表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

第六章 反転 《後》

 彼女の風邪は一週間も続いた。だが、それはインフルエンザや、他の重篤な病ではないのが幸いだった。

 風邪が長引いたのは、体と、そして何より、精神が弱っていたのが原因だろう。それからは、彼女は徐々に体力を取り戻して行った。


『明日から午前中は畑仕事をする』


 体調を取り戻すと、彼女は自主的に、そして前向きに、自ら提案してみせた。こんな発言までする様になっていた。

 彼女は、俺が今まで指導して来た者の中で、初めての能動的タイプの教え子だった。

 彼女は自ら提案し、率先して動く事の出来る貴重な人材だった。


『そういえばさ

 風邪で寝てるとき

 色々恥ずかしいこと言ってごめんなさい』

 

 何の事を言っているのかはわからないが、とりあえず、こう答えておいた。

『気にしないでくれ。君が早く元気になってくれて俺は本当に嬉しい。』

 無論――本心だった。


『ちょっ

 だから!

 だめ~!』


 彼女は意味不明な文章を送って来た。これはどう言う事だろう。


『そういうこと簡単に言うのだめだよ

 言われたこっちも恥ずかしいし』


『嘘ではない。本心だ。』


『だからbfひshだいltだってば!

 恥ずかしくないの?

 そういうこと言って?』


 既に雨は止んでいた――世界はようやっと、光を取り戻していた。


 先ずはソーラーパネルの扱いを教えた。

『その型番の物だと、配電線のどこかにある接続用の配電ボックスに、直接繋げておけば良いだろう。建物のどこかにないか?』

 ソーラーパネル等のエコロジー発電は、数十年前に比べれば、より身近なものになっている。

 地球温暖化、海面上昇と言う背景もあり、また、クリーンな発電所が必要だと、この国が認識せざるを得なかった幾つかの苦い経験を経て、今に到る。

 それらエコ発電装置を直接繋ぐ事で、自家発電した電気を直接使える仕組みが、一般住宅にも一機能としてきちんと備わっていた。

 今日ではわざわざ改造工事をせずとも、建築時に、既にそれが組み込まれているのが当たり前になっている。


『もしかして屋上に行く階段の上にあるあれかな?』


『きっとそれだろう。行ってみてくれ。』


 一日後。

 効率の良い畑作業の仕方を教えた。

『ジャガイモとバナナの距離を離すんだ。土がすぐに痩せてしまうし、栄養を奪い合ってしまう。これではどちらの作物も満足に育たない。』

 かなりの広範囲に群生していたジャガイモを、彼女に教えて貰った配置関係から推測し、食料として回収するべきポイントを指示する。


『油とスライサーがあればなぁ~』


『それで何を作る気だ?』

 スライサーとは、何らかの道具の事だろうか。


『フライドポテトとポテトチップ』


 彼女が言っているのは、食べ物を薄くカットする為の調理器具の事だった。

『ああ。あれは美味いな。塩だけで出来るし栄養価も高い。腹持ちも良い。』


『包丁で薄く切る方法とかわかる?』


『それは君の腕次第だ。』


『ふふん!

 こう見えても小さい頃から家事は自分でしてきたんだよ

 家事は子育て以外はなんでもできるよ』


 なるほど。そういう背景があるからこそ、彼女は能動的タイプに育ったのだろう。


『お父さんがだらしない人でさぁ~

 料理は下手だし

 仕事忙しくて家事も満足にできないし』


『そんな事は無いと思うぞ。君はちゃんとこうして立派に育っているじゃないか。』


『そんなおおげさな

 普通のことだよ

 そうせざるをえなかったんだよ

 小さい頃には親一人子一人だったから』


 思わず、沈黙しそうになる。それにすぐに気付いて――送信する。

『将来結婚したら、きっと良い妻に、そして母親になれるだろう。』


『ははは!

 ありがと

 でも相手がいないけどね~!

 わたしのまわりには物理的に!』


 こんな、ブラックなジョークも言える様になっていた。

 だが、その発言に対し、俺は冗談でも笑い返す事が出来なかった。


『風力発電機があるんだけどさ~

 こればらしてなにか作れないかな?

