第一章 沈黙
仲間達が施設内の探索を始めて二日目になる。
今晩も仲間達と食事をしながら、探索の経過報告を聞く。その内容は、中々に詳細で、彼らがこの作業に対し、前向きに取り組んだであろう事が容易に窺える。
施設内は、やはり広大であった。かつて自分達が生活していた範囲以外の、侵入禁止区域等の、未知の場所を探索した事で、新鮮さと喜びを覚えたらしい。
本日新たに提出された二枚の施設内の見取り図には、工具や資材のある場所、故障して開かない扉、更なる未開の探索区域が、昨日以上に詳細に書き込まれている。彼らはまだまだ子どもであるが故、まるでビデオゲームを楽しむ感覚で、未知のダンジョンの探索に快感を覚えているのであろう。
明日はどの方面へ向かうか、あるいはどのアイテムを回収するべきか、こちらに相談して来る。
頭の中で幾つかのパターンを検討してから――とりあえずは重要性の高い、食料と飲料水の予備の確保を指示しておいた。
そう答えた後、仲間達は思い出したのか、こちらに今日は何をしていたのかを訊いて来た。
自分は――この拠点としている広間で一人、《例の病気》の為の投薬治療をしていたと答えた。そうすると、女性隊員二人が怒った様に立ち上がって、こちらに文句を言って来た。残り二人の男性隊員も、片方は睨んでいるし、もう片方は眉をしかめて泣きそうな顔でこちらを見ていた。
そういえば……例の投薬をする際は、必ず誰かを身近に置いておく約束だった。正直に言ったのは失敗だった。
先程こちらが言った指示は撤回され、自分の薬のストックを確保する事を最優先事項とされてしまう。四人を犠牲に、一人を優先するのは間違いである。
そう反論しようと、口を開きかけたが、彼らの目と、表情に、それこそ怒りや嘆きに染まってこそいるが、以前の明るさと生気と同様のものが満ちていたので、取りあえずは従う事にした。
こちらが素直にそれを認めたので、彼らはそれに満足して、食事を再開した。彼らの口数は自然と多くなり、食べる量もいつもより増えていた。その日の夕食当番の《セイヴァデイ・ソウル》が、新たな注文を頼まれて席を立つ。三名の仲間から連続で、半ば嫌がらせで「「「おかわり」」」と言われ、半泣きでフライパンを振るい始める。
いつもの、健気で、いじられ体質の彼女らしい姿だった。
仲間達の喧騒を、どこか別の場所へと切り離し、思考は一日前にさかのぼる――
焦げた死体を幾つも踏み越えて、《世界樹》の眠っている部屋の前――巨大な隔壁の前に辿り着く。
超弩級性能コンピューター《世界樹》。その役割は、コンピューターを構成するパーツで言う所の、マザーボードやグラフィックボードやハードディスクと言えば良いだろうか。それ故に、この中へ入る必要は無い。重要なのは、操作する為の端末がどこにあるかだ。
マウスやキーボードが無ければ、どんなコンピューターもただの箱だ。
周囲を見渡す――焼けて蒸発して焦げた血が、天井や壁面にこびり付いている。しばらくそうやって周囲を見渡していると、それを見付けた。長方形型の溝がある、焦げたかさぶたで覆われた壁面。
これこそが、間違いなく、探し求めていた中枢管制室の扉だった。
――中へ入ると、自動的に非常電源が入った。
久方振りの光明に、両目が痛みを訴える。暗視ゴーグルを左手で外し、右の手の平を両目にかざし、目をしぱしぱさせながら、その眩しさに慣れるのをしばし待つ。 指の隙間に挟まった自分の《白い髪》が、今初めて気付いたとでも言う様に、鮮明に映った。 どこか、結晶を思わせる様な透明感を持つ真白い髪。
それは自分の抱える《例の病気》の症状の一端であった。
――前髪を払いながら、かざしていた右手を下ろす。自然と視線も下がる。今自分が着ている服装を見下ろす形となる。
