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機械帝国の魔女  作者: 雨谷結子
第3章 亡き王国のかえらぬ春
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 睫毛が震える。硬く閉じた瞼が押し上がり、飛び込んできた弱弱しい陽光にゆるく目を瞬く。

 いつの間にか、冷たい雨は止んでいた。窓から射し込んだ陽光は赤く燃え、遥か向こうの山際にかろうじて引っかかっている。

「だいぶ、寝ちゃったのね」

 言って、ローズは鈍く痛む頭を起こした。隣で、寝転がりながらリオが地図を広げている。

「やっと起きたの?」

「……魔術師は?」

「女王の犬にスパイに行ってる。僕たちの噂が流れてないかって」

 そう言うなり、リオは地図を折りたたんだ。深い茶の瞳には、命の灯火が盛んに燃えている。

「ねえ、ローズ」

 ローズは目を丸くした。

 女王の犬や、おまえとばかり呼ばれていたので、なんだか新鮮でこそばゆい。

「ローズにとって、魔術師ってなに? みんな揃って死ぬべき、悪魔の種族?」

 深く切り込むようにまっすぐに投げられたその問いに、ローズはすぐに答えることができなかった。

 十六年前、古王国タオが滅びるのに先だって、即位して間もないエルヴィラ女王により大帝国ではマハニ教が邪教として禁じられた。それまで帝国内のマハニ教神殿で司祭を務めていたタオ人は迫害され、悪魔の種族として殺された者も居るという。

 戦争中、タオ人は多く殺された。東大陸の新聞では、虐殺という言葉が使われるほどの、大規模な殺戮が行われたのだそうだ。悪魔の種を持つ種族として、兵士や王族だけではなく、女や子どもも多くが殺された。

 生きのびたタオ人は、これを糾弾した。

 だが、目の上のたんこぶであった、宗教的に格別の地位を持つタオを滅ぼし、もはやメティオラの勢いをとどめる者は居なかった。

 さすがに戦後は、表立ってタオ人の虐殺などは行われていない。

 子孫を残すことも叶わなくなったタオ人は、今や静かにその滅びのときを待つのみだ。

 今から十年近く前、ローズの暮らすレイカトル地区にも、高い医療技術を持つひどく年若い魔術師が転居してきたときがあったが、半年もしないうちにどこか別の場所へ移って行った。この魔術師は、越してきた当時は身の上が明らかになっていなかった。腕利きの医師として評判になったが、なにかのきっかけで魔術師であることとを疑われ、正体が明らかになって街を追われたのだ。

 帝国に潜伏する魔術師は、その出自を隠していることが多く、一見して魔術師と見抜くことは難しい。だから、どれほどの魔術師が現在存在しているのかも、明確な数字は示されていない。

 レイカトルの魔術師の場合は街を追われるだけで済んだが、たまに新聞を賑わせるのが、帝国臣民による魔術師の私刑だ。

 帝国も東大陸諸国への体面があるからか、腹の内はどうあれ、タオ人は一人残らず殲滅せよなどとは言わなくなった。おそらく魔術師として認識されたタオ人は当局から目をつけられているだろうが、犯罪者でもない限り連行されたりはしていないはずだ。

 そうした帝国の方針を軟弱と非難し、魔術師はすべて殲滅すべしとする過激派も国内には根強い。

 ローズはこれまでずっと、両親をタオ人によって奪われた子らが集うイーストン孤児院で暮らしてきた。

 なかには、魔力なしとの処断が下り帝国臣民として認定されたローズを蛇蝎のごとく嫌い、赤毛を見て卒倒しそうになる“家族”も居る。学校でも、いじめられることは数多くあったが、ブラッドの存在があったから、なんだって乗り越えられた。

 エスターテ王家には、タオ民族排斥主義者が代々多く居たというから、ローズもブラッドに嫌われないために過剰にタオ人に対して攻撃的に振る舞うこともなかったわけではない。

 レイカトルの小さな医者には、ローズも鋏で首を掻き切りかけたときに一度世話になっている。だが、魔術師と知れるなり、街の人々と一緒になって悪魔だ邪教徒だ親の敵だと合唱した。

 ローズは、リオをひたと見つめた。

「リオは……魔術師なのよね?」

「アランに比べれば、格はだいぶ劣るけどね。疑うなら見せてあげるよ」

 ローズは、首を振った。正直、魔術をこの目で見て理性を保っていられる自信はない。

 ならば、そんなおぞましい魔術を使う魔術師は例外なく悪で、殲滅しなければならない存在なのだろうか。

(魔術師は、悪よ。悪でなければならない)