 スライサーまだ諦めてないんだよね~』


『今形としてある物を壊すのは駄目だ。折角形としてある物を別の物に造り変えるのは、よく考えてせねばならない。いや、それより、何だと? もう一度言わずとも履歴でわかるが、やはりもう一度言ってくれ。』


『こればらしてなにか作れないかな?』


『違う。』


『今日はお昼に何食べたの?』


『それは戻り過ぎだ。』

 たまに彼女は“バカ”になる。あるいは、こちらをからかっているだけなのかもしれないが。どちらにしろ、良い傾向だ。ようやく、少しは以前の様な明るさを取り戻してくれた様だ。

 恐らくこれが、彼女の本来の姿なのだろう。

 風力発電機がある――それは初耳だった。それを修理すれば、もしかすれば……


『最近暇だな~天体望遠鏡使えたらな~』


 お腹は満たされ、仮初であれど、孤独感も満たされ、当面の命の危険性も無くなった。

 そうなると、人は自然と、暇だと感じる。と言う事は、精神が健康になりつつあり、体もそれなりに健康である証拠だった。

『そういえばそこは観測所だったな。』

 自然と、彼女の口から出て来るのを待ち続けた言葉だった。そうと気付かれぬ様に、悟られぬ様に、そして、掘り下げる様に、話を繋げる。


『わたし天体観測好きだからね

 今時珍しいでしょ?

 女なのにさ』


 それは向こうからの、双方に揺さぶりを生じさせる発言だった。

 彼女は今、はっきりと自分が女性であると、かつ、特別な知識を持つのだと、それをはっきりと吐露したのだ。

『良い趣味だ。星は綺麗だ。だから俺も好きだ。』

 だが、あくまでも、世間話の延長の様にして、話を続ける。


『多分壊れてはいないんだけどね

 電力がソーラーだけじゃ足りないんだ』


《生存者のいる観測所》――その条件は既に満たされていた。残るは“稼動する天体望遠鏡”だった。

 最悪、天体望遠鏡が壊れていても、いつか彼女さえ助けられれば良いとすら思えていた。

 空の上の人々の事は、無論、忘れてはいない。ただ、ほんの少しばかり、靄が掛かった様に感じていただけで、その存在は無視するには余りに大き過ぎて、目の反らし様が無かった。

 たった今、その薄い靄すらも、完全に晴れて無くなった。今はただ、重たい現実だけが、そこにはっきりと広がった。

 この心優しい少女であれば、きっと……――けれども、そう簡単に踏み込んで良い問題ではなかった。

 彼女の心の傷はまだ癒えていない。もしかすれば、決して癒える事は無いのかもしれない。時折、星や天体望遠鏡や父親の事を口に出すが、絶対に一定の深さ以上の事を話さない。

 それらの事については、海面に浮かぶブイ程度の事しか話さず、深い海の底の、深淵に眠るものに関しては、決して話そうとはしない。それこそが、そこにあるものこそが、彼女の心の傷の正体なのだろう。

 一つ……前に進む勇気を、俺自身も持つべきなのかもしれない。

 煙たがられても構わない。最悪、嫌われても構わない。これは、例え、俺が彼女からの信頼を失っても、少なくとも彼女の為になるはずの事だから――。

『ならば修理をしよう。大変かもしれないが、出来るだけの事はこちらもする。』

 例え彼女から嫌われる事になっても、彼女が真っ直ぐに、これからを生きて行ってくれる切っ掛けになるのならば……――俺はどうなったって構わない。どう思われたって構わない。彼女に殺されても構わない。

 ――彼女との交信が始まって、既に五ヶ月以上が経過していた。

 空の上の人々の猶予は、そろそろ一年を切る所まで差し迫っていた。


 ――幾度も、宇宙船に交信を求めても、情報を送り続けても、無駄だった。

 そんな事は分かり切っていた。かつて《エレメント》が世界に向けてそうした際の事も含めて、分かり切っていた事だった。

 これは、仲間達と彼女の行動方針を考えるかたわら、仲間と彼女の《メンタルケア》のプランを考えるかたわら、俺個人でずっとやって来た事だった。

 ここから送信した回数は、もう何千回にもなるだろう。もしかすれば、一万回以上にもなるかもしれない。俺は、実は未だ、宇宙船にも交信を求め続けていた。それはたった今、現在も変わらない。

