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EUNUCH  作者: 立春
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その世界は暗かった。

ようやく、死んだのだ。

死後の世界が明るいとは思っていなかったけれど、これほどの暗闇だとは思っていなかった。

一寸先も見えない。

闇の中は、腐った卵の匂いが充満していた。

中身が腐ったまま、生まれそこなった卵の匂いだ。

感覚のも痛みも何もない、空虚な闇。

当然身体はないのだから、暗闇から抜け出すために動くことも出来ない。

死んだのだ。

もしかしたら、また、産み直されるのだろうか。そうなったら、生まれ変われるのだろう。

それは、少し嫌だった。

死んだ。

そう、わかっている。

わかっているとは、どういうことなのだろう。死んだのだ、身体を失い、死んだ筈なのに、どうして今、考えることができるのだろうか。

死んだのだ。そう、死んだ筈だ。

それなのに、声が、思考が、内に響いてくる。

「おい!」

汚く擦れた声だ。

死んでいないのだろうか。

瞼がある。白い光が顔に当たって、眩しい。

声が耳許で聞こえる。もし、このまま眼を開けなかったら、死んだままでいられるのだろうか。

けれど、身体はやはり、意識に従ってはくれなかった。

瞼を開けると、白い布が目に飛び込み、次に白い壁が見えた。ああ、ここは自分の部屋なのだろうかと思ったが、すぐ眼の前に兄と姉の顔が見えた。

「この馬鹿!!」

姉が泣きながら怒鳴って、身体に縋りついた。兄は眉をひそめ、姉の肩を叩きながら、まだ顔を眺めて来ていた。

ここは天国でも地獄でもないようだ。

死ななかった。

また、失敗した。

兄と姉が喚いて、後ろの父も何か言っている。その後ろには白衣を着た男性が立ち、ペンをもって何かを書いている。どうして彼らは喚いているのだろうか、身体全体に力が入らず、耳も正常に働かない。

「絶対に、許さない!」

姉が喚いた。喚く声で、何度も何度も誰かを罵っている。一体誰が彼女の気に喰わないのか、よく分からなかった。どうして彼らは怒鳴り合っているのだろう、そして、怒りをぶつけてくる。それならまた、とんでもないことをやらかしたに違いない。

「どうして、何も言わなかったんだ」

父が見下ろした。けれど、いったい何のことなのか見当もつかない。姉が身体の上で泣き続けるので、涙の水分が指先に触れて気持ちが悪かった。彼らに対し、謝罪をしなければならないのだろう。けれど、声は出ない。

「お前の、その・・・すぐに病院に運ばれたから、治るまで時間はかかるが、」

兄の声に、何を指しているのかすぐにわかった。けれど、別にかまわなかった。痛み以外に、耐えなければならないものがあるだろうか。いや、きっと無い。

許してもらえるなら、このままで良かった。

「ごめんな」

そう言いながら、兄は殴るわけではなく、頭を撫でた。どうしていつも、そんな顔をするのだろうか。

「・・・みんな、いない方がいいだろう」

そう口にした瞬間、姉が顔を上げて頬を叩いてきた。痛みが無いのは、やはり麻酔のせいなのだろう。けれど、乾いた音だけは耳に絡みついた。

「なにバカ言ってんの!」

また、誰の声も聞きとれなくなった。

「どうして、・・・」言い掛けて、沈黙した。姉にはその意味がわからず、怒った顔でその先を促そうとする。けれど、やはりなにも音に出せない。すると、兄が姉の肩を優しく押しやり、顔を固い掌でおおった。

「なんで、言わないんだ」

言えない理由は、よく分からない。ただ、口の中がカラカラに乾いて、舌に残る記憶は甘いそれだ。

「・・・チョコレート」

二人は眼を丸くしていた。よく分からない、けれど、それが頭に思い浮かぶ事実なのだから仕方がない。

「それと、どういう関係があるんだ」

父の感情の起伏を感じさせない、穏やかな声が聞こえた。父は何も知らない、実際は何も分かっていなかった。

「チョコレートが口に広がって、それを外に出したくない。だから、」

すぐ目の前にある二人の顔を見た。二人の顔は止まったまま、表情を変えない。

「チョコレートを食べたから、言わない」

果たしてこれで、伝わるのだろうか。むしろ、伝わらない方がいいかもしれない。

姉が口を抑え、「ごめんっ」と言って泣き崩れた。兄は姉の肩を抱き、暗い表情を浮かべている。父は意味を聞きたがっていたが、口の中に甘い味が広がり、何も言えなくなった。

「さっきから何だい!」

カーテンの向こうから、知らない擦れた声が聞こえた。父が驚いて振り返り、そこから見知らぬ老婆が現れて、父を見、鼻を鳴らして傍に来た。

「・・・誰、」

「アンタ、祖母の顔も知らんのかい」

祖母というのは、誰の祖母だろうか。祖母と名乗る老婆を眺めていると、眼元が母に似ている気がした。父の両親はすでに他界しているというのだから、おそらく、この人は母の母なのだろう。

「ほら、これを飲みな」

渡されたのは水筒の器で、中からは緑茶の匂いがした。医者が「飲み物は、」と止めようとしたが、その前にそれを呑み込んだ。渋い味が口に広がり、今まで感じていた甘味は消え去った。

「・・・甘くない」

言って、口を閉じた。緑茶は喉の奥を通り過ぎて、口の中に残る味をすべて消してしまった。

味がない、それが、寂しい。

「当然だよ。お茶なんだから」

ああ、それは当り前のことなのだと気づき、祖母の顔を見ながらもう一度眼を閉じた。


次に目を開けてから聞いた話では、家は思うよりも複雑だったらしい。祖母は酷い娘で悪かったと言ったが、恨まないで欲しいとも言った。庇うような母の経歴を聞かされても、過去のことであって、やはり関係ないように思った。

