side:目を覚ました神官
真っ白な蒸気が視界を覆い尽くしていたが、静音が立ち去っていった後には徐々にそれも薄れていった。段々と、ニコルの目にも、自分を取り囲むように立っている警邏隊の姿形が見えるようになってきた。
「大丈夫でしょうか、ニコル様!?」
うっすらと見え始めていた光景がより遠くまで見渡せる程度に蒸気が薄れた頃に、武器を手にした警邏隊の隊員達が数人、ニコルへと駆け寄ってきた。
あちらこちらから聞こえてくる精霊獣達の攻撃、そしてそれに応戦している音が激しく耳を撃ってくる。
「怪我は…、いえ、まずは安全なところへお連れ致します。」
何時攻撃がニコルが居る場所に降り注いでくるかも分からない。
ニコルに駆け寄ってきた警邏隊員達は周囲に警戒を向けながら、ニコルを建物の中へと誘った。
「?ソーンは…?」
一体何処に、とニコルは警邏隊員達に囲まれ、背中を押されながら、周囲を見回す。
蒸気に包まれる前、誰よりも前に出て静音やニコルと対峙していたソーンの姿は、何処にも無かった。
ソーンの行方は、部下である隊員達も知らないらしく、首を横に振ってみせた。
でも、ソーンが部下に何も言わずに行動を取ることはよくあることなので、誰も何も気にした様子はない。なにより、ニコルを人質にとり、そして姿を消した黒の魔法少女は、ソーンが仲間達でさえもドン引きし、静音に同情の念を覚える程に執着している相手だ。
まず間違いなく、ニコルを置いて姿を消した魔法少女を追っていったのだろうと、彼らは何も口にすることなく意見を一致させていた。
ニコルが隊員達に守られながら避難した部屋には、カルストを始めとするアウネの民の指導者的立場にある者達が揃っていた。
黒の魔法少女による襲撃によって、全員が厳しい目をして、敷地内に張り巡らせている"目"の映像を凝視していた。
その目が映像から離れ、部屋に入ってきたニコルに向く。
「ニコル!!」
「大丈夫かい、ニコル。」
厳しく細められていた目が大きく見開き、心配したという光を讃えてニコルに注ぐ。
その気持ちが嬉しく、そして苦しく、ニコルは力なく笑った。
それを、ニコルを仲間として、友として当たり前のように心配していた彼らは、疲れや黒の魔法少女に加えられたダメージによるものだと決め付けた。
「カウスト、俺達も外に出て精霊獣達の対処に当たるよ。彼女は、ソーンに任せよう。」
「分かった。」
やはり、ソーンは静音と追いかけていたのか、とニコルは顔を顰めた。
どうか怪我などないように。
ニコルは静音の無事を祈る。
そして、少しでも彼女の助けになろうと、改めて決意した。
「ニコル。何があった?アウネ様もご心配なさっていた。」
「心配?」
心配もなにも、とニコルは思った。
彼を、辿り着く事が出来たとしても"死"しか待っていない元の世界へ繋がる穴へと捨て去ったのは、アウネ自身だ。
アウネ神に最も近しい大神官。
ニコルは生まれる前から、そうであることを知られ、生まれてからはニコルという名前よりも大神官と呼ばれる機会の方が多い時間を過ごし、成長した。
そのせいなのだろう。アウネの力と意思の影響を強く受けながらも、ニコルはこの世界の異常に気づいてしまった。空を見上げ、皆が見えないという無残な形にひび割れた穴を見い出してしまった。
あれは何なのか。
そう問いかけたことだけを、ニコルは覚えている。
後も何か、聞いたのかも知れない。だが、その後ニコルの身に起こった衝撃が、ニコルからすっぽりと記憶を奪っていた。
そして失われた空白の後、アウネ神から返ってきたのは、"五月蝿いな。そんなに気になるなら元の世界に帰ったら?"という言葉。
穴の修復と世界の維持に力を割いている静音が強い動揺を受けたせい。
そう静音達は判断していた。
でも、そうだとしても、それを見ることが出来たのは、アウネの側ではニコルだけだった。
アウネの下を離れてから、段々とその理由をニコルは理解することが出来てきた。
ニコルが気づくことが出来たのは、誰よりもアウネの近くに居たからこそ、彼の支配に他の誰よりも慣れ、そしてアウネ自身がニコル以外へ配する支配を優先したからだろう。
ニコルはそう考えている。
「私達は、何がしたかったのでしょか?」
彼の下から放たれ、この世界の本来の神に滞在を許可された形となるニコル。
アウネの神の支配から解き放たれたニコルの頭は、はっきりと、すっきりと、忘れ去っていた事を次々と思い出した。
「ニコル?」
「自分達が死にたくないからと、人々を…助けを求める民達や、間に合わないからと家族も、友人達も、踏み台にして逃げてきました。」
考えないようにしよう。
そう思っていたのも本当だった。
だが、それは何時の間にか忘却の彼方に追いやっていた。
静音との共同生活の中で、ニコルはそれを取り戻していた。連れて行ってくれと叫ぶ、見知った人々の叫び声を。
「ニコル、どうした?…部屋を用意する。黒の魔法少女のことは任せて、まずは休め…」
「そして、逃げた先さえも壊そうとしている。本当に、どうしようもないですね、私達は、私達の神は。」
「ニコル!!」
それは免罪符にはならない。
アウネの支配を受けていたからといって、しょうがないでは済まされないことをしている。
ニコルは隠し持っていたあるものを取り出した。
それは、静音には言わず、刹那や精霊獣達にだけ伝えて、屋代幸大を通じて用意してもらったもの。
アウネの民が作り出す、アウネの神の力を利用した魔術を放つ魔道具。
銃の形をしたそれをニコルは取り出し、カウストへと突きつけた。
「とち狂ったのか、ニコル!」
「えぇ、狂っています。随分と前から。」
アウネの力をつけて魔術を放つ銃が今や表から裏まで出回っている。
それを用意してもらったのは、少しでも静音の役に立ちたいと思ったから。
アウネの力を使うことに抵抗しか感じない、これ以上世界を壊さない為にも魔術を使うわけにはいかないニコルには戦う力がなかった。元々、神官として生まれ育ったニコルは、肉体での荒事は得意ではない。
それでも、どうにか役にたてないだろうか。
こうして最後の戦いに挑むとなった時に、その思いはより一層高まった。
戦う力を、静音を護る力が欲しくなった。
銃をそのまま使うことは、アウネの力を使う事だ。
だから、ニコルは精霊獣達や刹那に頼んだ。
彼らの力を銃に込めて貰えないだろうか、と。
ニコルが構えた銃を撃っても、世界を害したりしない。
これは、世界を護る力だった。
「カウスト。私達は、いや、貴方は何時から、彼女を愛していると思ったのですか?どうして、そう思ったのですか?」
「何を…。」
「この世界に来たばかりの時、私達はこの世界の人達を、敵だと思っていました。救いの新天地に降り立つことを阻む、憎き敵だと。だからこそ、戦った。迷うことなく戦った。魔法少女達とも、ただ全力をもって、憎しみさえも抱いて。」
そう、魔法少女は敵だった。
ずっと、ずっと、殺さなくてはと思っていた。
なのに、ある日突然カウストが白の魔法少女を愛していると言い出した。愛し合っていると言い出した。
それに呼応するように、ニコルもソーンも、他の皆たちも。
しかも、誰一人重なることもなく、それぞれが得意とする属性を合致する相手を、愛していると感じるようになっていた。
これは、本当に恋や愛と呼べるものだったのか。
ニコルは、最初の告白者に疑問を投げ掛けた。