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普段と同じ時間に目を覚まし、姉兄のお下がりに着替え洗面所に向かった。頬の傷は薄く赤い痕が僅かに見える程度で、二三日中には完全に消えるだろう。家庭科部の女子に、これで騒がれなくて済むと安堵した。
リビングに入ると父と母はすでに起きており、父は普段と変わらず新聞を読んで、母は朝食の支度をしている。
「・・・おはようございます」
味噌汁の匂いと腐った匂いが混ざり合い、気分が悪かった。けれど、誰の機嫌も損ねないために、顔色を変えず台所に立つ母の所へ向かった。
ご飯をつぎ、テーブルに並べた。父と母と自分の分だけを並べたのは、兄がいつも九時過ぎに起き好きな量をついで食べるからだ。焼き魚と味噌汁の配膳も終わり、席につき両手を合わせた。
「いただきます」
父も母も何も言わない、自分のタイミングで好きなように食べている。父は新聞を半分に折り、傍の棚の上に置くと今度はテレビのニュースを見始めた。母は今日の予定を父に話しているが、果たして適当な相槌を打つ父が本当に聞いているのかどうかは分からない。
味噌汁を冷めないうちにまず飲み干し、魚とご飯を一緒に食べ始めた。魚はあまり好きではない、どうしても食べられない部分があって、残飯となるからだ。はらわたは苦く食べる気が失せるが、死んだ生き物に対して失礼な気がするので、仕方なく出来るだけ食べるようにしている。
今日も一番に朝食を食べ終え、台所に行って残飯はごみ箱に捨てて、食器は流しの水につけた。朝の挨拶も済み、もうリビングに用事がないので部屋に戻ろうと思ったが、珍しく父が「おい」と珍しく声を掛けてきたので、足を止め二人に視線を向けた。
「何ですか?」
「今、母さんが植物園に行きたいというのだが、お前も来るか?」
植物なんて、庭か遠くの山を見れば事足りるので興味はない。しかし、父が珍しく誘っているので、行きたいような気がしてきた。けれど、母と目が合い、唾を飲み込んで首を横に振った。
「友だちと予定があるので、行けません・・・」
何と言うわかりやすい嘘であろうか。友達などいない、親しくなろうとするものはいない。けれど、父は友達がいないことを知らないので、「そうか」と納得し、もう誘わなかった。なので、視線を逸らしリビングを出て自室に籠った。しかし、友達と予定があると言った以上、形だけでも出かける支度をしていた方が良い。
机の横に置いているナップサックを掴み、父から毎月貰うお小遣いの入った財布を中に押し込んだ。もうすぐ痛み止めが無くなりそうなので、薬局に行けば完全な嘘にはならないと自分に言い聞かせた。
それにしても、自分は意外と身体が強く出来ているようで、あれほど感じていた痛みが、今では僅かに疼く程度にまで治まっている。保健室の痛み止めは、今まで飲んできたものとは違うので、よく効いたのだろうか。いや、効果がそう持続するわけではない。痛みを大げさに感じていただけなのだ、きっと、他の人なら転んで出来た打ち身程度にしか思わないものなのだろう。他人と比べられないので、実際はどうなのかよく分からない。
支度という程の事は無い。櫛で髪を整えると、ナップサックを背負って部屋を出た。再びリビングに顔をのぞかせると、母が「お昼は冷蔵庫の中に入れておきますから」と声を掛けてきた。このことで、二人は揃って出かけるのだと確認でき、「わかりました」と返事を返してリビングから顔を背けた。
玄関に置いてある、自分の足よりも僅かに大きい靴を履き、「行ってきます」と息を吐き出した。玄関のドアは今日も重く、開けると朝日が目に沁みて何度か瞬きを繰り返した。
