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機械帝国の魔女  作者: 雨谷結子
第5章 魔女と博覧会と赤い賭け
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 ステージの下が騒がしくなった。なにか、大きなものが動いている音がする。

 上空に、《原石》動力の気配が濃くなった。

 ここからでは見えないが、おそらく屋根が可動式になっていて、天井が開けたのだ。

「今から皆に披露するのは、ちょっとした余興である」

 鼻にかかるような、耳に心地よい甘美な声がして、会場をざわめきが覆い尽くす。

 女王のスピーチが始まったのだ。

「見えるだろうか? 飛行挺が二隻、それぞれ、掲げた旗の色が異なっている。赤と、青だ。今から、あの二隻が空戦を演じる。どの船が勝つか、賭けをしないか?」

 空戦――それはこの数年でようやく日の目を見ることになった戦法である。飛行挺が建造されてから、メティオラの植民地獲得は破竹の勢いとなった。

「でも、それだけではきっと、目の肥えたそなたたちは満足しないであろう? カードも船も、もう一つ用意した」

 そう言って、エルヴィラは右手を掲げる。その中指には、黒真珠で小さな船を象った指輪が嵌まっている。

「わたくし自身も、この空戦に参戦する」

 どよめきが沸き起こる。

 機械獣や機械蟲をはじめとした自動機械人形は、小型でも強力な破壊力を持ったものも存在する。しかし艦砲を備えつけた船を相手にして勝利できるような代物が存在するはずもなかった。

 しかもエルヴィラが掲げているのは、爪の大きさほどのただの小奇麗な宝石だ。少なくとも、普通の人間にはそうとしか思えない。

「とは言っても、心配は無用だ。皆のことはエーテルの防護壁が護って差し上げよう。エーテルにはわたくしの力のみ貫通させるよう、演算処理設定を施した」

 あの指輪はおそらく、アランの力を吸収させ、力を発動させる媒体だ。ちらりと向こうの舞台袖にブラッドの姿を捕らえた。やはり、アランは向かいにいるらしい。

「一分だけ、皆に考える時間を与えよう。さあ、決めるがいい。どの色に賭けるのか」

 時間の猶予がない。

 ローズはエリスを見下ろし、緊張した声で言った。

「放して」

「ローズちゃん、女王陛下の邪魔をすることは、いくら俺でも承認しがたいんだよね?」

「――そう。後悔するわよ?」

 ローズは、自由な左手で懐からナイフを取り出した。

「ああ、怖い。俺ってば、ローズちゃんからめった刺しにされちゃうの? それはちょっと、重すぎる愛だなあ」

 くすくす笑うエリスに、ローズは微笑んでみせる。

 そして、躊躇いなくナイフを振り上げた。

 血飛沫が上がり、エリスの瞳が見開かれる。信じられない、とでも言いたげな瞳だった。

 どくん、どくんと心臓が鳴るごとに尋常ではない痛みに襲われ、床に血溜りができていく。

 ローズが刺したのは、エリスではない。自分の手を刺したのだ。

 エリスのような軍人相手では、彼を刺したところでまったく動じない。しかしいくら鍛え抜かれた軍人といえど、想定外のことが起これば動揺する。しかもエリスはブラッドにローズを殺してはならないと厳命を受けているに違いないので、対象が傷つくことに対して敏感になっているはずだと踏んだ。

 案の定、仰天したエリスの手は離れている。

 ローズは痛みをこらえ、艶やかな傲然とした笑みを浮かべて言い放った。

「だから言ったのよ。後悔するってね」

 赤毛を覆い隠していたボンネットを取り去る。

 ローズの耳に、エルヴィラが定めた刻限を迎えた旨を告知する声が飛び込んでくる。

「さあ、一斉にカードを掲げよ」

 そう促すエルヴィラの艶のある声が、会場に響きわたる。

 ローズは、舞台袖からひと息に飛び出した。

「赤よ」

 エルヴィラただ一人に注がれていた衆目が、一転してローズに転じる。

「わたしは赤に賭けるわ」

 掲げたカードの赤なんて一瞬で忘れるほどに、その娘の波打つ長いつややかな髪は深い赤色をしていた。真っ向からエルヴィラを睨みつける瞳の色は、大地の恵みを凝縮したかのような、美しい緑だ。