 だが、例え俺が《本名》を名乗り上げた所で、何の意味も無い。俺は表の世界では何も知られていない、存在しないはずの人間だ。せめて“大悪党”でもあれば、まだマシだったろう。

《エレメント》は、そして《俺》は、表の世界では、余りに無力だった。

 ――今はとにかく、《エレメント》が研究してから新たに予測した《第二黄昏隕石群》――別名《第二獅子座隕石群》の襲来の研究データを送り続けるしかない。受信されるかどうかはわからないが、とにかく送り続けるしかない。

 それらの未完成だった研究データをサルベージし、それを《世界樹》に補完して貰う事で、徐々に形になりつつある。

 宇宙に浮かぶダストレイルから計算する事で、次に隕石群が襲来するであろう日も、次に隕石が降り注ぐであろう大まかな降下ポイントも、超弩級性能コンピューターの《世界樹》が今もなお、一時も休まずに計算してくれている。

 それは、思えば、この階層で死に絶えていた大勢の“同胞”が為してくれた成果と功績だとも言えた。

 これは俺個人の、吹けば飛ぶ様な、ちゃちで私的な義務感程度のものなんかでは決してない。最早これは《エレメント》の生き残りである俺達だけの問題ではなく、画面の向こうにいる“彼女”も含めた、人類の命題――使命だと言えた。

 死力を尽くし、全力を尽くし、総力を挙げて望まねばならない、超大な使命だと言えた。

『もし自分しか知らない事があって、自分にしか伝えられない事があったならば。そしてそれが、仮に人命に関わる事ならば、大抵の人は、何かしらの行動を起こそうとするはずだ』

 それは俺が、この半年間で行き着いた、彼女との交信で見出した真理だった。


『とりあえず脚立とロープはありますよ

 用意しておけば良さそうな物

 他にありますか?』


 その時――確かに、世界の命運は動いた。


 衛星から撮影した、彼女の住む山の上の拡大写真を見た。ぼやけていて、はっきりとは見えないが、大まかな配置関係は判った。

 これから一晩で、風力発電機の修理の計画を練らねばならない。これは《世界樹》でも分からない事だ。

 非力な少女一人でも、遠距離から指示するだけで、可能な限り簡単に修理が出来るプラン――それを、生身の人間である俺自身が考えねばならない。

 故障箇所の判別方法や、壊れた部品の作り方はデータで分かっても、仮に機械がその部品を作ってくれたとしても、実際にそれらを取り付けるのは、あくまでも人の手なのだから。

 以前に『生存者のいる可能性のある観測所』だけを検索した際に、それは学んでいた事だ。

《世界樹》はあくまでも、ただ樹の様にそこにあるだけで、動いてはくれないのだから。

 これに執着し、行動しない事は、最も愚かな事だ。いつか地上に出る際に、《世界樹》を持って行ければと以前は思っていたのだが、そんな必要は無い。

 遠距離からここへ通信を繋げられる様にしておくか、記憶媒体にデータを焼いて、読み取れる様にしておくだけで十分だ。

 真に重要なのは情報ではない。情報を扱う人間こそが、最も重要なのだ。

 道具も、情報も、人が使って初めて意味を為す。そして、道具も情報も、究極、自ら作り出せる人間こそが、超弩級性能《存在》なのだ。

 ――俺達は地上に出なければならない。彼女がこうして《空》へ進み始めた以上は、俺達はこの地下から進み始めなければならない――雨の上がった《地上》へ。


 風力発電機が復旧すると同時、天体望遠鏡も復旧した。

 彼女には、最早ほとんど教える事は無かった。彼女はしっかりと自分の足で地に立ち、そして、空を望む術を既に身に付けていた。

《獅子座隕石群》と《獅子座流星群》には何らかの因果関係はあるものの、全く別の性質のものであると、彼女自身の持つ知識ではっきりと断言すらしてみせた。

 そして、遂に――それらの研究成果を送信する事にした。俺の願いを、目的を、正体を、全て……伝える事にした。

 彼女は今、稼動する天体望遠鏡を操って、宇宙に孤独に浮かぶ《八番目の希望》を目にしているはずだ。

『――その《HOPE》の事をよく覚えておいて欲しい。今君が見ている視点から、それが見えるかは判らないが、その《HOPE》には通し番号の《0007》が刻まれている。』