制服姿はどこにもない。誰にも会わないことを願いながら、ナップサックの奥にいつも押し込んでいた帽子を目深にかぶって歩きだした。近くにも薬局はあるが、頻繁に買いに出かけるのは気が引けて、なるべく遠くの薬局を幾つかまわって買っている。中には子どもに売ってくれない店もあり、親に頼まれたと嘘をつかなければならないこともあった。
今日も隣町まで歩いて向った。バスに乗っても良かったが、無駄にお金をかけるよりも歩いて移動をする方が、時間の浪費にもなった。また、バスに乗って他人に悪臭を注意されると面倒だと考えた。
最近、紅葉せずにすぐに葉が枯れ落ちることが多くなった所為か、まだ山は緑のままで、僅かに黄色に染まっている程度である。街路樹はすでに先日の大風で大部分が散って、染まり切っていない葉が歩道に溢れていた。それを踏みつけながら、レンガ色の道を進んだ。通り過ぎる人の眼を避けるように、襟を立て、口を両手で覆って歩いた。
外の風で、少しは匂いも薄れているのだろうか。いっそ、匂いに違和感がないよう、下水工事でも行われていれば良いのだが、物事はいつも巧くいかない。
ただ真直ぐに隣町に通じる大通りを歩いて、何十分経ったか、ようやく大型ショップなどが確認できた。そこに用事はないのだが、街の目印になるので、いつもそれを見ながら進んでいる。そして、そろそろ人通りが多くなってくるので、いつものように横道を逸れて、住宅街の裏道を進んでいった。しばらくすると、大衆用の薬局が見えたので、ナップサックから財布を手に持ち直し中に入った。レジの担当はアルバイトなので、顔を覚えられる心配がないのが大衆薬局の良いところだろう。
洗剤の並ぶコーナーを通り過ぎ、風邪薬などを陳列している薬剤品の棚に向かった。その中から、いつもと同じ痛み止めを探し出したが、その隣に同じ痛み止めが値段を下げて売られていたので、そちらを選びレジに向かった。商品が一つだけなので、会計は早く済んだのだが、小銭を財布に片付けている間に、店員が「風邪ですか?」と声を掛けてきた。時たま、このように人当たりが良い店員がいるので、他の人には愛想の良い店員だと高評価を得るだろうが、どう接すればいいのか分からず戸惑ってしまう。結局首を縦に振って誤魔化し、薬をナップサックの中に押し込んで薬局を後にした。
これで、もう用事は済んでしまった。父と母はもう家にはいないだろう、兄は目を覚まして朝食を済まし、どこかに遊びに行っているのかもしれない。
せっかくここまで来たのだからと少し考え、しかし、何かしらの用事はもうない。歩きまわったとしても寒いだけで、臭いと後ろ指を差されると困るので、通ってきた道を引き返した。朝よりも歩道には人が増え、楽しそうな笑い声が聞こえた。歩いていると、前から高校生ぐらいの女子4人組みが歩いてきて、通りを塞いでいた。どちらかに寄り、団体なら整列して進めばいいのに迷惑なことである。無理やり抜けて身体に触れたくなかったので、傍のコンビニの駐車場に避難した。早く歩けばいいのに、短くしたスカートで「寒いね」と矛盾したことを言う。そんなに寒いなら、防寒服でも着るか、何処にも出かけなければ良い。女子高生の集団を見送り、また行きと同じように街路樹の葉を踏みつけて歩いた。途中、何度か自転車に乗った学生服の集団が通り過ぎていたのは、部活の帰りだからなのだろう。この寒い中、よく自転車に乗り、あれほど冷たい空気にぶつかって行けるものだ。
「あれ、久連じゃんか」
顔を上げたのがいけなかったのだろう、振り返ると正義とその後ろには、クラスで見た事はあるが名前を覚えていない男子が乗っていた。二人乗りは校則云々の前に、違反行為であると知っている筈だが、それを指摘する必要も無いので、目の前に自転車を止めた正義を見上げた。
「コンビニか?」