 けれど。

 目の前で、こうして一心にローズの言葉に耳を傾け、命を燃やしているこの少年は、そしてあの凶悪なくせにリオには愛情を傾ける魔術師は、今この瞬間に帝国の正義の剣によって心臓を刺し貫かれるべき存在なのだろうか。

「リオたちの振るう力は、悪だとしか思えない。だけど、リオたちがみんな、揃って死ぬべきとも思えない」

 ローズにできたのはそんな、ひどく曖昧な返事だけだった。

 ローズは知らず、唇を噛む。なにかわけの分からない焦燥感が、ローズを急かしている。

 この恨めしい赤毛がもたらす災厄を思えば、徹底的に魔術師を排除しようとしなければならないのかもしれない。

 リオから目を逸らして、帝国臣民が口にする怨嗟の声や、授業で習った魔術のおぞましさ、タオ人の非道さを思えば、なんとかそういう思いも抱けただろう。

 でも、今、ローズの目の前に居るリオから、目を逸らすことなんてできない。できるはずがないと思った。

「ねえ、ローズ。見て。今朝まではあんなにひどい天気だったのに、まるで嘘みたいに澄みきっている。――空は、こんな風に暮れるんだね」

 それはまるで、リオは夕暮れすら知らないと言っているかのような言い草だ。

 四角く切りとられた黄昏た景色を映した瞳は、熱のせいかひどく潤み、それでも希望を透かして輝いている。

 ローズは窓を振り返って、目を細めた。窓枠の額縁の中で、青みがかった天上から次第に黄、橙、薄桃、赤へと色づいた空は、まるで名画のようだ。だが、絵画とは違って、この本物の空はほんの瞬きひとつ分の間にその色を変えてしまう。

 その様を目に焼きつけようと食い入るように見つめているリオの心はたぶん、ローズと同じ形をしている。

「僕さ、はじめて外の世界に出たんだ」

「え――?」

「それまでずっと閉じ込められていた。でも、ローズと会ったあの日、初めて別の場所に連れて行かれたんだ。そのとき、僕を助け出してくれたのが、アランだよ」

「……閉じ込められてたって、どこに? ううん、誰に?」

 身を乗り出したローズに対して、リオは微笑する。

 元々年相応とは言いがたい言動の目立つ少年だったが、今までで一番大人びた――なにかを諦めたような微笑みだった。

 リオは、帝国臣民を女王の犬と呼んで毛嫌いしている。ローズが問うまでもない。リオを閉じ込めていたのは、帝国の人間に違いなかった。

 ようやく、これまで耳にしたリオの不可解な言動が、するりとほどけてローズの胸に落ちてくる。

「アランもたぶん察しているけど、僕はもう長くない」

 いささかも動じた様子なく、明日の天気を占うみたいな声音でリオが言った。

「そんな!」

 思わず声を荒げたローズを制するように、リオが手を上げる。

「馬鹿だね、ローズ。僕がよくなるまで、アランに逆らわないだなんて約束しちゃって。このままじゃ、一生アランの下僕だよ?」

 リオは、ひどくおかしそうにくすくすと笑う。しかしそこに、悪意の響きはない。

「ずっと同じ環境で、必要最低限の栄養だけ摂らされて、繋がれていたんだ。この枯れ木みたいな身体、見ただろ? たぶん、僕の身体は外の環境に耐えられない。だけど、あの塔に閉じこめられて死ぬよりは、ずっと愉快な最期だよ」

「……ねえ、リオ。あなたの顔色、だいぶ良くなったわ。お医者さまにかかれば、きっと良くなる」

 そんなローズの無責任な慰めは、リオにとってなんの足しにもならないだろう。

 だが、リオはローズの言葉を否定することはせずに、小さく笑った。

「アランの名前は聞いた? フルネームの」

 なぜ急に、アランに話が飛ぶのか分からない。けれど十歳の少年が発する有無を言わせない圧力に屈して、ローズは素直に首を横に振っていた。

「アラン・インヴェルノ・ホスキンズ。タオ王国で、ゴルドンの王族の側近として仕えた、一の(おう)(じょう)ホスキンズ家の生き残り。王杖っていうのは、そっちの概念で言うと、騎士とでも言うのが分かりやすいかな」