 ――それは、君が命に代えても守らねばならないものなんだ。


『その《HOPE》こそ、君の国の人々が乗っている八番目の機体だ。』


 ――それは、君の父が救った人々なんだ。


『これから君は、その宇宙船の人々の為に、語り掛けねばならない。』


 ――君ならば……傷付いてもなお、心優しくあれた君ならば、必ず彼らを救えるはずだ。


『君が持つものは、三つある。一般人よりも天文学に関しての造詣がある事。宇宙の状況をいつでも確認出来る、高性能で、かつ稼働する事の出来る天体望遠鏡がある事。そして、電力や食料を自給自足出来る環境。この荒廃した世界で、何にも代えがたい、金銭では到底計れない程に貴重な、三つもの武器が君にはある。そんな君だからこそ、果たさなければならない使命がある。』

 もし四つ目があるとすれば、それは君と言う人間そのものだった。君と言う人間性こそが、何よりも掛け替えのないものだった。人を救うのに、何よりも大切なものだった。


 ――君と出会えて良かった……君と出会えたからこそ、今日まで俺は頑張って来れた。


『よくここまで頑張ってくれた。本当に感謝している。俺は今、君に感謝してもし切れない位、感謝している。頭を下げて、君の手を取って、何度も御礼が言いたい気持ちだ。』

 この日、この時を境に――俺も……いや、俺達も行動に移すとしよう。


 ー―君が頑張るのならば、俺は幾らでも頑張れる。


『君は地上に残された九番目の《HOPE》なのかもしれない。君の御陰で、俺は地上に出る決心がついた。まだこの世界は助かる可能性がある。地上の人々を守る事は俺達に任せてくれ。その代わり、君はそこで、その場所で、空に“取り残された人々”を救ってやって欲しい。』

 そう送信してから、今日まで紡ぎ上げた成果を、画面一杯に広がる資料と同様のものを、彼女のパソコンへと送信した。

『これらの資料は、君のいる場所と、君の持つものだけではどうしても手に入らないものだ。今日まで君が頑張って来た様に、俺達もまた、これらの事に心血を注いで来た。今まで君に教えて来た事を総合しても、今の君の知識と経験だけではどうしても補えない、辿り着けない、そんなレベルの問題について、これらの資料の中では述べている。』

 彼女からの返信は無い。もしかすれば、戸惑っているのかもしれない。当然であろう。少しずつ、説き伏せて行く積もりだった。それでも、逸る気持ちは押さえ切れなかった。

 それは例えるならば、長く、薄暗い山道を登り続けた先、もうじき夜明けが訪れる山頂へと辿り着く直前の心境だった。

 俺ははやる気持ちを押さえ切れずにいた。

『それを開いて見て欲しい。』

 彼女が画面の向こう側でクリックしたのが分かった。


1.第一獅子座隕石群襲来後の世界地図


 半年前の獅子座隕石群の襲来によって起こった、世界規模の海面上昇の様子を再現した動画だった。

 それは、無数のクレーターが穿たれ、水に浸食された、今現在の地上の姿だった……

 

 ――彼女は次の項目をクリックした。


2.第二獅子座隕石群降下ポイントの予想図


 それは次に飛来する隕石のシミュレーション図だった。

 ただでさえボロボロだった世界が、今一度、蹂躙されて行く……


 ――彼女は最後の項目をクリックした。


3.ホープ軌道予想図


 それは《HOPE》を表す四つの円が、世界地図上を移動し続ける動画だった。0、1、5、7の四つの円だけが画面内を動いている。

 それは八つの内、無事宇宙へと上がった《希望達》だった。

 しばらくすると⑦に変化が訪れるはずだった。⑦の向かう先に、無数の赤いラインが織り成すラインが現れた。それはこの国、日出国列島群の真上だった。やがて⑦はその降下ポイントと重なってしまう。その予想日時は今から約一年後――