口を開きたくないので、首を横に振って否定した。すると、正義たちは明らかに残念そうな顔をしている。どうしてそんな顔をするのかと首を傾げていると、「いや、何か食い物もってたら、分けてもらおうかなって」と笑って言った。後ろの男子が、「相変わらず、お前はずうずうしい!」と小突いている。その様子に、何とはなく、不可解な気持ちが生じた。何かが違って、欠けているような気がした。
「・・・夏、夏は?」
声を出したくないのに、どうして聞いたのか、自分でもよく分からない。ただ、友達同士なら、あの女子の集団のようにいつも一緒にいるものだと思っていたから、それで、違和を感じただけなのだろう。口を開いたからか、正義は虚とした顔を向けた。それですぐに、何でも無いと言おうと思ったが、正義は学校を振り返りながら答えた。
「あいつは声楽部だから、午後から部活だろ」
まるで、知っていて当然だろうという口調で言う。しかし、つい最近、彼が声楽部であることを知ったくらい、他人に対し興味がない人間なのだ。
何も言わなくなったので、正義と後ろの男子が、「じゃあな」と「明日」と声を掛けて離れて行った。どうすればいいのか、とりあえず手を振って見送った。
先ほどのことが無かったように、世界は同じ景色で続いている。冷たくなった両手をポケットに入れて、足を進めた。久しぶりに長い距離を歩いたので、お腹が空いてきていた。家に帰ると言うのに、誰もいないと思うと気もそれほど沈まない。
緑に囲われた、汚い茶色の屋根の家が見えた。匂いが外まで漂っていないのは、周囲を覆う木々が吸いこんでいるからだろう。そうだとしたら、植物を植えているのは、近所への防臭になって良かったのかもしれない。
玄関の前に立ち、ポケットに入れていた手を放して、ふと気がついた。今日、鍵を持っていなかった。自動車はないので、父と母が出かけていることは明らかである。ドアの取手を回し、予想道理鍵がかかっていることを確認した。もしかしたらまだ兄がいるかもしれないと玄関のベルを鳴らしてみたが、反応はない。窓がどこか開いてはいないかと庭に回っていたが、用心深い母が掛け忘れる筈も無かった。
帰りたいわけでもない家から、締め出されてしまった。けれど、これは良かったことかもしれない。家から離れれば、臭い匂いが少しは薄らいでいられるかもしれない。でも、きっとそれは一時的なことに過ぎない。まだ子供で、一人で生きられるだけの技量も知能も体力も持っていない。だから、この家から離れて、生きていけるわけがなかった。
夕方になれば、父と母が帰ってくるだろう。もしかしたら、それより先に兄と姉が帰ってくるのかもしれない。それまでの間、外に居ればよいだけなのだ。けれど、玄関の傍でずっと座っているのは、近所からの視線もあってよくない。主婦のネットワークは恐ろしいものがあると、姉が自分のことを示しながらからかうように言ったことがある。
図書館に行こうかとも思うが、休日は午前中に閉まるので行っても仕方がない。とりあえず、少しでも腹ごしらえの為に、先ほどの道を引き返してコンビニに向かうことにした。財布の中身は少なくなっていたが、パン一つ買えないわけではない。
そう思って歩いていると、コンビニの前に見覚えのある自転車が止められていた。少し離れたところからコンビニを覗き込むと、正義と男子が二人で雑誌を立ち読みしている姿が見えた。さっき別れたばかりでまた会うのはバツが悪いので、仕方なく引き返した。一番近いコンビニはここだったが、入ることを諦めて、横道を逸れてスーパーマーケットに向かった。スーパーは店内が広いのであまり入りたくは無かったが、どうにも空腹に負けた。近くにファーストフード店でもあればいいが、残念ながら郊外に店を構える程の余裕はないのだろう。
