下
もう大分、君に掛かっていた負担も楽になったんじゃないかな?
それは、刹那の指摘通りだった。静音は今までずっと自分に重く圧し掛かっていた負荷が、あっさりと軽くなっていることを、実感していた。かといって、完全に無くなったという訳ではない。
魔法少女として活動している間だけでなく、普通に生活している中でもずっと圧し掛かってきていた息苦しさ。喉をずっと締められ続けていた指の力が緩まったような、大きく深呼吸が出来る開放感を静音は感じ始めていた。
ずっと耳に聞こえ続けていた、この世界とアウネの世界の闇にひしめく死者達の悲鳴や助けを望む声、この世界へ逃げ延びた誰かを呼ぶ声。それらが、何か薄い壁によって遮られたように、遠くで聞こえているように小さなものになっていた。
「その邪神は一体、今何をしているの?」
意識して自分の中を端から端まで感じてみれば、現在進行中で今、自分に掛かっていた負荷が減っているのを感じ取ることが出来た。
つまりそれは、多分ではあるが今も邪神が何かをしているということ。
世界を壊さないように配慮をしながら力を貸す。静音は、それがどういう方法なのかを、刹那に尋ねた。
だが、聞かれた刹那は、目を泳がせ始めて話をはぐらかそうとしたのだ。
「えっーーーあぁ…。ゴホンッ。って言っても、二、三日は俺、役立たずかも知れないから。」
「は?」
自分の質問に答えてくれることもなく、刹那はただ口先をゴモゴモと動かしていたかと思えば、さくさくと話を先に進めてしまおうとする。笑顔を浮かべながら、目を泳がせ静音達とは目を合わせようとしないその姿は、とてもとても怪しい。
「ほら、俺ってもう異世界である邪神の世界の住人なんだよね。だからさ、元・地球人だから入ってくることは出来たけど、力は全然制限されてるんだよ。今の状態だと、そうだなぁ……全力の五分の一くらい?」
「…じゃあ、何しに来たのよ。」
答えをくれないことにも苛立つが、それ以上に自分や精霊獣達の攻撃を軽々と避けたあの動きが制限されたものだと、ペラペラと簡単に言ってのけることにも腹が立つ。
少し声に棘が生えたが、それも仕方ないじゃないかと静音は心の中で言い訳をした。
「大丈夫。二、三日もすれば、邪神の力も管理者や、管理者を通してゆっくりと世界に馴染んで安定してくるだろうから。そうしたら、完全に全力をもって戦えるさ。愚かな神も、正義の味方の成れの果ても、邪神と管理者の前に引き出せるよ。」
任せて、と刹那は晴れやかな笑顔で宣言する。
「邪神の力を、管理者に馴染ませる?管理者を通して、世界に?」
不穏な、不安過ぎる、刹那の簡単な説明。
「…邪神って、男の方だったわよね。」
「あぁ、男だな。」
何を聞くんだ、知ってるだろうに。
睡蓮の呟きに、黒耀達は不思議そうな顔としながら答え、そして顔色を段々と青白く染め上げていった。
「神々から、尊敬出来るけど関わりたくない御方って呼ばれている…」
「こっち向くなっ、興味を持ってくれるなって神々から祈られてる…」
「厳しいって事では『管理者』と方向は同じなのに、絶対に一緒くたにはされない…」
「鬼畜…」
「どういう神よ?」
「いや…厳し目な手腕を駆使して、自分の世界を強く成長させ永らえさせ続けている方、だよ?」
精霊獣達の口から放たれる言葉に、静音はドン引きした。
一応、勇者である立場からすれば"親"とも称されることのある上司なのだから、と刹那は良い意味で補おうとしたのだが、静音が向けてきた目から不安な色が消えることはなかった。
「そんな方が、『管理者』の下に居るの?二人っきり?自分の力を馴染ませる…?」
精霊獣達は自分達の力を研ぎ澄ます。
そうして集中して意識してみれば、確かに『管理者』が居る空間にもう一つ、自分達とは相容れない力を持つ、大きな存在があることが感じ取れた。
ギッ
鋭い10の眼光が刹那に注ぐ。
「あーーー…、邪神の力を世界に入れたら、馬鹿と同じ。だから、この世界そのものでもある『管理者』に一度邪神の力を注ぎ込んで、彼女を通すことで世界に力が注がれ世界は一応の安定を得ることが出来るって、言ってました。」
そうすることで、世界中に行き届かなくなっていた世界を支える力が充分に補充でき、『管理者』や静音に掛かっている大きな負荷は減り、邪神から授けられた力を振るう刹那が思う存分戦えるようになる。
「ニコル!!!」
刹那の説明を受け、黒耀が叫んだ。
自分はアウネの民、その神官を務めていた人間だからと口を閉ざし、息を潜めるように話を聞く立場に徹していたニコルは、突然に叫ばれた自分の名前に驚き、戸惑うことしか出来なかった。
「いいか、よく聞け!お前はアウネの側の神官だった。俺等の敵だった!」
「はい。」
それは否定することなど出来ない事実だ。何故、今それを突きつけられるのか分からないが、突如として人型に転じニコルに詰め寄る黒耀が、唾を吐きかけるかの如く顔を寄せて語りかけた。
「だが、今のお前は違う!!世界の真実を知って、静音を守ろうとしてくれている!それを俺はよぉく理解している。」
「えっ、あ、ありがとうございます?」
それは初めて聞いた評価だった。
戸惑いに満ちていた顔が、少し晴れやか、でも何故と疑問を浮かべたままの表情となった。
