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機械帝国の魔女  作者: 雨谷結子
第1章 逃亡劇の幕開け
3/24

 窓枠に切りとられた景色は、次々にその様相を変えていく。

 しばらくして、ひと際大きな街がローズの目に飛び込んできた。

 メティオラ帝国の首都ガルディオン――王族が住まい、政治を執り行うエスターテ宮殿を中心に、“女王陛下の頭脳”と呼称される帝国機械科学研究所、帝国国教会の総本山ザッカルト大聖堂、そして八年前に建造されたばかりの天を突くほどの高塔・《原石》の塔など、帝国の象徴たる大規模建造施設を擁する大帝国の中枢都市だ。

 年々施設も増設、革新され、ローズは何度見ても口をぽかんと開けて眺めてしまう。

 空には、三隻の飛行艇が浮かんでいた。いずれも煙突を突き立て、プロペラをいくつもくっつけていて、おまけに魚の尾ひれじみた風切羽を広げている。貴族の中には、飛行艇で世界一周旅行を成し遂げたという人間もちらほらと出始めていた。

 機関車は耳障りな音を立てて、トリムンド駅に停まる。

 トリムンド駅は帝都の中でも中心に程近く、今回の万国博覧会の会場と隣接していた。

 列車を下りるとすぐに、自動機械人形がローズを認識して走行してきた。

 妙に丸っこいフォルムの鋼鉄製の人形だ。トンボの複眼じみた目が付いており、金属探知とエーテルの光の変質作用による光線検査を行うことができると授業で習った。

 幸い身体検査人形は特にローズに反応することはなく、去っていった。背中のメーターが左右に動いているのが、なんだか可愛らしい。

(時間までまだ一時間近くあるし、どこか見て回ろうかしら)

 そう思って、高い天井の駅舎を見渡したローズは絶句した。

 黒い上質なスーツを身に纏い、シルクハットから闇色の髪を覗かせた人物が、同じように驚いた様子でローズを凝視している。

「ブラッド王太――」

 最後まで言わずに、ローズは自分の口を手で塞いだ。

 危ない。どこで反政府組織の人間が聞き耳を立てているとも知れないのだ。

「私のかわいい薔薇。まさかこんなに早く来ていただなんて――」

 ブラッドは親しげな微笑みを浮かべて、こちらにやって来る。

 本来なら、この場に叩頭しなければならない状況だ。しかしそんなことをすれば、ブラッドの正体が知れてしまう。

 苦肉の策で両手でスカートの裾を摘み、右足を後ろに引いて左足を軽く折り曲げた。

 ブラッドは帽子を取ってローズの元までやって来ると、彼女の手を引いてその甲に口づける仕草をした。微かに皮膚をなぞった吐息が熱く、心臓が狂ったように暴れ出す。

 ブラッドは、長い睫毛に縁取られた瞳をゆっくりと押し開いた。ぞっとするほど艶やかな縞瑪瑙(オニキス)の瞳とかち合い、ローズは息を呑む。

 整った鼻梁は高く、薄い唇が紡ぐ甘い声は、聞く者の背中に背徳的な快感を走らせる。

 昨今では愛玩用自動機械人形の製造も始まっているというが、ブラッドの美しさにはどんな作り物も敵わないだろう。

「殿下、側近の方は……?」

 ローズは、声を潜めて言いつのる。

 ブラッドの周囲には、いつもいるはずの側近や護衛の姿が見受けられない。

「撒いてきた」

「撒いてきたって! もしものことがあったら――」

「私はそんな簡単にやられたりしないよ。それに、もう半年も政務と研究から解放してもらえなかったからね。さすがにたまの休日くらいは、むさくるしい男たちから逃れて、羽を伸ばしたい」

 ブラッドが手にする籐のステッキは、先端からナイフが飛び出す仕様だ。象牙でできた把手は、牙を剥いた大蛇が象られている。懐にはいつも回転式拳銃が忍ばせてあり、なかなかの腕前であることも知っている。

