第四章 好転
最近の隊長はおかしい。だがそれは、今まで数年間行動を共にしてきた自分達にとって、それは最早当たり前のことだった。
「何してんだろ?」
「さあ……?」
理は光にフォークの先を向けて問う。光は内心、正直失礼だとは思っていたが、反抗すると後が面倒くさい事を学んでいた。
だが、まさか隊長があんな事をするなんて。それについては同感だった。
一方スーは、ハーレンを見ていた。ハーレンは顎先に手を添えて、じっと隊長の方を見ていた。瞬きをしていないのが何だか不気味だ。顔だって何だか、珍妙な生物を見る時のアレに近いものだった。そう、何だか、アレな、目なのだ。
四人の視線の先には、白髪で細身の少年が居た。珍しく白いコートを脱いで、黒い上下の長袖、長ズボン姿をしている。今は腕の袖をまくって、何やらしている。
少年――隊長は、何本かの割り箸と、タコ糸をいじって、そして四角い箱とで、何かをしている。と言うか、遊んでいる、と言うか……
途端に理が口元を押さえて、ぶわぁっと泣き出した。
光はギョッとして、慌てた。
「かわいそうに……ついに病んじゃったのね!」
「ちょっ、理っ、失礼だよっ!」
そうは言うものの、光はちらちらと、隊長と理を交互に見ながら、徐々に、一概に、そうかもしれないと、そう思えてきた。
隊長は、何やら、穴を開けた三本の箸にタコ糸を通し、両手の指先で吊り下げて頷いている。しかも今度は、片側を粘土に突き立てた箸に結び付けて、もう片方は箱の上の爪楊枝で作った柵に結び付けている。
もう、これは……!
「――なんもできへんウチが悪いんやぁ~~!」
スーが机に突っ伏して、号泣し始める。
「………………」
ハーレンは相変わらず隊長の後姿を見て放心している。
「これは一大事だ……!」
三人+一人放心中――の計四名。彼らがそんな事を背後で言い合っているとは露とも知らず、隊長は満足気に頷いていた。
次の日の夕飯前の事。
「ちょいと理っ! つまみ食いはあかんよ!」
三角巾に、オタマを持ったスーが、理を追い駆ける。今日も今日とて、夕食当番だったスー。
理は同士であるハーレンに、今しがた揚げたばかりの唐揚げが乗ったプレートを放って渡す。
「――おっと! やっぱ揚げたてが一番美味いよな~~! 稼動し続けていた冷凍室見付けたのはやっぱでかかったな」
「久しぶりのお肉なんだからっ! 止めてよっ!」
スーはオタマを両手で握り締めて、猛然と長身の二人を睨み上げる。正直、全く怖くない。
スーはその内、ブンブンとオタマを振り回し始め、しまいにはそれでペシペシと二人の肩を叩き始める。正直、全く痛くない。
ハーレンと理は両手でプレートを持ち上げて、スーの両手の届かない所にやってしまう。
「……あ」
その時、スーの手伝いをしていた光が声を上げた。
「これ、一回電気が落ちて、一度解凍されてて腐ってるよ。そういえばあの区画の配線、最近復旧させたばかりだったしね。一応冷凍保存じゃなくても、密閉中は常温保存でも大丈夫みたいだけど、裏の覚え書き見ると、一度解凍した物を常温で保存すると、品質が落ちて消費期限が早まります――だって」
光はポイッと、ゴミ箱に未だ中身の入った冷凍唐揚げの袋を放り捨てると、一度解凍済みでも大丈夫そうな食材を物色し始めた。
スーは恐る恐る、背後の二人を振り返る。
「…………ひぃっ!?」
スーは驚きのあまり、オタマを取り落とした。三角巾も斜めにずれてしまう。
二人は、見る見る蒼ざめて行く。そして、まるで握手するかの様にして互いの手首を掴み合って、離そうとしない。
「…………おい、なんだよこの手は?」
ハーレンは、およそ女性に向ける目付きとして、およそ相応しくはない視線を向ける。
「あんたこそ婦女子の体になに気安く触ってんのよ?」
理は、およそ婦女子が男性に見せる顔として、およそ相応しくはない表情を向ける。