死体の山を踏み越えて、這い上がって、ここまで進んで来た――そのせいで、白に近い白灰色のコートの到る所に、焼け焦げた血の煤がこびり付いていた。
もう吐き出す物などこれ以上胃の中には無いのに、嘔吐感が思い出した様にぶり返して来る。
空いている右手で軽く首を絞め、睨み付ける様に、眉間に皺を刻みながら、コントロールパネルの前へと進む。前に来た所で、全体を見渡す。キーボードの位置と、各ボタンの配置関係を確認する。
先ずは背後の扉をしっかりとロックする為、防水機能を《ON》にする。こうすると、水は隙間から浸入して来なくなる。
暗視ゴーグルを椅子に乗せて、立ったままでタイピングしながら、ディスプレイに表示される情報を読み取って、操作方法を確認してゆく。そして、該当区域を、タッチパネルに直接触れて、全て選択してゆく。この、階層を範囲とし――水没させる。そして強制排水。
かつて仲間達だったはずの亡骸の山は、全て外に流されて行ったはずだ……――死体遺棄。死者冒涜。そう言った単語が脳裏を過ぎった。
だが、仲間達にあれを見せるわけにはいかない。昨日を始めたばかりなのだから。
四人の命の為に、死者の尊厳を貶める。だが、もしかすれば、自分は単にあの死体の山を直接片付けるのが億劫なだけだったのかもしれない。
よくよく考えれば、それは無駄に時間が取られる上に、非生産的で、この極限状況下では最早、無意味な事だと言える――そう言い訳し、こんな悩みは、それこそ、彼らに抱かせてはならないのだと。自分にそう言い聞かせた。何度も、何度も……頭の中で言い聞かせた。
《世界樹》の深層へと、アクセスする。
先ずは《世界樹》の情報の“質”を確認してゆく――すぐに、驚嘆した。
古今東西。国を問わず。あらゆる機械の設計図、専門知識、蔵書等が、0と1の配列によって完全に記憶されていた。
例えば、機械の型番さえ入力すれば、それを修理する方法はおろか、材料や道具さえ揃えば、一から造る事も可能な程の、完全設計図とも言える完璧な情報だった。
表の世界には無許可で衛星サーバーからの電波を傍受しているとは聞いていたが、掘り下げればこの様な事も出来る代物だったらしい。確かに、これは禁忌の代物と言えた。
だが、悪用さえしなければ、この《世界樹》は確かに、今の世界では最も守らねばならない存在だとも言えた。
続けて――今の世界の在り様を調べる。先ずは、世界のどこかで生き残っている地上のサーバー施設の所在地と、ついでに宇宙空間で生き残っている衛星について調べる。
それは、タイピングで単語を打ち込んで、単に検索をかけるだけで自動的に処理され、表示された。『現稼動サーバー』――そう打ち込むだけで、きちんと、地上サーバーの所在地図と、空の上のサーバー所在詳細図が展開された。
それは、こちらの検索意図を正確に理解した上で、即座に、的確に、目的の情報を提供してくれていた――《世界樹》。超弩級性能コンピューター……その使い心地はまるで、こちらの思考が直接読み取れる人間と、直接対話しているかの様だった。
世界はまだ、終わっていないのかもしれない。仲間達を、いや、仲間だけでなく、もしかすれば……もっと多くの人々を導く事は不可能ではないのかもしれない。
しばし、思い付く限り、世界の情報を検索してゆく。ふと、思考がそれに行き当たった――そういえば、空の上に逃れた《あれら》はどうなったのだろうか。
《HOPE》――そう打ち込む。すると、ディスプレイに八つの画像が即座に展開された。左上から右下へと順に、横に四枚、縦に二枚。計八枚の映像が並ぶ。それは恐らく、隕石群から辛うじて生き残った衛星から、たった今撮影したものなのであろう。
左上から、右下へと、番号順に見て行く。
