side:『邪神の子』はサクサク行くよ。
はぁ。
刹那は息を吐き出した。
彼の目的の場所は目前なのに、どうしてこんな…言い方は悪いがどうでもいい存在のせいで足止めされないといけないのか。
さっさとアウネの元に行き、終わらせたい。終わってしまうと、邪神に属する存在に成り果てている刹那はこの世界を離れ、邪神が管理する世界へと帰還しなくてはいけない。それに少しだけ寂しさを覚え、せっかく会えた静音との別れにジワジワとある感情が浮かんでくるが、それはこの世界に降り立った時から分かっていたことだ。
だから、覚悟は出来ている。
アウネ如き小物な神と戦うことにも、不安はない。
あれ以上の力を持つ神と戦ったこともあるし、神を殺す為に一つの世界に生きる全ての命を敵として戦った経験もある。そもそも、刹那が勇者となって初めての仕事は、あの邪神の世界で戦い抜き、あの邪神を飽きさせないように戦うことだったのだ。
自身の世界を浅慮で滅ぼし、他者の世界を戦うのではなく甘言で奪い取ろうとしている、愚かで卑小な神如きに全力を出すことも惜しい。油断と侮りが命取りだと身をもって知っている刹那だったが、そう思わずにはいられない程、アウネの事を『神』の一員とは認めていなかった。
別れの覚悟もあり、神と戦うという不安も持たない刹那が今、胸の中に渦巻かせているのはたった一つの予感だった。
それは予感の段階ですでに大問題だと刹那の頭を悩ませる。彼の主-神々などの至る存在に『主』という言葉に『父親』というルビを確実に付けられている-邪神が大人しく戻ってくれるか、ということだ。
どうも、『世界の管理者』の相手をしている様子を、親子と言われる程に繋がれた感覚を通して探ってみれば、なんだか絶対に大人しくはこの地を離れてくれないような気がしてならない。いや、『アウネ』のように馬鹿な真似、行いはしないであろう事は確かだ。そんな事を仕出かす愚神ではない、あの人は邪神なのだから。ただ、この世界に馴染ませた邪神の力のこともあるし、何か…そう『邪神』がその名の通りの何かを仕出かしそうな予感が、刹那の頭の中で警鐘を鳴らしている。
似たもの親子、と言われる程に似通う思考回路と、これまでに築かれた深く濃い繋がりが、刹那にその警鐘が予感では終わらないということを知らせていた。
頭が痛い、と刹那は溜息をつく。
邪神が考えているだろう事、それを頭を回転させて思い描き、一瞬でもそれを「良いかも」なんて考えてしまった自分を、刹那は少しだけ嫌悪した。
そして、自分自身に向ける嫌悪と、その一瞬だけ想像してしまった"刹那にとって幸せな未来の一幕"を振り払う為、刹那はあまりの情けなさと、醜さに目を逸らしてしまっていた、目の前のそれに目を戻した。
平原葵という名の、大地に通じた魔法少女の成れの果ては今、刹那の僅かな力も発揮していない一撃によって、床に倒れこんでいた。
刹那にしてみれば、何もしていないのも同じ。腕を横に振るう程度の動作によって、倒されるという醜態。これが本当に、刹那を楽しませてくれる静音と肩を並べていた魔法少女なのか、と落胆の声を漏らした。
刹那がただ、そうただ表情を変えただけで、悲鳴を上げてへたり込んでしまったそれは、カタカタと身体を震わせて怯えた表情で刹那を見上げていた平原葵。その時点で、刹那の興味を引く存在ではなかったが、ラジオ体操代わりにもならない弱さに、怒りさえ覚える。
生きとし生ける命を支え、優しく包み込む、豊穣の大地。