二人共、眉間に血管を浮かせ、頬をひきつらせている。一概に、それは単に互いのことが気に食わないだけが、原因ではない気がした。事実、二人の顔は赤まるどころか、むしろ、刻一刻と、青ざめて行っている。
「俺は……お前をここで足止めして、約束の地を目指さなければならないんだっ!」
「ふざけるなっ! パライソ(※パラダイスの意)には私が行くんだ!」
スーはふと、お花を摘みたくなったので、光に一言断って、その場を立ち去ろうとする。
「光さん、ちょっとお花を摘みに行ってきますね。しばらく代わりにお願いします」
光にペコリと頭を下げて、三角巾とオタマを置いて立ち去るスー。
「あ、うん、いいよ。作業進めとくから」
それに遅れ、背後の二人が喚き出す。
「おいこるぁああああああ! なんだそのタイミングはっ!?」
「ちょい待てやあああああ! 美少女はトイレに行かないんじゃないの!?」
光は二人に向き直って、言った。
「この前上の階層の配線関係を一通り復旧させたから、上の階層行けば、ちゃんと機能するトイレがここと同じ場所にあるんじゃないかな? 実はこの前使ってみたけど、動いたよ。他の所は知らないけどね」
二人は未だに互いの手首を取り合ったまま、メンチを切り合いながら、駆け出して行った。
「……よくよく考えれば、スーが出るのを待ってた方が早いのにね……」
――その後、夕飯時。
隊長が突然言った。
「――砕けた文章の書き方を教えてくれ」
「「――ブハッ!!」」
それを聞いたハーレンと理が、同時に、互いの顔に飯を噴き出した。
光とスーは、昨晩の事もあり、いよいよ悲壮感をあらわにして行った。
今日は先に夕飯を食べててくれと前置きしていた隊長は、帰って来るなりそんな事を言ったのだった。
とりあえず、光は自分の食器を運んで床に置き、新たな机を用意し始める。気付けば、全く同じ事をしているスーと一緒になって、新しく机を広げていた。
――慣れたものだ。自然と連携が取れる様になっている――副隊長は口には出さず、胸中で年少組に対して感心していた。
光とスーは、新たな食卓を作り、そちらに食器を移し、掴み合いの喧嘩を始めたハーレンと理のいる、元・食卓から避難した。
「ハーレン。理。食べ物を粗末にするな。こんな事は冗談でもしてはいけない。今の世界の状態を考えてみろ。恥ずかしくないのか?」
隊長は二人に向き直って、二人の前に進んで見上げ、腕を組んで注意する。背は低くとも、歳は下でも、絶対に譲れない線はある。上官だからとか、この場合は関係無い。純粋に、食料の重要性について彼は怒っているのだ。
だが、そんな事は無視して、ハーレンと理は争うのを止めない。ナイフとフォークをそれぞれ手に持って、激しい鍔迫り合い(?)、剣戟(?)を演じている。
それこそ、いつもの事なので、早々に切り上げて、光とスーの方へと彼はやって来る。そして――
「――砕けた文章の書き方を教えてくれ」
スーは机に突っ伏して、震え、泣き始めた。
光はとりあえず、両手を額の前で組み合わせて握り締め、祈る様にして自分に言い聞かせる。
「いいか、光……逃げちゃダメだ。以前リバーの称号を取った時のことを思い出せ……あれに比べれば、こんなの大した事じゃない」
光がブツブツと呟いていると、理がこちらの食卓に自分の分の食器を持ってやってくる。
「ちょっとぉっ~~! なにこれイジメ~~? それともバイキング形式とか、立食パーティー形式とか系~~? いつからここでの食事はそんなオープンになったのよぉ~う!?」
寂しいのか、理は光の隣に座って来た。真向かいにスーが居るのは、まぁ、いいのだが、この配置関係だと、先ほどと同じ様に――
光とスーが横に視線を向けると、両の鼻の穴に割り箸を突き立て、床に両膝を付いて、上半身だけはうつ伏せた様な状態で痙攣している黒い物体が見えた。