知り合いに出会っても気づかれないように、帽子のつばを下に向けて歩いた。大通りと違い、大人や若者はほとんど歩いていない。その代りに、子供たちが道路に広がり、長縄で遊んでいるのが見えた。子供たちから離れて歩き、暫く行くと自動車が僅かに増えてスーパーに入って行くのが見えた。予想通り、コンビニに比べれば人が多いようで、何度か見かけた顔もあった。同じ街に住んでいるのだから、出くわすのは仕方のないことなので、気づかれないようにスーパーに入ってすぐ、いつも飲むペットボトルのお茶を掴み、そのまま傍のパンコーナーからサンドイッチを一つとってレジに向かった。レジの店員はどんな人に対しても笑顔を振りまかなければならないので、会計をする店員を眺めながら可哀想だと思った。
サンドイッチとペットボトルの入ったビニール袋をナップサックに詰め込み、逃げるように外へ出た。スーパーの傍でご飯を食べるのは見目が悪いだろうと思い、かといって家には入れないので、近くの公園へ向かった。
寒くなった所為か、幼い子供を連れに来る親子の姿はほとんどなく、閑散としていた。先ほど道路で遊んでいた子供たちはこの公園で遊べば良いと思ったが、しかし、人がいると埃が立つので、このままの方が都合が良かった。
冷たいサンドイッチを同じく冷えたお茶で飲み下し、少し物足りなかったが、空腹で耐えられないと言う訳ではなかったので、更にお茶を飲んで胃袋を誤魔化した。
昼食も終わり、さて、いったいどうしたものかと考えたが、足りない頭で特に思い浮かばない。学校に行けば、夏の詩が聞けるのだろうか。いや、もう夏に近づかない方が良い。
とりあえず、風を避けるためにゾウの形の遊具の下に入った。すると、その狭い空間は予想外に居心地がよく、風も入らないので過ごしやすかった。
満たされた安心感から、自然と眠気が襲ってきた。誰が来るわけでもなさそうな公園なので、帽子で顔を隠し、そのまま落ちる様に眠った。
夢を見ているというのだろうか、ただ暗闇を見ていた。それは夢を見ていない状態なのかもしれないが、しかし、思考は働き、その暗闇を眺めていた。眺めているだけで、それ以上何か思い浮かぶわけでもなければ、暗闇が変化することも無い。しばらくすると、水の音が暗闇を満たし始めた。もしかしたら、母のお腹の中に戻されたのかもしれない。これが現実なら、このまま、外に出ず、ずっと、水の中で、その内に息を止め、消えてしまいたい。
「おい、」
声が聞こえ、眼を開け帽子を脱いで外を見ると、透明なビニール傘を指して立つ兄の姿があった。どうやら、先ほど聞こえていた水の音は、雨が原因だったらしい。
「お前、こんな所で何やってんだよ。家出の真似か」
家を出てどうすると言うのだろうか。一人で生きていくことも出来ないというのに、家出など出来ない。一日だって、屋根の無い場所で生きられない気さえする。
「鍵、忘れた」
「だからって、こんな所で雨宿りするなよ。友達ん家で待たせてもらえばいいだろう」
兄は今日、友達と遊びに行っていると信じていたようだった。友達なんていないと言ったら、少しは驚くだろうか、それとも当然だろうと言う顔をするのだろうか。けれど、面倒だったので、何も言わなかった。
「・・・ほら、傘に入れてやるから、さっさと帰るぞ」
腕を引っ張られ、無理やり外に出されてしまった。だからと言って、中に戻る気はないので、仕方なく兄に寄り添うように立った。兄も今日は一段と腐った匂いがして、二人合わさり周囲まで腐った匂いを漂わせているようだ。
「臭い・・・」
思わず呟いたが、兄には聞こえていなかったようで「何だ?」と頭の上から声を掛けてきた。けれど、同じことをもう一度言うのは嫌だったので、いつものように押し黙った。兄は肩を竦め、背中を押しながら歩きだした。兄は身体がずいぶん大きいので、歩幅もまるで違う。少し小走りになりながら、傘からはみ出ないように兄について進んだ。雨が降っているせいで、いったい今が何時ごろなのか分からない。けれど、夜の暗さではないので、それほど時間は経っていないようである。
