上
「これって一体、どういうことなのかしら?」
「し、静音ちゃん…。」
アウネの民との戦いが始まり、激化の一途を辿る日々。
珍しく、小さな小競り合いさえも無かったある日の夜、家を抜け出していく双子の姉、奏音の後を秘かに追跡した静音は、信じられない光景を目にしてしまった。
見つからないように、そう思って隠れていたことさえも忘れ、静音は奏音達の前に姿を現していた。キッと睨みつけ、何時でも攻撃が加えられるようにと力を集める。
夜は、静音にとって最大限の力が発揮出来る最良の環境。
強く意識せずとも、多くの力が勢いよく集まってくる。
アウネの民との戦いによって、平和とはいえなくなった世界。軽々しく夜に出歩く者など、どうしようもない用事がある者だけで、それでさえも一人などという無謀なことは誰もしない。
それなのに、皆が寝静まった夜に、こっそりと音を立てないように人の目を気にして、大切な相棒である精霊獣の目さえも潜り抜けて、家を出て行った奏音。
光を司る、白の魔法少女である彼女にとって、夜とは力が半減してしまう、危険な時間帯だというのに。そうでなくとも、彼女が司るものは光、治癒や再生などの生み出す力であって、敵と直接戦うには一番向いていない。
危険を冒してまで何処に行くのか。
別に、静音は心配した訳ではなかった。
それを口にしてしまい、サブカルチャーに嵌まっている己の相棒である黒耀に「ツンデレ、乙!」なんて言われる光景が目に浮かんでくるが、本当に、本心から奏音のことなんて心配してない、と静音は闇に紛れ奏音の追跡をしながら心の中で叫んでいた。
双子として生を受け、共に育った姉。そして、お互いが対極にある光と闇。白と黒。
最近の奏音の様子が、何か可笑しいことくらい気づいていた。
元々、戦いを厭う優しい性分で、躊躇いを見せてはいた。だが、ここ最近は今まで以上に、魔法少女の相手となるアウネの幹部クラス達を目の前にすると様子が可笑しかった。
嫌な予感を、静音は感じていたのだ。
そうして追跡してみれば、その予感は大当たり。
人気の無い場所で、奏音を待っていたのは、魔法少女の大敵であるアウネの幹部クラス達。
その中心に居たアウネの民の実質、王とも呼べる中心人物、カウストが駆け寄る奏音を抱きとめた。戦っている間に一度も見たこともないような笑顔を浮かべ、周囲にいる幹部クラス達も苦笑を持ってそれを認めている。
何よ、これ。
一瞬、静音の目の前は真っ暗に染まった。
静音達の世界を知ってか知らずか、壊そうとしている異世界からやってきた敵。今も、決死の覚悟で倒そうとしている相手と抱き合い、笑顔を浮かべている奏音の姿に、静音は恐怖さえ覚えてしまった。
あれは、何?
あれは、誰?
あれは、魔法少女。癒しの力をもつ、この世界の光の体現者。慈愛に満ちた、人々を護ってくれる優しい白の魔法少女。
静音の姉で、共に侵略者と戦う仲間。
なのに、どうして敵と馴れ合っているの?