初めから、母を恨んでない。自分が、腐っているから、汚いから、だから、こんなものを生んでしまった母は、ただ運が悪かっただけだと思う。

姉は毎日やって来て、退院したら引き取ると言ってきた。だが、それに同意を示すことは出来なかった。姉が嫌いという訳ではないのに、もう疲れていた。

今日もいろいろな人に質問をされるのだろうかと、朝目を開けて落胆した。誰も来ないで欲しい、生まれそこなった汚い塊なのだ。

ドアをノックする音がしたが、どうせまた姉に違いない。これ以上甲高い声を聞きたくないので、布団を頭から被った。

「・・・久連、」

夏の声がした。ここに夏の声が聞こえるはずはないのに、けれど、それは彼の声だった。布団を跳ね飛ばし、背けていた顔の向きを変えた。茶色の髪はカーテンから浮き出して見え、心臓がキリリと痛んだ。

「夏、どうして?」

「・・・ごめんね」

何故彼は謝るのだろうか、それより、どうして夏はここに居るのだろう。

「どうして?」

「もっとはやく、ぼくが気づいてたら、そしたら、」

どういうことなのか、わからない。夏は手を掴み、眼を赤くして泣きだした。何故彼は泣くのだろう、彼もどこか怪我をしているのだろうか。見ると、夏の両手には、この顔にまかれたものと同じ白い包帯があった。

「夏、痛いのか?」

包帯を見ながら聞くと、彼は手を握り、頭を左右に振った。彼を慰めようとしたかったが、痛みも無いのに泣いているのでは、どうすればいいのか分からない。

「泣かないで」

「・・・ごめん」

「どうして、謝るの?」

俯いているので、夏の顔が見えない。声は涙で擦れて、小さく今にも消えてしまいそうに思えた。

「ぼくが、きみを見つけたんだ。本当はね、もっと早くに来ていたのに、ぼくは、気づかなくて、それで、悲鳴が聞こえて、」

「・・・夏が、見つけたの?」

てっきり、家に帰ってきた兄か姉に見つかってしまったのだと思っていた。けれど、夏が話す言葉によると、あの電話のあとに家に来て、悲鳴が聞こえたので庭に周り、窓を割って母を止めたのだと言った。手の傷は、きっとその時のものなのだろう。彼は礼を言われる立場であり、けして謝罪をする側ではない。

「どうして、謝るんだ。夏は、助けようとしてくれたんだろう」

「でも、もっと早く来てたのに、そしたら、こんな大けがにならなくて・・・」

「夏には関係なかったことだろう」

すると、夏は顔を上げて、まっすぐに見つめてきた。最初、彼に睨まれているのではないかと思ったが、どうやらそれは違ったようで、ただ真っ直ぐに眼を向けているだけだった。茶色の透明な眼に、白い影が映っていた。

「友だちだから、」

同情からの言葉か、よく分からない。首を横に振り、視線を逸らした。

「いいよ、もう、気を使わなくて。死んでいなんだから、」

「違う!」

夏の声はあまりにも透明で、耳を貫いた。

「だって、ぼくはきみが好きだ。だから、ぼくはきみが泣いてるのは、嫌なんだよ」

好き、夏は好きだと言った。こんなに汚く腐った塊を、夏は好きだと言った。夏は本当に好きなのだろうか、それとも、誰かの代わりで好きなのだろうか。

違う、そうじゃない。

ただ、誰かに、好きになってもらいたかった。

誰かに、愛されたかった。

汚いままでもいいから、綺麗になれなくてもいいから、誰かに、言って欲しかった。

頬に手を当て、その時になってようやく、自分が泣いていたのだと気がついた。道理で、視界がぼやけて、よく見えない筈だ。

「夏、」

身体を起こし、彼の手に額を押し付けた。彼の手は、思っていた通り暖かかった。

「名前を呼んで、」

二度と誰かの代わりにならないように。ここに居るのが、自分だと分かるように。

夏は名前を知っているだろうか。もう、何年も、誰にも呼ばれていない名前を彼は知っているだろうか。

彼の手が、ゆっくりと額から、頭の先までゆっくり撫でた。彼の触れた所から、次第に熱を帯び、眼が覚める思いがした。

「――‐・・・」

耳許で聞こえた自分の名前に、ようやく、卵から孵った気がした。





ここで終わりました。

前の小説なので、続きがあったりしましたが、データがどこにいったのかわからないのでこれで終了です。


もっと続きを書いてしまうと、当時の精神状態ではかなりのバッドエンドになってしまうので、ここで区切りをつけました。

基本的に、別に考えているファンタジーの登場キャラをむりやり現代にあてはめて書いているので、なにかおかしいかもしれません。


主人公の名前ですが、書いていたんですけど、なんか変な名前なので結局濁しました。隠してるわけでも何でもないんですけど、なんかなぁ、と。


もし続きを書いていたら、束の間の休息、幸せを味あわせた後にどん底に突き落とす内容になりそうです。幸せを知らない人間を不幸にしても気付かないですが、一度幸せを体験させたあとならどれほど辛いか・・・そんな鬱々とした内容になりそうです。


始めは一人称で書いていましたが、主人公の性別をどうするか悩んで、書くのをやめました。まあ、どっちにしても切り落としていたでしょうけど。

夏も性別を悩んでしまった。

結局のところ、悩むくらいなので、どっちでもよかったんだと思います。


もし、最後まで読んでいただいていたのなら、変なあとがきで申し訳ないです。

ありがとうございました。

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