魔法少女は"裏切りの末"と相い見える
静音達が立っていた場所から四方へと広がっていく、真っ白な蒸気。
生暖かなそれは、爆風と共に大きく、少しも薄れる様子もなく、静音達を武器を持って取り囲んでいる警邏隊達を体を包み込んでいく。
迫り来る真っ白な壁に、警邏隊員たちの体は無意識の内に自分の体を守ろうと動く。
手を持ち上げて顔を庇うもの。
腰を捻って折り曲げ、体の前方を守ろうと試みるもの。
だが、どんな行動を取っていようとも、真っ白の蒸気は誰一人の例外もなく全身を覆い尽くし、顔の前に持ち上げた腕さえも判別出来ないようにしてしまった。
「くそっ!黒の魔法少女を見失うな!」
焦りだけしか読み取れない叫びを、誰かが真っ白に染まった状況の中であげている。
だが、その誰が上げたかも判別出来ない叫べに、誰もが「無茶なことを!」と歯軋りの音を漏らすしか出来なかった。
「静音ちゃん?…俺から、まだ逃げるつもり?」
背筋を振るわせる、重苦しいさ、気持ち悪さを同時に感じさせるソーンの声。
自分が生み出した蒸気によって、彼の姿が見えなくなってくれた事にまず、喜びさえ感じていた静音の耳を打った。
初めて、大規模に、慣れていない。
そんな悪条件を揃えて、自分が本来司っている闇では無い火と水の力を同時に使ったのだ。静音の体は無意識の内に、生暖かな蒸気のせいではない汗を流し、呼吸を荒げていた。今すぐに家に帰って寝転びたい程の倦怠感が襲ってくる。
最後の決着。勇者という仲間とはいえ、刹那にだけ任せてしまう訳にはいかない。元・仲間であり、元・友人、家族であった自分も、ちゃんと戦いに身を置いて決着をつけるべきなのだ。自分が抱え込んできた怒りを知らしめたい。そんな覚悟だけが、今の静音を動かしている。
今まで背負っていた負荷が失われ、今まで感じたことの無いような静音の全身を包み込んでくる力の奔流がより一層、静音の高揚する気持ちを暴走させているのかも知れない。
「し・ず・ね、ちゃん?」
何~処~だ、と間延びした静音と探すソーンの声。
何時も以上に狂気染みているその声音は、無駄に高揚した状態にある静音にさえ、逃げたい、と尻込みさせるものが含まれている。
「ソーン?」
おかしい、とニコルが呟く声が聞こえた。
思わず口にしてしまう程、今のソーンはこれまで以上に際立った異常な様子が感じ取れた。
静音達の知らない、この世界に来る前のソーン。静音達が知るソーンは、そんな昔の姿をよく知っているニコルからすると、変わってしまったと不思議に思えるものなのだという。そして、その事をニコルは、静音達の下に身を寄せ始めてようやく、その変化について考えることが出来るようになったとも言っていた。
それが何を意味するのか、静音はある予想に辿り着き、そしてそれは確信を得ていた。
「ニコル。本当に、置いていっていいのね?」
その覚悟を疑う訳ではないが、一応と確認する。
えぇ、と迷いの一切ない返事が返ってきた。
「じゃあ、私は行かせて貰うわ。…頑張って、ね?」
そう言っていいものかは分からないが、仲間だった相手と初めて対峙することになるニコルに言葉を投げ掛ける。
そして、静音はニコルの返ってくるかも分からない言葉を待つこともなく、真っ白な蒸気の中から姿を消した。
真っ白な蒸気に包まれ、人々は右往左往と戸惑い、周囲の様子が分からない為に恐怖で動けなくなっている。
だが、静音にはそんな事は全く問題ではなかった。
この世界の全てが、静音の味方なのだ。
長いこと、アウネが自分の力を注ぎ込むことで静音が自由に出来る領域を阻めていた。だが、今はもう違う。邪神が管理者を通して、アウネが染め上げてしまった全てを取り戻した。蒸気を運ぶ暴風が、足下にある大地が、空から注ぐ太陽の光が、建物の影に生まれる闇が、蒸気と変化した水が、人々の中に宿る熱が、その全てが静音の目であり耳であり、その行動の全てを助けてくれるのだ。
真っ白な蒸気の中を、普通の人では出せない速度で、誰一人にもぶつかることもなく走り抜ける。
そして、目的であった建物の中に、静音はすんなりと入り込むことが出来ていた。
カツーン。
建物に踏み入った静音の足音が、冷たい建物の床に響く。
「こういう場合、偉い人の家族って奥の方の部屋に集められるんだよね。」
警備を厳重に敷いた、侵入者が辿り難い建物の奥に。
それは、静音の勝手なイメージだ。
冷たく硬い音を立てて廊下を歩き続けていた静音は、一端その足を止める。