それは、神という存在を目に入れることの出来ない只人が"女性"として神話に表す事が多い。
どっしりと大らかで、その豊満な包容力で周囲に安らぎをもたらし、広き目と知性で人々を支え導く。それが、刹那が様々な『世界』を見て回って、大地の属性にあるとされる存在達を見て感じたものだった。慈悲深く全てを包み込み、怒りを露にすれば何処までも恐ろしい存在。
なのに、この世界のその最たる者である、地の魔法少女は違った。
地を司る魔法少女だった、平原葵。
今は、アウネ神の巫女のような役割を演じているらしい、とは世界に満ちた邪神の力が教えてくれる。彼女が司っていた大地が、それを伝えてくれるのだ。
アウネ神が傍に置く巫女としては、大地に属する魔法少女は適任だろう。
無知で愚かな子供としか言い表せないアウネ神を満足させるには、慈母の性が必要だろうから。
あぁ、そうか。
刹那はある考えに思い至った。
ニコルがあっさりと排除されたのは、この新しい巫女が居たからか、と。
慈母のようにアウネ神を慰めてくれる巫女をアウネは傍に置いた。けれど、その巫女はニコルという恋人が居て…。
あぁ、本当に馬鹿で愚かで、ガキだな。
『そうだ、あれは昔っからどうしようもないんだよな、本当に』
呆れきった声と共に聞こえてくるのは、それにはあわないクックックッという笑い声。刹那と共に爆笑した先程よりは抑えられたその笑い方が、静音や『管理者』に対する興味よりも、アウネ神に向けるそれが格段と下にあるのだと刹那に知らせる。
「さてと、」
刹那は呼びかけた。
「地の魔法少女を回収してよ」
“ご苦労さん”
瞬きの間もなく、平原葵の姿は消える。
戦いたい、という想いも浮かばず、その必要性も感じなかった敵なんて、実は初めてだった。
これがきっと、静音だったらどうか。
刹那はそう考えてみた。
黒の魔法少女である静音が刹那の敵として、目の前に現れたのなら。
敵わないと分かりきっているだろうと刹那が『神殺し』としての本気を見せつけたとしても、きっと彼女は床に座り込むようなことはしないだろう。そう、今の葵のような無様な姿は晒さない、絶対に。
ボロボロになっても、身体が動かなくなっても、静音なら刹那をずっと、ずっと睨みつけたまま、弱音を見せることもしないだろう。
「どうしようか」
刹那は、魔法少女達の出現を最初から知っていた。
『世界の管理者』を気にかける『邪神』によって、事細かにその詳細を知らされていたからだ。
だから、その始まりに彼女達が見せた覚悟も、苦悩も戦いぶりも、実は本人達以上に覚えているかも知れない。静音が、やる気を見せる他の魔法少女達とは違って、その役目に戸惑いと不安を持ったまま受け入れたことも、刹那は知っている。
それを知っていたから、まさか最期まで残ったのが、黒の魔法少女だなんて信じられなかった。『闇』は司るものが人の本能とは交わり難いもの故に、狂いやすく落ちやすい。だから、最初に戦いを放棄するのは、彼女だとばかり思っていた。なのに、違った。それどころか、最期まで残り、たった一人で戦い続けている。
静音-いや黒の魔法少女の事を知ったその時から、刹那は彼女の事ばかりを考えていた。
懐かしい故郷を護る、唯一の魔法少女。
どんな子なのか、一人となってしまった今どんな想いで戦っているのか。
ずっと、ずっと、考えていた。
闇なんだから黒色が似合う子なんだろうなぁ…あっ、大和撫子みたいな?
