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機械帝国の魔女  作者: 雨谷結子
第2章 まどろみと鳴動
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 イーストン孤児院の遊戯室は、その日もおままごとをする女の子たちで、きゃっきゃとした華やかな活気に満ちていた。

 おままごとなんてくだらない遊びは、趣味じゃない。

 『こどものための歯車工学のれきし』というタイトルの本を小脇に抱えたローズは、遊戯室前を通り過ぎようとして、いつものように立ち止まった。足音を立てないように、そっと抜き足差し足扉の前に近寄って、薄く開いた隙間から中を覗き込む。

「ええと、じゃあ、あたしがお姉さん役で、ハンナがお兄ちゃん、エイミーが妹、リサが弟、ナタリーがお母さんね。あ、今日、ニーナが風邪だから、お父さん役がいないわ。どうしよう!」

 ティナのよく響く声に、ローズの心臓がひと際大きくどくんと鳴った。

「ええー! それじゃ、ジャック君にたのもうよぉ」

「ちょっとナタリー! ぬけがけするなんてずるーい! わたしだって、ジャックにごはん食べさせてあげたーい!」

「そうよそうよ! もしジャックがパパ役なら、リサもママに立候補するもんっ」

 普段は仲の良い彼女たちも、ジャックが絡むと途端に火花を散らし合う女になる。

 険悪な空気に、ローズはそうっと、『こどものための歯車工学のれきし』を床に置いた。

(これはべつにおままごとがやりたいんじゃなくて、ティナたちと仲良くなりたいんでもなくて、ケンカの仲裁をするためなんだから!)

 ローズはどくどくとうるさい胸をぎゅっと押さえつけて、扉を開いた。

「あ、あの、ひ、人が足りてないんだったら、わたしがやってもいい、よ」

 つっかえつっかえ、ローズはそう言うと、もじもじと動かしていた手から視線を上げて、ティナたちを見つめた。

 はじめにハンナが困ったようにティナを見つめ、エイミーとリサが顔をしかめる。ナタリーに至ってはすでに泣き出していた。困惑する彼女たちの様子をとっくりと眺めてから、この仲良しグループのリーダー格で最年長のティナは、八歳とは思えない嫌な笑い方をした。

「やだぁ。こわーい! まじょが呪文をとなえているわ!」

「こわいこわーい。院長せんせー助けてー!」

 騒ぎを聞きつけたジャックとその仲間たちが遊戯室に押し入ってくる。

「ゲェ。まじょがおれたちの陣地まで攻めてきたぜ!」

「女だけで手薄になったところを攻めてくるなんて、ヒキョーなやつ!」

 瞳にじわりと涙がたまる。まばたきでもしたら、そのみじめな液体を押し出してしまいそうだ。

 ローズは彼らにこれ以上なにかを言われる前に、踵を返した。廊下に転がった『こどものための歯車工学のれきし』を強く抱きしめて、走り出す。

 ほんの二年前まで、ティナとは一番仲が良かった。あんな風に、魔女と罵られることなんて、一度もなかった。おままごとだって一緒にやって、ローズの歯車趣味を馬鹿にしながらも二人だけの秘密と言って、ジャックを好きなことを打ち明けてくれた。

 でももう、なにをどうやったって、ティナとの仲は修復不可能なのだ。ティナは魔術師が大嫌いで、ローズは魔術師なんかじゃないけれど、赤い髪と緑の瞳を持っている。

 ローズは泣きじゃくって、いつもの定位置である図書室に駆け込んだ。

「まじょじゃない。まじょじゃないもん」

 誰かが図工の課題でもやっていたのか、机の上には鋏が転がっている。

 ローズは衝動的にそれを手に取って、髪に鋏を入れた。床に赤い髪が散らばる。

 魔女じゃない。わたしは魔女なんかじゃないと胸中で叫ぶごとに、熟れた果実が地面に落ちて弾けるように、一房髪が床に広がる。

(でんかに、会いたい)

 もう、周りに勝手に期待して、勝手に傷つくことはやめよう。

 去年出逢ったばかりのブラッドは、ローズの血を認めてくれた。他の誰がローズを魔女と罵ったって、ローズはその事実があれば、傷ついたりしない。

(いつかリッパなキカイハカセになって、みんなを見返してやるんだから)

 そうしたら、ティナもローズをすごいと認めてくれるだろうか。ジャックや皆も、ローズにやさしく笑いかけてくれるようになるだろうか。

 きっと、頑張り続けていたら、そんな日がくる。絶対にくる。ティナとの仲だって、やりなおせる。努力は裏切らないと、ローズの五倍も生きている院長先生も口癖のように言っている。

