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EUNUCH  作者: 立春
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全校で行われるリハーサルと言っても、会の進行をスムーズにするため、ステージの入退場を一度行うだけである。学年ごとに体育館に集められ、先生の指示に従ってステージに上がり、指揮者が手を上げ下ろす動作を示すと、全員が一礼して次の発表の為にステージに降りる。それと同時に次のクラスがステージに上がる。それを繰り返すが、緊張をするのは最初に入る指揮者と最後に入場する者たちだけで、他は前の人の後に続いて定められた位置に立てばそれで良いのである。学年のリハーサルが終わり、クラスに帰ると女子たちが教室の飾り付けをすると意気込み始めた。明日の文化祭は生徒の間だけで行われ、明後日は保護者を招く形となるので、教室を綺麗に飾り立てておきたいと言うことらしい。否定することもなかったので、女子に渡された紙の切れ端で環を作り、それを幾重にも繋げて紙の鎖をつくっていった。こういう手作業は何も考えなくとも、一度やり方さえ覚えてしまえばあとはそれの繰り返しなので、気持ちがずいぶん楽だった。けれど、今が遊びたい盛りの健康な生徒たちはすぐにそれに飽きて、残った紙で飛行機を作って遊ぶ者がちらほら居た。一度頭に紙飛行機が当たり、誰のものだろうと辺りを見回すと正義が悪かったと両手を合わせてこちら見ていた。机の上にあっても邪魔なだけなので、それを彼に返しまた一人で鎖を作り続けた。

「だいぶ出来たね、」

顔を上げると、夏が隣の椅子に座って同じように輪を作っていたことにようやく気付いた。どうして彼は正義たちと一緒に遊ばないのだろうか、そう思って正義たち男子の方を見ていると夏は肩を竦めた。

「正義もしょうがないな。どうせ、後で蘭さんに怒られて、一番こき使われることになるだろうに」

そういうものなのかと夏を見た。夏は今日も何も無かったように笑いかけてくる。それが夏という人なのかも知れないと、彼の絶えない笑顔を見ながらぼんやりと考えた。

「そろそろ給食の時間になるし、ぼくのと繋げておこうよ」

端の輪を持って夏が言うので、今作っていた輪を彼に渡した。夏は一つ紙の線を取ると、輪と輪を繋ぎ、ずいぶん長い鎖が出来上がった。これだけ鎖が長かったらもう十分ではないだろうかと思ったが、それでは仕事が無くなってしまう。けれど、夏はこれで終わったと鎖を前に置いてある机の上に運んで行ってしまった。手持ち無沙汰を感じるが、今日は本も何も持ってきていない。仕方なく、肘をついて窓の外を眺めてみたが、昨日夏が言った通り、雨が降りそうな薄暗い色をしていた。

「明日、雨が降らないといいね」

また隣から声が聞こえ、顔を夏に向けた。もう自分の腐臭も汚れのことも、夏に対し気にかけることが無駄な事のように思えていた。だから、彼が近くにいても、逃げる気にもならない。

「教室こんなになって、給食どうするんだろうね」

言われてみれば確かにそうだった。首を傾げ、周囲を見回し肩を竦めた。机は正位置がわからないほど、乱雑に教室中に置いてある。これでは確かに、いつもどおり給食を配膳することは難しいのではないかと思った。

「床で食べることになるかもしれないね」

強ちありえないことでもなさそうで、頷き同意を示した。それにしても、どうして夏は隣で話しかけてくるのだろうか、正義たちの所に行けば退屈はしなくて済むだろう。

今日は自分の匂いよりも、周囲に充満するインクの匂いの方が酷く感じた。気分が悪いのに誰も窓も開けずに平気でいるというのは、もしかしたら、夏以外のクラスメイトも全員、元々鼻が麻痺しているからなのかも知れない。

「みんな、注目!」

声のする方に目を向けると、文化祭委員が卓上の前に立って手を振っていた。全員がそちらを向いているようには思えなかったが、一応大多数が彼女方に注目した。

「もうすぐ給食だけど、今日は給食当番が配るのが大変だから、おぼんを持って並んで取りに行くことになったから。それで、邪魔なものとかは壁の隅とかに片付けて置いて。あ、席は適当に見つくろって使ってね」

どうやら、このままの状態で食べることになるらしい。元々自分の席であり、鎖はすでに片づけていたので、周囲に邪魔なものはなく、何もしないで済みそうだった。だが、他はそうもいかずに、ペンやハサミを傍のダンボールの中に適当に投げ入れて、すぐ傍にある自分の席を確保していた。

