鸚鵡返し
島原が再婚したというのを聞いたのは、神保町の路地裏にある喫茶店でのことだった。大学で同じ文学部であった太田が久しぶりに東京に出てくるというので、学生時代を思い返しながら古書店巡りをして、一息入れようと私の行きつけの喫茶店に案内したときだ。
太田は地元の新潟で、高校の国語の教師をやっている。学部の頃の太田は内気な青年で、私達が喧々諤々の議論をしていても、亀のようにじっと様子をうかがっているようなところがあったので、やんちゃ盛りの高校生を相手に彼が教鞭をとっているのは想像しがたかった。けれど珈琲を片手に近況を聞いてみると、卒業後会わずにいた三年間、立派に教師をやっていたらしい。自己申告であるから、多少は眉唾ではあるけれど、それでも大した変貌ぶりだ。
地方にいる友人が上京してくると、決まってするような学部時代の思い出話も次第に尽きて、紫煙で燻された窓から見える街路の明かりが、徐々に薄暗く夜の様相を呈し始めたときに、太田は全く含みのない、思いついたことがいつの間にか口から転がり出た風に気軽に、島原の再婚の話を出した。そのとき私は丁度、冷え切って酸味の増した珈琲を口に入れたところだったので危うく戻しそうになった。私の反応に、一寸疑るような目をした太田であったが、直ぐにいつもの朴訥とした様子に返って、島原は昨秋に銀行勤務の女性と結婚したと報告した。太田も人づてのようで詳細は不明であったが、つい最近に一児の父になったという。それは私の心を波立たせる効果を持っていたが、太田の手前、表情には出さずに当たり障りのない感想を云ってお茶を濁した。
東京駅から彼を見送ったのちに、私は不安という名の黒い雨雲がもくもくと胸の内に膨れ上がってくるのを感じた。島原が再婚したのは本来ならば目出度いことで、素直にとれば彼もようやく古傷を癒したと解釈できるのだろうが、どうにも私には真直ぐ受け入れることができなかった。彼の現在を詳しく知りたいと思うのと同時に、これ以上関わらない方がよいのではないかとも考えていた。だが、やはり好奇心を抑えきれず、帰宅すると押入れを漁って埃の積もった手帳を捜しだした。そこには、島原から最後に手紙が来たときの住所が書き記してあるはずだった。
朝から散々歩き回っていたので、汗と砂塵で髪の毛はごわごわと犬の毛のようになっており、私はそれを風呂で洗い流してさっぱりしたかったが、その不快感以上に島原の行方が気になっていた。それで、手帳で住所を確認すると、机から便箋を取り出して、彼の近況を伺うためにペンを手にとった。
しかし、こうして手紙を送ることは、彼が数年がかりで抑えつけた暗い感情を、もう一度表に引きずり出すことになるのではないかと私は危惧した。しかし一言書いてみると、不思議な力によって手を操られているがごとく筆が進み、あっという間に書きあがってしまった。私は少し後悔しながら、その手紙を茶色いくたびれた革の鞄にしまいこみ、明日出勤する際に郵便に出そうと決心した。
島原の一度目の結婚は、誰からも祝福されないものであった。彼は二十のとき、場末のバーで知り合った女に入れ込み、大学を退学し、両親の反対を押し切って結婚した。知り合ってわずか三か月あまりのできごとで、周囲の者は、まさか島原が、ぎらぎらと派手な化粧をした見るからに自堕落な女と一緒になるなど全く予想していなかった。彼の内に退学や親の反対を押しのけるという強情な性質が隠されていたことにもみな驚いた。
そのような結婚は得てして成功しないもので、島原の場合もそうだった。島原の細君は、初めこそ、ままごと遊びをする少女のような熱心さで、大学を辞めて働きに出た夫を支え、家庭を経営しようとした。しかし、時がたつにつれ、夫に尽くす妻を演じるのにも飽きてきたと見えて、朝から晩まで外で遊ぶようになった。島原は帰宅しても一人でいることが多くなった。
細君は子供を欲しがらなかったので、彼は子供代わりに一羽の鸚鵡を飼うことに決めた。彼は鸚鵡に清吉と名付けた。本当なら子供につける名であった。彼は毎晩、鸚鵡に話しかけることで孤独を慰めた。
全く相手にされなくなっても女のことを島原はまだ愛していた。純粋に愛するというよりは、退学や両親との不和という人生の大きな軌道修正を図った以上、女を捨てることは自分を否定することになるので執着していただけだったのかもしれない。自分はどのような道を歩んでも、決して不幸せになることはないという思い上がりもあったように思われる。
鸚鵡は彼の教えた言葉をよく覚えた。清吉と言う名前は一週間で、おかえりなさいという言葉には二週間かかった。鸚鵡がおかえりなさいという言葉を覚え、自主的に発したときに初めて、ああ俺はこの言葉を妻にかけてもらいたいのだと彼は自らの心に気づいた。
ある日のこと、島原は妙な噂を耳にした。女が島原ではない男と腕を組んで街を歩いていたというのだ。それを聞いてから彼は、妻の様子を子細に観察するようになった。しかし、もともとすれ違いが続いていたので、妻が浮気をしているかどうかは一向に知れなかった。だいたい日中は勤めに出ているから、監視のしようがない。だが彼の疑念は到頭抑えきれないものとなり、ついに彼は会社に行くと妻に嘘をつき、そのまま家の物陰に隠れて探偵をすることにした。
