第三章 発信
『心に傷を持った相手に対し、嘘を吐いてはならない。嘘を吐く場合はとりとめもない、笑い話の中でする様な嘘程度にする事。相手の精神状態によっては、質問に対し、嘘を吐くのも、答えないのも、結果的に、両方共に、悪手となる場合がある。そうならない為にも、そう言った相手に対しては、事前に情報をこちらから多く伝えない様にすれば良い。《訊かれなかったから答えなかった》。そういう態度で臨むべきである。いずれ向こうから、双方に対し、何らかの揺さぶりを生じさせるであろう事柄を尋ねて来た際、その時は相手の精神状態を鑑みて、伝えるべき事ははっきりと伝えるべきである。そうして、向こうから現実的に、問題に向き合う姿勢の質問をして来た場合は、それは回復と再起の兆しでもあると見るべきであろう。その見極めを誤ってはならない。』
コンピューターで、自分で今まで調べて来た事と、副隊長、指導教官として仲間と触れ合って来て、体感して来た事を、文章にまとめてみた。
自分達の隊とて、最初から仲間意識があって、連携が取れていた訳ではない。
どちらかと言うと、彼らは皆、主体性が無く、自分の意見を言わず、単に上からの命令に従うと言う、受動的な性格だった。自分から何かを提案し、積極的に何かをしようとするタイプではなかった。
これは、単純に労働力だけを求めるのであれば問題無いのだが、時として、生き死にに関わる局面に曝された際、歴然とした差を生む事になる。
仲間を見捨てて逃亡。連携を取る事も忘れてパニックを起こす。自分だけは隠れて楽をする。
そう言った行動は、最初こそ目立たず、周囲もそれに気付かないか、あまり気にならない程度に感じる。だが、それは、やがては表面化し、人間関係に決定的な、信頼の限界値とも言える、明確な心の壁を作る。
あいつはあくまで仕事の中での同僚であって、《仲間》ではない。あいつはどうせ失敗するから、初めから連携を取る事は諦めよう。あいつは裏であんな事をしているから、信用出来ない。
これでは最早、共に戦えない。
最後に、一文を添える。
『心に傷を負う者に対しては、信用を得たい相手に対しては、徹頭徹尾、嘘を吐かない様、本心で、時に厳しく、そして優しく、応答し続けるべきである。』
それは、本当に難しい事なのだ……
誰かがいて、かつ、そして稼動する《天体望遠鏡設置所》は――存在しなかった。
仲間達の明日の行動方針をまとめてから、空いた時間で《メンタルケア》の予習と平行する形で探していた。
さすがの超弩級性能コンピューターでも、未来予測までは出来ない様だった。いつか、無事な天体観測所に、生存者が訪れるのを期待するしかないのだろうか。
その時、ふと――思い当たる。
自分は今、多くを望み過ぎている。観測所よりも、先ずは情報を伝えてくれる人物。そちらの方を“探す事だけ”に集中すれば良いのだ。重要なのは、いつだって道具を扱う側の存在――人間だ。大事なのは道具なんかじゃない。
『生存者のいる可能性のある観測所』――そう打ち込んだ。
『稼動する天体望遠鏡のある』と言う部分を抜き取って検索をかけた。
世界中の空は、未だ、雨雲が覆っている。暗闇の中に、絶望の中に、この地獄の中に――どこか一つでも、一筋の光明があらん事を……
『該当一件』
思わず、立ち上がって、画面に両手の平を叩き付けてしまった。
『日出国。座標――ポイント。――山山頂部。《杉崎天体観測所》。恐らく一名の生命反応あり。』
衛星からの映像は期待出来ない。だが、はっきりと、《世界樹》――《浩樹》――《彼》――は言っている。もしかすれば、この施設の上部には、地上に露出する部分には、何らかの構造物があって、そこからも幾らか世界を見渡したり、情報を発信したりする事が出来るのかもしれない。
今まで衛星からの視点のみにこだわっていたのがいけなかったのかもしれない。“最も良い視力を持つ存在”が、“望むものを視野に入れられる”訳ではないのだと、それに気付いた。
地上に在るものが、それを見る事が出来る。地上に在るものが、それを成せる。
しかもそれは――《杉崎天体観測所》。超弩級の希望だった。そんな場所にいる人とは、即ち、あの《彼》しか考えられない。
嵐の続く、雷の轟く、日の見えない、日の差さない、日出国列島群。この国に日はもう“出”事は無いのではないかと、半ばそう思っていた。けれども、いつかは、雨は止む。
『こちらは地下施設に避難している者だ。生存者が居たら返信求む。』
アドレス指定の、一個人を対象とした送信ではなく、まるでラジオの電波の様にして、それを託し、送信。
長い、本当に長い――希望を与えられてから、それを改めて奪われたかの様に感じてしまう程の、短くも、長い、そんな、空漠。
世界の時は止まってしまったのではないか。半ば、そう錯覚し掛けた頃――
『だれですか?』
それは、確かに、一筋の蜘蛛の糸だった。
弱々しく、雨雲の中に一本だけ吊り下げられた糸。
けれども蜘蛛の糸は水を弾く――
その頃の年長組二人――別名:資材回収班(年少組曰く、脳筋コンビとも。命名者:光。賛同者:スー)
「最近のあいつ、何だか嬉しそうだな」
ハーレンは今日の相棒である理に話を振る。
話を降られた理は、すぐには言い返さず、鼻と上唇にシャーペンを挟んで、ぶーたれた様な口をして、資材をどのようにして運ぶべきか、両腕を組んで唸っていた。
「ぶはははは! ひっでぇっ顔っ!」
ハーレンは理の顔を指差して笑う。