チャイムが鳴ると、給食当番は教室から出て行った。彼らの席はきっと友だちが確保しているのだろう。女子たちは席を確保するとすぐに机を移動させ、対面を向いて食べるために机の正面や側面をくっ付けあっているのが見えた。

暫くすると給食当番が戻ってきて、白い台の上におひるが並べられた。今日はご飯とスープ、それからから揚げというごく標準的な昼だった。男子がすぐに立ち上がっておぼんを取りに向かったので、少し遅れて彼らのあとからおぼんを持って列に並んだ。以前歴史の教科書で見た、配給を受ける人たちみたいだと思い、事実、今までも同じように配給を受けていたのだと思いいたった。それは当然のことで、自分たちで生きていくには弱いものはそうしなければ生きられない。親か公の機関か、その程度の違いだ。

渡される給食をおぼんの上に置き、自分の席に戻ると牛乳だけは配られ置いてあった。牛乳を倒さないようにおぼんを置き、席に着いた。いつものように勝手に食べ始めようかと思ったのだが、同じように夏がすぐ隣の席に腰を下ろし、手を合わせた。自然に彼と同じにした方が良いような気がして、手を合わせた。

まず牛乳を一口含み、おぼんの開いている隙間の上に置いた。それにしても、教室はあまりにも汚い。黒板に絵を描いていたせいでチョークの粉が舞い、床には紙と一緒に埃の塊も落ちて、それにツンと鼻をさすインクの匂いがそこらかしこから漂い、給食の味を無味に変えていた。こんな状態で食事をして、よく具合が悪くならないものだ。

「午後からはどうするの?」

食事をしながら、夏は声をかけてきた。普段なら正義らと一緒に食事をとっているので、その寂しさをごまかすために声をかけてくるのだろう。

「・・・部活の手伝い」

そう答えると、夏は苦笑し、「ぼくも」と肩を竦めた。

食事中に会話をすることは、マナーが悪いと言われていたので、まるで大罪を犯してしまったように感じた。けれど、夏が笑いかけてくるのを無碍にすることはできず、蔑にされる食物に内心謝罪をし、夏の様子を観察するようにして給食を食べ終えた。元々人よりも食事を終えるのが早い方なので、夏は「あ、ごめんね」と言いながら慌てて給食の残りを口にしていた。食事の早さなど個人の自由であるので、「ゆっくり食べたらいい」と彼に伝え、自分の食器を籠の中に片づけてまた席に戻った。夏は言葉を受け入れたのか、先ほどと同じ速さで箸を進めていた。

「きみは、食べるの早いね」

夏は早く食べられないことを気にしているのだろうか、けれど、夏よりも食事をするのが早いのは事実なので頷いた。食事をしている彼を眺めて、人間は食物を悦としても食べているのかもしれないと思った。単なる生命維持のためではなく、食事そのものが快楽なのだろうか。夏の食べているものは、先ほど食べ終えた味のない食事に比べて、数倍はおいしそうに思えたのは、彼が楽しそうに笑顔を浮かべているからだろう。

もともと給食の始まる時間が遅かったせいか、ほとんどの生徒がまだ食事をしているのにチャイムが鳴った。普段なら慌てて皆食べ終えるか残すだろうが、今日に限っては誰も自分の早さを変えようとはしていない。

もう昼休みに入ったので、昨日のことを思い出し席を立った。夏が顔を向けてきたので、彼の給食の上に細菌が落ちてしまわぬように口を手で覆い、「部活だから」と小さく言った。

「そう。いってらっしゃい」

小さく夏は手を振った。それを見て、少し不思議に思ったが、それが何故かは分からなかった。

真っ直ぐに家庭科室に入ると、まだ全員がそろってはおらず、数名の女子が自分たちの会話に声を弾ませているだけだった。どうしたものか分からず、ずっと後ろの置いてあった段ボールをテーブルに乗せ、手持ち無沙汰を誤魔化すように花をまた作り始めた。今日は学校中に落ち着きが無く、誰もかれも普段と雰囲気が変わっているようだった。単なる学校行事に過ぎないというのに、いったい何をそんなに楽しむことがあるのだろうか分からない。

花を五つほど作り終えたところで、いつの間にか、教室には普段見る部活の女子たちと知らない女子たちが集まっていた。どうしたものか、誰にも気づかれないように段ボールを自分の前に置き、顔を隠した。

「みんな大体集まりましたか?」

いつも服を押し当てる女子が前に立ち、全員に言った。おそらく、彼女が部長たったのだろうと、そのときようやく気付いた。彼女と目が合ってしまったので、すっと顔を逸らした。