家に着くと兄がポケットから鍵を取り出し、やすやすと玄関を開けた。それを眺めつつ、肩やナップサックについた雨露を手で少し払い、兄が中に入ったその後に続いた。すると、外よりも酷い悪臭がして、思わず口を塞いで立ち止まった。様子に気づき、兄が「どうした?」と怪訝そうな顔で振り返っている。きっと、彼にはこの匂いが分からないのだ。吐き気のする悪臭だというのに、平然とした顔でいるのはそうに違いない。
「具合でも悪いのか?」
首を振り、手を放して一つ、深呼吸をした。いつまでも立ち尽くしているわけにはいかない。まだ清浄な外の空気を残していた肺は、汚染された空気と入れ替わり身体を濁した。
「ただいま」
普段の習慣通り、声を出した。兄に対して言ったのではない、単なる習慣であって、そこに何の意図も無い。単なる音声の連続体であり、言葉ですらない。
「ん、ああ・・・」
兄が変な顔をしている。それを無視し、靴を脱いで中に入った。兄の横を通り過ぎ、浴室からタオルを一つとって、そのまま階段を上り部屋に入った。身体は濡れていなかったが、傘に入りきらなかったナップサックが水に濡れていた。それを大雑把に拭き、痛み止めとサイフを取り出して引き出しの奥にしまい、そのまま棚の上に置いた。水に濡れたズボンの裾を捲り、上着は脱いで手に持ち部屋を出た。そのまま風呂場に向い、洗濯かごの中に上着だけを置いてからリビングに入った。部屋ではソファーの上で寝ころぶ兄の姿が見えたが、それは他の家具と変わらないものでしかなく、横目で眺めながら、冷蔵庫の中にある昼食を取り出した。時計はまだ四時を指しており、オカズだけなら間食として食べても夕食が入らないことはないだろうと思った。とりあえずジャーの中身を確認し、この減り具合なら食べたように見えるので、皿を電子レンジに入れて温め始めた。兄が何をしているのかとこちらを見て来たが、敢えて話すことは何も無い。
電子音が鳴った。
皿を取り出し、ラップはごみ箱に捨てた。一応テーブルまで運び、そこにいつも並べて置いてある箸をとり、食前に手を合わせた。
「いただきます」
兄は「ああ、昼食のやつか」と一人で納得し、視線を外してテレビを見ている。なんとも自堕落なその姿を眺め、それの一体どこが面白いのかと首を傾げた。
やはり、時間を置いたせいだろうか。いつもより、生臭い匂いが野菜から漂った。クラスメイトの誰かが、給食は不味いと言っていたことを思い出し、彼女の家の料理はどれ程おいしいのだろうかと考え、肩を竦めた。
早々に食べ終わり、流しで食器を洗い水切り台の上に置いた。顔を上げると、兄はやはり寝そべってまだテレビを眺めている。兄の機嫌も今日は悪くはないらしい。
音を出さないようにリビングを離れ、また部屋に籠った。床に座り、ベッドに頭を押し付けて天井を眺めると、一点の染みが目に付いた。それはほんの僅かな点で、人のほくろ程の大きさしかないようである。けれど、白い壁紙の中のその一点の黒は、眼を惹いた。あの点の所為で、この殻は完成しなかったのだろうか。あそこから空気が入れ替わり、窒息し腐ることが出来無かったのだろうか。もし、あの黒が消えたら、卵に戻って、生まれることを止められたように感じた。
詮無い事ばかり思い描き、身体は倦怠感から動こうとしない。いや、今は生まれないことを気にする必要はない。この家の誰の機嫌も悪くないのだ、腐っていても崩れないのだから、今は気にしなくていい。
そのまま動かないでいると、父と母が帰ってくる声がした。声の調子から、母の機嫌がずいぶん良いことがわかった。これならば、あとひと月程は人が変わったように、寛大でいることだろう。
もう何度、繰り返しただろう。