 だから、こんなことで、くじけたりしない。

 そう決意したところで、ローズの意識は急速に、どこか違う場所へと引き上げられた。


 目覚めてすぐ、七歳だった意識と今の自分の身体の齟齬に気づいた。どうやら、ローズはのんきに夢をみていたようだ。

(……なつかしい)

 あの夢には続きがあって、ローズはうっかり鋏で首筋を切ってしまって医者に運び込まれることになり、院長先生を卒倒させることになった。その辺りのことは、ローズも出血にびっくりしすぎて意識を失ってしまったのでよく覚えていない。

(なんで、あんな夢。……ああ、そうだ)

 そういえば、ローズはまたしても機械科学の未来である《原石》動力に拒絶反応を示してしまったのだった。

「帝国に助けを求めるどころか、魔術師なんか助けて、どうするつもりなのよ」

 ローズは自分にツッコミを入れたところで、虚しくなって頭を抱えた。

 《原石》動力が怖いだなんて、どうかしている。何より怖いのは、今行動をともにしているアランのような卑劣な魔術師だというのに。

 こんなことでは、機械博士になるだなんて夢のまた夢だ。

(でも、殿下に治してもらえる。そうしたらきっと、わたしも機械博士になれる)

 しぼみかける気力を無理やりふりしぼり、ローズは立ち上がった。

 ずるりと身体から重い外套が滑り落ちて、慌てて拾い上げる。

(これ、あの魔術師のものだわ……)

 なんとも言えない表情になりながら、ローズは周りを見渡す。ローズが寝ていたのは、大きな木の陰だった。ここでなら、降りしきる雨もしのげる。

 濡れた木の根に足を取られながら段差を下ると、木の洞があって、そこにリオが横たわっていた。

 リオはローズに気づくと少し目を見開いて、そっぽを向く。けれど思い直したように、すぐにローズを見上げた。

「なんの気まぐれか知らないけど、さっきは――助かったよ。……じゃ、それだけだから」

 むっつりとそう言って、背を向けたリオに――否、魔術師に与する人間にお礼を言われている事実に、ローズはなんだか焦りを覚えた。

 こんなのは、ローズの望む未来じゃない。

「わ、わたしはべつに、魔術師を助けようとしたわけじゃないから! あんたは子どもで、具合が悪くて、面倒を見なきゃいけないから、ああしたのよ! そこのところは勘違いしないでよねっ」

「はいはい、分かってるよお嬢さん」

 存外近くから声が聞こえて、ローズは飛び上がるほど驚いた。

 アランだ。手にはこの森で採集してきたらしい木の実や、飲み水を入れた水筒を抱えている。

「こ、これ返すわ! あんたも人並みの気遣いをしたのかもしれないけど、今後一切こういう親切――いいえ、タオ人が親切なわけないわね――こういうことしなくて良いから! わたしまであんたたちと同じだと思われたら、迷惑なの! も、もちろん身体が冷えきっていたからあんたのしてくれたことはありがたかったと言えなくもないけど……」

 ローズは支離滅裂なうえ、最後の方は消えかかった言葉をひと息にまくし立てると、俯いてアランに外套を押しつけた。

 アランは、大人しく差し出されたそれを受け取る。手が触れたとき、彼はなにがおかしいのだか小さく笑ったような気配がした。


 飛行艇の出現もあって、結局ローズたちはもう一晩森の中で夜を明かすことになった。

 雨脚は遠のくどころか、叩きつけるように頭上に降りそそいできている。

 リオの体調は急激に悪化することもなかったが、好転する様子もまるでなかった。たとえるなら、時が経つごとに澱みの中に引き込まれていくような、緩慢な侵蝕の気配がひたひたと音を立てている。そんな嫌な感じだ。

 ローズは、リオの居る大木の根に座り込んで、雨水を沸かす火の番をしていた。ちなみに鍋は、アランが持っていたものだ。

 しかし、早々に風雨に揺れる頼りない火を見ているのにも飽きて、昨日の朝の話に立ち返ることに決めた。

 白い雨にぼやける真っ赤に染まったリオの顔は、それだけで意識が朦朧としているだろうと察せられる。なのに、リオの瞳から強い意志が消えることはない。

 ローズは意を決して、辺りを警戒しているアランに焦点を合わせた。

「こんな環境じゃ、治るものも治らないわ」

「……お嬢さん、昨日も言ったな?」

「それじゃ、わたしはリオが回復するまでは、絶対にあんたの言うことに逆らわない。その代わり、あんたたちも素直にどこか人里で一泊することを約束して」

「はあ!? おまえ、僕たちの話、聞いてた?」

 リオはぐったりとしていた様子から一転、飛び起きた。開いた口が塞がらない様子だ。

 アランも探るような眼差しをローズに向けてくる。

「帝国臣民は――少なくともわたしは、具合の悪い子どもをだしにして、自分の保身に逃げるような腐った人間じゃないことを証明してあげるわ。そうしたら、リオも女王の犬女王の犬って臣民を貶める発言は改めてもらうから」

