カフェテラス 36
「かおりー、おきなさい 」
お母さんの声が聞こえるけどなかなか目が開かない。
昨日はお父さんと一緒に近所に飲みに連れて行かれて結構飲んでしまった。
最近はお酒も弱くなってしまったかも。
「おはよ・・・」
「いい歳した娘がそんな格好で・・・早く顔洗ってきなさい」
「朝からうるさいなー。もう」
「遅くまで飲むからでしょ」
「だってお父さんが前祝いとか何とか言ってさぁ」
「全く・・・いくつまで祝って貰うつもりなの?」
あの日からもう半年以上経つ。
長かったような気もするし、あっという間だったような気もする。
そして今日またひとつ歳をとってしまった。
「今日は出かけるんでしょ」
「うん。ごはんちょうだい」
お母さんは私のお尻をぺちっと叩いて、自分でやりなさいって言う。
それでもご飯があるだけ有難いと、私は自分でお味噌汁を温めた。
あの日、突然こっちに帰りたいと言った私に、両親は何も聞かなかった。
おおよそ男性問題だろうとか見当がついての事だろうけど。
先に到着した荷物に、お母さんは少し怒りながらも、部屋をきれいに片付けてくれてた。
お父さんは、疲れただろうからしばらくはゆっくりしなさいと言った。
結局何も話せなかった私は、本当に駄目な娘だ。
ノブさんは今でも私を探してるみたい。
まきちゃんの店に行って連絡先を訪ねたらしいけど
知らないことにして欲しいと私が頼んであったから。
ノブさんが彼女とあの後どうなったのかも分からない。
まきちゃんにも自分のことは何も話さないらしい。
あの時の私に出来ることは、彼から離れることだけだった。
私のノブさんへの想いはあの頃と変わらない。
だけど結局、私は彼に誠実ではなかったということだろう。
たった一通の手紙だけ残して出て行った私の事を、彼は怒ってるだろうか。
だけどこうするしかなかった私の気持ち
いつかきっとわかってくれると信じたかった。
部屋にある残りの荷物はすべて処分して欲しいと手紙に書いた。
何も言わなければきっと困るだろうし。
必要なものはカバンひとつで納まった。案外そんなもんだ。
こっそりとカバンに詰め込んでもってきたオルゴールは今でもずっと箪笥の奥に仕舞ってる。
テディベアのネックレスを入れたまま。
いつかきっといい想い出になるから。
その時までは開けないと自分と約束した。
この前、恵理子さんから赤ちゃんが産まれたと連絡がきた。
お母さんになった恵理子さんはきっと忙しくなってるだろうと思って少し間をおいた。
そして今日、仕事が休みなので赤ちゃんを見に行く予定。
ちょうど私の誕生日だし、みんなでお祝いしてくれるらしい。
今の仕事は、高校生の頃にバイトしてた喫茶店。
ちょうど人手が欲しかったと言われてすごく嬉しかった。
またコーヒーの香りの中で仕事ができるなんて。
あの頃と違うのは、昼は普通の喫茶店だけど夜はスナックに変身するってこと。
私が朝から夕方まで喫茶店をして、夜はママとあと綺麗なお姉さんたちと交代する。
この時代、喫茶だけじゃ経営できないとママは言ってた。
ママもだいぶ歳をとったけど、昔から凄い美人でスタイルもいい。
ちなみに未亡人で早くにご主人を亡くされてる。
できたら昼間はゆっくりしたいからというので、私が来たら助かると言ってくれた。
昔からの馴染みのお客さんがまだたくさんくるので、喫茶の方は続けたかったらしい。
