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機械帝国の魔女  作者: 雨谷結子
第2章 まどろみと鳴動
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 体力を回復するためには、どうにかして安眠を確保しなければならない。だが、魔術師がそばに居ると思うと目が冴えてしまって、おちおち眠ってなどいられそうにない。

 ローズは、頽廃を具現化したような遺跡を自分の足で辿った。

 やがて、石床が一段高くなった奇妙な出っ張りに突きあたる。そこを上がると、ローズの身長の半分ほどの高さしかない石の壁があった。火で照らし出すと、石壁にわずかに塗料が付着していた。

「なにかしら……壁画?」

「おそらくユギトとエレを描いたものだろうな。ここは、今や帝国から駆逐された、マハニ教神殿の一つだ」

「邪教の神殿じゃない。薄気味悪いわ。――って! なんであんたついて来てるのよ!?」

 ただの独り言に思わぬ返答があって、ローズは飛び上がらんばかりに驚いた。

 アランは、長細い蝋燭を立てた燭台を、ローズの動作をなぞるように壁に向けている。

「レディはエスコートするものなんだろう? 野蛮人ではない証明になればと思ったんだが?」

「あんたなんて、紳士になりようがないわ!」

 吐き捨てたローズは、癇癪を起こしたくなる心を鎮めて、アランと一定の距離を取った。

 機械蟲や機械獣でもいればまだ抵抗のしようもあるが、あいにくローズは丸腰だ。丸腰でこの世の天災や災厄を操るという魔術師には、ローズは雛鳥の首を折るほどにたやすい恰好の餌食だろう。

 ローズの罵り言葉も怯えもまるで意に介さず、アランは壁画の前に膝をつくと、その無骨な手のひらを壁に這わせた。

 そこに描かれていただろう二柱神の姿は今やもう、想像するしかない。

 大きな背中だ。大の男が小さくなって、まるで祈るように頭を垂れている姿は、ローズの胸をもやもやさせた。

 さすがに、この暗闇の中では彼がどういう表情をしているかまでは分からない。もちろん、覗き込むなり明かりを向けるなりすれば知れることだが。

(って、わたし、なに、魔術師相手に興味なんて持ってるのよ!)

 自分の思考回路が理解できず、ローズは内心激しく動揺する。

 ローズはアランからさらに距離を取ったが、思い直して、おそらく祭壇だったのだろう石の塊におそるおそる触れてみた。

 瞬間、なにかが死んでいる、と思った。

 廃墟となったから当たり前だし、そもそも建物に命など宿るはずもないが、この場所にはまるで生気がなかった。

 なぜか、ローズの胸がつきん、と痛む。

 かつて、この西大陸にはじめに興ったのは古王国タオだったという。ランティス川流域に誕生したタオ文明が生み出したマハニ教は、古代から中世、中世から近代へと時代が移り変わり、タオが小国と成り果てても世界宗教として西大陸に君臨し続けた。

 しかし十六年前、古王国が滅んだ。

 帝国はタオ人を悪魔の種を持つ者として迫害したが、それ以上に西大陸に影響を与えたのがマハニ教の否定だ。

 帝国はマハニ教が行った呪術的儀礼や、魔術師の司祭を否定し、マハニ教由来の建築物美術書物その他あらゆるものを破壊し、焼き尽くした。それまで帝国臣民すら信仰していた二柱神ユギトとエレも蛮族が生み出した、虚構であったと断じた。

 世界各地に存在したマハニ教徒たちははじめは帝国の暴挙に憤った。だが、かつて西大陸中から崇敬の念を一心に集めた、タオ人の絶対的人口の減少とその威光の翳り、そして異能を操る種族への本能的な恐怖は、もはや彼らを人間ではいられなくした。

 そして代わりに産声を上げたのが、帝国国教会だ。エルヴィラ・レ・エスターテ女王――メティオラ帝国の君主を精神的指導者とする国教会の祭祀施設は、今や植民地を含めた大帝国全土に建設されつつある。

 ローズにとってのユギトとエレは、タオ人のおぞましい魔術の象徴だ。しかし、ローズがかつて愛したモルクフォードの自鳴琴時計にも、ユギトとエレは象られている。

「…………不思議ね。もっと恐ろしい場所だと思っていたわ」

「人間の思いが結晶したものにはたしかに邪念も宿るが、この神殿が真実、人を救うことだってあったさ」

 アランは立ち上がると、内壁に沿って歩き始める。

「かつて、この世は混沌の海だった」

 身長より少し高さのある壁に指を這わせてアランが語るのは、おそらくマハニ教の創世記だ。悪魔の経典とされ、焚書対象となった導書(どうしょ)のはじめの書に記されていたと伝わる。

 いけないとは思いつつも、好奇心が勝って、ローズはアランの後を追う。

「燃え立つ原初の海で、地母神ユギトは生まれた。原初の海の強大な力を持て余していたユギトは、混沌の秩序を破壊し尽くした。するとその混沌にできた割れ目から、大地が生まれた。ユギトは大地に拳を振るった。するとその衝撃で山が起こった。

 絶対的な力を持ちながらただ独りで世界に君臨したユギトは、涙を流した。すると大地に雨が降り、川が流れ、谷が生まれた。ユギトの嘆きは命を生む言霊となり、大地に緑が芽吹き、獣が闊歩した。ユギトが自身の姿を大地の水鏡に映して知ると、ユギトの嘆きは姿を似せた人間を生み出した」