しばらく見ていると、彼は立ち上がり、理と同じ様にして、食器を持ってこちらにやって来た。しかも、理の正面に座る。座る場所がそこしかないのだから仕方ないが。
(……やだなぁ、向こうで食べてくれないかなぁ……)
スーに、直接話さずとも、視線で同意を求める光。
(あかんわ……これあかんわ……負のスパイラルや。先ずは隊長はんをどうにかせんとあかんわ)
スーは、視線にその言葉の意を込め、プルプルと真顔で頭を振って、光に応じた。
「――早く砕けた文章の書き方を教えてくれ」
ハーレンと理が鼻と口から麺を吹き出した。
「おいこらああああああああああ! 新手の訓練か何かか!?」
「もしかして笑ったら死ぬ薬でも盛ったんじゃないでしょうね!?」
二人は隊長に詰め寄って、ガスガスと、甘いパンチを、まるでリンチをするかの様にして幾度も叩き込む。
「……何をする? こっちは忙しいんだ。早くしろ。早く砕け――」
スーが両手を振り回して立ち上がり、隊長に詰め寄る。
「隊長ストップ! 考えますから! 考えるから! だから止めてください!」
「待て。スー。止めるべきはこの二人だろう。君は今混乱している。落ち着いたらどうだ?」
スーはふと気付いて、顔を赤らめながらも、コホンと一度咳払いし、取り直して言った。
「わ、わたしたちの、特にハーレンと理が普段使ってるような言葉使いとでも……言いますか?……そんな感じでいいんじゃないですか?」
「……そうなのか? あれが普通だから、そうだと気付かなかった」
鼻から麺を抜きながら、えづきながら、新たに争い始めたハーレンと理。それらを指差しながら、隊長は言った。
「ははははは……隊長は面白いなぁ……今度は違う技能を身に付けたんですね……」
光は渇いた笑いを漏らしながらそう言う。
「簡単に言いますとね、隊長、語尾に伸ばし棒を不必要に使ったりするんですよ~♪」
スーは人差し指を立てて、クルッと軽く円を描かせてそう言った。
「ああ……肩を叩かれていると、思わずそんな声が出る時があるな」
「そうです! 隊長はさすが理解が早いですね!」
嬉しそうに、スーが両拳を振り上げて、顔の高さから下に落とす。正直、微笑ましい。
鼻から麺を抜き終わったのか、顔に付いた食べ物を拭いながら、今度はハーレンが先にこちらへ戻ってきた。
ふと見やると、今度は理が向こうで、何やら割っていない割り箸を洗濯ばさみでそうするかの様にして、両耳にぶら下げられて、仰向けに放置されて痙攣していた。
今度の勝者はハーレンの様だった。
そして彼は隊長に詰め寄って言った。というか、叫んだ。
「おっしゃあああ! とか言うだろ!? それをうっしゃあああああああああ! とか違う文字にして言うだろ!? それが砕けた言い回しって奴だバカ! さっさと行けクソ! コロすぞ!?」
初見だと、思わず泣いてしまいそうな形相と激しい口調で、ハーレンはそうまくし立てた。
だが、さすがにこの食事の場の惨状を見るに、誰もハーレンのその行為をたしなめようとは思えないのだった。
「あかんわ……光さん、また夕食作りましょうか?」
「うん。手伝うよ」
「明日の光さんの当番、お返しにわたしも手伝いますから、気を落とさないでくださいね」
スーは隊長に向き直って、更に言う。
「それじゃあ、隊長も早く帰ってきてくださいね? 一緒にご飯できたてを食べましょう」
「――隊長ではない。副隊長だ」
彼はスーの頭にぽんと手を一度だけ置き、そう言い残すと、駆け足で戻って行った。
復活した理が、鼻から麺をぶら下げながら、両耳に割り箸をぶら下げながら、立ち上がり、言った。
「…………なにあれ?」
お前の姿こそなんだ――思わず姉に対し、光は声に出してそう突っ込んでしまった。
『うっしゃーお疲れー』
そう送信し、本日の交信は終了した。
やはり、今日できる事を明日に伸ばしては気持ちが悪い。
さて、明日は彼女に何を教えてあげようか――