息を大きく吸い、目を閉じて集中する。
この世界に、闇が無い場所なんて絶対に有り得ない。
闇を阻もうと光を強めたとしても、影は絶対に造られる。
憎くも懐かしい気配を、静音は闇を辿ることで見つけ出す。
「居た。葵は居ないけど…やっぱり一ヶ所に集まるものなんだ。」
それら気配は、静音が知らない数人の気配と共に建物の奥深くの部屋に集まっていた。一人、一番年長の地の魔法少女であった葵の気配を感じ取ることは出来なかったが、それでも静音には好都合だった。
殴る。
ただ純粋に、それが目的なのだから。
居場所が分かれば、静音はただそちらに向かって歩くだけ。
普通ならば、もっと人気がある場所だろうが、ニコルを人質にして黒の魔法少女が襲撃してきたという声によって半数程は建物の外に、残った者達は重要な部屋の警備などに回っているようだった。
奏音達以外の気配は簡単に探れた。
アウネの気配を探ればいいのだ。アウネの民が全員使うことが出来る魔術は、アウネの神の力を分け与えられたもの。この世界の人間で魔術を使う者や魔道具を使う者も増えているが、それらにもアウネの神の力は入り込んでいる。懐かしい気配とアウネの気配。その二つに研ぎ澄ます。
警戒をしながら静音は、無駄な戦いは避けようと人気のあまり無い廊下を歩いて、目的の部屋へと向かう。
避けられない遭遇もあったが、しっかりと対処する。
正直、ずっと憂さ晴らしの悪戯に力を使っていた。直接人と力を使って戦うのなんて、仲間達と共にあった戦い以来のことだった。
目的の部屋まで後少し。
何人もの警備をすでに倒している静音の存在にあちら側も気づいていた。この時にはもう、静音から攻撃をしかけるだけでなく、あちらから物陰に待ち伏せ襲い掛かってくるようになっていた。
だから、進む廊下の曲がり角の先に感じ取った気配も、そうなのだとばかり考えて、しっかりと迎え撃つ準備をしていた。
感じ取るのは、通常よりも大きなアウネの力を待とう存在を一つ。何処かで感じ取った事のある気配に似たそれに、ソーンなどの幹部クラスの血縁などだろうかと考え、少し警戒を上げた。
「静音様?」
何時でも攻撃出来るようにと闇を纏い、飛び出るように曲がり角の先へ。
そこには、静音の感じ取った気配に反して、二人の人間が居た。
静音よりも歳若い、大学生くらいの女性が一人と、幼い少女が一人。
静音が感じ取った大きなアウネの気配は、少女から感じられた。
女性の方は、このアウネの本拠地に居るというのに一切アウネの力を感じ取ることが出来無い上に、静音の姿を見た瞬間に嬉しそうに笑ったことに目を引いた。
何より、静音のことを"様"付けで呼ぶなんて…。
「山口芽衣?」
此処まで連れて来てくれた協力者、幸大が言っていた侵入している協力者。
聞いていた名前を小さく呟けば、女性は頬を赤らめて満面の笑顔を浮かべ、頷いて見せた。
「はい。お初にお目にかかります、静音様。お迎えにあがれず、申し訳ありませんでした。」
「別に、それは構わないけど…。」
此処で何をしていたのか。静音が目で問えば、芽衣は自分が手を繋いでいる少女へと静音の視線を導いた。
「なんか、とっても見たことのある顔なんだけど…。」
静音の顔は、冗談と言ってくれと訴えているような、表情を歪めた。
気配ばかりを重視し、少女の顔をしっかりと見ていなかった。芽衣に導かれるがままに少女の顔を見た静音は、その顔に生まれた時から間近にしていた双子の姉の面影と、敵として対峙することの多かった男の面影を見つけてしまった。
「静音おばさん?」
「おばっ…」
静音の視線に怯えたのか、少女は芽衣の足にしがみ付くようにして体を隠す。
けれど、その顔を少しだけ覗かせると、自分を見つめてくる静音の顔をジッと見上げた。
そして、少女の口から静音に向けて放たれた言葉。
確認の為、芽衣を目だけで見上げてみれば、芽衣は真剣な表情で頷いて静音の確認を肯定していた。
ならば、間違いはないだろう。
少女の母親、奏音は嫌で仕方ないが姉妹なのだ。
つまり、少女は静音の姪。静音のことを「叔母さん」と呼ぶ事に間違いはない。
だが、一切の面識のない、初めて会った子供に突然おばさんと呼ばれるのは、少なからず衝撃があった。ましてや、静音にとっては存在すること自体が許せない、アウネの民の中心にある男と魔法少女であった奏音の娘。裏切りの象徴、世界が崩壊する証。
そんな相手に、気安く自分の名前を呼ばれることに、怒りさえ感じていた。