10)クマ夫との対決
休息をもらった次の日、徹は剣の練習場でいつもの通りの練習を始めていた。
リフレッシュしたかいもあり、体の痛みもすっかり和らぎ剣を扱う動作にも勢いがある。彼は「1,2,3 1,2,3――」と気合を声に出しながら、金属の光沢のある長剣を宙に輝かせ無心に剣の舞を踊っている。地球の世界ではこれほど真剣な徹の姿を目にすることはなかったであろう。特に学業に関しては。
「朝から、熱心でごさいますね。ムッシュ伊勢崎」
気が付けば、シャルル先生が徹の傍ら立って彼を観察している。徹は彼女が入室したことに気づいていなかった。それほど徹は練習に集中していたということであろう。
「おはようございます。シャルル先生」
彼女の隣に昨日ロープに一日中吊るされていたクマ夫が立っている。よからぬ企みでもあるのだとろうか、彼はうっすらと笑いを浮かべている。
「今日から、実戦形式の練習に移ります。お相手はムッシュクマ夫にお願いしました。彼も暇を持て余している様子でしたので、なまった体には丁度いい運動になるでしょう」
「へ?」
徹はクマ夫が戦術をたしなんでいるとは思っていなかった。この世界に来たとき何度か蹴りを食らってはいたが。
シャルル先生は徹が今持っている長剣を取り上げ、かわりに同じ長さの真っ直ぐな木刀を彼に持たせた。
「彼も元はぬいぐるみ。貴殿がいくら木刀でいくら殴っても彼は傷ひとつしませんので、ホコリを落としてさし上げるつもりで思いっきり叩いてあげてください。もちろん、あなたの腕前が彼に勝っていればですけどね。オホホッ……」
彼女も愉快気に笑った。それは対戦相手のクマ夫も同じだった。
「こう見えても、実戦経験は豊富だ。遠慮せずかかってこい。以前と同じで返り討ちにしてやるぜ」
クマ夫は徹を挑発した。しかし徹は躊躇した。丸腰の相手に戦いを挑むなど武士道に反すると、キザな思いから彼は木刀を構えながらもこちらから攻撃しようとはしなかった。それを彼は後で悔やむこととなる。
「そっちから来ないなら、こっちから行くぜ」
そう言ったが早いのか、クマ夫は徹に駆け寄り、瞬時に飛び上がりドロップキックを彼の顔面にお見舞いした。徹の体がよろめく。
「グッ!」
徹は木刀とともに床に仰向けで倒れた。この世界にきてからクマ夫に四発目の借りが出来てしまった。倒れた徹は首をもたげクマ夫を睨む。クマ夫は軽いフットワークで、両手を胸にあてファイティングポーズを取っている。
徹は手を床につき、ゆっくりと体を起こし立ち上がる。そして、木刀を強く握り直す。
「この野郎! ダダじゃ済まさないぞ!」
徹にしては珍しく闘士をむきだしにする。しかしその事がさらなる悲劇を生む。頭に登った血が彼の冷静さを失わせた。徹は無計画のままクマ夫に殴りかかった。木刀がクマ夫の脳天に襲いかかる。しかし、クマ夫はひらりとかわし、勢い余ってつんのめった徹のお尻に回し蹴りを食らわした。徹は前のめりに転倒し床とキスをする羽目になった。まるで押しつぶされたカエルのようだ。
更にクマ夫は徹をけしかける。
「全然相手にならないじゃないか。その腕前で魔女と戦うつもりなのか?」
徹は両腕を立て、首をもたげて、更に低い姿勢を保ちながらクマ夫に向かっていき、木刀を横一文字に振り払う。クマ夫はその攻撃に対し後方へ跳躍してかわす。冷静さを欠いた徹は木刀を振り回しながらクマ夫を追いかける。クマ夫も徹の攻撃を避けながら、時々カウンターを繰り出しながら逃げまわる。最終的に二人は追いかけっこしている子供のようになってしまった。シャルル先生は椅子に座ってその様子を面白そうに眺めている。
とうとう徹は息を切らして、床に這いつくばってしまった。すでに戦意を喪失している様子だ。
「お二人とも、こちらにいらして紅茶でもいかが? 少し休憩なさってください」
先程、お城のメイドが紅茶の準備をしていた。シャルル先生のそのお誘いに、クマ夫は徹の手を引っ張って彼を立たせ、彼女の方へ向かった。徹は背後から、歩いているクマ夫に近づき彼の後頭部を握りこぶしで殴った。
「イテテ……」
クマ夫は両手で頭を抑えた。