「ということで、あいつから静音を守ってくれ。」
ビシッと指で刹那を指し、黒耀は少しだけ初めの勢いから落ち着き、ニコルへと頼み込む。
「彼は、この世界を助けに来た方なのではないのですか?」
それならば、彼は静音の味方ということだ。そんな彼から静音を守れとは、しかも世界の為を思えばアウネ由来の力を使うことなど出来ない、つまり無力でしかないニコルに何が出来るのだろうか。
真面目に頭を悩ませ始めたニコルを気にすることなく、黒耀は言葉を続ける。
「あれは勇者だ!勇者っていうのはな、ハーレムを築き上げてしまう、女ったらしだと古今東西で決まってる!!」
「「は?」」
それには、黒耀に詰め寄られているニコルだけでなく、静音も呆気にとられ、可笑しな声が口から漏れ出た。
「ちょっ!んなものなんて…」
指を差されたままの刹那は、あまりな冤罪に驚きの声を上げる。
「そういえば、最近ハーレム物のアニメを見てたわね。」
呆れ返った陽妃の声が聞こえた気がしたが、驚きのあまり混乱している静音達三人にははっきりとは届かなかった。
「静音は、情緒があんまり成長してない、単純なお子ちゃまなところがある。」
はぁ!?と静音が顔を真っ赤に染め上げ、怒りの声を上げた。
「だから、ハーレムを築き上げるような勇者に、ほんの少しでもちょっかいをかけられたら、簡単に引っかかっちまうだろう。」
だからハーレムなんて築いてないって!焦った顔で刹那は静音やニコル、そして精霊獣達を見回し、必死に否定する。
「ニコル!お前が頼りだ!!『管理者』の御様子を窺いに行けるのは、魔法少女が居る闇しかいない。陽妃達は管理をしなくてはいけない。だから、静音を守れるのはお前だけだ!」
頼んだぞ、と勝手な言い分を吐き捨てた黒耀は、そのままの勢いで姿を消していった。
静音の怒りも、刹那の否定も受け取ることなく、彼はさっさと『管理者』の下へと向かったのだ。
「しばらくアニメ禁止ね。」
「そうだな。…まぁ、そんな暇も無くなるだろうが。」
刹那の登場は、つまり最期の戦いが始まることを意味している。黒耀が可笑しな影響を受けたアニメだけでなく、普通の生活を送ることも難しいだろう。
その後は、どうなるかも分からない。
邪神や『神殺し』とさえ呼ばれる刹那が負けることなど有り得ないが、この世界をどうするか、どうなるかは精霊獣達でさえ見通すことは出来なかった。
「俺は、ハーレムなんて作ってないからな!?」
そりゃあ、そういう勇者も居るには居るらしいけど。あの世界でそんな事してみろ!邪神様の変な影響を受けるなって、偉いさん達が全員で徹底的に教育されるに決まってる。住人の一人一人が確固とした自分を持ってるような成熟した世界でハーレムなんて作れる訳ない。出来たとしても、対応しきれなくて死ぬよ!
あぁいうのは、そんなに成熟してない中堅以下の世界でしか出来ないものなの!!
「私だって、お子ちゃまじゃないわよ!!そりゃあ、いい年してこんな格好してるけど!!!」
そりゃあ、こんなヒラヒラのミニスカートとか子供っぽい格好してたら、本当にただの痛い人なのは分かってるわよ。でも、私なんてこれ着てなきゃ魔法少女として認識されないんだもん。元々、奏音達とは違って地味なの。皆で戦ってた時から、影薄くて人々の認識低かったし。だから、しょうがなく、そうしょうがなく着続けてるの!!
黒耀が去り、誰に自分の主張を突きつければいいのか分からなくなった刹那と静音は、それをニコルへと向けていた。
「いや、そんな事ないぞ?似合ってて可愛いよ、その姿?」
「えぇ、それに貴女の影が薄かったなんて事ありませんでした。今となってこう言ってはいけないかも知れませんが、貴女が一番怖いと感じました。貴女をどうにかしないと、と。」
自分の言い訳以上に、声を張り上げて自分の主張を展開した静音に、刹那もニコルも自分を抑えて宥め始めていた。
刹那は、本当に言ってる意味が分からないと不思議そうな表情で、本心でしかない声で静音を褒め称える。
声を張り上げていた静音も、そんな刹那の嘘偽りの感じ取れない言葉に、顔を真っ赤にさせて沈黙することになった。
「あっ、多分それ、こうなることが分かってたんだよ、無意識に。あんた、アウネ神に一番近い場所にいた神官だったんだろ?つまり、そういうのを感じる才能があったってことだ。俺も戦いの中でそういうのに何度も助けられたもん。」
「そう、なのですか?」
「そうそう。静音ちゃんが一番の強敵になるって感じ取れてたってこと。」
「そうですね。あの頃から静音さんは、世界を護る為に誰よりも必死で、自分が傷つくことも厭わずに私達と戦おうとしていましたから。こうなることは、その時から決まっていたのかも知れませんね。」
ニコルの言葉もある意味、静音を褒めているようなもので。
黒耀の言い分の通り、家族の部類である精霊獣以外との交流が無く過ごしてきた数年、男性に褒められたことも、むしろバイトの話以外を話した経験もない静音は、二人から注がれた褒め言葉に、茹蛸のように顔を真っ赤に染めて染めて、両手で顔を覆うと「もう、止めて」と呟く程となった。
ちょろいから。
黒耀の言葉は、ある意味正しいのかも知れない。