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機械帝国の魔女  作者: 雨谷結子
第1章 逃亡劇の幕開け
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『ベレスフォード女学院でのことは気の毒だったね。でも、君がどれほど勤勉かは、先生方にも分かっていただけているはずだろう。ローズの担任のコリンズ先生は人格者だし、君を決して容姿や妙な噂で評価したりしないはずだよ。ローズは一週間の停学処分らしいけれど、私も実は今週、一日だけ時間がとれた。明日、十時に帝都のトリムンド駅で待っている』

 低く甘い、ローズが愛してやまないブラッドの声が、少し無機質な機械音声となって室内に響きわたる。ローズの機械蟲・メイベルは、録音機能が内蔵された通信用機器である。

「明日、帝都のトリムンド駅でって――」

 ローズは期待に胸を高鳴らせた。何かしていないと思わず叫び出してしまいそうで、ぎゅっとメイベルの小さな体を抱きしめる。

 しかし、メイベルは嫌そうに身じろぎした。

 もちろん、ローズの機械蟲は自我など持っていない。破壊から身を守るために組み込まれたプログラムの成せる技だ。

「デート? デートのお誘いってこと?」

 ローズはきゃあきゃあ言って、ベッドの上を転げまわる。

 昨日、ベレスフォード女学院から停学勧告――しかも入学から二年目にしてすでに三度目――を受けて意気消沈としていたローズは、持ち前の単純さを活かしてすっかり元気を取り戻していた。

 ブラッド・カメル・エスターテ。エルヴィラ女王が治めるこの大帝国メティオラの王太子にして、王立学院の大学部を首席で卒業。現在は飛び級をして大学院に通っている、顔良し頭良し血筋良し性格良しの完璧超人だ。

 そんな正真正銘の王子さまとローズが知り合ったのは、もう十年も前に遡る。十六年前に滅ぼされた古王国タオのゴルドン王朝の生き残りを探すための一斉捜査で、ローズの名前が浮上したのだ。

 理由は、ゴルドン王家と同じ赤毛緑目の容姿を持っていたから。しかも、ローズは生きていれば末の第五王女と年の頃も同じだったという。

 しかし、ローズが亡国の王女などではないことはすぐに証明された。

 ローズには、魔力が欠片もなかったのだ。そう、古王国タオの民は、帝国の人間が持ち得ない摩訶不思議な力――魔術を操る。

 かつては帝国も、この強大な魔術の力によって多くの臣民を殺された。現にイーストン孤児院の子どもたちは皆、古王国との戦争で親を喪ったみなしご――英雄の子らだ。

 今でも古王国の生き残りとは小競り合いがあり、賞金首の貼り紙が三月に一度は貼り替えられる。タオ人の生き残りによる反政府組織の活動も、最近は特に活発になっていた。

 そういうこともあって、ローズは赤毛緑目という古王国の象徴のような外見から、魔女などという不名誉な呼び名を与えられることになったのだ。

(わたしだって、魔術師は憎いのに!)

 ローズは両親の姿を覚えていない。けれど、母を、父を、帝国全土の善良な臣民の命を奪い去った魔術師を思えば、憎悪が噴出する。

 ベレスフォード女学院でも、古王国との抗争の歴史は習っている。

 もちろん、ローズの歴史の成績は最高評価の優だ。

 ローズが唯一、優以外の評価に甘んじているのは、機械科学である。学科試験は満点だが、どういうわけか、ローズは絶望的なまでに機械音痴で、実技の才能が欠片もなかった。

 しかも、ただ機械音痴なだけならまだしも、ローズは最近発見された《原石》動力を用いた機械について恐ろしい悪癖を持っていた。

 少し触れただけで、その根本の動力源から破壊してしまうのだ。

(機械科学は、大帝国の繁栄を支え、未来に寄与するものなのに……)

 機械科学を極めた機械博士は、今の大帝国で最も崇敬を集める職業だ。

 ローズも将来的には機械博士になることを夢見ていたが、現状では不可能に近いだろう。

 ローズの停学は、三件とも《原石》動力装置の破壊が理由だ。

 三回目になる今回は、《原石》動力見学の実習の際にも、自らの行動には細心の注意を払っていた。にもかかわらず、ローズを快く思わない学友の誰かによって体当たりされ、彼女の努力は水の泡となった。