疑問はどれだけ考えても、疑問しか生まない。
どんなに考えても、理解なんて出来ない。出来るわけがない。
だって、よく物語なんかにあるみたいに、突然戦えって押し付けられた訳じゃない。世界を護る為、アウネの民達がこの世界にやってきたことで壊れ始めてしまった世界をきちんと説明され、そして自分達は納得して魔法少女になったのだから。
なのに、どうして!どうして…。
絶対に終わることの無い疑問。その疑問に対する考えも纏まらない内に、静音の身体は隠れていた闇の中から飛び出し、彼女達の前に降り立っていた。
「最近、なんかコソコソしてると思ったら、敵と仲良しこよししてたなんてね。一体、何を考えてるの?そんな馬鹿をやらかしてるのか、説明してくれるわよね、奏音!!!」
手に集まる闇は、何時でもその破壊の牙を彼等に放てる状態に。
アウネの民が、彼等の神から授かったという魔術によって、奏音が操られているのなら彼等を殺して解放すればいい。殺せずとも追い払って、奏音を管理者の下に連れていく。
異世界との穴を塞ぎ、アウネの民が持ち込んだ異世界の力を除去する為に身動きを取れずにいる管理者でも、それくらいならば何とかしてくれるだろう。
管理者がアウネの民を排斥したい理由。
管理者が永い年月を掛けて整えた、この世界に最も適した力のバランスを、彼等が操る異世界の神の力が乱して壊してしまうから。一つの世界には、その世界が抱える力や命の容量がある。それを越えてしまえば、世界は壊れる。管理者ならば修復するのも可能らしいが、そうするには最初から、今ある命全てを無かった時にまで戻してやり直さなくてはいけないらしい。
「それが世界を思えば最良の方法なのでしょう。ですが、私は世界に息づいている我が子達を殺したくなどないのです。」
祈るようにそう言った管理者の声は、静音の中に刻み込まれ、忘れることが出来ないでいた。
「だ、だって、私…私…。もう、戦いたくなんてないの。」
「はぁ?」
戸惑いながら、怒りに震える静音に怯えていた奏音が、何かを決意出来たのか真っ直ぐに静音を見据え、強い意思を持って言葉を成した。
その目は、決して操られているようなものではなく、しっかりと奏音の強い意思を含んでいる。
だからこそ、静音はその言葉に言葉を失ってしまった。
「私達と彼等、話し合えば分かり合えるわ。なのに、どうして戦わないといけないの。私達も苦しい思いをして、彼等も苦しんでる。だったら、手を取り合って未来を一緒に歩めるように、考え合えれば、それが一番でしょ!?」
「何を…言っているの?管理者の話を忘れたの?そいつらが、そいつ等は、私達の世界に侵略してきたのよ?話し合える?無理矢理来て、居座ってるくせに、話し合おうなんて馬鹿な話がある?今更そんな事を言ったところで、どうなるっていうのよ!?」
静音の怒りに反応してしまい、手の中に留めておいた筈の闇が矢のように勢いよく飛び出し、奏音の頬を霞めた。
「奏音!」
奏音の隣で、二人のやりとりを真剣な面持ちで見守っていたカウストも驚き、頬から血を流す奏音を抱きしめて庇おうとする。
その目は、奏音を攻撃した静音を睨みつけ、静音の天敵であるソーンを始めとするアウネの幹部クラス達も、奏音やカウストを護るように身構え、静音を睨む。
何よ、これ。悪者は私ってこと?
自分でも思ってもみなかった攻撃に驚いていた静音は、そんな視線に晒されて、自嘲の笑みを浮かべた。
「アウネの人達は、侵略者なんかじゃないよ。自分達の世界が壊れてしまって、皆死にたくないから逃げてきたんだって。そう思うのは、普通のことだよ。私達だって、戦いながら死にたくないって思うでしょ。それと一緒だよ。」
「…勝手に、無理矢理、こちらの事を考えもせずに来た瞬間から、そいつらは侵略者なのよ。」
頭が痛い。
昔から、こういう子ではあった。
優しい良い子。争うということが苦手で、怪我をしている人を見かけたら声を掛けるような子だった。老若男女問わず、好かれる人気者。
だから、奏音は光だといわれたときも、あぁと納得したのだ。
だけど、その光はこの世界のもの。異世界の人間にまで照らす必要は無い。
「それに、受け入れてどうしようっていうの?そいつらが居る時点で、世界は終わりへの一途を辿っているのよ?それとも、世界が耐え切れる限界まで、そいつらを減らす?もちろん、残った奴等からは記憶も力も奪い取ることになるわよ?」
そういう話も、管理者としていた。
本当の限界までには少し余裕がある。その程度ならば受け入れられはする。
それでも、この世界にはない魔術も、異世界の記憶も消し去らなければならない。世界に不要な乱れを残してしまうから。
「それは、管理者が彼らの神様と協力をしないからでしょう?」
「アウネの神と協力?」
「管理者だけだったら、駄目かも知れない。でも、彼等の神様と力を合わせれば、問題も回避出来る。二人も神が揃ったら、出来ないことなんて無いでしょ!?」
それは理論にもなっていない、ただの願い。
だが、そんな奏音の主張に、カウスト達は深く頷いて同意している。
馬鹿みたい。
そう思ったが、呆気に取られた静音の口は、音を発する状態にはなかった。
「自分の世界を壊した神が、何の役に立つんだか…」
っ!