「一の王杖――ホスキンズ家」

 ローズは馬鹿みたいに、六歳年下の少年が澱みなく語る言葉を反芻する。

 リオは窓枠から視線を外して、ふうと息を吐いた。少しくたびれた様子で、とっくりとローズを眺める。

「なんでそんな話を、女王の犬(わたし)に?」

 ベッドの上から足を投げ出したリオは、首を反らして天井を見上げた。外界から手を伸ばしてきた死にかけの陽光が、リオの栗色の髪を金色に透かして、まるで大気にとけていってしまうような錯覚に陥る。

 ローズはたまらず立ち上がって、リオに駆け寄った。ベッドによじ上って、存在を確かめるようにそっとその痩けた頬に触れる。

「アランは、僕を連れ出して、僕とともに在ることを望んでくれた。はじめてだった。一人じゃないことが、どういうことか、教えてくれた。だから」

 リオはそう言って、ローズが膝の上で血が滲みそうなほど握り締めていた拳をやさしく開いてくれる。

「僕が居なくなったあとも、誰かにアランのそばにいてほしい」

「でも、わたしは――」

「うん、これは僕のただの欲だ。だから、気にしなくて良い」

「……言ってることが、めちゃくちゃだわ」

「ごめん。だけどアランの他にはローズだけが、僕のことを識別番号じゃなくて、名前で呼んでくれたから」

 そう言ってから、リオはへにゃりと笑み崩れる。

「うん、でも、ローズみたいな馬鹿が居るんだって思ったら、ちょっとこの世界に未練も出てきたな」

 リオの言葉にぱっと顔を明るくしたとき、ローズの耳がノックの音を拾った。急いで自分のベッドに戻って掛け布を被ったところで返事をする。

 ゆったりとした足音が響いて、リオの安堵のため息が漏れ聞こえた。

「ローズ、アランだ」

「なんだ、驚かせないでちょうだい」

 言って、ローズは頭から掛け布を引っぺがした。

 アランは少し疲れたような顔をして、どっかりとリオのベッドに腰掛ける。

 借り物のシャツはぱつぱつで、釦が四つも開いている。見ないように見ないようにと意識していたのに、どうしたって広くくつろげられた胸元に目が行ってしまう。

 先だっての下着で密着事件が思い起こされて、ローズは金切り声を上げて記憶を抹消したくなる衝動を無理やり抑え込んだ。

 見れば見るほど、胡散臭い男だ。いっそ妖艶とすら形容したくなるくらいの色気と、野卑で粗暴な荒々しさとが同居している。

 だが、リオが信頼しているのも、この男なのだ。

 不可思議な器の中を泳ぐ魂は、果たしてどんな形をしているのだろう。

「収穫は?」

「不潔な魔術師と、赤毛の魔女と、少年の三人連れの話は、この村でも話題になっているみたいだな。捜査の手はまだこの辺りにまでは伸びていないようだが、長居はしない方がよさそうだ」

 チェルシーは、まさか自分が熱を上げている美形の辺境伯が不潔な魔術師(、、、、、、)だとは思わないだろうが、ローズたちが抜群のタイミングで現れた不審な三人組であることには変わりはない。

「正真正銘の魔術師が簡単に血を偽れるのに、わたしが姿を見られただけで物議を醸すのは、やっぱり納得がいかないわ」

 赤毛を一房掴んで、ローズが口をへの字に曲げる。

「出発は、明日の朝だ。リオ、満足に休ませてやれなくて、すまない」

「ううん、だいぶ楽になったよ」

 リオの掛け布を整えると、アランは部屋の扉の前に陣取り、立てた膝に頬杖をついた。どうやら、二台しかないベッドの一つからローズを引きずり下ろすことは頭になかったらしい。

 ローズはすでに随分と寝入っている。室内にはソファもあるので、ローズとしては別にベッドでなくても構わない。

(魔術師にベッドを譲るべきかしら)

 とはいえ、なんと声をかければいいのか分からない。それにたぶん、アランは外からの警戒も兼ねて、部屋の出入り口に陣取っているのだろう。

(リオの言葉を疑うわけじゃないけど、毒されすぎね)

 ローズの最終的な目標は魔女疑惑の否定と、帝都への帰還。アランが万国博覧会襲撃を画策しているのなら、それも阻まなければならない。

(いずれはまた、敵になる相手。いいえ、今だって、休戦しているだけだわ)

 胸の内側を明け渡すことは、得策ではない。ほどけすぎた心を結びなおして、ローズは深い眠りへと落ちていった。

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