『七つの《HOPE》を建造した時点で、この国の力はほぼ失われていた。』

 俺達の組織とて、手をこまねいて、ただ傍観していた訳ではない。多くの同胞達が社会の裏側で暗躍していたはずだ。

『だが君の国は、ほぼ失ってしまった力の残りを総動員し、不完全ではあるが、八番目の《HOPE》を形にした。だが、その最後に造られた《HOPE》には、隕石の軌道から逃れる為の、宇宙空間での機動制御に使う装置が十分に積まれていなかった。辛うじて完成させた一台の機動制御装置を搭載した頃には、最早隕石群の襲来は間近だった。それは本当にギリギリのタイミングで打ち上げられた。その際に運悪く、隕石の幾つかがその機動制御装置に当たってしまった。大気圏から逃れ、宇宙空間に出る事には成功したものの、どうにか一時的に安全な距離に静止する事にも成功したものの、やがてその装置は二度と動かなくなってしまった。もう二度と、新たに来る隕石群から逃れる事が出来なくなってしまった。』

 約半年程前に観た“あの動画の光景”が脳裏に蘇る――無数の隕石が飛来する、赤茶色に焼けた空。その下で、蹂躙されて行く幾つもの命……

 気付かぬ内に、拳を握り締めていた。唇を噛み締めていた。


 ――彼女なら、彼女ならきっと、動いてくれるはずだ。人の苦しみを理解出来る彼女であれば、空に浮かんだ人々を救う事が出来るはずだ。


 世界中から虐待を受けた、世界で一番の被害者である彼女に。俺は、全てを伝えたのだった。


『嫌だよ』


 ――舌戦が始まった。


『しない

 わたしはしない

 絶対にしない』


『わたしはもう何もしない

 世の中とは関わらない』


『なんで

 なんでわたしがそこまでしないといけないの?

 あんた

 わたしが誰だか知ってたでしょ?』


 俺は――最初、四人の仲間の《メンタルケア》をすると決めた時から、《嘘を吐かない》と決めていた――それは彼女に対してもだ……。

『その通りだ。』

 これこそが、双方に対する、最大の揺さぶりを生じさせる質問と、そして、返答だった。


『あんた

 このわたしをこの数カ月

 いじって楽しんでたんだ?

 インターネットの中で

 みんながそうしていたように

 世界が滅んだ後も

 わたしを嗅ぎ付けて

 笑い者にしてたんでしょ?』


 それは超弩級の暴風だった。

『違う。』

 俺は、彼女と言う暴風に抗える程の、立ち向かえる程の存在ではなかった……。


『何が違うのよ』


 それでも俺は応答しなければならない。

『確かに俺は数カ月前に、君の正体を知った上で送信をした。君がこちらとの交信を受け入れてくれた時から、それを黙っていた事は認める。だがいつか、君が自分の素性を自ら語ってくれた時に、こちらが君を知っていた事を打ち明けた上で、君にこの話を託す積もりだった。』


『勝手なことを言わないでよ

 何でわたしなの?

 何で嫌われ者のわたしなの?

 何で世界で一番嫌われ者のわたしなの?

 何でそんなわたしに助けを求めるの?』


 大袈裟でも何でもない。被害妄想でも何でもない。事実だ。痛烈なまでの正論だった。俺はまた彼女に傷付けと、”そう言っている”のだから。

『勝手な事と、君がそう思うのなら、恐らくそうなのかもしれない。だが、俺は、誓って、君を傷付ける意図は無い。』

 俺の言い分は最早――破綻しているっ……!


『実際の声が聞こえないから

 あんたの本音が感じられない

 こんな文章だけでの会話なら

 いくらでも

 都合の良いことが言えるでしょうよ』


 俺は果たして、彼女が大事なのだろうか?――単に利用しようとしているだけなのではないか……

『俺は《HOPE》だけじゃなく、君も助けたいと思っている。』

 だが、その言葉は、自然と出て来た。


『だから

 それはあんたの本心なの?

 字だけじゃ伝わらないよ?

 実際にあんたを見なきゃわからないよ?

 実際に何かしてくれないと信用しないよ?