外国で生まれ育った刹那の、黒髪に対する想像力は爆発しても、外国人のそれに毛が生えた程度のものだった。
悲しみを抱いて、健気に戦う女の子。
まぁ、実際の静音は、刹那の予想の真逆みたいな子だったけど。
でも、想像していたそれよりも、実際に見た彼女の方が好きだ、と刹那は思う。
「どうしようか、いけない考えが消えてくれないや」
困った、と呟きながら刹那は笑う。
「ま、まずは、お仕事を終わらせないと」
今回の神様の血は、何色かなぁ~。
そう歌いながら、刹那はアウネ神が居わすという扉を蹴破った。
ぴろろ~ん
刹那がこの世界を去って数年。
刹那が身動き出来なかった状態の年月を重ねれば、もっと長い年月になるのだが、その間に色々と世界を進化を遂げていた。それを示すのは、場の空気にまったくそぐわない音を奏でたポケットの中にしまってあった端末だった。
刹那が見知っていたのは、もっとぶ厚くて細くて、そして簡素な機能しかないそれだった。
ガッ
刹那の気が、それに向いていることをいいことに、無駄な足掻きをまだ見せようと動いた子供の頭を足で勢いよく踏みしめる。
面白みもない、赤い液体があたりにちょっと飛んだが、刹那はそれに気を取られることもなく、端末を耳に運ぶ。
人間如きが神に許しなく触れる事など出来ない。
扉を蹴破ると同時に、長年使い込んでいる武器の一つ、身の丈以上ある大剣を呼び起こして攻撃の準備を整えた刹那に、驚きを露にしながらも余裕な表情をすぐに取り戻したアウネ神はそう言った。
だが、その余裕もすぐに失われることになる。
そもそもアウネ神は馬鹿だった。いや、刹那の事を知らないのならば仕方ないことではあるが。
『神殺し』という名を与えられるまでに、神を殺した実績を積み上げている刹那が、どうして神に触れられないものか。人間如き?それも、アウネが尊敬してやまない『邪神の息子』である刹那には相応しくない言葉だ。
何故、分からないのだろうか。
この地一帯は、アウネの力が始めに根付いた土地だ。まだまだ、『管理者』を通した『邪神』の力も行き届いてはいない。だから、アウネ神は侵入者の存在にも一早く気づいていた筈だ。それが、どんな存在かも気づけていた筈だ。
なのに、アウネ神は動かなかった。
余裕で待ち構えているのかと思ってみれば、刹那の登場に驚いてみせたし、刹那の中に渦巻く隠してもいない『邪神』の力と気配から何者かを分かってもいない様子だ。
あぁ、馬鹿なのか。と刹那は納得するしかない。
そして、馬鹿に武器は勿体無いな、と刹那は大剣を消し去ると、拳を振り上げたのだった。
「はい、は~い。どうしたの?」
相手は誰かなんて、分かっている。
だから、聞かないし、名乗らなかった。
『今、大丈夫?』
「大丈夫、大丈夫。問題ないよ?」
クスクスと笑いながら、刹那は機械越しの静音の問い掛けに答える。
つい、うっかり、足元を動かしてしまって、ぐちゃという不快な音が大きく鳴ってしまったが、静音が何も言わない、そんな様子も覗かせないところを感じるに、機械の向こう側までは聞こえていなかったのだろう。刹那はホッと息をついた。
『神』という存在に、血肉を与え、痛みと苦しみを与える秘術。普通ならば通じない攻撃を通じるようにする術の先にあるこれは、『邪神』が作り出したものだった。そうでなければ戦っても楽しくないだろう、という意図をして作り上げたらしいが、『神殺し』の時には要らぬ術だった。偉大なる神達に、無駄な苦しみを味わせる意味は見いだせず、『邪神』の相手をする時にしか使いどころの無かったが、この神相手ならば思う存分、心のままに使うことが出来た。
「どうしたの?」
静音が連絡をしてくるなんて、何かあったのか。
少しでも何かあれば知ることが出来るように、ちょっとした仕掛けはしておいたが、それには何の反応もない。だが、何も無いのにわざわざ端末を使ってまで…。
そんな事を考えていると、静音の声が聞こえてきた。
『ねぇ、一つ聞きたいんだけど…』
少し言い辛そうな声はどういうことなのか。
『聞きたいこと?』
『邪神って、幼い子供にそう意味で興味ある感じな人?』
はっ?という、息を飲んだ。
そういう意味って…。えっ、あれっ?
何処かから、ブハァッと吹き出す音が聞こえた。
”ねぇーよ“
あるわけないだろ、と噎せる声が聞こえた。
うん、無いな。
あの人がそんな趣味を持っていたら、流石に邪神という名を持つような神だとはいえ、側に居ようとは思わない。親子、なんて言われた時点で大暴れして縁を切らせてもらうだろう。
「そ、そういう性癖は一応…備わってなかったと、思うけど…」
流石にそんな上司は嫌だし…。
刹那の戸惑いに溢れる返答は、端末を通って静音にちゃんと届いたようだった。
『そう。なら、うん。信じるしかないわよね』
ありがどう、と言って通話が切れるのだが、静音は大切なことを忘れていた。
そう、何があったのか、どうして聞きたかったのか、事情が全然分からずじまいで残されたのだ。
よし、アウネなんて構っていないで、静音の元に向かおう。
気になって仕方がない刹那は、足元に倒れるそれを使った憂さ晴らしを止めて、さっさと『邪神』に引き渡そう。
そして。静音の元に駆け足に向かったのだった。