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第九章 逆転

 ――どれ位の時が経ったのだろう……時間の感覚が曖昧だった。

 今は腕の献滴針も抜け、同時採血も終わった。

 そして、スーがこちらの正面に膝を付いて、いつまでもうつむき続ける俺に付き添い、両手を握り締め続けてくれている。

 ハーレンと理と光の三人は、時折、頭をかきむしりながらも、たまに、何かを口汚く罵りながらも、それぞれがキーボードを叩いて、何かと戦い続けていた。


 ――《光》。

 ――隊長。やはりあなたは凄いです。

 これだけの事を、よく僕たちの面倒を看続けながらもしていました。

 ただの一度も文句を言わず、ただの一度も弱音すら吐かず、自分の全てを何もかも投げうって、時に嫌われる覚悟で、裸を見せる以上の醜態を曝しながらも、手を文字通り誰よりも汚して……僕たちを、今日まで、よくここまで導いてくれました。

 思えば、僕がこの歳で《最高の称号》である《リバー》を取れたのも《――隊長》がいたからです。

 あなたは《リバー》最年少取得の輝かしい経歴を捨ててまで、かつて僕を指導する事で、その称号を取らせてくれました。

 ――いや、そんな事はどうでもいいんだ。それよりも、あんなことを言ってごめんなさい。

隊長の言うことはいつだって、“必ず正しかった”のに。僕は、あの言葉と、今までの自分自身に対し、戦わねばならなくなりました。

《――こんな世界で生き残った人間には、それこそ綺麗事なんて通じないんですよ》

 ――許さない。そんなこと絶対に許すものか。綺麗事はいつだって、最も手を汚した者の口から出てくるものなんだ。汚れながらも、汚されながらも、正しいことをし続けた人が発する言葉なんだ!


 ――《姫宮スー》。

 ――わたしはとにかく、この人――《――さん》を全力で守る義務があった。彼がいなければわたしは死んでいたのだし、それ以前に、わたしは彼がいなければ、きっとショックで死んでしまう……。

 仲間三人はわたしに彼を託して《電子の戦場》に向かっている。時折、癇癪を起こしている。凄く過酷な戦いをしているのがここからでも解る。

 わたしは、彼らの叫びを耳にしながら、チラチラと、遠目にディスプレイの文章を読みながら、今日まで支えてくれたこの人の《絶望》と《希望》を、今初めて、遅ればせながらも、少しだけ、体感している。

《――わたしたちだけで、どこか安全な場所で暮らしてはだめなんですか……?》

 ――ごめんなさい。わたしは最低です。恥ずかしいです。自分の命が助かったから、あの時は気を抜いてしまっていたのでしょうか?……ですが、一時も気を抜く暇がなかったはずのこの人は――《沈黙》の《異名》を持つこの人は、黙る事で、いつもわたしたちに、なによりも大事な《言葉》を発し続けてくれていた。

《行動》と言う、明確でいて、なによりも説得力のある《言葉》でもって、示し続けてくれていた。

 安全な場所からでは決して伝わらない言葉を、安全な場所にいるわたしたちに、いつも、ありったけ、全力で、惜しみなく、与えていてくれたのに――

 ……わたしはもう弱くはない。あなたに守られているからこそ、もうなにも恐れるものはないのですから。


 ――《理》。

 ――男の涙は反則だと思う。絶対に泣かない人が泣くのは特に……いいえ。絶対に泣けない立場の人が泣くのは、もうどうしようもないと思う。それが命の恩人で、弟の恩人でもあるのならなおさら。

 ……死んだってどうにかするしかないじゃない。

 あいつは私たちだけでなく《六人目》の《仲間》まで、一人で今日まで守っていたんだ。こんなに傷付いた子をずっと一人で……傷ついていた私たち四人をずっと一人で……

《――世界はこんな風になってしまったんだから、もうさ、私たちだけのこと考えて生きていけばいいじゃん?》

 ――神様でもほかの誰でもいい。誰か私を殺してください。弱い私と、以前言ったその言葉を殺してください。そして、生まれ変わらせてください。今ならなんだってマジメにしようと思います。信じてください。仮に失敗しても、できるまで何度もやりなおします。

 だからもう一度あいつの力にならせてください――わたしは自己中でわがままな自分を金輪際止めます!