ママの亡くなったご主人が無類の珈琲好きで、二人で一緒に始めたこの店を閉めることはしたくないそうだ。
忘れ形見みたいな店なんだろう。
サンドイッチとかピラフとか軽食ぐらいは出してるけどランチとか手の込んだものはおいてない。
だから食事目的にくるお客さんはほとんどいない。私一人で十分だった。
私と同じような珈琲好きが集まるお店って感じで、とっても静かな雰囲気が気に入ってる。
バイト時代の私の事を知ってるお客さんもまだ未だに来てる。
やっぱりみんな歳をとってて、そういう私も同じなんだけど。
今の私はお客さんから昼間だけママと呼ばれる。
ちょっと照れくさいかな。
夜も時々は手伝いたいけど、親があまりいい顔しない。
当たり前なんだけど、別にいいじゃんって思う時がある。
でもさすがに"前やってました"とは言えないからおとなしくしてる。
朝ごはんの後片づけをしてから車に乗り込んだ。
こっちに帰ってきてから、お父さんが必要だろうと言って車を買ってくれた。
お陰でだいぶ運転も慣れたし、お金は働いて返すつもりだけど
お父さん曰く・・・・・
「お前の結婚資金に貯めたお金だから別にいらない」
確かに結婚する気は今のところないけど・・・こりゃ嫌味だなとは思った。
出産祝いって何がいいのかなぁって考えながら、近くのギフトショップに寄ってみた。
可愛い靴が一番に目に留まって、さすがに早いかなぁっと思いつつも
早く歩けますようにという願いを込めてやっぱりそれにした。
女の子だからピンク色。レースもフリフリで凄く可愛い。
恵理子さんの家に着くと、まきちゃんとえみちゃんが迎えてくれた。
「ひさしぶりー」
「あんた、いい加減にしなよね。急にいなくなってさ」
あわわ・・・まきちゃん、相変わらずだなぁ。迫力ありすぎだよ。
「ごめんね。色々あってさ」
「もういいじゃん。ね ゆかちゃん」
えみちゃんも変わってない。良かった。
「きゃぁ!かわいいー。手 ちっちゃーい」
「でも痛かったー。まじ死ぬかと思ったよぉ。もう二人目いらない」
「みんなそう言うけど、すぐ次つくるんだよね」
お祝いに買った靴をみて恵理子さんは感激してくれた。
やっぱりこれにして良かった。
まきちゃんの奢りで、お昼から豪勢にもお寿司が届いた。
さすが、金銭感覚が私とは違う。
「ねぇ、ゆかちゃん知ってる?吉永さんって京子ママと別れたんだよ」
「えみっ!」
「えー・・・だってもういいかなって思って・・・・・ごめんなさい」
「そう・・・・・なの?」
「いいから。あんたにはもう関係ないでしょ。ほら 食べよ」
「待って、まきちゃん。香織ちゃんには言ったほうがいいんじゃない?」
恵理子さんの言葉で、まきちゃんは溜息をついたけど
それでもゆっくりと話し始めた。
「京子さんね、旦那にやり直そうって言われて元に戻ったらしい。実際お店もさっさと辞めたらしいし・・・全く あの人は・・・」
「吉永さんは?」
「さあ。うちには元々来ないし、特に何も聞かないよ」
それを聞いて私はすぐさま那美さんを思い浮かべた。
あれからも電話とか、最近ではメールのやり取りもしてる。
私はもう吉永さんの事は愛してない。昔愛したことのある男でしかない。
だから彼について何を聞いても何も変わらない。
でも那美さんは知ってるんだろうか。離婚の話は進んでないって言ってた。
じゃあ吉永さんは?今どうしてるの?