今度は、静音の頬から血が流れ落ちた。
彼等の神を嘲る静音の呟きは、しっかりと彼らの耳に届いていた。
それぞれが、彼等の神から賜ったという延々と受け繋いできた血に宿る力を、魔術という形と成して静音へと向ける。
「我等の神は、理由も分からぬ内に壊れ始めてしまった世界から、私たちを救う為に力を尽くして下さったのです。私達を愛し、私達が幸せであれるようにと力を授けて下さったのです。そんな神を愚弄するのならば、絶対に許さない。」
最初に出会った時、神の最も近くに仕える大神官だと名乗った、ニコルという青年が強い眼差しで静音を見据える。
彼の隣で、手を前に突き出して常と同じニヤけた笑いを浮かべているソーンが今、静音の頬を傷つけた力を放ったのだと見てとれた。
「許さない!?」
頬から感じる痛み。仲が良いとは言えないまでも、それでも仲間としては信じていた奏音の裏切り。そして、静音が魔法少女として戦うことを了承した理由『死にたくない!』という感情。
それらが、ニコルの言葉によって大きく爆発した。
特に『死にたくない』という、静音の中に常に渦巻いていた声が、周囲にある闇という闇を巻き込んで、大きな力となって周囲に覆いかぶさっていく。
黒の魔法少女が司るものは、闇。破壊の力であるそれには、負の感情に呼応し、死者の声を聞いてしまうという面があった。
光の魔法少女は、喜びなのど正の感情を増幅させ、生きとし生ける者を奮い立たせることが出来るのだという。
青の魔法少女ならば、水に生きる者の声を。緑の魔法少女ならば、空に生きる者の声を。黄の魔法少女ならば、地の下に生きる者の声を。
火の中に生きる者が居ない為に、赤の魔法少女は何かの声を聞くということは無いのだと言っていたが、その代わり命の在り方に変化を促すという特殊な力を持っていた。
静音はずっと、ある死者達の声を聞いていた。
『死にたくない』
そんな声に、最近では静音が護りきれなかった人々の声までもが重なり、静音が知らない間にも重く冷たい負荷を背負わせていた。
管理者がその身を賭して塞ごうとしている穴。まだ完全に塞がっていないその穴から、静音は常にその声を聞いていた。
神が去り、辛うじて残っていた生者達が去った異世界には、闇と死者だけが残っている。僅かに残っているかも知れない生者も、絶望や怒りなどの負の感情に支配されているだろう。
異世界を包む闇と、静音がその身に宿している闇が、一つの言葉を持って共鳴してしまっていた。
共鳴した三つの声が大きな力の奔流を巻き起こし、一つの街を闇に閉ざした。
「嫌な夢。」
寝汗が酷く、目を開いてすぐに出した声は乾ききっている。
目を横に走らせれば、小さな鏡にボサボサになった黒い髪が前に垂れ下がり、その合間から青褪めた自分の顔が見えた。
さっきまで感じていた頬の痛みもなければ、傷痕も残ってはいない。
けれど、夢に見てしまった過去は、静音の心臓を痛いくらいに高鳴らせていた。
「あっ、静音さん。丁度良かったです。ご飯が出来ましたよ。」
「今…」
あの後、平和だった頃には別荘として使われていた山奥の一軒家を借りることが出来た。アウネの民との戦い以前から放棄されていた別荘はボロボロに荒れ果てており、静音も大喜びの格安さだった。
暖炉のある居間で、何時の間にか眠ってしまっていた静音に、台所から顔を覗かせたニコルが声を掛ける。
エプロンをして、お玉を持っているニコルの姿に、先ほど夢に出て来た冷たい真剣な目を静音に向けてきた大神官の姿は無い。
そんな彼に、少しだけイラついたのは、仕方ないことだと静音は思う。
そして、彼がどんな反応をするかも分かった上で、意地悪く夢の話をした。
「本当に、申し訳ありませんでした。」
落ち込むだろうと考えていた静音の予想を上回り、ニコルは土下座をして謝罪したのだった。