果たして妻は浮気をしていた。彼が家を出て一時間もしないうちに見知らぬ男が現れて、島原の家に入っていった。彼は自分が蟻地獄の罠にかかって、じりじりと深みに嵌っていくような気がした。これが自分の決断の顛末か、と自嘲したい思いに駆られた。しかし、そのうちすぐに怒りと哀しみがないまぜになった感情がどっと全身を包むのを感じた。そして、彼は家の中に飛び入って、夫婦の寝室で汚く交わっている二人を引きはがし、男を殴りつけ裸のまま追い出した。
女は涙ながらに許しを乞うかと思いきや、ニタニタと笑みを浮かべて彼の方を挑戦的に見つめた。彼は寝台に座ったままの彼女に見下されているような気持になり、ますます怒気を強めた。しばらく視線を交差させたのちに、女は荷物をまとめて出て行った。
こうしたことは、酒に酔った島原が私に語ってくれたことであった。あの頃の私は島原と連絡を密にしており、彼の様子がだんだん悪化の一途を辿っていくのを手をこまねいて眺めていた。実際、私にはどうすることもできなかった。私はまだ学生であったし、若かった。人の悩みを解決する前に、自らの将来を設計しなければならなかった。久しぶりに会った酒の席で島原にこのような辛い体験を告白されても、まあ飲めと言って酒を注いでやることしかできなかった。酒臭い口で、島原は妻とは離婚したと私に言った。
その後、島原とはしばらく連絡が取れなくなった。手紙をやっても返事が来ず、電話をしても反応がなかった。心配になった私は、思い切って彼の家を訪ねることにした。彼の家を訪ねるのは二度目だった。一度目のときには彼の細君がいた。今回は彼のそばには、一羽の薄汚れた鸚鵡が雑巾のように鳥籠の止まり木にぶら下がっていた。生きてはいるようだが、それは死体のようであった。
私は、虚ろな眼をした島原に、大丈夫かと訊いた。島原は「やあ」と殊のほか陽気な声を出したあと、鸚鵡を指さし、「俺の手元に残ったのはこいつだけさ」と言った。私は、不審な眼をして鸚鵡を見た。鸚鵡は助けを求めるような眼で私を見返してきた。そして調子の狂ったような声をあげたので面食らった。今の言葉は聞き間違いではなかったかと思い、島原を見た。島原は鸚鵡に「もっと巧く言えるようになれよ」と言った。そして、私に向かって「こいつてんで言葉が苦手なんだ」と決まりの悪そうな顔をした。
私は島原の家を辞し、川沿いを歩きながら、先程の鸚鵡の言った言葉を脳内で反芻した。耳がおかしくなったのでなければ、あの鸚鵡は「私を殺して下さい」と言った。あれは島原が教えた言葉であろう。しかし一体何のために。
私は薄ら寒い思いをしながら、家に帰った。一週間後、また島原の家に赴いた。島原の様子も気にかかったが、それよりも鸚鵡の様子が気になった。島原は私を家にあげた。しかし、そこには主を失った止まり木が隙間風に静かに揺れていた。私は「鸚鵡はどうしたのだ」と尋ねたが、島原は奈落のように落ちくぼんだ目で遠くを見やり、あれは逃げてしまったと素気なく言った。その素気なさがかえって私に一つの疑いをもたらした。清吉という名の鸚鵡は言葉を巧く話せるようになったばかりに、骸になったのではないかと思った。しかし、その証拠はどこにもなかった。
島原はその後、私に何も言わずに転居して行方が知れなくなった。ちょうどそのころ、新聞に一つの事件の記事が載った。私はそれを読んだとき、体がぶるぶると震えるのを止めることができなかった。
載っていたのは、一つの殺人事件の記事だった。被害者は島原の別れた妻であった。
その死体にはある特徴があった。首筋に何度も何度も執拗に縄で締めた跡が残っていたというのだ。顔が紫色になり気を失う直前まで締め上げたところで、ふっと緩めるという動作を繰り返したのではないかと専門家は分析していた。犯人の望む言葉を吐かせようとするかのように。
私はこの記事を読んですぐに、彼の飼っていた鸚鵡を思い出した。あの鸚鵡は何と言わされていただろうか。
方々手を尽くして私は島原の所在を追った。一目でいいから彼の顔を見たかった。が、それでも彼の消息は全く掴めなかった。
一年後、もどかしい思いを抱えていた私の元になんと彼の方から手紙が来た。そこには簡潔に、今は両親と和解したことと、岡山で働いていることが書かれていた。
私が手帳に記した住所はそのときの手紙に書かれていたものだ。今から四年も前のものだから届くかどうかは賭けである。翌日、私は郵便ポストに投函した。
五日ばかりして、郵便受けに懐かしい筆跡の封筒が届いた。島原の字である。私は、おみくじでも引くときのように神妙に、運命の手紙を丁寧に開いた。そこには、彼の近況と一枚の写真が入っていた。
写真には、幸せそうに笑う彼とその細君、そして丸々とした赤ん坊が写っていた。まだ四か月であるらしい。
私はこの子のためにも、島原と細君には間違いのない幸せな家庭を築いてもらいたいと、心から願った。
手紙によると、男の子の名前は「清吉」と言う。