「うるへぇ~~! こひとらまひめにかんふぁえふんは! (うるせぇ~~! こちとら真面目に考えてんだ!)」
「ぶははははははははははははははははははははははははは!!!!!」
黒い長髪を振り乱し、腹を抱えて、立ったままでありながら、半ば転げるかの様に体を震わして、笑うハーレン。
「へめぇ~~! あふぉへおほへへほほっ! (てめぇ~~! 後でおぼえてろよっ!)」
そう言いながらも、理は更に調子付いて、唇のそれぞれの端に、両の小指をそれぞれ突っ込んで引っかけ、人差し指は両の鼻の穴にそれぞれ差し込んで、親指の先でそれぞれの目尻を下げ、ハーレンに止めを刺す。
「ぶはっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっはははははっ!!!!!」
呼吸困難に陥って、苦しそうにヒューヒュー言い始めるハーレン。それはまるで、全力疾走後の、息も絶え絶えの状態だ。
「まっね! あいつもとりあえずは、最近はしかめっ面してないし、良い傾向かもねぇ~~!」
未だ壁に両手と額を付けて、ガンガンと叩き付けながらも、笑い続けるハーレン。笑いの余韻は、なかなか無くならないようだった。
その頃の年小組二人――別名:小柄な体格を活かして狭い所を探索して来てよ!(命名者:理。笑った人:ハーレン)
「最近隊長、体の調子が良いみたいだね」
光は携行タッチパネルをいじりながら、そう言った。上の階層へ繋がる配線がどこかを探しているらしい。
スーも横からパネルを覗き込みながら、
「そこじゃないですか?」
と言いながら、最後に一度だけ頷いて、遅ればせながら、同意を示す。
「それに体だけじゃなく、何か精神的にもゆとりができた感じがするよ。今の隊長なら、そう簡単には潰れない気がする。いつもは見た目通り、儚げな感じで、今にも消えてしまいそうな感じの人だったからさ。心配だったんだよね」
光とスーの抱く隊長の印象や姿は――透明感のある、真っ白い頭髪。それを首元、耳が完全に、綺麗に隠れる形で切り揃えられた、おかっぱの様なセミロングヘア。そんな髪型で、肌も白く、肩幅も少ない。一見すると女性にも見える、儚い外観をしている人。そしてかなりの無口。けれども、真面目で優しい上司。
「隊長はあれですもんね~。孤高って感じだから♪」
でもそれは、私たちを見て、守るために、高い所で一人立っているって感じなんで――と、スーは口に出さずに、胸中で付け足す。
薄暗い施設内で作業をしているはずなのに、二人の表情は明るい。
隊の中で一番精力的に動けていた人が倒れた時、正直二人は、いや、四人は、ショックを受けた。
彼さえ居ればどうにかなると、今までの付き合いから、経験から、何となくわかってはいたので、今回の探索活動の提案をされた時も、素直に行動に移そうと思えたのだった。
けれどもやはり、人は人。上司でも、隊長でも、指導教官でも、彼はまだ十五歳の少年だ。
だから頼り無い? 信用出来ない?――なんて事は、無い。そんな人があそこまで頑張って導いてくれるのだから。自分達だって、俄然やる気が沸いてくるのだ。
歳の近い上官――大いに結構じゃないか。
改めて――応答があった。
『わたしは今
山の上にある建物の中にいます
もうじき食料が尽きそうです』
文章だけでも、“彼”ではなく“彼女”が傷付き、疲れ果てているのが判った。
世界に絶望し、飢えと死と孤独の恐怖に耐えながらも、今もなお、刻々と死に近付こうとする彼女。
『でも食料をこちらに持ってこないでくださいね
危ないですから
わたしなんかに優しくしないでいいですから
命を大事にしてください』
それでも、相手を気遣う……こんな絶望的な世界で……真っ直ぐに、真っ直ぐな、言葉を送ってくれる。
『よかった
もう誰とも話すことなんてないと思ってた
死ぬ前にだれかと話せてうれしいよ
そっちは命を大事にしてね』
本当に“彼女”は嬉しいのだろう。久方振りに話せて。
ゆっくりでありながら、恐らく、体力も落ちているからなのだろうが、それでも“饒舌”になって自分に語り掛けて来てくれる。
『そちらは何か困ってない?
もし近くにいるなら少ないけど食べ物あげるよ
それ以外もいろいろあるよ
お父さんのお古だけど
服とかもそろってるから
寒いならあげるよ』
――涙が、止まらなかった。
『病気とかしてない?
もしそうでも元気出してね
元気になるまで
こうやって話し相手くらいはできるよ
そういえばまだ病気か確認してないね
なんかごめんね』
震える指先で、“彼女”を“感じながら”、返信する。
『そう
仲間が看病してくれたんだ
それで今はもう元気なんだね
よかったね』
――同意を示す。
『ねえ
自分って言ってるけど
わたしのこと?
そっちのこと?
わたし読解力ないから
ちょっとどっちのことかたまにわからなくなるんだ』
すまない――そう送る。
『なにかべつの言葉でいいなよ』
……《俺》はどうだろう?
『うん
いいんじゃない?』
画面の向こうにいるはずなのに。誰よりも傷付いているはずなのに。何て君は――こんなにも眩しい……
『病気になってもそばにいてくれる人がいるのって
うれしいよね
仲間は大事にしないとね
助けてくれる人たちなんだから
こっちも助けないとね
だからそっちも頑張らないとね』
世界はまだ――終わってなんかいない。
それは、儚い蜘蛛の糸なんかではなかった。
超弩級の――希望だった。