「これでお相子だ」
徹はそれで仲直りのつもりだった。クマ夫もそれに同意した。
徹とクマ夫は椅子に座ると、シャルル先生が目の前の白いテーブルに置かれたティーカップに紅茶を注いでくれた。ティーカップは白い下地に花柄の模様が描かれ材質は陶器であった。クマ夫はテーブルに置かれたお菓子の器からクッキーと摘んで口へと運ぶ。そして香りたつ紅茶を静かに楽しんでいた。徹はいまだに肩で息をしており、なかなか紅茶を口にすることが出来なかった。しばらくの間シャルル先生はティーカップを手にしながら徹の様子を静観していた。
徹も落ち着きが戻って、紅茶でのどの渇きを癒している。
「ムッシュ伊勢崎、そのままくつろぎながら聞いてください。先程の決闘では今まで練習をしたことをすっかり忘れておいででした。相手に隙を見せないこと。いくら挑発されようが冷静さを保ってください」
徹はその言葉を肝に銘じた。クマ夫との戦いが終わって、それがこの城で練習を始めときに、手合わせしてくれたシャルル先生との一戦と変りなかったことを感じていた。一方的にやられてしまった。進歩のない自分が悔しかった。うなだれる徹にシャルル先生は励ましの言葉を掛ける。
「剣の扱いは格段に上達しております。自信をもって戦いなさい。ではそれではそろそろ練習を再開いたしましょうか」
クマ夫が席を立つ。徹もゆっくりではあるがそれに続く。そして二人は再び向き合った。
「さあ、かかってこい。今度は手加減してやってもいいぞ」
「……」
徹は無言でその挑発に答えた。ジリッ、ジリッと間合いを詰めていく。徹は一歩踏み出して、上段の構えからクマ夫に斬りかかろうとする。クマ夫は待ってましたと言わんばかりに、回り込みながら正拳を放つ。徹はそれを剣の柄で防いだ。なおも徹の剣先はクマ夫の肩めがけて振り下ろされる。クマ夫は右前方へ前回り受け身をしてかろうじてかわす。徹はつかさず左手に持ち替えしゃがみ込ながら剣を左後へ払った。その剣の軌道はクマ夫の脇腹をかすめた。
クマ夫は起き上がると同時に背中を見せた徹に飛び蹴りを放つ。飛び上がったクマ夫を横目で確認した徹は、剣を両手に持ち替えて振り返り、クマ夫に目掛け下から剣を払い上げた。クマ夫は背中を丸め両手両足でそれを防いた。そして宙返りをして着地した。もし木刀でなく本物の剣であれば、クマ夫の手足は切り裂かれていたであろう。
「なかなかやるじゃないか。そろそろ本気をだすぞ」
クマ夫の言葉に徹はまた無言であった。
クマ夫は、勢い良く肩から徹の体へ体当たりをした。徹は木刀を胸に押し当てそれを防ごうとしたが、クマ夫の勢いに押され体制を崩した。そこへボディーブローを決められてしまった。吐き気をも催した徹は左膝を床に着いた。木刀を杖がわりに立ち上がろうとする徹に対しクマ夫は容赦しなかった。再び、体当たりを仕掛けてきた。徹は残りの力を振り絞り、立ち上がって左足を軸にくるりと回り、クマ夫かわしながらバッティングフォームを作る。
「あらよっと――」
突っ込んできたクマ夫のケツバットをお見舞いしてやった。
「アイタタタッー」
クマ夫はお尻を抑えながら飛び跳ねている。
「そこまで!」
シャルル先生の一声が掛かった。
「素晴らしい戦いでした。ティータイム前のそれとは見違えるようでした。あとはステップを有効に使って、自分が優位に戦えるように心がけてください」
最後に彼女が一言付け加えた。
「最後の一振りはいけません。はっきり言って下品です!――」
珍しくシャルル先生は徹に厳しく説教をした。それでもシャルル先生は満足しいる様子であった。
昼食を挟んで午後も徹とクマ夫の実戦練習は続いた。今日の実戦練習で徹はクマ夫にきっちり借りを返した。
練習が終わって部屋に戻ると徹はいつもの通りソファーに倒れこむ。
「今から俺が先生だ。夕食までの間ダンスの練習をするぞ。起きろ。徹」
やっと顔を持ち上げてクマ夫を眺めながら徹は言った。
「クマ夫は打撲傷や筋肉痛はないのか?」
「そんなものは俺にはない。オレ様の肉体は綿で出来ているからな」
そう自慢してクマ夫は高らかに笑った。