 しかし、話はそう簡単ではない。

 眉を吊り上げたままのローズをなだめるように、ブラッドに物陰に押しやられる。

「それより、ローズ。殿下じゃなくて、名前で呼んでくれる約束だったけれど?」

 頬を親指の腹で撫でられ、ローズは直立不動で目を白黒させた。

「お、おそれ多いです!」

「寂しいな……私のことを本当に理解してくれるのは、ローズだけ。君に呼ばれない名など、なんの価値があるだろう?」

「で、ででででで殿下!」

 思考回路がショート寸前になったところで、ブラッドがこらえきれなくなったように噴きだした。

「ごめんごめん。初心な君には、少し刺激が強すぎたようだ」

 ブラッドはたぶん、王宮で恋愛ごっこを数えきれないほど繰り広げ、人たらしの異名に恥じない活躍をしているはずだった。

 このようなやりとりは、ブラッドにとって朝飯前なのだ。

「もう、殿下ったら」

 ローズは、膨れっ面になってそっぽを向く。

 ブラッドがこういう人だと分かってはいるけれど、どうしたってドキドキしてしまう。

 ブラッドはくすりと微笑んで、ローズのボンネットに手を伸ばした。あっという間もなく取り払われ、まとめて押し込んでいた夕日のように赤い豊かな髪がこぼれ落ちる。

「もったいないね。こんなに綺麗なのに」

 用心していたのに、ローズの身体は全身茹だったように真っ赤に染まった。

 それから、思いなおしたように自嘲めいた笑いが込み上げる。

「綺麗だなんて、誰も言ってくれません。おぞましいとか、魔女は消えろとか、そんな言葉ばっかり」

「君の周りにいる男は、目が節穴なんだな。腹立たしいが、君に現を抜かす愚かな男の一人としては喜ばしくもある、かな?」

 そう言ってブラッドはローズの髪を元通りにすると、紳士的に鞄を彼女から預かり、手を差し伸べた。

「すぐ近くに、少し洒落たカフェが出来たんだ。ご一緒にいかがかな? お姫さま」

 ローズはうろたえて口をもごもごさせた。しかし覚悟を決めてブラッドの手を取る。

 なんだかんだ言って、こういう特別な扱いを受けるのはこそばゆく、嬉しい。

(本当に正真正銘、二人きりだわ……)

 今まで会うときはいつだって、側近やら護衛やらがお邪魔虫のごとくくっついてきたのだ。

 勘違いして痛い目を見るのはローズだし、一国の王太子を危険にさらす可能性を考えるとうかうか喜んでばかりもいられないが、口元がにやけてしまうのはやめられない。

 カフェは、歩いて五分も掛からない大通りに面したところにあった。この大通りをもうしばらく行った広大な公園の奥に、万国博覧会の会場がある。

 店内は、歯車のガジェットの趣向を凝らした懐古主義的な雰囲気に満ちていた。流れている音楽は自鳴琴のものだし、大小様々、材質も異なる歯車が狭い店をさらに圧迫していた。

 歯車仕掛けの妖精や昆虫、小動物たちが眼窩に色鮮やかな宝石を嵌め込まれていて、今にも動き出しそうだった。店内に居る客も品の良い老紳士や立ち居振る舞いの洗練された良家の子女といった感じで、居心地がいい。

「素敵……!」

 興奮を隠せず、ローズは声を上げる。

「前に、モルクフォードの自鳴琴時計をやけに熱心に見ていたから。好きなのかなと思ってね。喜んでもらえて幸いだよ、私の薔薇」

 途端、ローズの顔は凍りついた。

 ブラッドと出逢った当時のローズはまだほんの六歳で、近所の人たちに白い目で見られているのにもかまわず、モルクフォードの自鳴琴時計を見にいくのが日課だった。ブラッドと初体面を果たしたのも、モルクフォードの駅前でうろちょろしていたちょうどそのときだ。

 彼は、ゴルドン王朝の生き残りの一斉捜査で指揮を取っていて、捜査線上に浮かんだローズを自ら視察にやってきたのだ。

 最終的に、ブラッドはローズの血を保証してくれた。

 とはいえ、周囲からの疑いは晴れていない。それどころかローズが子どもから大人へと姿を変えていくなかで、より一層根深いものになってしまった。

「殿下、わたし、もうあれは好きじゃないんです。小さなころは無知で、邪教のモチーフなんかに惹かれていたけれど、今ではそんな風には思えなくなりました」

 メティオラの王族は、タオ民族の非道を嫌っている。ローズが古王国寄りだとブラッドに思われるだなんて、耐えられない。

「もちろん分かってるよ。君は立派な臣民だ。でも、ローズは、歯車オタクだろう?」

 からかいを含んだ声だ。ブラッドの真意が分かって、ローズはほっと胸を撫で下ろした。が、少々聞き捨てならない言葉が混じっていた気がする。

「殿下! わたしはオタクっていうほど執着してるんじゃないですからね! ちょっと好きなだけですっ」

「はいはい、そんなにほっぺたを膨らませたところで、全然怖くないよ」

 やわらかく微笑って、ブラッドは頬杖をつく。そんな無造作な仕草さえ、ローズにはひどく色っぽく見えてしまう。

(あんな昔のこと、覚えていてくれたんだ)

 ブラッドが口先だけ上手い男だったなら、ローズもこれほど熱を上げなかった。

 帝国の名を背負う彼にとって、ローズとのひと時の邂逅など取るに足らないもののはずなのに、こうして他愛ない思い出のひとつひとつを大事に取っておいてくれる。

(嬉しい……!)