 だが、人生も捨てたものではない。まさか、多忙を極めるブラッドが、落ちこぼれの孤児院育ちの赤毛の小娘のために時間を割いてくれるだなんて思わなかった。

 ブラッドは十年前に魔女の疑いを掛けられたローズに対して、何かと世話を焼いてくれていて、機械蟲を飛び交わす仲だ。それにつけ込むような真似はすべきではないと思ったが、誰かに慰められでもしなければやっていられなかったのだ。

「メイベル! 明日何を着ていこう?」

 孤児院育ちのローズに選べるほど洋服の種類があるはずもないが、そわそわと浮き足立つ心は一向に落ち着く気配がなかった。


 明くる日、ローズは茶系の落ち着いた色合いのドレスに身を包んで部屋を後にした。手には院長への書き置きと、工場での賃労働で得たなけなしの所持金をつめ込んだ鞄を引っ掴んでいる。

 編上げブーツの踵が、こつりこつりと軽快な音を響かせる。窓の外は、ローズの願いに答えるかのような晴天だ。

 そんなうきうきとした気分を裏切り、階下にはジャックが不機嫌そうな様子で突っ立っていた。

 まだ起きてくるには幾分早い時間だ。誰にも見咎められたくなくて、ローズは待ち合わせの十時より随分と早い時間に着く列車に乗る予定だった。

 しかもジャックは普段は帝都の寮暮らしで、昨日は一月ぶりに孤児院に帰ってきたのだ。

 なんでこんな朝早くから、腰巾着も連れずに意味もなくローズを睨み上げてくるのだろうか。

「どこ行く気だよ?」

 鳶色の瞳を爛々と輝かせて、ジャックはローズの前に立ち塞がった。

「どこに行こうと、わたしの勝手でしょ」

 朝焼けの光を浴びて、ジャックの灰色がかった金髪が淡く光を孕んでいる。

 ローズは極力ジャックから目を逸らして、その横を通り抜けようとした。

「王太子殿下に何を言われたんだか知らねえけど、おまえなんか相手にされねえよ」

「失礼ね。ジャックなんかに言われなくたって、それくらい分かってるわよ」

 売り言葉に買い言葉で、思わず早朝だということも忘れてローズは怒鳴り声を上げてしまう。

(殿下はおやさしいから、帝国が一度魔女のレッテルを貼ってしまったわたしに責任を感じているだけ)

 そもそも魔女摘発の一斉捜査さえなければ、ブラッドはひと目見ることすら叶わなかったかもしれない雲の上の人間だ。そんなことはとっくに分かっている。

 浮かれてただ甘い幻想に向かって駆けていけるほど、もう幼くはない。

 けれど、魔女だ魔女だと後ろ指を指されてばかりのローズにとって、ただの女の子になれるブラッドとの時間はあまりにも心地がいいものだった。

 そう、ほんの束の間の、すぐに消えてなくなる泡沫の夢。ひととき、そんな夢に沈んだっていいじゃないか。

 歯を食いしばってジャックを睨みつけると、彼は怯んだように後退った。その隙を突いて、ローズはジャックの横をすり抜ける。

「――待てよ」

 思いがけず手首を掴まれ、さすがのローズもその身を強張らせた。ジャックからの嫌がらせが暴力行為に及んだことは今まで一度もなかったが、それでも長年の間に染みついた彼への嫌悪と本能的な恐怖心が顔を出す。

「あ……わり」

 傲慢な彼にしては珍しく、殊勝な謝罪の言葉が飛び出した。ローズは唖然とジャックを凝視してしまう。

「あー、だから、ええと、つまりその――」

 これまた珍しく歯切れの悪いジャックを、ローズはじろじろと不躾に眺めた。

「……髪、隠してるんだな」

「それ、ほんとに言いたかったこと?」

 ジャックが言い渋ったことがそんな他愛のないこととは思えず、ローズは胡乱げな声を上げた。

 だが、ジャックの言っていることも分かる。ローズは悪目立ちする赤毛をまとめてボンネットの中に仕舞い込んでいた。

「まあね。博覧会前で、反政府組織も帝国臣民も気が立ってるから、赤毛緑目(わたし)なんて刺激にしかならないわよ」

「…………送る」

「は?」

 ローズは瞬きをした。

「だから、送るっつってんだろ。何度も言わせんな!」

 なぜかジャックは片手で顔を覆って、ローズの返事も聞かずにずんずんと歩き出してしまう。

「なんなの……」

 治安の悪化しつつある、メティオラでの一人歩きを心配したのだろうか。

(まさか。だってジャックよ?)