 ローズは、昨日アランをお縄にできるかも、とやましい考えを巡らせたことは棚に上げて、そう宣戦布告した。

 アランもリオも、ローズがこのまますごすごと帰郷することを望んでいる。ローズにとってもそれがたぶん、一番正しい選択だ。

 だが、病魔に冒されたリオを放って帝都に凱旋するのは、気が引けた。

 きっと、ローズが口を挟まなければ、アランもリオも病気を押して旅路を強行する。言葉にすれば効力を持ってしまう気がして口にはできないけれど、それは死へ向かう行軍と同義だ。

 リオはともかく、アランだってそれくらい分かっているはずだ。それでも彼が――リオを大事に思ってはいるらしいアランが足を止めないのは、追っ手の問題もあるだろうが、帝国というものをまるで信頼していないからだ。

 それはなんだか、すごく悔しいと思った。

 魔術師なんかに理解される必要なんてない。魔術師と理解し合えるなどと思うのは、恐ろしい思想だ。

 ローズの中で、わけの分からない感情に対して、理性が警鐘を鳴らしている。

(べつに、馴れ合おうと言うんじゃないわ。ただ……わたしが、魔術師と同等に、無慈悲で冷血だと思われたくないだけ)

 ローズは、幼い頃から魔女の疑いをかけられ続けてきた。だから、常に己に帝国臣民としてふさわしくあれと言い聞かせてきたのだ。

 リオの正体がなんであれ、まるで目の前の火種のように、今にも潰えようとしている命を見棄てるだなんてことはできない。

 それは、悪魔の所業だ。

 ローズは悪魔の種を持たないけれど、そんなことをしたら魔女と変わらない存在になってしまう。そんな自分は、認められない。

 ローズはアランに焦点を合わせ、その青灰色に色を変えた瞳の奥を探る。

「思うように身動きがとれない状況で、帝国をよく知るわたしが味方するのはきっと、あんたにも都合が良いはずよ。リオの養生の間に、あんたが叛乱分子のお仲間に連絡を取ったりするのだって自由。好きにすればいいわ」

「……どういう魂胆だよ? おまえはタオの民を憎んでいるんだろ?」

 水を向けたアランではなく、リオが不審がる声が響く。

「ええ。だけど、それとこれは別よ。しかも、あんたは子どもだし。わたしは、帝国臣民が外道みたいに思われるのは嫌だわ」

「馴れ合うつもりはないんじゃなかったのか、お嬢さん」

「もちろん、あんたのことはいずれ、なにがなんでも捕まえる。だけど、それは今じゃない。それだけのことよ」

 言外に、リオが健康を取り戻したら、どんな手段を用いてでもアランを警察に突き出すと宣言する。

「だが、お嬢さん。あんたの言葉は、俺たちにはとうてい信じがたい」

 そう切り返されることは、目に見えていた。

 ローズは頷いて、一歩アランに近寄った。

「約束を破ったそのときは、わたしの首をくれてやるわ」

 アランは軽く目を見開いた。

 ローズは顎を引いて、低い位置に居るアランを挑発的に見下ろす。

「あら、お安いご用でしょ? 帝国臣民の善良な命を踏み躙ることなんて」

 リオが回復さえすれば、ローズはなんの後ろめたさもなくアラン逮捕に全力を上げることができる。ローズが約束を反故にする理由はない。

「ちょっと、アラン! こんな奴の話聞く必要ないよ! だって……分かってるでしょ? 僕はもう――」

 リオが叫ぶ声を遮るように、アランが顔を上げた。

 ローズは彼の答えを急かすように、立ち上がってドレスについた泥を払う。

「さあ、髭を剃るの、剃らないの、どっち?」

 アランは滑りやすくなった木の根を軽やかに飛び越えて、ローズの元までやってくる。

「お嬢さんが剃ってくれるのなら、考えないでもないな」

「はあ!?」

 冗談ともつかない言葉を投げかけたアランは、濡れたローズの頤をすくい上げて、低く咎めるような口調で言った。

「それからお嬢さん。自分の命を粗末にするような言葉は、軽々しく口にするもんじゃない」

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