《零号機》――『某国国民搭乗機(搭乗者の内訳を確認する場合はこの文字欄をクリックしてください)。打上成功。地球から離れたデブリ群外にて現在静止中。正常に稼働中。』
映像では――無事に宇宙空間にあるようだ。
《一号機》――ほとんど《零号機》同様の文章なのでスキップする。
映像では――無事に宇宙空間にあるようだ。
《二号機》――『*国国民搭乗機(内紛により搭乗者詳細不明)。打上失敗。太平洋上座標――ポイントに落下後沈没。』
映像では――海ではなく、黒い雨雲だけが見えた。
《三号機》――『・国国民搭乗機(搭乗者無し)。打上時に多勢力からの自爆テロに遭い大破。――岩砂漠――座標――ポイントにて残骸在り。現在水没中。正確な所在地は不明。※現映像は最終観測地点のものである。』
映像では――砂漠ではなく、黒い雨雲だけが見えた。
《四号機》――『#国国民搭乗機(搭乗者の内訳を確認する場合はこの文字欄をクリックしてください)。打上成功。原因不明ではあるが《黄昏隕石群》の軌道上に方向転換後、隕石群に曝され宇宙空間で大破。※現映像は《HOPE》の《四号機》の残骸であるデブリ群が漂う宙域のものである。』
映像では――そこには“海”が広がっている。デブリが無数に漂う、星々の海が広がっていた。
《五号機》――『――――。』
映像では――宇宙船が無事静止している。打上成功。静止中。稼働中。その三つの単語だけ確認して次に移る。
《六号機》――『――――。』
《四号機》とほとんど同様の文章なのでスキップする。
映像では――そこには“海”が広がっている。そこには、形こそ留めているものの、息を止めた《HOPE》が浮遊していた。
そして――これは初見であった。
《七号機》――『日出国国民搭乗機(搭乗者の内訳を確認する場合はこの文字欄をクリックしてください)――』――クリックした。
『搭乗者合計数《20001》。
搭乗者平均年齢:《25》。
男女比:《男1:女1.0……》。
内訳詳細:
政治関係者(親族含)《4900》。
自衛隊関係者《100》。
医療関係者《2500》。
宇宙船技師及び整備士等《2500》。
その他技能者《10000》。
一般人《1》。――』
――再度クリックして、詳細を閉じる。
《七号機》――『日出国国民搭乗機(搭乗者の内訳を確認する場合はこの文字欄をクリックしてください)。打上成功。現在危険宙域にて静止中。宙間機動制御装置以外の機関が正常稼働中。』
――仲間を連れて来ないで、本当に良かった……。
何かが、その時、自分の中で、確かに壊れ、そして砕け散った……
もう一人では、抱え切れない程の、絶望だった……――
――気付くと、先程の、食事風景だった。
だが、自分はまだ、頭の中で思考を続けていた。
世界が滅びる二年前から、《エレメント》は表の世界で公表された“ある学説”を発端に《黄昏隕石群》の研究を始めた。
世間で最初にそれを提唱した“学者”の保護が出来なかった事が、今更ながら悔やまれる。彼さえいれば《HOPE》の《七号機》に搭乗する人々を説得する事は、恐らく容易だっただろう。
はたして、どうすれば良いのだろうか……
自分は、こうして、この場でのんびり、食事をしていて良いのだろうか。
世界のどこかでは、今もなお、どこかで誰かが……
――仲間達の他愛無くじゃれ合って喧嘩する声を、どこか遠くの出来事の様に感じながら、自分はその時、再び嘔吐した。
それに気付いた仲間達の笑顔が、一瞬にして凍り付くのが見えた。
ああ……自分はなんて、無力なんだろう。
ようやっと、仲間達は笑顔を取り戻したのに……また、彼らを傷付けてしまった。
ああ……誰か、誰か……彼らと、空の上の人々を……どうか、どうか、救って、下さい……――