 ――《ハーレン・マクダーレン》。

 ――宇宙船の期限は後一年位か……ならこいつはまだ後回しでいい。

 問題は《彼女》だ。こいつを守らなければ、どの道空の上の奴らは助からない。先ずはここより遠くにいるもう一人の《仲間》を守らなければならない。

《――今更安全なところにいる奴らが動くわけない》

 ――俺はバカだ。あの日言った言葉で、自分で自分を全否定し、愚かな自分を全肯定してしまった。俺のアイデンティティはもちろん、仲間や、そして《お前》までをも否定してしまった。安全なところにいる奴が動くわけがない――それを体現していたのは、正に俺自身だった。

 ――実は見ていたんだ。お前が《彼女》と《戦い》を繰り広げていた姿を。声を荒らげて、時折発狂したかの様に叫んでいた姿を。俺達はその姿を見て、最初こそ、お前の気がとうとう狂ってしまったのかと思ってしまった。だが、その内すぐに気付いた。あれは、何人たりとも、絶対に笑えない、笑うことが許されない、そんな本気の言葉だった。

 だから……あの言葉は、ただ単に、適当に、思いつきで叫んだような、そんなものなんかでは決してない――俺がそれを証明してやる!


 ――三人が《彼女》との会話履歴を、それぞれの端末から読み終えたのはほぼ同時だった。

 三人は一度顔を見合わせてから頷き合い、立ち上がり、こちらへ真っ直ぐ近付いて来た。

 ハーレンと理はそのまま、こちらに殴り掛かるかの様な勢いで詰め寄り、俺の二の腕と両肩を掴み上げ、無理矢理立たせた。

 スーが小さな悲鳴を上げ、最初こそ静止の声を上げていたが、すぐにそれに気付き、今度はこちらの顔を決然と見詰めた。


「――《サイレント・リバー》!」

 ハーレンが吠えた。


「――《宇都宮輝水》!」

 理が呼び掛けた。


「――《キスイさん》っ!」

 スーが親しみを込めて言った。


「――《輝水隊長》!」

 光が叫んだ。


 そして……皆は――同時に言った。


「「「「《沈黙》の時間は終わりだ!!!!」」」」


「「「「お前の《声》で言葉を送れ!!!!」」」」


「「「「《お前ならできる》!!!!」」」」


「「「「《仲間》を救え!!!!」」」」


「「「「《隊長》!!!!」」」」


「「「「――《宇都宮輝水》!!!!」」」」


 ――《ウツノミヤ・キスイ》……――そうだった…………それが俺の名だ。

 この狂おしい程に陰惨な半年間で、俺はそれを忘れていた――今まで、俺は自分と言う《もの》を殺していたのだった……


 スー以外の三人が、こちらに一枚の紙面を突き付けて来た。彼らは、俺にそれを読み上げろとでも言うのだろうか。

 だが……――今更通じるのだろうか?

 まだ一度も“彼女”と話した事の無い彼らが考えたその言葉が……

「――輝水! 後もう少しなんだから! あんたは女心をわかってない! 今やめちゃだめだ! 今ここで諦めちゃだめだっ! もう少しでゴールなんだからっ! がんばりなさいよ!」

 理が感情のあまり、目尻から大粒の輝きをこぼしながら、両手でこちらの頬を挟んで、思わず、顔に軽く爪を突き立ててしまう。ただこちらを応援するだけではない。善意のある悪意をぶつけて来る、いつもの奔放な彼女だった。これこそが、妖精――

「…………痛い」

 だが、その痛みが、何故か……心地良かった。そこから、その微かな傷から、何か別の熱いものが、徐々に、沸々と、湧き上がって来る……――

「――お前の文章はただでさえいつも堅苦しくて平坦で無感情に見えるんだっ! だから気を付けろバカ!」

 ハーレンが猛風の様な雄叫びを上げた。その姿は圧巻だ。思わず平伏しそうになる。けれども、何とも頼もしい。そして心強い。

「――《輝水隊長》の言葉はいつだって説得力があります! でもそれは文章なんかじゃ伝わらないんです!」

 光が珍しく、挑む様な視線で進言する。それは眩しくて、けれども、確かな方向性を持って道を指し示してくれている。

「――ええと、後でわたしも詳しいことは確認しますけど……とにかく! 語りかければいいんですよ! だから今わたしはここにいるんです! だからきっと《彼女》にも届きます! 絶対です!」