 そんなの

 言葉でだけなら

 いくらでも

 とりつくろえるじゃない』


 もう無理だ。論理的に、冷静に言える段階は過ぎ去った。ここからは、最早、一個人同士の尊厳と、感情のぶつかり合いだ。真の意味での、心の意味での、《裸》での殴り合いだ。

『俺の本心だ。君が俺の事を嫌いになったのなら、それは仕方の無い事なのかもしれない。それならそれで、嫌いになってくれても構わない。俺も自分で自分が嫌いだから、君が俺を嫌いになる気持ちもわかる。それでも、どうか信じて欲しい。俺は出来れば君に会いたいと思っている。今は君にこうして言葉を送り続ける事しか出来ない。それを歯痒くも思っている。』


『だから

 言葉だけじゃ伝わらないよ

 文章だけじゃ伝わらないよ

 ネットや文章の中でなら

 いくらでも人は嘘がつけるから

 ネットや文章の中でなら

 何の責任も持たないで相手を慰めることができるから

 ネットや文章の中でなら

 いくらでも相手のことを傷付けられるから

 だからそんなものに意味なんてない

 そんな綺麗な文字の羅列だけじゃ

 誰も共感なんて

 納得なんて

 しない

 わたしの心には

 少しも届かない』


『だから俺は君にこうして語り掛け続ける積もりだ。君にこの思いが届くまで、幾らでも言葉を送り続けるつもりだ。君が世界に絶望していても、耳を塞いでいても、目を閉じていても、それでも、君を救う為に、俺はこうして言葉を送り続ける。』


『あんたは

 言葉の無力さを

 知らないからそんなことが言えるのよ

 例えそれがどんなに正しくても

 例えそれが真実だったとしても

 わたしのお父さん

《杉崎厚志》が言った言葉は無力だったじゃない!』


《杉崎》――やはりそうだったのだ。当たり前だ。その《観測所》にいる、こんな腐り切った滅んだ世界に生き残った《天文学に造詣のある少女》など、“彼女”しかいるわけがない!

『それは違う。』


『違わない

 一人の人間がどんなに大きな声で訴えても

 どれだけ綺麗で耳通りの良い言葉で飾り立てて語っても

 それが自分の理解できないことである限り

 その立場にならない限り

 聞き入れられることなんて絶対に無い』


 彼女の言う通りだった……!

『それは違う。』

 だが――俺は否定する……!


『違わない

 実際世界は愚かな行動ばかりをし続けた

 一部の権力者や技術者だけが安全な空に行ってしまった

 父の言葉を理解した人たちですら

 みんなそんなことしかしなかった』


 俺はふと――今もなおし続けている交信要請を見た。ただの一度も、まだ応えてくれない……

『それは』

 俺は言い淀んでしまった。

 幾らかの空白を空けて、彼女は更なる言葉をぶつけて来た。

 全てが全て、一言一句。全てが全て、超弩級の――破壊力だった。


『仮にわたしが

 空の上に浮かんでいる

 あの宇宙船の人たちに危険を告げたとして

 それが何になるの?

 安全な場所にいる人達が

 今更

 わたしの言うことを

 聞き入れると思うの?

 世界中で笑い者にされていたわたしが

 世界中で嫌われていたわたしが

 そんなこと

 わたしがしたところで

 気が狂ったように喚いているだけにしか見えない

 仕返しに

 イタズラに

 向こうを混乱させようとしているとしか

 思われない』


 それは……――仲間からも言われていた言葉だった。


『ねえ

 本気であんたは

 わたしが

 空の上の裏切り者たちを助けたいと

 助けようと

 そう思えると

 あんたは本気で思っているの?

 わたしがそうすると

 本気で思っているの?

 わたしが

 それをできると思っているの?』


 ………………


『本心だから言います

 わたしは世界中の人間なんて

 わたし含めて

 消えてしまえばいいと思っています

 わたしは空の上の人たちも

 勝手に死んでしまえばいいと思っています

 わたしに酷い仕打ちをした人たちも

《杉崎厚志》の言葉を聞き入れなかった人たちも

《杉崎厚志》の言葉を自分の安全のためだけに聞き入れた人たちも

 みんな

 みんな

 みんなみんなみんな

 一緒に

 わたしも

 一緒に

 この世界から

 消えてしまえばいいと

 思っています

 世界を救おうとしている人以外の人間は

 みんな

 死んでしまえばいいんです

 これは

 わたしの本心です』


 それは……片手の小指だけで、強風の吹き荒ぶ崖っ淵に掴まるかの様な、そんな頼り無く、絶望的な心境で、それでもどうにか湧いて出た、そんな、ちんけな意地から出た言葉だった。