「集まってるみたいね。今日は舞台での動きを確認するだけだから、服は置いておいていいわ」

女子たちは小声で各人がクスクスと笑っている。一体いつもそんなに何が楽しいのだろう。

その後、部長の指示で全員が体育館へ向かうことになった。女子の集団の中でただ一人というのは気まずい思いがして、身体を縮ませて後ろをついて歩いた。体育館に入ると、すでにほかの部活の生徒がステージで練習をしているのが見えた。一体どうするのかと思っていると、そのまま舞台袖にまで連れられ、そこで待機させられた。ここに来て、他と違い、ステージでどうするのか全く聞いていなかったので、急激に不安になった。それを伝えようと部長を見ると、彼女もそのことに気づいてくれたようで、乱暴な手で肩をしっかと叩いた。

「大丈夫よ、あんたは何もせず、最後に出るだけでいいんだから」

それでもどのタイミングで出ればいいのか分からないので、眉を顰めた。彼女はまた肩を叩いてケラケラ笑った。

「もう、しゃんとしなさい!」

都合よく扱われ、ふっと気持が暗くなった。けれど、それを彼女に伝えたところで意味がないので、忘れることにした。

前の生徒たちは小演劇を行う予定らしく、お世辞にもうまいとは言えない演技をして、その位置を最後に確認していた。女子たちの傍にずっと立っているのが嫌なので、傍にあるカーテンに縋りつくように体を隠した。心臓が皮膚のすぐ裏側で動いている所為か、ざわめいて落ち着かない。埃の匂いのするカーテンに囲まれていれば、先ほどよりもいくらかましになったようだが、それでも気持を鎮めることが出来ない。苦しく、吐き出してしまいたいのだが、それは感覚的なことだけで、身体は格別支障をきたしていない。

いっそ眠ってしまおうかと床に腰を下ろしたところで、前の部活の小芝居が終わった。部長が「次は私たちの番よ」と振り返って声を掛けた。とりあえず立ちあがって、全員の行動を眺めていることにした。すると、音楽が流れ始めて、女子たちが二人組になってステージに出始めた。彼女たちに続いて出るのだろうかと立って待って、続いて出ようとすると服を女子が引っ張って止めた。どうして止めるのだろうかと思っていると、「まだ」と呟かれた。

袖から眺めていると、きっと他の女子たちは練習してきたのだろう、ステージ上を同じような形で移動し、定位置に立ち止まった。どうすれば良いのかと不安になってきたが、急に音楽が変わり、女子が背中を叩いて笑顔を向けた。

「一緒に出るのよ」

そう言って、その女子と一緒にステージの中央まで歩かされ、そこで止められた。隣の女子が前に出るので、一緒に前に出て同じように止まった。どうすれば良いかと周囲を見回していると、隣の女子が「動かない!」と強く言うので、動きを止めて正面よりもやや下に視線を向けた。それからどうするのだろうかと思うと、音が止み、ライトが消えてそのまま各自が慌てて左右の舞台袖に走って行った。取り残されるのは嫌だったので、同じように袖に隠れた。おそらくそれで終わるのだろうと思っていると、再び音楽が流れはじめ、今度は女子たちが一人一人手をつないでステージの前に並んで行った。どうするのだろうかと思っていると、音楽と一緒に人の声が流れ、家庭科部の制作した服について、製作者について話しているようだった。隣には先ほどまで姿が無かった部長がいて、手を引き一番最後にステージに出て、端に立たされた。そして、部長の掛け声で頭を下げ、袖に隠れず外に取り付けられた階段を下りていった。もう何も考えず、手を引く部長に従って歩き、体育館の椅子の合間を通り過ぎて外に出た。

すると、ちょうど声楽部が体育館に向かっている所に出くわし、そこに夏の姿を見つけ、慌てて女子から手を引き抜き少しだけ距離を開けた。部長は不思議そうな顔を向けてきたが、それよりも夏のことが気になり、思わず彼を食い入るように見つめてしまった。すると、向こうも気づいたようで、通り過ぎる時に「やあ」と声を掛けて中に入って行った。その後ろ姿を眼で追い掛けていると、部長が肩を叩いた。

「これでリハーサルは終わり。今度は家庭科室の装飾するんだけど」

「・・・手伝います」

一度夏の入って行った体育館の入口に振り返り、先に向かう女子の後を追いかけた。きっと、作ったあの花で家庭科室を飾り立てるのだろう。何を展示するのか知らないが、作ったものが無駄にならなければ良いと、女子たちから離れて歩きながら思った。



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