 果たして、今まで出逢ってきた人のなかで何人が、魔女と罵られるローズとの思い出を心の片隅にでも残してくれただろう。

 いつもは外に向かって尖らせている棘がブラッドの前では溶解して、やわらかな花弁のような心が剥き出しになる。

「メイベルにも託したけれど、学院でのことは本当に残念だったね」

「殿下にも、ご迷惑をおかけしました。《原石》は、これからの帝国の未来を担っていく、大事な動力なのに……」

 ブラッドはまだ在学中であるが、彼はすでに帝国機械科学研究所や《原石》の塔に出入りをして、《原石》動力の開発に携わっていると聞く。

 ローズが破壊してしまったのは、《原石》動力を使用した自動機械人形の試作品のひとつだった。

 さいわい、失敗作だったらしく大ごとにはならなかったが、それでもこの身の呪わしさが軽くなるわけではない。

「殿下、他にこういう症状を持つ人は居るんでしょうか? 治す方法は?」

「私が知る限り、ローズの他にはまだ事例がない。医工博士にも研究を急がせているが、さっぱり分からないそうだ」

 予想していたとおりの答えに、ローズは肩を落とす。

「それで、この機会に研究所で君の検査をしないかという話が持ち上がった」

 反射的に、ローズは顔を上げた。

「わたしの、検査を?」

「あまり怯えないでおくれ、私の薔薇。検査には私がかならず立ち会う。決して、君の悪いようにはしないよ」

「いいえ、怖がってるわけじゃないんです。願ってもないお話です。もしそれで、わたしのこの妙な力を失くすことができたら……」

 もしかしたら、機械博士になる道が開けるかもしれない。きっと、鏡を見るたびに吐いていたため息の数も減るだろう。

 ブラッドやジャックのような優秀な未来の機械博士に対して抱いていた気後れも、払拭できるかもしれない。

「ぜひ、お願いします」

 そう言って、頭を下げたときだった。

 まず最初に、大地を揺るがすような爆発音。続く地響きにテーブルの上の紅茶がひっくり返った。店を彩っていた歯車細工がいくつか天井から外れて、にわか雨のように頭上に降ってくる。

 思わず両手で頭を庇う。だが一向に、衝撃は訪れない。

 背中にやさしく触れたあたたかな感触に薄く目を開けると、抱きかかええるようにしてブラッドがローズを落下物から守ってくれていた。

「殿下!」

 鋭い悲鳴とともに、ローズは自分の身体からブラッドを引きはがす。

「お怪我は? ごめんなさい、わたしのせいだわ」

 青ざめた顔で、ローズはブラッドの身体を検分する。目立った外傷はないようだ。しかし、もしものことがあったらと思うと、血の気が引いた。

「なんともない。君を守る栄誉に与ることができて、光栄だ」

 ブラッドは悪戯っぽく言うと、瞬く間にその瞳を刃物じみた鋭利なものへと変質させた。

「おそらく、カラドパーク――博覧会場だな。……今日は《原石》動力適合の最終確認が行われているはずだが」

 言って、ブラッドは口笛を吹いた。割れた硝子窓から、どこに待機していたのだか、ブラッドの機械獣の《鷹》が飛び込んでくる。

「詳細を知らせろ」

 たった一言吹き込むと、ブラッドは寸暇も惜しむように窓の外に《鷹》を放った。目にも止まらぬ速さで、《鷹》は彼方へと飛んでいく。

「ローズ、すまない。ちょっと、行かなければならなくなった」

 十日後に迫った万国博覧会は、国の威信をかけた一大事業だ。その会場で爆発が起こったかもしれないとあって、いつになくブラッドは険しい顔をしていた。

「いいえ。殿下、どうかお気をつけて」

「ありがとう。さっきのことは、また連絡するよ。送っていけなくて心苦しいが、ローズも気をつけて」

 そう言って、ブラッドはローズが止めるのも聞かずに彼女の分まで会計をすませる。それから巨大な蒸気外燃機関をくくりつけた旅客輸送用自動走行車を捕まえると、車高の高さを物ともせずに飛び乗ってすぐに見えなくなった。

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