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ダイレクトには書いていませんが、残酷なところがあるかもしれません。
朝日が昇る。カーテンを開けて太陽を探したが、周囲の家に囲まれて見つからない。
服を着替え、二階に置いてある電話の子機を掴んで部屋に戻った。小学校の時の連絡網を机の上に広げ、夏の名前を見つけて家に電話をした。三度音が鳴り、女性の声が聞こえたので、唾を飲み込みながら、「夏くんはいますか?」と声を出した。女性は「ちょっと待っててね」と言ったあとで、夏を呼ぶ声が聞こえてきた。そのまま待っていると、「もしもし」と夏の声が聞こえた。
「夏、」
呼びかけると、夏は「久連?」と少し驚いた声音を出していた。
「一体どうしたの、朝早くに」
「・・・夏、今日は行けない」
「え、どうして?」
「もう、何処にも行けない」
受話器越しに聞こえる夏の声は、やはり、少し音が違った。それでも、これが最後に聞く夏の声なのだと自分に言い聞かせた。
「最後に、願いがあるんだ」
「久連、どうしたの?」
受話器を耳にぴたりと当てて、大きく息を吸い込んだ。肺の中に胞子が入り込むような気がしたが、今さら何を気に病む必要があるのだろう。
「詩って、少しでいいから」
「え?」
「詩って」
夏の戸惑う声がするが、彼は咳払いをして、小さな声で歌った。受話器の声など単なる機械音に過ぎないが、それでも、聞こえてくるのは夏の声だ。そう言い聞かせて、この声を頭の中に響かせた。夏の声が、耳に響いて、部屋に漏れるとすぐに落ちて消えて行ってしまった。
「・・・夏、」
「ねぇ久連、いったいどうしたの?」
「ごめん」
受話器を離し、「ありがとう」と声を出して、まだ聞こえてくる夏の声を消した。手のひらに残っているのは単なる機械の塊で、夏の声だったものは何も無い。
下から、父の声が聞こえた。子機を部屋に落とし、階段を下りてリビングに入った。顔を洗う必要も朝食を食べる意味もない。父は新聞を畳み、カバンを持ってリビングから出て行った。母は玄関までついて行き、「いってらっしゃい」と父に声を掛けた。父は小さな声で返答し、玄関の戸を開け、外の世界に出て行った。
リビングに立ったまま、待っていた。すると、母が戻ってきて、身体を床に叩きつけた。
耳に夏の声が響く。
この声が形になって手に取れるなら、他に何も要らないように思った。
床に倒れたまま、咽喉を母は何度も何度も蹴りつけた。
「あの子と同じ声で、同じ顔で!!」
何度も何度も母は顔と喉を踏みつけた。
そう言えば、前にもこんなことがあったのだ。あれは小学二年生のとき、発表会の夜だった。そのときから、声を出してはいけないのだと言い聞かせてきた。それをいつの間に、忘れてしまっていたのだろう。
「生むんじゃなかった!あんたなんて、生まれなければよかった!!」
声を出してはいけない。
もう、身体のどこが痛いのか分からなくなった。
眼の前が酷く薄暗い色をして、いつの間にか夜になったのだろう。わずかに映る母の口は何かを叫んでいたが、何を言っているのか聞き取れない。
母が服を脱がせた。手に持っているのは、よく布を裁断するときに使っていたハサミだ。
「あの人と同じ!!」
これから何をされるのか、分かっていた。だから、声を上げないために、潰れた咽喉と血のにじむ唇を押さえた。
母は身体の中の異物をつかみ、ハサミが皮膚に触れた。
声を上げないつもりだった。
けれど、口の中にはもうチョコレートはない。
酷く醜い声が身体からはじき出され、その日、ようやく死んだ。