 束の間、時が止まった。会場中の誰もが、ローズただ一人を見つめていた。

 群衆の一人が、魔女だ、と呟いた。その声を皮きりに、会場中にゴルドンの亡霊だ、いややはり第五王女は生きていたのだなどと人々は勝手なことを口走り始める。

「お嬢さん!?」

 舞台袖で、アランがこちらに気づいて驚愕の表情で叫んだ。アランはエリスと同じ鳥籠のなかに閉じこめられている。

 その瞳は、ローズを強く弾劾していた。

 ローズを見つめる冬の瞳にわずかな焦燥と畏怖が混じっていることに気づいたのは、いつだっただろう。

 彼はたぶん、ローズが引き起こした惨劇をその眼で見たのだ。

 ゆえに、アランはローズが人であることに固執する。彼のことだからきっと、そうした力への恐れだけじゃなくて、ローズが人として平凡な幸せを得ることを心から望んでくれたのだろう。

 身を呈してそんな生き方を与えてくれたアランの思いを、ローズはこれから踏み躙るのだ。

「みんな、聞いて。メティオラの新たな強大な動力《原石》は、タオ人の命を対価にした人道にもとる兵器よ。帝国はマハニ教神殿の破壊を行った一方で、帝都の《原石》の塔最上階に神殿を擁して、魔術師の生産を行っている。こんな悪逆非道を行っているのが、あなたたちの女王陛下よ!」

 叫んだローズの声に耳を貸す者はほとんどいない。

 当然だ。

 今まであらゆる脅威から国を守ってきたエルヴィラは、帝国臣民にとってはまさしく神にも等しい存在で、ローズだってずっとそう思ってきた。

 突然舞台上に転がり込んできた礼儀知らずの少女――しかも赤毛緑目の娘の言葉なんて、誰も聞くはずがない。

 まるで動じた様子のないエルヴィラに舌打ちしたい気持ちで、しかしローズは毅然と顔を上げる。会場のなかで誰か一人でもエルヴィラや帝国に対し疑問を持ってくれれば、それで良かった。

 ローズの目的は、帝国の打倒なんかじゃない。

「空戦の前に、排除すべき敵がおるようだ」

 艶やかな笑みを浮かべたまま、エルヴィラは残酷な宣告をしてのけた。ローズに指輪が掲げられる。

「いとしいただ一人の王杖に殺される。その感情をなんとする?」

 拡声器を通さない声が、ローズ一人に投げかけられる。

 ローズはエルヴィラを見ない。アランを、アランだけを見つめていた。

「魔女じゃないと、あれほど言っていただろう! その力を解放すれば、人じゃいられない! お嬢さんの言うとおり、化け物でしかなくなるんだぞ!」

 アランが吠える。悲痛な痛みを孕んだ声に、ローズは顔をくしゃくしゃにして笑う。

 ――しがみつきたい場所があった。

 魔女じゃない。魔女じゃないと、この身に巣食う強大な力を否定し続けてきたのは、ただ、誰かに微笑んでほしかったからだと今になって思う。誰かにローズと名を呼ばれ、抱きしめられ、孤児院に帰ればおかえりとたった一言、言ってもらいたかった。

 この赤毛が嫌いで、瞳の色が嫌いで、だからせめて優秀な機械博士になろうとした。

 だけど、折に触れ、臓腑の底で燻っている春がささめく。

 おまえは化け物だ。化け物にも勝る、怪物だと。

 ずっとずっと、必死で首を横に振って、わたしは帝国臣民だと言い聞かせてきた。でも、結局ローズの本質は怪物でしかなくて、それすら理解できないせいで大切な命を喪った。

 だから。

「いいの。……もう、いいの」

 ローズには、アランを救う力がある。たった一つ、その誇りがあれば、十分だ。

 ローズの裡から、光が溢れる。うだる夏を抱き込んで、春が産声を上げる。

 春。それは喪失の名だ。世界が、その春を忌み、そしてその到来を待っていた。

 今まで抱えてきたものぜんぶ、棄てるから。

(だから、ユギト、わたしの半身。この願いをどうか、聞き届けて)

 光は、一直線にエルヴィラへと走り、黒真珠の船を粉砕した。

 同時に、アランの鳥籠が効力を無くす。

(熱い)