『違う』

 ――このなけなしの思いを、最後の一振りとし……最後の武器として、“彼女”と言う、“強大な敵”に対し、“彼女”と言う、“最弱にして最強の敵”に対し、“彼女を救う為”に、振り掲げなければならない――

『君は誰にも報復しようとしなかった。喧嘩をしたり、自分の身を守る時以外は、何もしなかったはずだ。それは、それは当り前の様な事でいて、とても難しい事だ。だからこそ、立派な事なんだ。』

 それは、仲間から否定されていた言葉の羅列だった――何て綺麗事だ。自分でも反吐が出そうだ。自分で自分を殺したくなる。こんな言葉が通ずるなら――

「――世界はこんな風になってはいない!!!!! 彼女もあんなに傷付いてはいない!!!!!」

『君は誰も傷付けなかったからこそ、今そこにいるんだ。真面目に生きて来たからこそ、今の君があるんだ。もし君が本当に人の不幸を心から望む様な人間であれば、人の気持ちを軽視する様な人間であれば、君は今頃牢屋の中に居たはずだ。そこで、世界の終焉を迎えたはずだ。けれどもそうじゃない。今そうしてその場所に君は居るじゃないか。だからこそ、君と俺は、こうして話が出来るんだ。』

「だが真実だっ!……今俺が言った言葉は全て真実だ! 君は優しくて真面目な人間だ! 命を掛けたっていい!!!!!」

『この数カ月間で、俺は君の事が好きになれたよ。それが俺なりの、君に対する、何よりの理解だ。』

 ――視界がにじむ。


『なんでよ?

 今までどおり

 毎日こうして

 ただ話すだけでよかったのに

 安全な場所にいて

 素性の知れないままで

 意味もなく

 ただ話すだけでよかったのに

 わたしはこの限られた山の上の空間で

 あんたは仲間たちと安全な地下で

 そうして

 お互いそこから

 ただ話すだけでよかったのに

 顔も名前も知らないままの

 画面越しに話をする

 そんな関係だけでよかったのに』


 それもまた、かつて仲間から言われた言葉だった。

『違う。』

 ――体が震える……もう、俺は……何かを明確に、言えそうになかった……


『世界はこんな風になったけど

 そんな世界で

 安全な場所をやっと見つけたのに

 なんで

 なんで

 そのままじゃだめなの?

 あんたたちだけで

 どこか安全な場所で

 そこで

 仲良く暮らしていれば

 よかったじゃない』


 それも……仲間が言っていた言葉だ。

『違う。』

 ――もう、ただ、ただ……頭を振りながら、話すしかなかった……


『ごめんなさい

 もう

 無理なんだ

 今の

 わたしじゃ

 もう

 できないんだ

 あんたが見てきたのは

 あんたが好意を持ってくれたのは

 この数カ月

 わたしが

 あんたの前でだけ演じてきた

 お調子者のわたしなんだ

 ほんとうのわたしは

 インターネットで

 笑い者にされているわたしなんだ』


「違う!――君は、世界が滅んでしまって、それを見て傷付いた仲間を見て、傷付いた俺を、この数ヶ月、癒し続けてくれた! 守っていたのは俺の方なんかじゃない! 守られていたのは俺の方なんだ!!!!!」

『違う。』

 俺達は、頑なに否定し続け合う。


『違わない

 もう

 わたしに

 何も

 言わないで

 下さい

 もう

 わたしに

 優しく

 しないで

 下さい』


「――なっ……!」

『待ってくれ。話をさせてく――』


 通信が――拒絶された。


「………………」

 この数ヶ月間で、彼女に抱いて来た全ての思いをぶつけた。

 そして、彼女もまた、遂に自らの傷を俺の前に曝け出した。隕石群によってズタズタになった、地球そのものの姿とも言える、彼女のもう一つの“本当の姿”だった。

 余りに圧倒的だった……彼女の言葉は。傷は。叫びは――それらをひっくるめた《慟哭》は。

 そして――俺は、彼女を救う事はおろか、自らの熱意すらも……喪失させてしまった。


 ――――…………どれ位の時間、そこにいたのだろうか。

 俺は、仲間達の元へと帰らねばならない。少なくとも、彼女と、彼らの事は、別個のものとして考えなければならない。

 そうして、立ち上がり、ディスプレイから顔を反らし、振り返ると――そこには……彼らが立っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