彼女に捧げる想い
「お初にお目にかかれますこと、光栄に御座います。」
目の前に、愛してやまない黒の魔法少女が居る。
そう考えただけで、屋代幸大は喜びを隠すことが出来ない。
サンサンと太陽がアスファルトを照りつけている街中、個人で経営している小さなカフェは落ち着いた音楽を流し、涼しく快適に過ごせるようにと回されている空調によって、ほとんどの座席が埋まっている繁盛ぶりを見せている。そのカフェにある、音楽や空調の恩恵を受けにくいオープンテラスだけは、パラソルが大きく広げられた三つのテーブルがあるというのに、その内一つしか使われていない。
仕事の合間を何とか作り出して駆けつけた屋代は、黒髪をきっちりと撫で付け、皺一つないスーツを身に纏う。
初めて対面出来ると、何時も以上に身嗜みに気をつけたこともあって、その姿は注文したコーヒーなどを運んできた女の店員の目を奪ってしまう程の色気を放っていた。
「貴方のことは、黒耀から聞いていたわ。いつも、協力や援助をしてくれていると。」
ありがとう。と静音は頭を下げた。
ラフな服装に、黒髪を軽く纏めるだけの姿で、静音は屋代の向かい側に座っていた。
その両隣には、静音と同じように普通の若者が着ているようなラフな服装に身に纏い、刹那とニコルが座っていた。
こんな姿をするのは久しぶりだ、と静音は店員によって運ばれてきた冷たい紅茶を喉に流し込みながら考えていた。
一応、指名手配されている身。
黒の魔法少女としての写真だけでなく、普段の写真さえも魔道警邏隊の面々には配られている。
だから、何時も静音は薄暗く人通りが少なくなってから、極力帽子などを被ってでないと外を出歩かない。出歩けなかった。力を使えば、人や張り巡らされている機械などの目を掻い潜ることも簡単なのだが、その程度のことに力を使って負荷を強めるなど出来るわけもなかった。
だが、今は違う。
刹那の説明によれば、邪神が管理者に力を注いで、世界を支え始めている。その影響が静音は実感していた。日々、いや一時間経つだけでも自分の体が軽くなっていくのを感じられる。
今なら、周囲の人々の目を誤魔化し、機械に嘘をつくことも呼吸をするのと同じように出来る。
オープンテラスに客は一人もいない。
それが今、周囲に居る人々と監視カメラなどが持っている認識だった。
「それだけしか、私達には出来ないのです。そのように情けないからこそ、これまで貴女の御前に姿を出すことを黒耀様に許しては貰えなかったのだと、深く心に留めております。」
静音の倍以上の年齢だと見える屋代が、泣きそうに顔を顰めながら深々と頭を下げた。
彼等は、アウネを良しとはせず、最後の一人となってでも戦い続けている黒の魔法少女に心酔しているという、秘密の組織だという。
黒の衣装を纏って、黒の魔法少女が事件を起こす場に駆けつける者達も居るが、それとはまた違う。精霊獣、『管理者』の存在は理由があって元より認識していた彼等は応援するだけに留まらず、協力させて欲しいと申し出て、今の今までそうし続けてくれている。
今まで、彼等と接触するのは黒耀だけだった。
それは、もしも裏切った場合を考えてのこと。何より、静音が彼等を信じた後にそれがあった場合の、静音が陥ってしまうだろう心情を思った黒耀が、そう彼等にも宣言して決めていた。
それでもいい。むしろ、彼女を傷つけるかも知れないというのなら、喜んで受け入れよう。
彼等は「信頼していない」と正面から言い切った黒耀に笑ってみせ、監視の目を張り巡らすアウネの民達の目を掻い潜り、そうとは判明し難い些細な、それでも大変に助かる援助をし続けてきてくれた。
例えば、静音達が住む格安のアパートや、今の元・別荘などを紹介したのは、彼等の中で不動産業に関わっている者だった。正体がばれないようなバイト先を紹介したのは、屋代だった。
「へぇ、『勇者』にならなかった人達か。だったら、アウネの支配を受け入れずに済んでいるのも納得だ。」
頭の先からジロジロと見ていた刹那が、にやりと意地悪い笑みを口元に浮かべて口を開けた。
「こちらは?」
「アウネを倒すのに協力してくれる、出戻りの『勇者』。"ならなかった"って本当?」
「出戻りって、酷いなぁ。」
静音の、あまりな言葉に刹那が苦笑する。
ニコルの事は、今の家へと引っ越す際に、彼等も教えられていた。だから、睨んだり、冷たい態度を見せ付けてしまう大人気ない所はどうしても出てしまうのだが、ニコルの事は許容していた。
だが、刹那のことは一切知らなかった屋代は、自分をジロジロと見ていた刹那に訝しげに眉を顰めていた。
「ならなかった、では御座いません。なれなかった、です。私は、勇者にならないかという『管理者』の誘いを断りましたので。」
"勇気"が無かったのだ。
屋代は今でも、あの時を忘れない。
誘いと断り。
まったく常識が通じないであろう異世界に行くなんて、屋代には出来なかった。家族と二度と会えないなど想像したくも無かった。
今でも、それを悔やんではいない。これからも、断り続けるだろう。
そう考えると、愛しい魔法少女の隣に、当たり前のように座っている刹那に、少しだけ、嫉妬の炎が身の内で舞い上がる。
自分には出来ないことする彼に。もし、自分に何か力があったのなら、彼女の隣に立てていたのは自分なのにと思ってしまうのは、ただ傲慢でしかないと分かっている。
屋代は、黒の魔法少女に心をどっぷり奪われている。
それは、彼女が"勇気"ある人だから。まだ世界が正常で、アウネの民が人類の敵だった頃、彼女が戦う姿を見て屋代は見惚れてしまっていた。
迷いを見せながら戦う魔法少女達を、屋代の友人や同僚などは美しいと言った。優しい、と称した。そして、表情一つ変えることなく戦い続ける、黒の魔法少女を恐ろしいと称した。
だが、屋代はそうは思わなかった。
それは、世界の仕組みを僅かでも知っていたからかも知れないが。
迷いを見せ、時に敵を前にして手を止める者達よりも、戦い続ける勇気がある彼女の方が美しいと思ったのだ。
「…こちらが、アウネの神が居る本部へ入る為の鍵になります。」
黒の魔法少女を助けること、その為に屋代はこの数年心力を注いできた。
アウネの味方のような顔をして擦り寄り、情報などが手に入るようにしてきた。
テーブルの上に差し出した鍵は、それらを屋代が今持っている全て駆使して手に入れたものだった。
最期の戦いを始める、と。
黒耀から連絡を受け、彼等の力を結集して手に入れた鍵。
それを嬉しそうに受け取ってくれた黒の魔法少女の顔を見ただけで、屋代は天にも昇る想いを味わえた。
「ありがとう、屋代さん。」
自分の名前を、その口から聞くことが出来た。
それだけで屋代は、己の全てが満ち足りる感覚を味わえた。