 身体が焼けるように痛む。内奥で狂ったように叫び声を上げている春の力はすさまじく、ローズという柔な容れものなんて、簡単に壊れてしまいそうだ。

 暴走しかけた力に、アランの凍てついた力が加わるのを感じた。

 会場は大混乱だった。人々は口々になにかを叫び、水天宮の外へと一目散に逃げ出す者やエルヴィラを守ろうとでもいうのか手に持ったステッキを掲げた者、最近流行し始めたカメラをかまえる者と様々だ。

 壇上に軍服の男たちが手に手に光線銃を持って押し寄せてくる。

 光線銃の中心に嵌まった色とりどりの《原石》を認めて、ローズのなかの力がアランの枷を破壊して溢れ出した。

 ユギトが抱える感情に、憎悪と憤怒と絶望に、心が支配されそうになる。

 今ひとたび気を抜いたら、きっと目の前にうじゃうじゃと湧いた帝国軍人は、この力に破壊し尽くされるだろう。

(そんなのは、だめ)

 ブラッドを殴り倒して、アランがこちらに駆け寄ってくる。

 ローズを射殺さんばかりに睨みつけてくるその瞳を真っ向から睨み返して、その手を左手で握った。ローズの右腕の怪我に気づいたアランが眉をひそめる。

 アランは、ローズの背中に手を置いてそっと囁いた。

「俺と呼吸を合わせて。収束をイメージするんだ。お嬢さんの力は燃え立つ海に似ているから、その波を鎮めると思えばいい――やってみろ」

 ローズは頷き、身体を弛緩させアランに寄りかかった。吐息が重なる。

 荒れ狂っていた光の渦が、次第に収束し、穏やかな凪の海へと変じる。

 ほっと息を吐いたのもつかの間、兵士たちが襲いかかってくる。すぐさま、アランが吹雪の防護壁を展開した。

 ふと、ローズの耳に、嗚咽をこらえるような引き絞られた声が落ちてくる。

「なぜ――!」

 たった二音。けれど、あらゆる感情が綯い交ぜになった、ねばついて耳にこびりついて離れないような、あるいは殺意すらも覗く衝動。それはまさしく糾弾だった。

 ローズは背伸びをして、血で濡れた手でアランの頬に触れる。

「これが、わたしに残された、ただひとつのほんとうだったから」

 迷いなく、ローズは答えた。

 アランの冬枯れの瞳が、傷ついたように、揺らいだ。いや――彼のなかのなにかが罅割れたように、ローズには思えた。

「お説教はあとでいくらでも聞くわ。ひとまずわたしと一緒に逃げてくれる?」

「……仰せのままに、お嬢さん」

 なにか言いたげな瞳を伏せてアランはそう言うなり、ローズを抱き上げた。

「プリシラ! メイベル!」

 ジャックの改造によってすさまじい量の睡眠薬を仕込んだ《蝶》がひらひらと舞い、兵士たちを昏倒させる。メイベルが、ようやく鳥籠から抜け出したエリスを刺す。

 ローズは、真っ直ぐにエルヴィラを見据える。

「これ以上、あんたたち帝国がわたしたち(、、、、、)を食いものにしようとするなら、いずれエスターテは滅びを迎えるわ」

「そなたにわたくしを滅ぼせるとでも? 従者一人の心すらままならぬそなたが、全世界を従えるわたくしの仇となるか?」

 扇で口元を隠して、エルヴィラは笑う。

「黙りなさいよ、おばさん! あんたが世界を力でねじ伏せるなら、わたしは力だけに頼ったりしないでみんなをメロメロにするんだから!」

 ローズはエルヴィラをびしっと指差し、言っていてちょっぴり恥ずかしい台詞を大真面目に叫んだ。

 おばさん、のあたりでエルヴィラのこめかみがぴくりと脈打つ。

 アランが壇上から飛び降り、割れた人垣のなかを駆け抜ける。

 ほんの一瞬、追いすがるようにブラッドが手を伸ばしたのが見えた。

 夏の呪いにとらわれ、一方ではローズを偏愛し、一方では憎悪する、終わりなき螺旋に取りこまれてもがき続ける哀れな人。

 ローズは手を振って小さく呟く。

「ばいばい、わたしの王子さま」

 指示を出し間違えたのか、上空で勝手に始まった空戦の結果は、青の飛行挺の墜落に終わった。

 赤い旗が、真昼の空にはためいている。

 思いがけず、ローズは賭けに勝利した。

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