない少女ではないですか」
レイが混乱に陥り兵士に返答せずにいると、熟年の女性がおっとりと兵士を宥める様に話しかけた。
「し、しかしっ、カルメン様、立ち入り禁止区域であるこの森にいるなど―――カルメン様!!」
兵士にカルメンと呼ばれた女性は、静止の声を振り切りレイに近付いてくる。
「タージア領の領主を務めているカルメンと申します。あなたはどなたかしら?なぜここに?」
カルメンの、絹のようになめらかで柔らかい声にレイの心はゆっくりと現実へと向かった。返答の意志が心の中で首をもだげる。
「私の名前は藤堂麗。その――――気がついたらこの森にいたわ」
思わず敬語が抜けてしまった。近くにいる兵士の目がつり上がるのが見えた。
だが、カルメンは不快に思った様子を全く見せずに話を続ける。
「そうですか、一度街に行きお話を聞かせてもらってもいいかしら?」
「えぇ。構わない。でも街って?」
「ここは“傭兵都市アルテカンフ”から少し離れた森なの。」
「あるてかんふ」
街の名前として全く知らない単語だ。
ここはやはり日本ではないのだろうか。目に見えない不安と恐怖がレイに伸しかかる。
だが、あるてかんふ。それはどこかで聞き覚えがある言葉だった。
レイの頭の中でそれは、ささくれのように気を引き付ける。
カルメンの声に従いレイは彼らに付いていくことになった。さりげなく警戒した数人の兵士たちが対処できる距離に移動してくる。
そんな中、レイはカルメンや兵士と共に森を歩く。
太陽の日が入らない森の中とは違い、小道は青々とした空が大きく視界に入り爽快感を感じさせる。
兵士は2人ほどが先頭を歩き、3人が後方に位置していた。カルメンが中央で守護されるような配置だ。
そうだ。
思い出した。
レイが空間に吸い込まれる直前、
祖父である根古谷が、笑みを浮かべながら零していた言葉。
それが―――アルテカンフ、だった。