「あのね・・・実は私・・・・・」
みんなの意見も聞きたかったから、私は那美さんとの事を全て話した。
一同かなりの驚きようで、えみちゃんなんかは口をあんぐりと開けてた。
「信じらんない。そんなことってあるんだね」
「あんた、珍しいよ。ほんと驚いた」
そこまで驚かなくってもいいじゃん。人を変人みたいに。
確かに自分でもおかしいかなとは思ってたけどさ。
「吉永さん、今どうしてるんだろう」
「飲み歩いてるって話は聞かない。意外と一人でいるんじゃない?」
「でも自業自得だと思うよ。奥さんの気持ち、私今はわかるから・・・・・」
恵理子さんは妻と言う立場になったから・・・・・・
「私、那美さんに電話してみる。ちょっとごめん」
私はその場で那美さんに電話をかけた。
仕事中かもしれないから少し鳴らして
でなかったらまた後でと思ってたらほんとにすぐに出た。
『香織ちゃん、どした?』
「那美さん、今仕事中ですか?」
『丁度昼休みだから大丈夫だけど、何かあったの?』
私は休憩時間だと聞き手短に済ませようと、かいつまんで話をした。
那美さんは吉永さんが京子さんと別れたことを知ってた。
吉永さん本人から聞いたらしい。
だけど今は気持ちの整理がつかないと言う。
私は自分の気持ちを正直にぶつけた。
「那美さん、お願いします。きっと今吉永さん一人で那美さん待ってると思うんです。帰ってあげてもらえませんか?那美さんだってほんとはまだ・・・・・」
『香織ちゃん、でも私・・・・・』
「私との違いは紙切れ一枚だって那美さんあの時に言ったけど・・・その紙切れに頼ってたのはきっと吉永さんの方だと思うんです。吉永さんは・・・・・ご主人はずっと那美さんを愛してます。どうか許してあげてください。私を許してくれたように・・・・・・」
何も言わない那美さん・・・私の気持ちは届いたのかな。
『・・・・・・わかった。一度会って、話してみるから』
「ありがとうございます。」
『でもまだ戻るって決めた訳じゃないよ』
「わかってます。でも、もう一回だけチャンスあげてください」
『香織ちゃん・・・・・ありがとう・・・・・・』
電話を切ってから、ふたりは大丈夫だと確信した。
那美さんはきっとまだ吉永さんを愛してるはず。
吉永さんが離婚に応じないのだって、きっと今でも那美さんを愛してるから。
二人がまた元の暮らしに戻れるようにと心から願った。
恵理子さんが うまくいくといいねって言ってくれた。
私はこくんと頷いた。まきちゃんがお節介じゃないの?って言ったけど
あの二人はこれまで色々あったから。
私にできる償いはこれぐらいしかないから。
「それはそうとあんたのボス、また来たよ。いいの?ほんとに」
「ごめんね。何かまきちゃんにまで嘘つかせて・・・・・」
「何にも言わないで一杯だけ飲んで帰るんだよね。連絡きたら教えてくれってそれだけ。私は構わないけどさ。なんだか気の毒でさ」
「まきちゃんには悪いと思ってる」
「でも、香織ちゃん・・・・・」
恵理子さんは今にも泣きそうだったけど、それ以上は何も言わなかった。
私のためにみんな心配してくれてる。
えみちゃんには事情を話してないから、何?って顔してるけど。
「そのうちきっと忘れられるよ。お互いに」
「ゆかちゃんさ、自分だけ納得すればいいってもんでもないよ」
「私だって辛いよ。でも今は時間が経つのを待つしかないかなって・・・」
まきちゃんは私の頭をこつんとやって、馬鹿だねって言った。
でもちょっとだけ・・・目が潤んでた。
それから赤ちゃんをみんなで抱っこさせてもらったけど
怖くてすぐに恵理子さんに渡した。
恵理子さんはさすがママだから上手に抱いてる。
母親になった恵理子さんは、お化粧なんかしなくてもとても素敵で輝いてみえた。
夕方までみんなで喋って、まきちゃんたちはお店があるので私も合わせて一緒に帰ることにした。
またきっと来るからねと約束して、私は二人を店まで乗せて行った。
今からお化粧して励むわよってまきちゃんが意気込んでた。
また飲みにくるからねって言ったら、絶対だよってまきちゃんは言ってくれた。
帰り道、住んでいたアパートの前を通った時、懐かしさからかちょっと車を停めた。
ここで吉永さんがいつも私を降ろしてくれた。
ふと元の私の部屋の前に人がいるのが見えた。
きっと新しく入った人だろうとそう思ってたら
そこにいたのは何年ぶりかに会う私の大好きな人だった。
そしてその人の手にはブルースターがあった。