 若干混乱し始めた頭に正常な思考を促して、ローズは駆け足気味に孤児院を後にする。

 孤児院のあるレイカトルの隣街に着くまでの間、二人の間には奇妙な沈黙が横たわり、ついにはまともな会話ひとつ成立することはなかった。


 レイカトルを擁するモルクフォード市は、近年発達の著しい工業都市だ。石炭燃料を主流としており、石炭都市の異名を持つ。そんなモルクフォードの街は早朝から霧が立ち込め、向こうの煙突からは黒いもくもくとした煙が青空を汚していた。

 石畳のくねくねとした坂道を下っていくと辿り着くのが、モルクフォード駅だ。始発の時間だというのに、すでに通勤客の姿がちらほらとある。

 駅の入口にある巨大なぜんまい仕掛けの自鳴琴(オルゴール)時計は、歯車工学から勃興したモルクフォードのちょっとした名物だった。

 天文から着想を得てつくられたというこの時計は、文字盤が太陽と月と地球を模したものとなっている。古王国の解体とともに古王国由来の言語は帝国から駆逐されていったが、この自鳴琴時計の文字盤には古代タオ文字が使われていた。

 文字だけではない。時計の下部には、禁忌となった異教の神の彫像が佇んでいた。

 今やすべてのマハニ教神殿が破壊され、二柱神ユギトとエレを象ったマハニ教美術は破毀されたが、モルクフォード発展の礎の象徴たる自鳴琴時計は、職人たちの決死の抗議により現在も変わらず時を刻んでいる。

 時計の長針がカタリと進み、時刻がちょうど八時を指した。

 ユギトの手にした鐘が、高く澄んだ音を鳴らし、モルクフォード地域で最も親しまれている民謡がエレの導きにより奏でられ始める。

 自鳴琴の音色は有志の職人によって幾度も調律され、数百年前から色褪せない音を響かせていた。

「きれいだな」

 ローズは目を丸くして、穴が開くほどジャックを見つめてしまった。

「古王国の負の遺産よ。きれいだなんて!」

「でも昔はおまえだって、毎日のようにこの自鳴琴時計を見にきてただろ」

 ローズは言葉につまった。

 ローズが機械博士に憧れたのも、この自鳴琴時計を初めて目にしたときの衝撃が忘れられないからだった。時計の前で大声で喧嘩していた中年の夫婦が、この音色を聞くとともに、決まり悪そうな顔でどちらからともなく謝り始めたことは、小さなローズの目を丸くさせた。

 だがそれも、長くは続かなかった。魔女だと後ろ指を指されることに無邪気でいられた時はすぐに過ぎ去り、ローズは古王国由来のものを毛嫌いするようになった。

 そもそも、マハニ教は邪教とされ、特に古王国滅亡後の教育を受けてきた子どもたちに蛇蝎のごとく嫌われている。

 女王陛下のお膝元・帝都にある王立学院高等部で機械科学を学んでいるジャックならば、ことのほか反タオ主義の傾向は強いはずだ。ローズの赤い髪を見て魔女と罵るくせに、この自鳴琴時計を肯定するような発言をするだなんて意外だった。

「おい、時間」

「あ、やだ、乗り遅れちゃう!」

 途端にローズは駅舎の中に駆け込み、切符を買った。

 ローズの手から奪いとるように革製の鞄を持ち去ったジャックが、荒く息を吐きながら背中を押してくる。ワインレッドの光沢が見事な蒸気機関車のコンパートメントの一つに、ローズは物のように押し込まれた。

「――見送り、ありがとう!」

 ローズは人々の喧騒と、蒸気と汽笛の唸り声を上げる機関車の騒音に掻き消されないよう、大声を張り上げてジャックに礼を言った。

 まさかジャックに礼などを言う日がくるなんて、今の今まで思っていなかったが、つまらない意地を張っていても仕方がない。

 窓を押し開けて、ローズは鞄を受けとる。

 ジャックは嫌味の一つでも投げてくるかと思ったが、なんだか中途半端な渋面をつくったまま、ローズを見つめている。

 そうこうしている間に、車輪が軋んで、ゆっくりと車体が動き始めた。

 ジャックが慌てた様子でプラットホームを走って追いかけてくる。

「ちょっと、危ない!」

 叫んだ声も、ジャックには届かなかっただろう。何しろ、ジャックが何ごとかを叫んでいるのは分かるのだが、ちっとも彼の声はローズの耳には届かない。

 どこか切羽詰まったような彼の様子が気にかかったが、ほどなくしてローズは大人しく背もたれに深く身を沈めた。

(どうせ、会いたくなくたって、また今夜会えるもの)

 ローズの胸のなかで、その言葉は言いわけがましく波紋を描いた。

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