 アランの低い声は朗々と、神代の昔語りを廃墟と化した神殿に響かせる。

 手に持っていた消えかけの枝の炎が肌を炙り始めて、ローズは潔く枝を地面に捨てた。踵で、くすぶる炎を踏みつぶす。

「ユギトの身体を満たしていた原初の海の力はやがて涸れ果て、地母神は最後に自らの命をしぼって、再生の男神エレを生み出した。そこでユギトはすべての力を使い果たし、大地に骸を横たえたという」

 ひと際強い風が、ローズの髪を巻き上げて上空を吹き荒れる。見れば、叢雲が途切れて、銀の月影がその光のしずくを今は亡き神殿に落としていた。

「エレは、ユギトが生み出した世界のすべてを手に入れた。あらゆる神獣がエレに跪き、寵愛を競って美しい乙女たちがそのそばに侍った。

 しかし、エレにはいつも、満たされぬ渇望感があった。

 エレの強欲は、母神ユギトを求めた。彼は、ユギトを自らの手で生み出そうとした。そして、神の力を持つタオの民が生まれた」

「だから、タオ人だけが、魔術を操る?」

 ローズには理解できないし、悪魔の種を持つ種族が語る言葉もその思想も理解したいとも思わない。そもそも神話なんてものは所詮虚構で、タオ人の持つ超自然的な力を科学的に説明する根拠にはならない。

 だが、アランが語った御伽噺が、タオ人の生み出した論理なのだ。なんとなく、その事実は胸にとどめておこうと思った。

 アランは、石壁から手を離し、ローズを振り返った。蝋燭の炎がちらちらと揺れるのに合わせて、灰色の瞳に橙が滲む。

 アランは一歩踏み出すと、手燭でローズを照らし出した。

「なかでも、ユギトの血潮を注がれて誕生した娘――タオのゴルドン王朝創始の娘アウローラは、ユギトと瓜二つの、赤い髪と緑の瞳を持っていた」

「ふうん? 母神ユギトと同じ容姿をしているっていう主張で、王族の正統化をしたわけね」

「そういうわけで、赤毛緑目の人間は、タオ人にとって特別なんだよ。……俺の場合は、特に、ね」

 神語りを終えたアランの声が、軽薄な調子を取り戻す。

 なんだか妙に含みのある言葉だ。ローズはアランをじっと見据えたが、彼が種明かしをしてくれる様子はない。

「お嬢さん」

 ローズは目を瞬いた。てっきり馴れ馴れしくも名前を呼ばれるかと思っていたから、彼の口にした呼称に拍子抜けする。

「タオの民にとって、神殿は信仰の場でもあるが、そこは同時に民族の繁栄にとって重大な儀礼の場でもあった。おそらくさっきの様子じゃ、このことは知っているな?」

「ええ。魔術師の出生には、条件がいる」

「そう。お嬢さんたちが言うところの、悪魔の種を持つにも、ただ男が女を抱くだけじゃ足りない」

「…………血と地の祝福」

 ローズは、小さくくぐもった声を漏らす。

「マハニ教神殿は、ユギトの眷属たる精霊が宿る場所に建てられる。そこで精霊を奉ることで、(つち)の祝福が整う。地の祝福のある場所でエレの落とし子たる血筋の者が交合することで、はじめてタオの赤子が誕生する条件が整う」

 だから、マハニ教神殿がすべて朽ち果て祝福を喪った今、タオ人は出生しないはずなのだ。

「あの子は、本当に魔術師なの?」

「リオ自身もそう言っていたはずだ」

「あんたが事実を捻じ曲げて、そういう風に信じさせている可能性は捨てきれない」

「なるほど、そういう考え方もあるのか」

 アランは、肩を竦めておどけてみせた。

「気になるなら、今度確かめてみると良い」

「……仮に、あんたが真実を述べているのだとして、生まれるはずのない命だわ。それとも、タオ人は帝国に知られていない神殿を隠し持っているの?」

「さてね」

 アランの煮えきらない態度に、ローズはやきもきする。

 アランは、眉間に皺を寄せたローズを置いて、踵を返した。明かりが遠のいていく心細さに、ローズはまたしてもアランの後を追ってしまう。

「ちょっと!」

 呼び止める声に応えはない。

 しかしそれでも少しは速度を落として、アランは歩調を合わせる譲歩を見せた。

 ローズは唇をへの字に曲げて、黙ってリオの眠る元の場所まで戻ってくる。

 座り込むと、さすがにどっと疲れが出てきて、崩れ落ちるように床に横たわった。

 すぐそばに魔術師がいるというのに、ローズの意識は泥のような眠りに引きずられていく。

 意識が完全に暗闇に落ちる手前、こめかみから頬にかけて滑り落ちる、あたたかな手の感触を感じた。しかしその感触を辿ることは叶わず、ローズは寝息を立て始める。

「どうか、このまま。やさしい夢を」

 朽ち果てた夜に、ひそやかな祈りがとける。やがて、神殿を夜風と木々のこすれる子守唄が包み込む。

 交わるはずのなかった運命が交錯し、同じ暮夜に抱かれるのを、細い月だけが静かに見つめていた。

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