 数ヶ月前の、あんなに弱々しかった少女の面影は最早無かった。これこそが聖者の日――《先導者》たる由縁だった。


「――俺達も二年前までは、君の父である杉崎天文家の学説を聞くまでは、隕石群の襲来の事は何も知らなかった。そして、最初それを聞いた時は……信じられなかった。何て馬鹿な話だと、そう思った。けれどもその話を、万が一の事を考えて、俺達の組織は具体的に研究する事にした。そして、彼の言っている事は真実だと知った。だが、その時には当の杉崎氏は行方不明になっていた。彼の消息は未だに掴めていない。こうなると、それに気付いた俺達は、杉崎氏の志を継いだ者として、世界にその事を伝えなくてはいけなくなった。だが、杉崎氏の様に、直接何処かへ訴え掛けても、聞き入れられるだけの《力》、《資格》、《実績》、《権利》、《人権》、そう言ったものを、俺達は何一つとして、持ち合わせていなかった。何の後ろ盾も持たない、歴史の影で生きて来た俺達の組織は、表の世界では余りに無力だった。それでも――発信した。だが、それだけでは無理だった。最終的には、世界中の科学者や、権力者や、天文学者達に、獅子座隕石群の襲来の研究データを無秩序に送る事で、ようやく世界は動き始めてくれた。その弊害として、表の世界では、君が辛い立場に立たされてしまった。恐らくそれは……もしかしなくても、俺達のせいなのだろう。そして、それが俺達の限界だった。君一人を助ける事はおろか、世界は八台の宇宙船で逃げる者と、取り残される者とに別れてしまうと言う、悲惨な結末を生んでしまった……――最初こそ、そう思っていた。だが、その内気付いたんだ。俺達がそうした事で――」


《宇都宮輝水》は――そこで紙を放り捨てた。


『――後は自分で考えろアホが! 女泣かせるなぺっぺっ! 自分の言葉で言うべきです――』


 ――…………その通りだ。


 スーが――紙を放り捨てた彼を見て、慌てるも、三人は腕を差し伸ばして留めた――


「――いや。違う。これは、君の父親である《杉崎厚志》が、世界に訴え掛けた事で、八台の宇宙船に乗った人々の何万人かは、助かる事に結び付いたんだと――……俺も、君と同じ、世界に取り残された、ただの、無力な一人の子どもに過ぎない。けれども、君と俺には明確な違いがある。歴史の裏で、そんな場所で生きて来た、何者でもない俺が、空の上の人々に何かを語り掛けた所で、全く相手にされないだろう。一蹴される事だろう。君が、先程、そう言っていた様に……。だが《杉崎時子》。君は違う。君はあの、世界で最初に獅子座隕石群が来る事を提唱した《杉崎厚志》の娘であり、非難されるだけの立場ではあったかもしれないが、それでも、世界中に名が知られている者だ。そんな君が語り掛けるからこそ、空の上の人々は、君の言葉を無視出来ない。世界を救う為に、最初に働き掛けた、偉大な人物の娘である、天文家の卵である、そんな君が語る言葉を、絶対に、無視出来ないはずだ。そんな君が語る言葉だからこそ、そんな君が語り掛けるからこそ意味がある。《HOPE》にいる人々に、君なりの言葉で、精一杯に、懸命に、説明して欲しい。世界に裏切られ、社会に裏切られ、人間に裏切られ……誰よりも深く傷付いた、そんな君だからこそ、誰よりも世界に絶望した、そんな君だからこそ、誰よりも人間に絶望した、そんな君だからこそ……今そこにいる君が、そんな君が――誰かの為に言葉を発すると言う事に意味があるんだ!」


 録音を担当していたハーレンと理が、光に手振りで止めるように指示されるも、二人はじっと彼を見詰め続けるだけで、一向に録音を止めようとはしない。

 すると、今度は、スーが光の肩に手を置いて、頭を振って、留めたのだった――


「――俺は……俺はなんて、無力なんだろう……今すぐにでも、君の元へ行って、君を、今すぐにでも抱き締めて上げたいのに。君の、苦しみを、痛みを、少しでも、減らして上げたいのに――こんな、こんな、こんな簡単な事も出来ない事が、本当に、本当に、口惜しい……――」

 両の目尻から流れるそれは、どんなに堪え様としても、到底止められるものではなかった――ただ、ただ、自然と流れ出すものだったから……


 ハーレンと理はそれを確認すると――同時にスイッチを切った。

そして――《輝水》に音声データの入った端子を手渡した。

 マイクの感度は最高にしていたから大丈夫なはずだ。

 結晶で出来た笛の音の様な、か細く、掠れていて、普段あまり喋る事の無い為か、不慣れな調子で、どこか冷たげですらある、そんな《彼》の声であっても……きっと……――


 四人は……いや、五人は、心から、本当に、本当に、奇跡を、そして――……希望を願った。

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